No.83 - 社会調査のウソ(1)

No.81「2人に1人が買春」で新聞報道の問題点(要注意点)を書いたのですが、これはまた「社会調査」の問題点(要注意点)でもあると言えます。「2人に1人が買春」の例では、12.5% という低い回答率で全体を推し測ることは全く出来ないのです。今回は「社会調査は要注意である」という視点で書いてみたいと思います。 まず一つの記事を取り上げます。今回もNo.81に引き続いて少々昔の読売新聞の記事ですが、たまたまそうなっただけであって、読売新聞に問題記事が多いとか、そういうことを言うつもりは全くありません。No.81と違って今回は、れっきとした政党組織による「社会調査」です。 愛知では半数が痴漢の被害 2001年3月22日の読売新聞に「愛知の10-30代、半数が痴漢被害」という見出しの記事が掲載されました。その記事の全文を引用します。 愛知の10-30代、半数が痴漢被害  - 1万人街頭アンケート  - トップは地下鉄  - 公明党青年局調査 愛知県では、十-三十代の女性の二人に一人が痴漢被害に遭っている    。公明党愛知県青年局が痴漢被害を女性に尋ねたところ、こんな結果が出た。 調査は女性党員による対面アンケートの形で県内の街頭八か所で今月実施し、約一万一千人から回答が得られた。その結果、全体の46%が「痴漢に遭った」と回答。被害の場所は「交通機関」が六割以上を占めた。交通機関の内訳は、地下鉄が41%、私鉄3…

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No.82 - 新聞という商品

(前回から続く) No.81「2人に1人が買春」からの続きです。前回に書いた「新聞は商品である」という視点から、もうすこし続けてみたいと思います。 警鐘に商品価値 No.81「2人に1人が買春」で、新聞記事では「警告・警鐘に商品価値がある」という主旨のことを書きました。その警告・警鐘が的を射たものかどうかにかかわらず、とにかく警告・警鐘であることに価値があるという主旨です。その例を何点かあげます。  児童の体力が低下したという記事  文部科学省は小学生・中学生(計 40万人)の運動能力測定を毎年行って公表しているのですが、これをもとに「児童の体力が低下したという記事」が掲載されることがしばしばあります。本当にそうでしょうか。 文部科学省のホームページに公開されている運動能力測定の結果(全国体力、運動能力、運動習慣等調査)を表にしてみたのが次です。比較可能な最も古いデータがある1985年度と、2010年度、2012年度の結果です。2011年度は東日本大震災で中止されました。表で赤く色をつけたのは「1985年度平均を上回った生徒の割合が40%未満だった種目」です。また青色をつけたのは「1985年度平均を上回った生徒の割合が50%以上だった種目」です。 学年種目1985年2010年2012年平均平均85年平均以上の 生徒の割合平均85年平均以上の 生徒の割合小学5年生握力男18.35kg16.91kg37.4%16.71kg35.2%女16.93kg…

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No.81 - 2人に1人が買春

No.48「日の丸起立問題について」で、満州事変以降の新聞による戦争への誘導報道について書きました。 関東軍が満州事変を引き起こすと(1931)、大新聞は関東軍擁護・支那批判の論陣を張りました。満州での日本の行動を非難した国際連盟の調査団の結果が出ると、大新聞だけでなく全国の新聞社132社が共同宣言を出し、満州国設立の妥当性と国際連盟批判のアピールをします(1932)。日本が国際連盟を脱退して世界の「孤児」になったのは、その翌年(1933)です。 No.48「日の丸起立問題について」 歴史を調べてみると、満州事変以前は新聞もすいぶん軍部を批判する記事を掲載していました。この「軍部批判」とその後の「戦争誘導報道」には共通点があるというのが、No.48 に書いたことです。整理すると、 ◆満州事変の以前は、新聞もすいぶん日本の軍部を批判する記事を掲載していた。◆しかし満州事変が起きると軍部を擁護し、共同宣言まで出して、むしろ軍部の先をゆく報道をした。◆軍部批判と軍部擁護には明らかな共通点がある。それは「国民にウケる記事」という共通点である。軍部は横暴だ、軍人はえらそうにしていると苦々しく思っている人が多い時には軍部批判がウケる。日本はもっと中国大陸に進出しようと思っている人が多いときには軍部擁護がウケる。 ということでした。 現代の新聞はもちろん戦争誘導をしているわけではありません。新聞は(ほとんどの場合)事実を正確に報道しているし、社会の不正や歪みを明らかにしている。オ…

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No.80 - アップル製品の原価

No.58「アップルはファブレス企業か」において、アップル社が iPod / iPhone / iPad の組み立てを、巨大EMS(Electoric Manufacturing Service)企業であるフォックスコンの中国工場に委託しているこを書きました。フォックスコンに委託するメリットは人件費が安いということだけではなく、もっと大きなことがあります。つまりNo.58から要約すると、 ◆アップル製品の原価に占める「組立費」の割合は 5% 以下だと考えられる。 ◆アップル製品の販売価格からみた原価の割合(原価率)は50%以下だと考えられる。 ◆原価率が50%、組立費の割合が5%だとしても、販売価格に占める組立費は2.5%である。組立費のほとんどは人件費のだと考えられる。つまり、仮に人件費が倍になったとしても、製品価格を2.5%押し上げるだけである。人件費の影響はこの程度である。 ◆フォックスコンがアップルに提供している最大の価値は「機動力」である。製品組立ては機械化できず、人手に頼らざるを得ない。大量の新製品を一気に市場投入するといった「急激な需要変動」に耐えられるだけの機動力こそ、フォックスコンがアップルに提供しているものである。 ということでした。 このアップル製品の原価についての研究がアメリカ政府のホームページに公開されているのを最近知ったので、それを紹介します。 iPod の原価構造 アメリカ国際貿易委員会( ITC : United Stat…

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No.79 - クラバート再考:大人の条件

前々回と前回に書いた『赤毛のアン』は何回目かの「少年少女を主人公とする物語」でした。特に意識しているわけではないのですが、第1回が『クラバート』だったので自然とそういう流れになったのかも知れません。 取り上げた「少年少女を主人公とする物語」は、4つの小説と1つのアニメーション映画です。作品名、発表年、物語の舞台となった国、主人公の名前をまとめると次の通りです。 ◆クラバート(No.1, No.2)1971 ドイツ クラバート ◆千と千尋の神隠し(No.2)2001 日本 千尋 ◆小公女(No.40)1888 イギリス セーラ ◆ベラスケスの十字の謎(No.45)1999 スペイン ニコラス ◆赤毛のアン(No.77, No.78)1908 カナダ アン  一見してわかるように、5つの物語は発表年に100年以上の隔たりがあり、物語の舞台となった国は全部違います。しかしその内容には共通点があるように思えます。今回はこの「5つの物語」の共通点を考えてみようというのが主旨です。 5つの物語 No.2「千と千尋の神隠しとクラバート(2)」で、『クラバート』という小説は、一言で言うと少年が「大人になる物語」だと書きました。これは他の4つの物語でも共通しています。大人になるという言い方がそぐわないなら「主人公の少年(少女)が、自立した人間として生きていくためのさまざま…

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No.78 - 赤毛のアン(2)魅力

文学から文学を作るという手法 前回に続いて『赤毛のアン』(『アン』と略)の話です。松本 侑子さんは『アン』に引用されている英米文学(以下、テクストと記述)を調べて重要な指摘をしています。それは、モンゴメリが単にテクストから文言だけを抜き出して引用したのではなく、テクストに書かれている物語とその内容を十分に踏まえた上で、引用を盛り込んだ『アン』の文章を書いている、という指摘です。 典型的な例は、前回の No.77「赤毛のアン(1)」で紹介したアメリカの詩人・ロングフェローの『乙女』という詩です。モンゴメリはこの詩の内容を踏まえた上で『アン』の第31章を書いた。それは明らかです。そして、そのことのひそかな(誰も気づかないであろう)しるしとして『乙女』の一節を章の題名にもってきた。 別の例をあげると、第2章でマシュー・カスバートは孤児院からやってくるアンを駅に迎えに行きます。その第2章の冒頭はこうです。 マシュー・カスバートと栗毛馬くりげうまは、ブライトリバーへの八マイルの道のりを、とことこと気持ちよく進んでいた。それは美しい道行きだった。よく手入れされた農場を通り過ぎ、時にはバルサムの匂いも芳かぐわしいもみの林を抜け、また時には、野生のすももプラムがこぼれんばかりに花をつけて白くかすんでいる窪地くぼちを通った。 そこかしこにある林檎園りんごえんから吹く風にのって、空気は爽やかに香った。若々しい緑の牧草地はなだからに遠くまで広がり、地平線のあたりで真珠色と紫色にかす…

