No.182 - 日本酒を大切にする

No.89「酒を大切にする文化」の続きです。No.89 で、神奈川県海老名市にある泉橋いづみばし酒造という蔵元を紹介しました。「いづみ橋」というブランドの日本酒を醸造しています。この蔵元の特長は、 ◆ 酒造りに使う酒米さかまいを自社の農地で栽培するか、周辺の農家に委託して栽培してもらっている。 ◆栽培するのは「山田錦」や「雄町」などの酒米として一般的なものもあるが、「亀の尾」や「神力しんりき」といった、いったんは廃すたれた品種を復活させて使っている(いわゆる復古米)。 ◆精米も自社で行う。つまりこの蔵元は、米の栽培から精米、醸造という一連の過程をすべて自社で行う、「栽培醸造」をやっている。 いづみ橋の定番商品、恵(めぐみ)の青ラベル(純米吟醸酒)と赤ラベル(純米酒)。泉橋酒造周辺の海老名産の山田錦を使用。日本酒度は +8 ~ +10 と辛口である。という点です。「酒を大切にする文化」は、酒の造り手、流通業者、飲食サービス業、消費者の全部が関係して成立するものです。しかし文化を育成するためには、まず造り手の責任が大きいはずです。この記事で言いたかったことは、ワインは世界でも日本でも「栽培醸造」があたりまえだが、日本酒では非常に少ない。こんなことで「日本酒を大切にする文化」が日本にあると言えるのだろうか、ということでした。 このことに関してですが、最近、朝日新聞の小山田研慈けんじ・編集委員が「栽培醸造」を行っている酒造会社を取材した新聞記事を書いていました。「日…

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No.181 - アルファ碁の着手決定ロジック(2)

(前回から続く) 前回の No.180「アルファ碁の着手決定ロジック(1)」の続きです。以下に出てくる policy network、SL policy network、RL policy network、ロールアウト、UCB については前回の説明を参照ください。 モンテカルロ木検索(MCTS)の一般論 モンテカルロ木検索(Monte Carlo Tree Search : MCTS)は、現代のコンピュータ囲碁プログラムのほとんどで使われている手法です。以下にMCTSの最も基本的なアルゴリズムを書きますが、もちろんこのような話はディープマインド社の研究報告には書かれていません。MCTSは既知のものとしてあります。しかしアルファ碁の検索はMCTSに則のっとっているので、このアルゴリズムが分かると、アルファ碁の検索手法も理解できます。  余談ですが、モンテカルロという言葉は数学において「確率的なアルゴリズム」である場合に使われます。たとえば「モンテカルロ法で円周率を計算する」としたら、円周率は半径 1 の円の面積なので、0 以上 1 以下の実数の乱数を2つ発生させ、そのペアを平面上の座標値として原点からの距離を計算する。そして、距離が 1 以下かどうかを判定する。この計算を大量にやって 1 以下の個数の割合を計算すると、その割合の 4 倍が円周率ということになります。 余談の余談ですが、こういった問題は中高校生にプログラミングを教えるのには最適ではないかと思います。…

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No.180 - アルファ碁の着手決定ロジック(1)

アルファ碁(AlphaGo) No.174「ディープマインド」で、英国・ディープマインド社(DeepMind)のコンピュータ囲碁プログラム、アルファ碁が、世界最強レベルの囲碁棋士である韓国の李世乭(イ・セドル)九段に勝利した話を書きました(2016年3月。アルファ碁の4勝1敗)。 AlphaGo vs イ・セドル9段(右)第1局 (YouTube) このアルファ碁に盛り込まれた技術について、No.174 では「Nature ダイジェスト 2016年3月号」に従って紹介しました。要約すると、ディープマインド社のやったことは、 ◆次に打つ手を選択して碁盤を読む能力をもったニューラルネットワークを、深層学習と強化学習によって作った。 ◆このニューラルネットワークを、手筋のシミュレーションによって最良の手を選択する市販の囲碁プログラムの探索アプローチと組み合わせた。 となります。非常に簡単な説明ですが、そもそも「Nature ダイジェスト」の解説が簡素に書いてあるのです(それが "ダイジェスト" の意義です)。 もうちょっと詳しく言うとどういうことなのか、どこに技術のポイントがあるのか、大変気になったので「Nature 本誌」の記事を読んでみました。ディープマインド社が投稿した「ディープ・ニューラルネットワークと木検索で囲碁を習得した - Mastering the game of Go with deep neural network and tr…