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No.77 - 赤毛のアン(1)文学

赤毛のアン No.61「電子書籍と本の進化」で、注釈が重要な本の例として『赤毛のアン』(ルーシー・モード・モンゴメリ著。1908)を取り上げました。この本が英米文学や聖書からの引用に満ちているからです。 また No.76「タイトルの誤訳」でも『赤毛のアン』のオリジナルの題名が「グリーン・ゲイブルズのアン」であることに加えて、文学からの引用について書きました。この本は「大人のための本でもある」という主旨です。 今回はこの小説の魅力を書いてみたいと思います。とっかかりは、この本に盛り込まれた英米文学からの引用です。前にも書きましたが、英米文学や聖書からの引用を全く意識しなくても『赤毛のアン』を読むには支障がないし、十分に魅力的で面白い小説です。しかし実は過去の文学からの引用が『赤毛のアン』の隠された魅力のもとになっていると思うのです。 以降、原則として題名を『アン』と略記します。 松本侑子ゆうこ・訳『赤毛のアン』 L.M.モンゴメリ作。松本侑子訳 「赤毛のアン」(集英社。1993)この本が英米文学や聖書からの引用、パロディに満ちていることを知ったのは、松本侑子・訳『赤毛のアン』(1993年。集英社)を読んでからでした。この訳には巻末に187個もの注釈がつけられていて、その多くが引用注です。 松本さんはこの本を文庫化するときに訳文を見直し、新たに判明した引用を含めて注釈を充実させました。松本侑子・訳『赤毛のアン』(2000年。集英社文庫)には、約300の注釈がつけ…

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No.76 - タイトルの「誤訳」

No.53「ジュリエットからの手紙」において、この映画(2010年。米国)の原題である  Letters to Juliet の日本公開タイトルを  ジュリエットからの手紙 とすることの違和感を書きました。Letters to Juliet という原題は、世界中からイタリア・ヴェローナの「ジュリエットの家」に年に何千通と届くレター、つまり女性が恋の悩みを打ち明けたレターを指しています。映画のストーリーになっているクレアが書いた手紙はその中の一通です。しかし「ジュリエットからの手紙」という日本語タイトルでは、クレアの手紙に対するソフィーの返信のことになってしまいます。この返信が映画で重要な位置にあることは確かなのですが、原作者がタイトルに込めた意味を無視してまで、反対の意味のタイトルをつける意味があるのかどうか・・・・・・と思ったわけです。 大学入試の英文和訳で「Letters to Juliet」を「ジュリエットからの手紙」と訳せば減点されるし、そもそもそういう学力の人は入試に失敗するでしょう。しかし、日本語タイトルをつけた映画配給会社の担当者の英語力が劣っているわけはないはずです。何らかの意図があってタイトルをつけている。その意図はおそらく  興行成績を上げるために有利なタイトルは何か という判断基準だと推測されます。「ジュリエットからの手紙」というタイトルが「興行成績のために有利」かどうかは知りませんが、あえて「誤訳」をするのはそ…

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No.75 - 結核と初キス

前回の No.74「現代感覚で過去を見る落とし穴」を連想させる日本経済新聞の記事が最近あったので、その記事を紹介したいと思います。作家の渡辺 淳一氏が連載している『私の履歴書』です。 渡辺淳一「私の履歴書」 2013年1月12日付の日本経済新聞の『私の履歴書』で、渡辺 淳一氏は以下のような文章を書いていました。札幌南高等学校のときに同級生の加清かせい純子という女性と恋をした話です。その女性は絵が大変に上手で、中学生の頃から「天才少女画家」と言われていたようです。渡辺少年は純子と知り合って逢瀬を重ねます。そして高校3年生になりました。 図書館での逢瀬  - ためらいつつ初キス  受験控え会えない日々へ - ・・・・・・・・・・・・・・・・ 間もなく、私が高校3年生になり、図書部の部長になったので、図書部の部員室の鍵を自由に持ち歩くことができたので、夜、部員室で2人だけで密会した。 彼女は此処にウイスキーや煙草たばこを持ってきて、わたしも誘われるままに飲んでいたが、ある夜、突然、純子に「キスをして」といわれた。 思わず、わたしは応じかけたが、咄嗟とっさに、彼女が肺結核で、血を吐いたことを思い出した。ここで接吻せっぷんをしたら、自分も結核に感染してしまう。 怯おびえて戸惑っていると、彼女が「できないの?」とつぶやき、それに誘われるようにわたしは思いきって、接吻をした。 そのまま、彼女の舌がわたしの口の中でゆらめくのを感…

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No.74 - 現代感覚で過去を見る落とし穴

前回のNo.73「ニュートンと錬金術」で書いたように「大坂夏の陣図屏風・左隻」と「ニュートンの錬金術研究」の教訓は、 現代人が「あたりまえ」か「常識」と思うことが、過去ではそうではない という至極当然のことであり、往々にして我々はそのことを忘れがちだということです。 ◆過去の人間の意識や文化、技術は現代とは相違する(ことが多い)。◆(暗黙に)現代人の感覚で過去を眺めて判断してはいけない という視点で考えると、いろいろのことが思い浮かびます。それを2点だけ書いてみたいと思います。一つは古代文明の巨大遺跡に関するものです。 古代文明の巨大遺跡 (site : ペルー政府観光局)ペルーに「ナスカの地上絵」と呼ばれる有名な世界遺産があります。そもそも、地上からは全体像が分からない「絵」を、いったい何のために作ったのか。 「絵」が作られた当時に空を飛ぶ何らかの装置があったとか、宇宙人へのメッセージだとかの説がありました。ほとんどオカルトに近いような空想ですが、このような説が出てくる背景を推測してみると、次のようだと思います。 ①現代人なら、自分たちでは全体像を把握できない絵を、多大な労力をかけて作ったりはしない(これは正しい)。②ペルーの「ナスカの地上絵」の時代(B.C.2世紀~A.D.6世紀)の人も、現代人と同じ考えだろうと(無意識の内に)思ってしまう。③従って、何らかの手段で地上絵の全体像を見る手段が当時にあったのだろう、と推測する。 というわけです。 間…

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No.73 - ニュートンと錬金術

「大坂夏の陣図屏風」についての誤解 No.34「大坂夏の陣図屏風」で、この屏風の左隻に描かれているシーンについて以下の主旨のことを書きました。 ◆大坂夏の陣図屏風・左隻には徳川方の武士・雑兵が、逃げまどう非戦闘員に対し暴力行為・略奪・誘拐(これらを「濫妨狼藉」という)をする姿が描かれている。 ◆しかしこの屏風について「市民が戦争に巻き込まれた悲惨な姿を描き戦争を告発した、ないしは徳川方の悪行を告発した」というような見方は当たらない。 ◆戦国時代の戦場において濫妨狼藉は日常的に行われていた(藤本久志『雑兵たちの戦場』。No.33「日本史と奴隷狩り」参照)。それはむしろ戦勝側の権利でさえあった。大坂夏の陣図屏風は徳川方の戦勝記念画であり、その左隻は「戦果」を描いたものと考えるのが自然である。 ◆大坂夏の陣図屏風・左隻を「戦国のゲル二カ」と称したNHKの番組があったが、ピカソの「ゲル二カ」とは意味が全く違う。「ゲルニカ」は無差別爆撃を行った当時のファシスト軍を告発したものだが、大坂夏の陣図屏風・左隻は徳川方を告発したものではないし、豊臣家への挽歌でもない。 ◆もし現代人が「一般市民が戦争に巻き込まれた悲惨な姿」を描いたのなら、それは「戦争を告発」したものであることは確実である。しかしそういう現代の視点で過去を見ると落とし穴にはまり、誤解してしまう。 大坂夏の陣図屏風・左隻。第3扇(部分。左)と第5扇(部分。右) 過去の文化・技術・人々の意識は、現代のそれとは違い…

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No.72 - 楽園のカンヴァス

アビニョンの娘たち パブロ・ピカソ 「アビニョンの娘たち」(1907) (ニューヨーク近代美術館)No.46「ピカソは天才か」で、MoMA(ニューヨーク近代美術館)が所蔵するピカソの『アビニョンの娘たち』(1907。=アビニョンの女たち)についての「違和感」を書きました。つまり「この絵が娼婦の悲惨を描いたとでも言うのなら理解できないこともない。しかし人間賛歌であるというような見方には納得できない。歴史的意義は大いにあるのだろうが、良い絵だとは思えない」という趣旨でした。 最近、原田マハ・著『楽園のカンヴァス』(新潮社。2012)を読んでいたら『アビニョンの娘たち』についての記述があり、それが的確な絵の評言になっているので印象に残りました。ちょっと引用してみます。 小説ではまず、ピカソのアトリエを訪れて『アビニョンの娘たち』を見た友人・知人の芸術家たち、つまり、アポリネール(詩人)、ガートルード・スタイン(米国の作家)、画家のブラック、ドラン、マティスなどが一様に衝撃を受け、絵を批判したことが述べられます。その後に続く文章です。 いままでピカソを支え、その才能に魅了されてきた人々を、これほどまでに混乱させ、怒らせ、絶望させた「アヴィニョンの娘たち」。それは確かに、従来、「絵画はこうあるべきだ」と人々に備わっていた概念を、まったく覆してしまうものでした。 画面には娼婦とおぼしき五人の女が描かれています。カーテンのようなものをたくしあげる左側の女、画面の中央には片手…

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No.71 - アップルとフォックスコン

No.58「アップルはファブレス企業か」で、アップル製品の製造を支える巨大企業・フォックスコン(Foxconn)にふれました。このフォックスコンの記事が最近の雑誌に掲載されたので紹介したいと思います。フォックスコンは鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry)の通称ですが(正確には中国子会社の富士康科技集団の通称)、以下「フォックスコン」で統一します。 雑誌「日経ものづくり 2012年 11月号」に「世界最大のEMS企業 Foxconn のものづくりがベールをぬぐ」という寄稿記事が掲載されました。著者は東京大学名誉教授・中川威雄たけお氏です。中川氏は東京大学工学部精密工学科の出身で、東京大学生産技術研究所・教授でした。専門はプレス加工、工作機械、金型などの機械加工技術です。その後、2000年にファインテック社を創業し、現在はその社長です。中川氏はフォックスコンの技術顧問でもあり、記事を書くには最適な人物といえます。中川氏の記述内容から、フォックスコンの設立の経緯、事業内容を要約すると以下の通りです。 フォックスコンの歴史と事業内容 ◆フォックスコンはもともと、現会長の郭台銘氏が1974年に台湾で数人で創業した。最初は電子機器向けの樹脂成形部品の製造からはじめた。 ◆その後、台湾企業がパソコン部品の製造で成功し始めたころ、フォックスコンもパソコン用コネクタの製造に乗り出した。フォックスコン(Foxconn)の名前の由来は(台湾で)縁起の良い狐(Fox)…

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No.70 - 自己と非自己の科学(2)

前回の、No.69「自己と非自己の科学(1)」に引き続き、故・多田富雄氏の2つの著作が描く免疫システムの紹介です。ここからは、私自身が多田氏の本を読んで強く印象に残った点、ないしは考えた点です。 多田富雄 『免疫の意味論』多田富雄 『免疫・自己と非自己の科学』 免疫システムの特徴 多田氏の2冊の著作が描く免疫システムを概観すると、それは幾つかの際だった特徴をもっていることに気づきます。免疫システムの特徴をキーワードで表すと以下のようになると思います。  自己組織化  免疫は、刻々変わる「自己」と「非自己」に対応してシステムのありようを変え、再組織化していきます。この「自己組織化」は、変化する環境に対応して「困難な」目標を達成するべく運命づけられたシステムの必然なのでしょう。  冗長性  前回の No.69「自己と非自己の科学(1)」の中の「免疫のプロセス」で、多田氏の本からそのまま引用してB細胞とT細胞が絡む免疫の過程を紹介しました。このプロセスは、かなり複雑でまわりくどく、また冗長だと感じられます。もっとシンプルにできないのか。 免疫学の歴史上有名な「クローン選択説」があります。オーストラリアのウイルス学者・バーネットが1957年代に出した免疫のしくみを説明する学説で、現代免疫学の根幹をなす重要な学説です。それをB細胞を念頭において模試的に描いたのが次の図です。 クローン選択説 (『免疫・自己と非自己の科学』より) …

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No.69 - 自己と非自己の科学(1)

理系学問からの思考 No.56「強い者は生き残れない」で、進化生物学者・吉村仁氏の同名の本(新潮選書 2009)の内容から、どういう生物が生き残ってきたかについての学問的知見を紹介しました。ここで以下のように書きました。 ふつう人間や社会を研究するのは文学、哲学、心理学、社会学、政治学、経済学などの、いわゆる文化系学問だと見なされています。それは正しいのですが、理科系の学問、特に生命科学の分野、物理学、数学などから得られた知見が、人間の生き方や社会のありかたに示唆を与えることがいろいろあると思うのです。 いわゆる「理系学問」の一つの大きな目標は、宇宙や生物を含む広い意味での「自然」の原理や成り立ちを探究することです。従ってそこで得られた知見はあくまで自然に関するものですが、しかしそれが人間社会のありかたに対する示唆となる場合があるはずだ・・・・・・。そういう問題意識が『強い者は生き残れない』という本を紹介した理由でした。 全く同じ考えで、別の本の内容を紹介したいと思います。今回も生命化学の一分野ですが、免疫学に関するものです。 多田富雄氏の2つの著作 免疫学について私が過去に読んだ本のなかで印象的だったのは、免疫学者である故・多田富雄氏の、 ◆免疫の意味論(青土社 1993)◆免疫・「自己」と「非自己」の科学(NHKブックス 2001) という2つの著作です。 多田富雄 『免疫の意味論』多田富雄 『免疫・自己と非自己の科学』 以下、この本の内容を…

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No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代

人生について No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《永久欠番》です。 《永久欠番》 ・・・・・・人生について No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《永久欠番》です。 《永久欠番》 ・・・・・・ どんな記念碑メモリアルも 雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を 100億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙そらの掌てのひらの中 人は永久欠番 宇宙そらの掌てのひらの中 人は永久欠番 A1991『歌でしか言えない』 A1991『歌でしか 言えない』人間の一人一人の「かけがえのなさ」が、非常に直接的な言葉で詩の最後の部分(と題名)に表現されています。 《永久欠番》のような曲を聞くと詩だけを引用することの限界を強く感じます。上に引用したのは最後の部分ですが、全体の構成(詩の大意と時…

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No.67 - 中島みゆきの詩(4)社会と人間

社会を見つめる A1978『愛していると 云ってくれ』中島さんの作品には、現代社会についてのメッセージや、現代人の生き方に対する発言と考えられる一連の詩があります。それは決して多いというわけではないけれど、中島さんのキャリアの初期から現在に至るまで一貫しています。こういった「社会に対するメッセージ性のある詩」を書き続けているシンガー・ソングライターは(今となっては)少ないのではと思います。 「デビュー」して3年目(26歳)に作られた《世情》という作品。 《世情》 世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする 変わらないものを 何かにたとえて その度 崩れちゃ そいつのせいにする シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて 時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため ・・・・・・ A1978『愛していると云ってくれ』 中島さんと同時代に10代後半から20代前半を過ごした人にとっては、この詩のもつ意味は非常によくわかると思います。「意味」だけでなく「体温」や「肌触り」を共有できると感じる人は多いのではないでしょうか。 しかしそういった1960-70年代だけでなく、今から振り返ってみてもこの詩のもつ普遍性は明らかでしょう。「時の流れをとめて夢を見たがる者」と「時の流れの中に夢を見たがる者」の戦いは1960-70年代以降も続いてきたし、今のこの日本でも現在進行形だからです。 …

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No.66 - 中島みゆきの詩(3)別れと出会い

失恋と別れ 中島さんの詩における失恋や別れに関係した歌は、No.65「中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉」で「報われない愛」として引用した以外にも多数あります。つまり、 A1976『私の声が聞こえますか』 ・愛の終わり ・離れていく心 ・失恋、そして別れ ・別れた恋人への強い思い などがテーマの詩です。それは中島さんのキャリアの初期から一貫しています。 その彼女のキャリアの最初のアルバム『私の声が聞こえますか』(1976)の《踊り明かそう》は、題名だけからすると「マイ・フェア・レディ」の有名な曲を連想させますが、詩の内容は全く違います。 《踊り明かそう》 さあ指笛を吹き鳴らし 陽気な歌を思い出せ 心の憂さを吹き飛ばす 笑い声を聞かせておくれ 上りの汽車が出る時刻 名残の汽笛が鳴る あたし一人 ここに残して あの人が逃げてゆく ・・・・・・ A1976『私の声が聞こえますか』 この最初のアルバム以降も、愛の終わり・別れの詩はたくさんあります。個人的な印象で主な作品を年代順にピックアップすると、 《ほうせんか》S1978『おもいで河 / ほうせんか』《わかれうた》A1978『愛していると云ってくれ』《根雪》A1979『親愛なる者へ』《あばよ》A1979『おかえりなさい』《かなしみ笑い》S1980『かなしみ笑い / 霧に走る』《ひとり》A1984『はじめまして』《つめたい別れ》S1985『つめたい別れ / ショウ・タイム』《…

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No.65 - 中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉

No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」の続きで、本題である中島さんの「詩」の特徴と思える点について書きます。中島さんは30年以上に渡って500を超える多数の作品を作っているので、とても全部を「概観」するようなことは出来ません。以下はその一部を眺めてみるに過ぎないことを断っておきます。対象はCDとして発売された曲に限定します。 よく言われるように、中島作品には失恋の歌が多いのですが、まずこれについてです。 報むくわれない愛 中島さんの書く失恋の詩には一つの傾向があります。「報われない愛」とでも言うべきテーマの作品が多いことです。つまり これだけ私(女)はあなた(男)を愛しているのに、 ・あなたの態度は曖昧・あなたは本気ではない・あなたは友達だとしか思っていない  ・あなたは私から離れていく・あなたは別の女性を愛している・あなたは私を嫌っている という言い方で語られる失恋 です。これに伴って「私」の「深いあきらめ」や「絶望感」が語られる。それは「自己嫌悪」にもつながる。時には男に「懇願」することもあるが、反対に「恨み言」や「恨みそのもの」にも転化する。それは男に対してだけでなく「恋敵」にも及ぶことがある・・・・・・。そういった心理がないまぜになった「報われない愛、または、報われなかった愛」です。 No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用した詩の朗読 「元気ですか」 が、まさに「報われない愛」の詩でした。この中に出てくる「いやな私です…