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No.179 - 中島みゆきの詩(9)春の出会い

今回は、No.168「中島みゆきの詩(8)春なのに」の続きです。No.168では中島みゆき作詞・作曲の、  春なのに柏原芳恵への提供曲(1983)  少年たちのように三田寛子への提供曲(1986) をとりあげました。2曲とも "春の別れ" をテーマとした詩です。そのときに別の中島作品を連想したのですが、今回はそれを書きます。2曲とは全く対照的な "春の出会い" をテーマとする曲、  ふたりはアルバム『夜を往け』1990 です。 ふたりは 「ふたりは」は、1990年に発売されたアルバム『夜を往け』に収録されている曲です。また、その年の暮れの第2回目の「夜会」で最後に歌われました。その詩を引用すると以下の通りです。 《ふたりは》 「ごらんよ あれがつまり遊び女めって奴さ 声をかけてみなよ すぐについて来るぜ 掃除が必要なのさ この街はいつでも 人並みに生きていく働き者たちの ためにあるのだから」 街を歩けば人がみんな振り返る そんな望みを夢みたことなかったかしら子供の頃 街じゅうにある街灯に私あたしのポスター 小さな子でさえ私のこと知っていて呼びかけるの 「バ・イ・タ」 「ごらんよ子供たちよ ああなっちゃ終わりさ 奔放な暮らしの末路を見るがいい 近づくんじゃないよ 病気かもしれない 耳を貸すんじゃない 呪いをかけられるよ」 緑為す春の夜に 私は ひとりぽっちさまよってた 愛だ…

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No.178 - 野菜は毒だから体によい

前回からの続きです。前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたことをまとめると、 ①苦味とは(本来は)危険のサインである。 ②舌で苦味を感じている「苦味受容体」は、実は体のあちこちに存在し、細菌を排除するためのセンサーとして働いている。 ③我々が往々にして「苦いが安全な飲物・食物」を摂取するのは「苦味受容体」を活性化させるためではないか。 ということでした。No.177は日経サイエンスの記事からの紹介なのですが、記事に書いてあったのは ① と ② であり、③ はあくまで個人的な感想です。しかしなぜ ③ を思ったのかというと「植物の毒素がヒトにプラスの効果をもたらす」ことを解説した別の記事を読んでいたからでした。今回はその話です。 野菜を食べる意味 世の中一般に「野菜を食べましょう」と推奨されています。野菜を食べることは体にいい、健康にいいと、多くの情報が各種メディアで発信されています。野菜不足を補うためのサプリメントや機能性食品も数多く発売されている。では、なぜ野菜が体にいいのでしょうか。 普通の答は、消化器系を活発にする食物繊維がとれるからであり、各種のビタミンや鉄分などの栄養素の摂取であり、また、活性酸素(フリーラジカル)を弱める抗酸化作用がある各種成分が含まれているからでしょう。そう考えるのが普通です。 しかし最近の研究で「野菜や果物を食べる」ことは、一般的に考えられている以上の効果があることが分かってきました。その効果こそ、…

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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。  No.69自己と非自己の科学(1)  No.70自己と非自己の科学(2)  No.119「不在」という伝染病(1)  No.120「不在」という伝染病(2)  No.122自己と非自己の科学:自然免疫 の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。 獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。 一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。 ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。 鼻や気道の防御システム ヒトが外界か…

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No.176 - 将棋電王戦が暗示するロボット産業の未来

No.174「ディープマインド」、No.175「半沢直樹は機械化できる」に続いて AI(人工知能)の話を書きます。特に人工知能とロボットの関係です。考える糸口としたいのはタイトルに書いた "将棋電王戦" なのですが、まずその前に、ロボットについて振り返ってみます。 産業用ロボット ロボットはすでに現代社会において広く使われています。いわゆる「産業用ロボット」で、主に工場や倉庫で活躍しています。ここで言う "ロボット" とは、単なる機械ではありません。複数の工程や手順の組み合わせを自律的に行って、まとまった仕事や人に対するサービスを行う機械です。単一の動作、たとえば "瓶に液体を積める作業" だけを繰り返す機械は、ロボットとは言いません。また常に人間の指示によって動く機械、たとえば建設現場のクレーンや遠隔操縦のマジックハンドのような「非自律的な機械」も、ふつうロボットとは言いません。複数手順の組み合わせを自律的に行うのがロボットであり、そのうち、主として工場・倉庫などで使われているのが産業用ロボットです。具体的な用途としては、自動車の生産ラインにおける溶接や塗装、製品や部品の搬送、部品の研磨、電子部品の装着、製品の検査などがあります。 No.71「アップルとフォックスコン」で書いたマシニングセンター(工作機械の一種)は、ふつう "ロボット" とは呼びませんが、ロボットと同等の機械です。鴻海ホンハイ精密工業は、iPad / iPhone の外装ボディを金属塊から削って作っていますが、…

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No.175 - 半沢直樹は機械化できる

No.173「インフルエンザの流行はGoogleが予測する」と No.174「ディープマインド」は、いずれもAI(Artificial Intelligence。人工知能)の研究、ないしはAI技術によるビッグデータ解析の話でした。その継続で、AIについての話題です。 AI(人工知能)が広まってくると「今まで人間がやっていた仕事、人間しかできないと思われていた仕事で、AIに置き換えられるものが出てくるだろう」と予測されています。これについて、国立情報学研究所の新井紀子教授が新聞にユニークなコラムを書いていたので、それをまず紹介したいと思います。新井教授は、例の「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトのディレクターです。 金融におけるITの活用 新井教授は、金融サービスにおける "フィンテック" が日本を含む世界で熱を帯びていることから話を始めます。 フィンテックはファイナンス(金融)とテクノロジー(技術)を合成した造語で、ITを駆使して金融サービスを効率化したり新しい金融サービスや商品を生み出したりすることを意味する。 金融とITの組み合わせというと、大手銀行がコールセンターにかかってくる問い合わせの電話の応対に人工知能(AI)を導入するという話題が記憶に新しい。AIの発達で銀行や証券会社の窓口係がロボットに置き換わると予測する人工知能学者も少なくない 新井紀子 コラム「Smart Times」 (日経産業新聞 2016.3.3) 2014年末、三井住友…

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No.174 - ディープマインド

最近の記事で、AI(Artificial Intelligence。人工知能)について3回書きました。 No.159AIBOは最後のモルモットか No.166データの見えざる手(2) No.173インフルエンザの流行はGoogleが予測する の3つです。No.159 の "AIBO" は AI技術を利用したソニーの犬型ロボットで、1999年に発売が開始され、2006年に販売終了しました。さすがソニーと思える先進的な製品です。また、No.166「データの見えざる手(2)」で紹介したのは「ホームセンターの業績向上策」をAI技術を利用して見い出したという事例でした。さらにNo.173は、グーグルが人々の検索ワードを蓄積したビッグデータをもとに、AI技術を応用してインフルエンザの流行予測を行った例でした。 そのAI関連の継続で、今回はグーグルが2014年に買収した英国の会社、ディープマインド社について書きたいと思います。この会社がつくった「アルファ碁」というコンピュータ・プログラムは、囲碁の世界トップクラスの棋士と対戦して4勝1敗の成績をあげ、世界中で大変な話題になりました。 「アルファ碁」とイ・セドル九段の5番勝負 2016年3月、韓国のイ・セドル(李世乭)九段とディープマインド社の「アルファ碁」の5番勝負がソウル市内で行われ、「アルファ碁」の4勝1敗となりました。イ・セドル九段は世界のトップクラスの棋士であり(世界No.1とも、No.2とも言われる)、囲碁…

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No.173 - インフルエンザの流行はGoogleが予測する

No.166「データの見えざる手(2)」において、『データの見えざる手』という本の著者である矢野和男氏が行った「ホームセンターの業績向上策」の実験を紹介しました。今回はこれと関係のある話を書きます。ホームセンターの業績向上策がどういうものだったか、復習すると以下のようになります。 ◆実験の目的は、あるホームセンター顧客単価(顧客一人当たりの購買金額)を向上させることである。 ◆まず、従業員と客にセンサー内蔵のカードを身につけてもらい、店内における行動と体の動きの全データ(以下、ビッグデータ)を詳細に記録した(2週間分)。 ◆次に、人工知能(AI)の技術を利用し、顧客単価に影響がありうるデータの組み合わせ、約6000項目を自動抽出した。 ◆それらの項目の実測データとレジでの購買データを付き合わせ、相関関係をチェックした。 ◆その結果、「従業員の滞在時間が長いと顧客単価があがる特定の場所=ホットスポット」の存在が明らかになった。 ◆従業員がホットスポットに意図的に長く滞在するようにして実測したところ、実際に顧客単価が上昇した。 という経緯でした。この話のポイントは2つあります。 ①ビッグデータを網羅的に全部収集した。 ②目的(顧客単価の向上)と相関関係にありそうな項目を、AI技術を使って自動抽出した。 の2点です。①についていうと、従来行われていたサンプリング(サンプル従業員、サンプル顧客、サンプル時間帯)ではないところに意義があります。とに…