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No.64 - 中島みゆきの詩(1)自立する言葉

No.35「中島みゆき・時代」に続いて「中島みゆきの詩」を取り上げます。今回は特定の曲ではなく、楽曲全体に関わることです。私は評論家ではないので詩の内容についての深いコメントはできないのですが、中島さんの詩が「どういう特徴や特質を持っているか」に絞って書いてみたいと思います。なお、歌詞は歌として歌われることが前提ですが、その言葉だけに注目して鑑賞する場合に「詩」と言うことにします。 No.35「中島みゆき・時代」において、朝日新聞社が『中島みゆき歌集』を3冊も出版していることに触れて、 歌は最低限「 詞 + 曲 」で成り立つので、詩だけを取り出して議論するのは本来の姿ではないとは思うのですが、中島さんの曲を聞くと、どうしても詩(詞)を取り上げたくなります。朝日新聞社の(おそらく)コアな「みゆきファン」の人が、周囲の(おそらく)冷ややかな目をものともせずに歌集(詩集)を出した気持ちも分かります。 中島みゆき全歌集Ⅱ (朝日新聞社 1998)と書きました。 確かに、曲として歌われる「詞」の言葉だけに注目し「詩」として鑑賞したりコメントしたりすることの妥当性が問題になるでしょう。あまり意味がないという意見もあると思います。特に「夜会」のために作られた曲となると、本来は劇の一部なので話は複雑です。 しかし、こと中島作品に限って言うと、彼女はそのキャリアの初期から「私は言葉を大変重要視する」と暗黙に宣言していると思うのです。その点が「詩」として鑑賞する大きな「よりどころ」です。そ…

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No.63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」

No.19「ベラスケスの怖い絵」でとりあげた名画「ラス・メニーナス」ですが、この絵は数々の芸術家や文学者のインスピレーションを駆り立ててきました。以前にとりあげた例では、 ◆絵画:サージェント『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』 No.36「ベラスケスへのオマージュ」◆小説:カンシーノ『ベラスケスの十字の謎』 No.45「ベラスケスの十字の謎」 があります。ピカソの『ラス・メニーナスの模写連作』についても No.45 で触れました。今回はその続きで、童話とオペラをとりあげます。 ベラスケス『ラス・メニーナス』(プラド美術館) オスカー・ワイルド : 『王女の誕生日』(The Birthday of the Infanta) No.19「ベラスケスの怖い絵」で書いたように、中野京子さんは著書の『怖い絵』で「ラス・メニーナス」に登場する小人症の2人に注目し、そういう異形の人たちを集めて「慰み者」「道化」「使用人」として使った17世紀のスペイン宮廷について書いていました。 この「ラス・メニーナス」に触発され、スペイン宮廷に異形の者たちが集められたという歴史的事実に着目して書かれた童話があります。19世紀後半のイギリスの作家・オスカー・ワイルド(1854-1900)の『王女の誕生日』です。 オスカー・ワイルドは童話集を2つ出版しています。第1童話集は『幸福な王子、その他 - The Happy Prince and Other Tales』(188…

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No.62 - 音楽の不思議

今まで何回か音楽を取り上げました。 No. 5 - スメタナ「交響詩:モルダウ」 No. 8 - リスト「ノルマの回想」 No. 9 - コルンゴルト「ヴァイオリン協奏曲」 No.10 - バーバー「ヴァイオリン協奏曲」 No.11 - シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」 No.14 - ワーグナー「ニーベルングの指環」(No.14-17) No.35 - 中島みゆき「時代」 No.44 - リスト「ユグノー教徒の回想」 などです。No.1 の「クラバート」からの連想で書いているので少々ジャンルが偏っていますが、音楽好きとしては今後も各種の曲を取り上げたいと思います。 その音楽について、個人的に驚いた経験を最近したのでそれを書きます。 キャンディーズ・ミックス 2012年4月21日(土)にクルマを運転していたときのことです。FM放送(確かFM横浜)からキャンディーズの楽曲が流れてきました。「4月21日」「キャンディーズ」と聞いてピンとくる人がいると思いますが、この日は亡くなった田中好子さんの一周忌だったのす。 元キャンディーズで女優の田中好子さんは、2011年4月21日に55歳という若さで亡くなられました。メディアで彼女の最後のメッセージが流されましたね。覚えている人も多いと思いますが、その冒頭は東日本大震災の被災者の方を思いやる内容でした。自分の死を認識した上で残されたこの遺言に感動した人は多いと思ます。 2012年4月21日…

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No.61 - 電子書籍と本の進化

No.59「電子書籍と再販制度の精神」、No.60「電子書籍と本の情報化」に続いて電子書籍に関する話です。今回は「本そのもの」が電子書籍化によって読みやすくなり価値も高まるだろうという「本の進化」です。 本の進化というと No.60「電子書籍と本の情報化」で書いたマルチメディア化によって、従来にない本のスタイル(文字+写真+動画+音声など)が可能になることもあるのですが、以下に書くのは「文字中心の本」の話です。私は文字中心の本、ないしは文字だけの本が電子書籍化によって大きく進化すると思っていて、これが最も電子書籍に期待することなのです。 以下にその「進化」の一部の例を書きますが、「既に出来ていること」と「今後出来てほしいことで、技術的には今でも可能なこと」が混在しています。技術的に可能でも、コストや標準化などから実現のための障壁がある場合もあります。 電子栞と電子書き込み まず「電子栞(ブックマーク)」です。紙の栞と違って枚数が増えても扱いやすく、また色分けや見出しを付けるのが容易です。どこまで読んだかの判別だけでなく、分量の多い書籍を読む場合には重要でしょう。 電子的に「書き込み」や「メモの張り付け」ができ、修正・削除・追加が容易なことも電子書籍ならではです。評論的な文章を読むときには、自分の考えをその場にメモしておきたいことがよくあります。 電子栞と電子書き込み(メモ)は電子書籍リーダーや電子書籍アプリの基本機能でしょう。現在のリーダやアプリでも実現されてい…

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No.60 - 電子書籍と本の情報化

No.59「電子書籍と再販制度の精神」に引き続き、電子書籍についてです。今回は電子書籍の本質とは何か、そこから何が言えるかを書いてみたいと思います。現在市販されている電子書籍・リーダー(ソニー・リーダー、アマゾン・キンドル、など)を見ると「電子書籍は従来の紙の代わりに電子機器を用いた書籍である」と考えてしまいます。しかし本質はそうではないと思います。 電子書籍は「本の情報化」No.59「電子書籍と再販制度の精神」に引き続き、電子書籍についてです。今回は電子書籍の本質とは何か、そこから何が言えるかを書いてみたいと思います。現在市販されている電子書籍・リーダー(ソニー・リーダー、アマゾン・キンドル、など)を見ると「電子書籍は従来の紙の代わりに電子機器を用いた書籍である」と考えてしまいます。しかし本質はそうではないと思います。 電子書籍は「本の情報化」 端的に言うと電子書籍は本を「情報化」したものです。紙というハードウェアに書かれている書籍の内容、その情報だけをハードウェアとは分離し、独立させたものです。 SONY Reader PRS-G1特定の時間に特定の場所にあるのがハードウェアです。しかし情報はハードウェアとは遊離した抽象的な存在です。時間と場所に依存しないのが情報であり、時間を越えて存在するし、場所を越えることも容易です。 パソコンにダウンロードした電子書籍はハードディスクなりメモリなりに書き込まれますが、書き込まれているというその状態は「情報の仮の姿」であって、…

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No.59 - 電子書籍と再販制度の精神

No.1 の『クラバート』から始まって何回か本を取り上げました。『ドイツ料理万歳』『怖い絵』『ローマ人の物語』『雑兵たちの戦場』『小公女』『ふしぎなキリスト教』『ベラスケスの十字の謎』『華氏451度』『強い者は生き残れない』などです。それ以外に、部分的に引用した本もいろいろあります。今回は「本そのもの」について書いてみたいと思います。 No.51, 52 で紹介したレイ・ブラッドベリの『華氏451度』は「本を主題にした本」でした。この紹介の最後のところで、 ◆本に関する状況が今、大きく変化しようとしている。それは電子書籍の本格的な普及のきざしである。◆『華氏451度』は、電子出版が立ち上がりはじめている現代にこそ、我々に熟考すべき課題をつきつけている。 という主旨のことを書きました。以降はその「電子書籍」についてです。『華氏451度』は、本のない世界を描くことによって人間にとっての本の意味を問いかけた小説でしたが、電子書籍について考察することも人間にとって本とは何かを鮮明にすると思っています。 後世から振り返ると、2012年(ないしは2013年)は(日本における)電子書籍普及の大きな転換点と見なされるかもしれません。ちょうど1995年がパソコンとインターネットが爆発的に普及する(世界的な)ターニングポイントになったようにです。それはWindows95とNetscapeという新製品や技術革新が後押ししました。 本・書籍はコンピュータやインターネットとは比較にならないほど長い…