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No.172 - 鴻海を見下す人たち

今回は、2016年4月2日に正式決定された「鴻海ホンハイ精密工業のシャープ買収」について書きたいと思います。鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry)に関連しては、前に4つの記事を書きました。 No.58アップルはファブレス企業か No.71アップルとフォックスコン No.80アップル製品の原価 No.131アップルとサプライヤー の4つです。これらの記事で "フォックスコン" と書いたは、鴻海精密工業の中国子会社、富士康科技集団の通称です。記事の中心はアップル製品の中国大陸における組立てのことだったので "フォックスコン" としました。しかし最近では「鴻海精密工業」の名前が広がってきたし、特にシャープ買収の報道では "鴻海" の名前が広く報道されました。この記事も以下、鴻海としたいと思います。 この買収劇については、さまざな報道がなされました。特に、この買収をどう見るかについて、企業M&Aの専門家から一般市民の街頭インタビューまで、各種の意見が報道されました。その中で私が一番印象的だったのは、以下に紹介する朝日新聞のコラムです。その内容について感想を書きたいと思います。 鴻海隆隆 シャープ寂寂 2016年3月20日(日)の朝日新聞のコラム、"日曜に想おもう" に「鴻海隆隆 シャープ寂寂」と題したコラムが掲載されました。著者は、朝日新聞の特別編集委員の山中 季広としひろ氏です。大変興味ある内容だったので、以下に引用してみたいと想います。…

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No.171 - 日本人向けの英語教育

前回の No.170「赤ちゃんはRとLを聞き分ける」を書いていて強く思ったことがあります。  赤ちゃんは誰でもRとLを聞き分ける能力があるが(6月齢~8月齢)、日本人の赤ちゃんは10月齢になるとその能力が低下する(もちろんアメリカ人の赤ちゃんは上昇する) と聞くと、なるほど日本人にとって英語の習得は難しいはずと再認識しました。その "象徴的な例" だと感じたのです。と同時に、だからこそ「日本人向けの英語の教育法」が大切だとも思いました。今回はその話です。 日本人は英語が苦手 学校で英語が必修になっているにもかかわらず、日本人で英語が苦手な人は多いわけです。中学から高校と、少なくとも6年間は英語を学んだはずなのに簡単な会話すらできない、これは英語教育に問題があると、昔からよく言われています。 これはその通りですが、英会話ができないのは当然の帰結でしょう。基礎的な会話ができることを目指すなら、会話が必要なシチュエーションをいろいろとあげ(たとえば自己紹介)、そこでの会話に必要な文型と単語を覚えていくべきですが、そういう教育や教科書、特にテストはあまりない感じがします。また、ホームルームの一部を英語でやるとか、ないしは一部の英語以外の授業を英語でやるといったことも必要だと思いますが、それもない。そもそも学校英語は(一部の私立を除いて)基礎的な会話ができるようになることを目指していないのだと思います。 では、学校英語に意味がないのかというと、そうでもない。No…