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No.58 - アップルはファブレス企業か

No.54「ウォークマン」で、デジタル・オーディオ・プレーヤーとしてのウォークマンとアップルのiPodを対比したのですが、これに関連した事項です。No.54の中でiPodの成功について、 この成功は大変にドラスティックでした。そのためマスコミのアップルに関する論評には過度の「礼賛記事」が見受けられるように思います。その一つが「iPodのビジネスモデル」論です。iPodはハードウェア販売とコンテンツ配信事業(iTunes Music Store による音楽の販売)をミックスしたビジネスモデルを作ったことが成功原因だ、とよく言われます。はたしてそうなのでしょうか。 と書きました。「ハードウェア販売とコンテンツ配信事業をミックスしたビジネスモデル」は、最終的にそこに至ったのであり、iPod のブレークの主な要因ではない。iPod が爆発的に広まった根本要因は、iPod がデジタル・オーディオ・プレーヤーをよそおったコンピュータだからである、という主旨でした。 この「ハードウェア販売とコンテンツ配信事業をミックスしたビジネスモデル論」以外にも、アップルに関するメディアの記事や報道には、本質を見誤っていると思える内容がいろいろと見受けられます。その一つが「アップルはファブレス企業であり、そこに成功の要因がある」といった議論です。今回は、それについて書いてみます。 マスコミ論調 すこし前、NHKの番組を見ていたら経済解説をやっていて、NHK経済部の記者がアップル社を例にあげて説明して…

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No.57 - 首都圏交通大混乱の物理学

爆弾低気圧 普通はあまりしないことなのですが、No.56「強い者は生き残れない」の半分ぐらいの "原形" は通勤電車の座席に座って書いたものです。 2012年4月3日(火曜日)、西日本から東日本にかけて「爆弾低気圧」と呼ばれる台風並みに発達した低気圧が通過し強風が吹き荒れました。私は首都圏に在住しているのですが、帰宅途中の私の乗った電車(小田急線)も相模川を渡れずに駅で3時間も立ち往生してしまいました。迂回することも何とか可能でしたが、たまたま席に座っていたのと、低気圧が通り過ぎればそのうち動くだろうと思ったので、運行再開を待つ間キーボードをたたいていたというわけです。繰り返し電車内にアナウンスされていたのは、次の3点です。 ◆相模川の鉄橋の風速計が25m/secを越えたので電車の運行を停止する。◆風速25m/secを越えると電車は転覆の危険がある。◆10分の間、風速25m/secを越えない状況になったら運行を再開する。 なるほど、しっかりしているなと思いました。風速25m/secという明確な運行停止基準と運行を再開する基準がある。さすがに「転覆の危険」というのは大袈裟だと思いましたが(かなりの安全率が見込まれているはず)明快にそう言い切るのは良いと思います。印象に残るアナウンス内容でした。 西日本でもそうだったと思いますが、当日の首都圏の列車・電車はJRや私鉄を含めて広範囲に運行見合わせが多発しました。しかし駅での混乱は以前ほどではなかったようです。当日は13時帰宅や1…

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No.56 - 強い者は生き残れない

理系学問からの思考 No.50「絶対方位言語と里山」において、森林生態学者の四手井 綱英 氏が「里山」という言葉を広め、それが人間と自然の関わり方についてのメッセージの発信になり、社会的な運動を引き起こしたことを書きました。 ふつう人間や社会を研究するのは文学、哲学、心理学、社会学、政治学、経済学などの、いわゆる文化系学問だと見なされています。それは正しいのですが、理科系の学問、特に生命科学の分野、物理学、数学などから得られた知見が人間の生き方や社会のありかたに示唆を与えることがいろいろあると思うのです。 森林は人間と非常に関係が深いので、森林生態学における発見や認識(たとえば里山)が人間の生き方や社会のありかたに影響を与えることはすぐに理解できます。しかし「人間の生き方や社会のありかたへの影響」は何も森林生態学に限ったことではなく、生命に関する学問全般で言えることだし、もっと広く自然科学全般でもありうる思います。 そういった例の一つとして『強い者は生き残れない』という進化論の本を紹介したいと思います。 『強い者は生き残れない』(新潮選書 2009) この本は吉村仁(よしむら じん)氏が書いた、生物の進化を扱った本です。吉村さんは静岡大学教授であり、またニューヨーク州立大学併任教授、千葉大学客員教授も勤めています。専門は数理生態学で、主に進化論の研究をしていると本の背表紙にありました。『素数ゼミの謎』(文藝春秋)という一般向けの本もあります。 『…

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No.55 - ウォークマン(2)ソニーへの期待

ウォークマンはオーディオ機器 前回からの続きです。 前回の最後に書いた、コンピュータとしてのiPodに比較すると、ウォークマンは(DAPを装った)コンピュータではなかった、と言えるでしょう。ウォークマンはオーディオプレーヤーとして発想され、オーディオプレーヤーの音源としてデジタルデータを使い、コンピュータ技術を利用してハードウェアを作った。その「補助ソフト」としてSonicStageがある。 ◆A :コンピュータ技術を利用したDAP◆B :DAPを装ったコンピュータ この2つが市場で戦ったとしたら、Bが非常に有利です。なぜならコンピュータは「何でも機械」であり、アプリや周辺機器を付加することによって「変身」や「発展」が可能だからです。 コンピュータには制約がありますが、それは本体のハードウェアです。たとえば表示装置の大きさ、液晶か電子ペーパー(アマゾンのキンドルのような)か、タッチパネルがついているかどうか、などです。しかし、その制約の範囲内で発展していける。端的な例は、前回に書いたヤマハのiPod用・無線・アンプ内蔵スピーカーです。考えてみると、ソニーはヤマハ以上の「音響機器メーカー」ですね。DAP用・無線・アンプ内蔵スピーカーというのは、ウォークマン用にソニーが真っ先に作るべき製品のはずです。技術的には十分できる。しかしそうではなかった。それはウォークマンが「DAPを装ったコンピュータ」として発想されていないからだと思います。 NW-MS7 (1…

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No.54 - ウォークマン(1)買わなかった理由

ヒラリー・ハーン No.11「ヒラリー・ハーンのシベリウス」で、ヒラリー・ハーン(1979- )とウォークマンの関係について触れました。そこで紹介したのですが、彼女はシベリウスのヴァイオリン協奏曲について次のように書いています。 シベリウスの協奏曲にかんする私の最初の思い出は、とても変わっています。子供のとき、野球場ではじめてこの曲をテープレコーダで聞いたのです。ボルティモア・オリオールズの試合の最中に。(CDのライナーノートより) シベリウスのヴァイオリン協奏曲 ヒラリー・ハーンアメリカの首都・ワシントンDCの北に隣接してメリーランド州があります。その州都のボルティモアが、ヒラリー・ハーンの出身地です。子供の時からオリオールズの試合を見に野球場に足を運ぶのは、アメリカ人としてはごく自然な行動だと思います。 ポイントは、彼女が「野球場で初めてシベリウスをテープレコーダーで聞いた」と書いているところです。この「テープレコーダー」は、ソニーのウォークマン、ないしはその類似製品ですね。そういう風に強く推測できます。野球場に持っていって音楽を聞くのだから・・・・・・。ウォークマンはヒラリーの生まれた年(1979)に発売され、またたく間に世界に広まりました。クラシック音楽の世界においても「ベルリン・フィルやニューヨーク・フィルのオーケストラの連中が先を争ってウォークマンを買い求めた」という話を No.11 で紹介しました。そして「音楽を戸外に持ち出して聞く」という新たなライフスタイルを…

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No.53 - ジュリエットからの手紙

イタリアへの興味 今までに何回かイタリアに関係したテーマを取り上げました。 ◆オペラ(ベッリーニ) No. 7「ローマのレストランでの驚き」 No. 8「リスト:ノルマの回想」◆ヴェネチア(中世の貿易) No.23「クラバートと奴隷(ヴェネチア)」◆古代ローマ(宗教を中心に) No.24-27「ローマ人の物語」◆イタリア・ワイン No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」◆キリスト教 No.41-42「ふしぎなキリスト教」 などです。キリスト教はイタリアのものではありませんが、今日のキリスト教が形作られて中心地となったのはローマです。 私は歴史も含めてイタリアに興味があるのですが、なぜ興味が沸くのか、その理由を(少々こじつけて)考えてみると以下のようになると思います。 ◆現代の日本は「西洋近代文明」に多大な影響を受けている。それにどっぷりとつかり、時には違和感を感じながら生活している。◆もともと日本は中国文化の影響を受けたし、日本固有の文化の発達も大いにあったが(いまでもあるが)、明治以降は西洋近代文明の影響が極めて大きい(日本だけではないが)。◆その西洋近代文明のルーツに(現在の)イタリア発祥のものが多々ある。古代ローマ帝国の数々の遺産(法体系、学芸、建築、技術、など)、ヨーロッパを形成したキリスト教、ルネサンス期の芸術、音楽や楽器の発達などである。ヨーロッパは「イタリアに学べ」ということで(時には反発しながら)文化を作ってきた。日本を含む世界に多大な影…

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No.52 - 華氏451度(2)核心

(前回から続く)『華氏451度』が描くアンチ・ユートピア(続き) クラリスの言葉による『華氏451度』の世界の描写(前回の最後の部分参照)は、この世界になじめない側からの発言でした。このクラリスの「世の中からの距離感」がモンターグの心を揺さぶることになるのです。 一方、ファイアーマンの署長であるビーティは「体制側」の人間です。彼がモンターグに、こういう世界ができた経緯や理由を語るシーンがあります。なぜ本が禁止されているのかも語られます。ここが『華氏451度』の核心と言えるでしょう。 [ビーティ] 20世紀の初期になって、映画が出現した。つづいて、ラジオ、テレビ、こういった新発明が、大衆の心をつかんだ。大衆の心をつかむことは、必然的に単純化につながらざるをえない。かつては書物が、ここかしこ、いたるところで、かなりの人たちの心に訴えていた。むろん訴える内容となると、書物ごとに、さまざまだった。なにしろ、まだまだ世界は、のんびりと余裕があったからだ。ところが、その後地球上は、眼と肘と口とが、ぐんぐん数をまして、人口は倍になり、3倍になり、4倍になった。映画、ラジオ、雑誌の氾濫。そしてその結果、書物はプディングの規格みたいに、可能なかぎり、低いレベルに内容を落とさねばならなくなった。 この世界では、簡略化、ダイジェスト化、短縮化が徹底的に進んでいます。 『ハムレット』を知っているという連中の知識にしたところで、例の、《これ一冊で、あらゆる古典を読破したとおなじ、隣人との会話のため、…

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No.51 - 華氏451度(1)焚書

No.28「マヤ文明の抹殺」において、16世紀に中央アメリカにやってきたスペイン人たちがマヤの文書をことごとく焼却した経緯を紹介したのですが、そこで、ブラッドベリの名作『華氏451度』を連想させる、と書きました。今回はその連想した本の感想を書きます。米国の作家、レイ・ブラッドベリ(1920 - )の『華氏451度』(宇野利泰・訳。早川書房)です。 華氏451度(Fahrenheit 451 : Ray Bradbury 1953) まず、この小説のあらすじです。後でも触れますが、1953年に出版された小説ということが大きなポイントです。 (以下に物語のストーリーが明らかにされています) レイ・ブラッドベリ 『華氏451度』 宇野 利泰 訳 (ハヤカワ文庫SF, 2008) 未来のある国の話です。どこの国なのか、最初は分からないのですが、途中からアメリカの地名がいろいろ出てきて、舞台が未来のアメリカであることが分かります。 その時代、本の所持と本を読むことが禁止されています。本の所持が見つかると、焚書官と呼ばれる公務員が発見現場に急行し、本を焼きます。小説の題名の華氏451度は摂氏233度に相当し、紙の発火温度を示します。 焚書官と訳されていますが、原文ではファイアーマン(fireman)です。言うまでもなく消防士のことですが、この時代には建物が完全耐火建築になり、消防士(ファイアーマン)は不要になりました。消防士は焚書官(ファイアーマン)となり、かつての…

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No.50 - 絶対方位言語と里山

(前回から続く) 前回のNo.49「蝶と蛾は別の昆虫か」では、蝶と蛾を例にとって言葉が人間の世界認識に影響するということを言ったのですが、一歩進んで、言葉が人の認知能力にも影響し、さらには人の行動にまで影響するということが、学問的に究明されつつあります。あらためて整理すると、 人は言語で世界を切り取って認識している。言語は、その人の世界認識に影響を及ぼしている。さらに、人の認知能力に影響を及ぼし、また行動にも影響する。 ということなのです。この端的な例が「絶対方位言語」です。 絶対方位言語 日経サイエンス 2011年5月号に「言語で変わる思考」という記事が掲載されていました。これは米国スタンフォード大学で認知心理学を研究しているボロディツキー助教授が書いたものです。この中に「絶対方位言語」の興味深い例があります。 人間の言葉には、方向や方角、位置関係を示す言葉がいくつかあります。まず「左」と「右」ですが、これは「相対方位」です。「私」を基準にとると、自分の視線の方向を基準にして心臓のある方向を「左」、反対側を「右」と言っているわけです。どの場所が左でどの場所が右かは、基準のとりかたによって変わります。相手を基準にする場合、混乱を避けるために「あなたから見て、向かって右」という風に丁寧に言ったりしますね。つまり「左」「右」はある基準からみた「相対方位」です。「前」や「後」も同じです。 これに対して「東・西・南・北」は(この地球上で生活している限りは)基準の取りかたに…

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No.49 - 蝶と蛾は別の昆虫か

今回は言葉についての話です。No.18「ブルーの世界」の冒頭で、日本語における「青・あお」について書きました。補足も加えて整理すると、次のようなことです。 ◆日本語ではグリーンからブルーにかけての幅広い色を「あお」と表現してきた歴史と文化がある。特に、グリーンを「あお」という例は、青葉、青野菜、青物(市場)、青信号、青竹、青汁、青蛙、青田(買い)、青虫、青唐辛子、青海苔、青麦、青葱、青いリンゴ、など、いろいろある。 ◆東山魁夷画伯が風景画に使った、いわゆる「ヒガシヤマ・ブルー」は、グリーンからブルーにかけての幅広い色を「ブルー」で表現している。特に、現実には緑(ないしは暗い緑)に見える風景をブルー系統の色で描いた絵があるが、それに全く違和感がないのは、日本語の「あお」という言葉の伝統による(のではないか)。 東山魁夷 「夕静寂」(1974) (長野県信濃美術館) 人間は言葉で外界を認識します。外界の事物について、名前があるのかないのか、あるとしたらその詳細度合いはどうか、どういうカテゴリーで名前付けされているのかが人の認識に影響します。特に色は「連続変化量」なので名前付けは千差万別であり、外界の認識方法が端的に現れるものです。 人は言語で世界を切り取って認識している。言語は、その人の世界認識に影響を及ぼしている。 とうことをさらに考えてみよう、というのが今回のテーマです。 フランス語では蝶と蛾を区別しない No.17「ニーベルングの指環(見る音楽)」において…

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No.48 - 日の丸起立問題について

前回の、No.47「最後の授業・最初の授業」で、アメリカの公立学校で毎日、国旗に向かって唱えられている「忠誠の誓い」(The Pledge of Allegiance)について書きました。国によっていろいろと事情が違うのはあたりまえですが、感じるのはアメリカと日本の差異です。そこで日本の国旗に関する話を書いてみようと思います。No.37「富士山型の愛国心」で、以下のように日章旗(日の丸)に触れました。 「日の丸」が制定されたのは1870年で、現在まで約140年がたっています。この間、不幸なことに日章旗が国民を戦争に動員する道具のように使われたことがあったわけですね。それはざっと言うと、昭和に入ってからの約20年間です。この期間のことを指摘して、現在も「日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、国旗に起立はできない、それは思想と信条の問題」と言う人がいます。 思想・信条は個人の自由ですが、「日の丸が国民を戦争に動員する道具」だった時代は、日の丸の歴史の中では7分の1以下のごく短い期間なのですね。戦争体験者ならともかく、65年前に終わった短い期間のことに縛られて現在も行動するのは、建設的な態度だとは言えないと思います。思想・信条は個人の自由ですが・・・・・・。 今回はその補足です。国旗掲揚に対して起立しなかったため組織から処分を受け、それが裁判になっている件を取り上げます。 日の丸訴訟 2012年1月16日に最高裁判所で「日の丸訴訟」の一つに対する判決がありました。この訴訟…

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No.47 - 最後の授業・最初の授業

パリ・コミューンと普仏戦争 No.13「バベットの晩餐会(2)」で、この映画の間接的な背景となっているのが、1871年のパリ・コミューンであることを書きました。このパリ・コミューンは普仏戦争におけるフランスの敗戦で引き起こされたものです。この普仏戦争に関連して思い出した小説があるので、今回はその話です。 普仏戦争の結果、講和条約が結ばれ、アルザス・ロレーヌ地区はドイツ(プロイセン)領になります。パリ籠城までして戦ったパリ市民はドイツとの講和に反対して蜂起しましたが(パリ・コミューン)、これは当然(ドイツの支援を受けた)フランス政府軍によって弾圧されたわけです(No.13参照)。支配層が、つい昨日まで敵だった国と裏で手を握り、かつての敵国にいつまでも反対し続ける国民(の一部)を弾圧するというパターンは歴史の常道です。 この普仏戦争の結果、アルザスがドイツ領になったという事実を背景にして書かれた小説があります。アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の『最後の授業』(短編集『月曜物語』に収録。1873)です。要約すると以下のような短編です。 『最後の授業 - アルザスの一少年の物語』 ある晴れて暖かな朝、アルザスの少年、フランツは学校に急いでいます。今日はアメル先生がフランス語の分詞法の質問をするので、ずる休みをしようとも思ったのですが、気をとり直したのです。学校へは遅刻してしまいした。 叱られると思ったフランツですが、アメル先生は意外にもやさしいのです。そして普…

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No.46 - ピカソは天才か

前回の No.45「ベラスケスの十字の謎」の最後で「ラス・メニーナス」に登場するニコラス・ペルトゥサト少年を下敷きにしてピカソが描いた『ピアノ』という作品を紹介しました。ピカソの作品は以前にも No.34「大坂夏の陣図屏風」で『ゲルニカ』に触れています。今回はピカソをとりあげ、『ピアノ』と『ゲルニカ』の感想までを書いてみたいと思います。 開高健のエッセイ ピカソについて思い出す文章があります。作家・開高健が書いた「ピカソはほんまに天才か」というエッセイです。雑誌『藝術新潮』に掲載されたものですが、大事なところだけを抜き出してみます。この文章を「とっかかり」にしたいというのが主旨です(原文に段落はありません)。 西欧の画を画集でしか知らなかったときと現物を見てからとで評価が一変または激変したケースはおびただしいが、評価が全く変わらなくてしかも放射能を何ひとつとして感じさせてもらえないという例もたくさんある。その一人がピカソである。この人については「青の時代」をのぞくと、あとは全く何も感染させてもらえなかった。この人は異星人並みの天才とされてその名声は不動と思われるけれど、残念ながら小生はついに一度も体温を変えてもらうことができなかった。 批評文を読むとことごとく天文学単位のボキャブラリーを動員しての絶賛また絶賛である。それらを読むうちに何やら妙な心細さをおぼえ、誰かおなじ意見を述べるのはいないかと、ひそかにさがすうちに、とうとうハーバート・リードが、「ピカソでいいのはせい…

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No.45 - ベラスケスの十字の謎

エリアセル・カンシーノ 「ベラスケスの十字の謎」 (徳間書店 2006) 前回までに児童小説を2つ取り上げました。No.1/2 の「クラバート」と、No.40 の「小公女」です。今回は3冊目の児童小説です。 No.19「ベラスケスの怖い絵」でベラスケス(1599-1660)の傑作『ラス・メニーナス』について書きました。また、No.36「ベラスケスへのオマージュ」でもこの絵について触れています。今回は「ラス・メニーナス」に関する児童小説で、スペインの作家、エリアセル・カンシーノの『ベラスケスの十字の謎』(宇野 和美 訳。徳間書店 2006)です。 『ラス・メニーナス』は謎の多い絵ですが、大きな謎の一つは絵の中の画家本人の胸に描かれた赤い十字で、これはサンチャゴ騎士団の紋章です。サンチャゴ騎士団に入ることは当時のスペインにおいて最大の栄誉であり、ベラスケスは60歳のときに(1659)騎士団への入団をやっと許されました。ところがその3年前に『ラス・メニーナス』は完成していて(1656)、王宮に飾られていたのです。つまり『ラス・メニーナス』の完成時には、ベラスケスはサンチャゴ騎士団員ではありません。従ってその時点で赤い十字は絵になく、後で誰かが十字を描き加えたと考えられているのです。これが『ベラスケスの十字の謎』のテーマとなっています。 ベラスケス「ラス・メニーナス」 (プラド美術館) 小説の主人公は『ラス・メニーナス』に登場するニコラス・ペルトゥサトです。画面の右下で犬に…

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No.44 - リスト:ユグノー教徒の回想

No.8「リスト:ノルマの回想」では、ベッリーニのオペラ「ノルマ」の旋律にもとづいて、フランツ・リスト(1811-1886)が作曲したピアノ曲『ノルマの回想』(1836)を紹介しました。今回は、それと同じ年に書かれた同一趣向の曲を取り上げます。 NAXOS版 リスト ピアノ曲全集 第1巻 「ユグノー教徒の回想」が収録されている ピアノ:アーナルド・コーエン『ユグノー教徒の回想』(1836)は、マイヤーベーア(1791-1864)のオペラ「ユグノー教徒」(1836年・パリのオペラ座で初演)の中の旋律にもとづいて、リストが自由に作曲・構成したピアノ曲です。1836年ということは、オペラ発表の年と同年に書かれたということになります。原題は「マイヤーベーアのオペラ・ユグノー教徒の主題による大幻想曲」ですが、『ユグノー教徒の回想』という通称(リストが自筆原稿にそう書いているそうです)が分かりやすいので、それで通します。掲載したCDジャケットの写真は、この曲が収録されているNAXOS版のリスト・ピアノ音楽全集の第1巻です。 このリストの曲も、そのもとになったオペラも、『ノルマの回想』に比べるとずっとマイナーな感じですが、リストの曲が好きな人は多いと思うので取り上げる意味はあるでしょう。まず、マイヤーベーアのオペラ『ユグノー教徒』についてです。 サン・バルテルミの虐殺 このオペラの背景となっているのは「サン・バルテルミの虐殺」と言われるフランス史の事件、いやヨーロッパの歴史上の大…

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No.43 - サントリー白州蒸溜所

No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」はワインの話ではじめたのですが、そこでウイスキーを引き合いに出して、 シングルモルト・ウイスキーは個性が際だっている。ブレンド・ウイスキーはバランスがよい。 というようなことを書きました。これは随分アバウト過ぎる言い方であって、本当はそんな単純なものではないことは分かって書いたわけです。 今回は、ウイスキーそんな単純なものではないことの実証です。もう随分前になりますが、山梨県にあるサントリー白州蒸溜所で、ウイスキー作りの過程を見学したことがあります。ここで「ウイスキーが、いかに複雑なお酒であるか」を納得することになりました。 白州蒸溜所の見学コース サントリー白州蒸溜所   [site : SUNTORY] サントリー白州蒸溜所は、中央高速の山梨県・小淵沢インターチェンジの近くで、清里高原や八ヶ岳、蓼科高原にも近いロケーションにあります。南アルプス・甲斐駒ヶ岳へと続く山並みの山麓に蒸溜所はあり、そこはなだらかな傾斜地になっています。ここは一般の人が訪問して、案内ガイドの方に従って、ウイスキー作りのプロセスを見学することができます。 ウイスキー作りは、大きく言うと  ①発酵と蒸溜  ②貯蔵  ③ブレンド の3つから成り、これが見学コースのポイントでした(もちろんその後に、瓶詰めなどの商品製造工程がある)。この3つの過程に従って、私が見学した時に見聞きし…

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No.42 - ふしぎなキリスト教(2)

前回より続く西洋を作ったキリスト教:資本主義の発達 前回に引き続き『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎・大澤真幸 著。講談社現代新書 2011)の感想です。 橋爪大三郎・大澤真幸 「ふしぎなキリスト教」 (講談社現代新書 2011)プロテスタントが西洋における資本主義の発達を促したという理論は、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で主張されたものです。プロテスタント、とりわけカルヴァン派の教義が作り出した生活態度が、資本主義への決定的なドライブを生んだ、というのがその主張であり、なぜそう言えるのかが、ヴェーバーの説に従って解説されています。しかし、本書のこの解説は説明不足というか、資本主義の発達の説明にはなっていないのです。 まずその解説をみてみましょう。ポイントはカルヴァン派の救済予定説(予定説)です。つまりカルヴァン派の考え方によると、 ①ある人が最後の審判で救済されるかされないかは、あらかじめ神が決めていて、人間の行動がその決定に影響を与えることはできず、②かつ、その神の決定を人間があらかじめ(最後の審判以前に)知ることはできない ということなのです。本書で橋爪さんが言っているように、これは一神教の論理のもっとも純粋なヴァージョンであり、一神教を突き詰めて考えるとこうなるわけです。以下、この救済予定説と資本主義の関係を橋爪さんが解説した部分の引用です。 [橋爪] ゲームの理論を使って、考えてみましょう。 プレーヤーは神…

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No.41 - ふしぎなキリスト教(1)

キリスト教への関心 No.24 -27「ローマ人の物語」で、塩野七生・著「ローマ人の物語」の感想を書きましたが、そこでは第14巻の「キリストの勝利」での記述を中心に、ローマ帝国の崩壊を決定づけたキリスト教の国教化と、それに伴うローマ固有の宗教や文化の破壊をテーマにしました。キリスト教は西ローマ帝国の崩壊後もヨーロッパ社会のコアとなっていきます。 橋爪大三郎・大澤真幸 「ふしぎなキリスト教」 (講談社現代新書 2011)私はキリスト教徒ではありませんがキリスト教については大いに関心があります。それはグローバル化した現代文明は、キリスト教をベースとする西洋文化に多大な影響を受けているからです。現代とはどういう時代かをできるだけ客観的に知りたいと思いますが、そのためにキリスト教を知りたい。それは、日本人とは何か、日本人はどういう特質や特徴、特有の行動様式があるのかを、客観的に知りたいのと表裏一体です。「今後どうするか」を考えるには、まず「今が何か」を偏見や思いこみや予断をできるだけ排して知る必要がありあります。 そのキリスト教とは何かを、非常にコンパクトに、かつ全体的に解説した本が2011年に出版されました。『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書 2011)です。 お この本は二人の社会学者の対論です。一人は橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)で、もう一人は大澤真幸(まさち)氏(思想月刊誌 主宰)で…

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No.40 - 小公女

No.18「ブルーの世界」で青色染料である「藍・インディゴ」の話を書きましたが、そのとき、ある小説を連想しました。児童小説である「小公女」です。なぜ「藍」から「小公女」なのかは、後で書きます。 子供のころに「小公子」は読んことがありますが「小公女」の記憶はありません。「小公女」がどんな話かを知ったのは、以前にテレビのアニメ「小公女セーラ」を娘が熱心に見ていたからで、私もつられて見たわけです。非常によくできた話だと感心しました。 「小公女」はイギリス生まれのアメリカの作家、フランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)が1888年に発表した小説です。「小公子」を出版した2年後になります。要約すると次のような話です。 アニメの「小公女セーラ」は原作より登場人物が拡大されたり、原作にはないエピソードがあったりします。以下は原作をもとに書きますが、アニメ版も、あらすじのレベルでは基本的には同じです。 (以下には物語のストーリーが明かされています) 「小公女」(A Little Princess)のあらすじ 舞台は19世紀のイギリスです。冬のロンドンは日中だというのに薄暗く、霧が立ちこめ、ガス灯がともっています。このなかを行く辻馬車に、父と娘が乗っています。ここから物語は始まります。 「小公女」(岩波少年文庫)セーラは7歳の少女で、父親につれられてロンドンのミンチン女子学院に入学しました。ここはミンチン女史が経営する一種の私塾で、4歳から10代前半の女の子たちが、家…

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No.39 - リチウムイオン電池とノーベル賞

旭化成・フェロー 吉野 彰氏 No.38「ガラパゴスの価値」において、携帯電話をはじめとするモバイル機器が、日本のリチウムイオン電池産業の発展を促進したことを書きました。現在でもリチウムイオン電池(完成品)の世界シェアの5割近く、電池用部材の6割近くは日本企業です。 旭化成・フェロー 吉野彰氏 [site : 旭化成]充電して繰り返し使える、リチウムイオン2次電池(以下、単にリチウムイオン電池と書きます)を世界で初めて創り出したのは、現・旭化成フェローの吉野 彰氏です。リチウムイオン電池は「日本発」の電池なのです。2011年6月から7月にかけての日経産業新聞の「仕事人秘録」という連載コラムに、吉野さん自身が「電池が変える未来」というタイトルで、リチウムイオン電池の開発秘話を語っておられました(13回連載)。非常に興味深い内容だったので、紹介したいと思います。 研究職としての出発 吉野さんは京都大学の石油化学科で量子有機化学を専攻し、大学院まで進んだ後、1972年に旭化成に入社します。そして神奈川県の川崎製造所(現、旭化成ケミカルズ)に配属され、研究職として出発しました。 20歳代における吉野さんの研究は、失敗の連続だったようです。まず最初に取り組んだのが「ガラスと結合するプラスチック」です。当時、旭化成は住宅事業である「ヘーべルハウス」を立ち上げたばかりであり、付加価値の高い建材の開発を目指したのです。しかし2年の研究の後、このプロジェクトは失敗に終わりまし…

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No.38 - ガラパゴスの価値

No.37「富士山型の愛国心」において日本の携帯電話(スマートフォンでない従来型の携帯電話。以下、携帯と書きます)を「ガラパゴス携帯」とか「携帯のガラパゴス化」と表現するメディアがあると書きました。これは日本だけで独自に高度に発達をとげ、世界市場では影が薄い日本の携帯を、揶揄したり批判したりする言い方です。批判というまでの意識はないのかもしれませんが、少なくとも日本の携帯をネガティブにとらえた言い方であることは間違いないと思うので、以下、この揶揄ないしは批判を「ガラパゴス批判」と書きます。 この「ガラパゴス批判」は、メディアの記者が評論家になったつもりで、おもしろがって言っているのだと思います。私は携帯業界のことに詳しいわけではないし、携帯の1ユーザに過ぎません。それでも、この批判は的を射ていないと思うのです。 スマートフォンが大きく伸びている現在、あらためて携帯における「ガラパゴス」の意味を振り返ることは大いに意味があると思います。以下に「ガラパゴス批判」の問題点を何点かあげます。 携帯はキャリアの製品 まず誰でも知っていることですが、日本の携帯は、携帯電話事業者(ドコモ、KDDI、ソフトバンクなど。以下キャリアと呼びます)の製品です。携帯電話端末というハードウェアの開発・製造会社(以下メーカと呼びます)はキャリアの委託を受け、製品を開発し、キャリアに製品を納入している存在です。携帯という製品を出しているのはキャリアであり、販売代理店→キャリアショップ・量販店というルート…

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No.37 - 富士山型の愛国心

No.30「富士山と世界遺産」で、 新幹線で外国人に富士山の美しさを長々と説明した人の行為は、自国の誇りを対外的に説明しようとする「シンプルな愛国心」の発露だと思います。 「愛国心」というとちょっと大げさなようですが、国を構成する重要な側面は「自然」です。そして日本の場合、富士山を含む「山」は自然の極めて重要なファクターです。従って「日本を愛する」ことの一部として「富士山を愛する」ことがあって当然だと思います。 と書きました。今回はその続きです。ここで言葉にした「愛国心」について考えてみたいと思います。 何も大げさに「愛国心」と言わなくても、日本に生まれたから日本が好きだ、日本に住んでいるから日本が好きだ、私は日本を愛します、でよいわけです。しかし一歩踏み込んで、その「日本が好きだ、日本を愛するという感覚」を分析してみたらどうなるか、というのが論点です。 国レベルの愛郷心 「国」という概念は、あまりにも多くのものを含んでいます。そのため「愛国心」も人によってさまざまな定義や考え方があり、論点を整理しておかないと筋道が分からなくなります。 まず一般に「愛国心」と言われるものの中には「(現在の)国の体制や政治的主義に忠誠を誓うことを(暗黙に)求めるもの」があります。この「忠誠型の愛国心」いわば「忠国心」は今回の議論の範囲外です。 また「国益とセットで語られる愛国心」も議論の対象外です。何が「国益」の増進につながるのか、人によって考えが違うことが一般的です。領…

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No.36 - ベラスケスへのオマージュ

No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野京子さんの著書『怖い絵』の解説に従って『ラス・メニーナス』を取り上げました。今回はこの絵に関した話からです。 ベラスケス『ラス・メニーナス』(プラド美術館) No.19 にも書いたように『ラス・メニーナス』については、ありとあらゆる評論が書かれてきました。また評論だけでなく、この絵を模写した画家も多くあり、有名なところでは、ピカソがキュビズムのタッチで模写した作品がバルセロナのピカソ美術館に所蔵されています。 しかし何といっても印象深いのは『ラス・メニーナス』へのオマージュとして描かれた、サージェントの『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館蔵)です(以下「ボイト家の娘たち」と略します)。 ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)は、主にパリとロンドンで活躍したアメリカ人画家です。彼は1879年にプラド美術館を訪れ『ラス・メニーナス』を模写しました。そして『ラス・メニーナス』から得たインスピレーションをもとに後日描いたのが『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』で、彼が26歳の時の作品です。ボストン美術館に行くと、サージェントの絵だけが展示してある部屋があり、その部屋を圧するようにこの絵が飾ってあります。縦横 222.5 cm という、正方形の大きな絵です。 この絵は2010年にプラド美術館へ貸し出され、プラド美術館は「招待作品」として、この絵と『ラス・メニーナス』を並べて展示しました。天下の2…

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No.35 - 中島みゆき「時代」

No.15「ニーベルングの指環 (2) 」において 「循環」をテーマにした音楽作品というと、すぐに中島みゆきさんの名曲「時代」を思い浮かべる と書きました。その「時代」についてです。 中島みゆきさんがデビューしたのは35年以上も前ですが、もちろん現役のシンガー・ソングライターであり、「夜会」の活動や小説やエッセイの執筆にみられるように、シンガー・ソングライターの枠を越えたアーティストとして活躍しています。「夜会」において中島さんは、プロデューサ + 演出家 + 脚本家 + 作詞家 + 作曲家 + 俳優 + 歌手、という一人七役ぶりです。 彼女が広く知られるようになったのは、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)で「時代」を歌ってグランプリを受賞してからでした。同年11月の第6回世界歌謡祭でも「時代」はグランプリを受賞しています。彼女はその年の9月に最初のシングル「アザミ嬢のララバイ」を出しているので、こちらがデビュー曲ということになりますが、実質的なデビューはポプコン・世界歌謡祭での「時代」と考えてよいと思います。 「時代」の詩(詞) 中島みゆき全歌集Ⅱ (朝日新聞社 1998)中島さんの歌は詩(詞)だけを取り上げられて語られることが多いですね。そういうニーズや傾向からか、またファンの強い要望からか、天下の朝日新聞社は過去に「中島みゆき歌集」を3冊も出しています。朝日新聞社出版部にはコアな「みゆきファン」がいたようです。 歌は最低…

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No.34 - 大坂夏の陣図屏風

前回の、No.33「日本史と奴隷狩り」で、藤本久志 著『新版 雑兵たちの戦場』に添って戦国時代の「濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)」の実態を紹介したのですが、この本の表紙は「大坂夏の陣図屏風」の左隻(させき)の一部でした。今回はこの屏風についてです。 なお、以下の図は『戦国合戦絵屏風集成 第4巻』(中央公論社 1988)から引用しました。また絵の解説も、この本を参考にしています。 大坂夏の陣図屏風・左隻 「大坂夏の陣図屏風」(大阪城天守閣蔵)は六曲一双の屏風です。これは黒田長政が徳川方の武将として大坂夏の陣(1615)に参戦したあと、その戦勝を記念して作らせたものです。現存する黒田家文書によると、長政自身が存命中に自ら作成を指示したとされています。 黒田長政は黒田官兵衛の長男として播磨・姫路城で生まれ、秀吉に仕えた戦国武将でした。秀吉の死後、関ヶ原の合戦(1600)では東軍として戦い、東軍勝利の立役者の一人となります。その功績で筑前・福岡藩50万石の藩主になりました。 「大坂夏の陣図屏風」の右隻の六曲には、徳川軍と豊臣軍の戦闘場面が描かれています。そして左隻には大坂城から淀川方面へ逃げる敗残兵や民衆、それを追いかけたり待ち受けたりする徳川方の武士・雑兵が描かれています。この左隻の中に『雑兵たちの戦場』の表紙になった「濫妨狼藉の現場」が描かれているのです。その左隻の第1扇から第6扇までを以下に掲げます。 大坂夏の陣図屏風・左隻 : 第1扇(右)から第3扇 …

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