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No.170 - 赤ちゃんはRとLを聞き分ける

前回の No.169「10代の脳」では、日経サイエンス 2016年3月号の解説に従って、10代の脳が持つ特別な性質や働きを紹介しましたが、同じ号に "赤ちゃんの脳" の話が載っていました。『赤ちゃんの超言語力』と題した、ワシントン大学のパトリシア・クール教授の解説記事です。題名のように赤ちゃんが言葉を習得する能力についての話ですが、前回と同じく、脳の発達の話として大変興味深かったので紹介したいと思います。 赤ちゃんの言語習得 「あー、うー」としか言わなかった幼児が言葉を習得し、「まんま」とか言い出す。そして文らしきものをしゃべり出す・・・・・・。この過程は、よくよく考えてみると驚くべきことです。誰かが系統的に言葉を教え込んだのではないにもかかわらず、大人とのコミュニケーションが次第に可能になっていく。2歳とか3歳の幼児がいる親は、今まさにその現場に立ち会っているわけです。子育てに忙殺されて驚くどころではないと思いますが、第三者の目で客観的に眺めてみると、言葉の習得というのは驚くべき脳の発達です。 では、その赤ちゃんの言語能力はどういう風に発達するのか。日経サイエンスの記事『赤ちゃんの超言語力』には、まず次のように書いてあります。 誕生時の赤ちゃんは、世界の言語に800種類ほどある「音素」をすべて認識する能力がある。 パトリシア・クール教授 (ワシントン大学) 『赤ちゃんの超言語力』 (日経サイエンス 2016年3月号) 日経サイエンス 2016年3月号 …

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No.169 - 10代の脳

少年・少女の物語 前回の、中島みゆき作詞・作曲『春なのに』と『少年たちのように』は、10代の少女を主人公にした詩であり、10代の少女が歌った曲でした。そこからの連想ですが、今回は10代の少年・少女ついて思い出したことについて書きたいと思います。 今までの記事で、10代の少年・少女を主人公にした小説・アニメを5つ取りあげました。 ◆クラバート(No.1, No.2) ◆千と千尋の神隠し(No.2) ◆小公女(No.40) ◆ベラスケスの十字の謎(No.45) ◆赤毛のアン(No.77, No.78) の5つです。また、No.79「クラバート再考:大人の条件」では、これらの共通点を探りました。このブログの第1回目に『クラバート』と『千と千尋の神隠し』を書いたために(またブログの題名にクラバートを使ったために)そういう流れになったわけです。 No.2に書いたのですが、たとえば『クラバート』とはどういう物語か、それは一言でいうと "少年が大人になる物語" です。主人公が "大人になるための条件" を "労働の場" での経験によって獲得する過程が描かれています。これは『クラバート』だけでなく他の小説・アニメでも同様でした。 しかし最近、科学雑誌を読んでいて、それだけではなさそうだと気づきました。それは近年の脳科学の急速な進歩によって人間の脳の発達過程が解明されつつあり、10代の少年・少女の脳は大人とは違い、また子供とも違った特別なものであることが分かってきたことで…

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No.168 - 中島みゆきの詩(8)春なのに

今までに「中島みゆきの詩」について8回書きましたが(No.35, No.64, No.65, No.66, No.67, No.68, No.130, No.153)、その続編です。 2016年2月23日(火)にTBSで放映された「マツコの知らない世界」では "卒業ソング" が特集されていました。ここに柏原芳恵かしわばらよしえさんがサプライズ登場し、『春なのに』(1983)を歌いました。マツコさんは柏原さんに「変わらない」「相変わらず素敵な胸で」と言っていましたね。確かに50歳(1965年生まれ)にしてはお美しい姿で、マツコさんの発言も分かります。失礼ながら、歌は現役時代のほうがうまいと思いました。高音が少し出にくく微妙な音程だった気がします。しかしそれはやむを得ないというものでしょう。 この「柏原芳恵・サプライズ登場」を見て思ったのは、テレビ局の(テレビ業界の)"番組制作力" はあなどれないということでした。もちろん視聴者の中には、卒業ソング特集だったはずが、途中から柏原芳恵特集になってしまう、この「強引さ」に違和感や反発を覚えた人がいたでしょう。だけど話は全く逆では?と想像します。はじめから柏原芳恵特集として企画されたのでは、と思うのですね。そのポイントは、 ・放送日の2月23日は皇太子殿下の誕生日であり ・殿下が若い時には柏原芳恵ファンだった という点です。Wikipedia情報によると皇太子殿下は、皇太子になる以前の浩宮の時代に柏原芳恵さんのリサイタルにお忍びで行…

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No.167 - ティッセン・ボルネミッサ美術館

個人コレクションを元にした美術館について、今まで4回書きました。 No. 95バーンズ・コレクション No.155コートールド・コレクション No.157ノートン・サイモン美術館 No.158クレラー・ミュラー美術館 の4つで、いずれもコレクターの名前がついています。今回はその "個人コレクション・シリーズ" の続きで、スペインのマドリードにあるティッセン・ボルネミッサ美術館です。 マドリードの美術館 マドリードには3つの有名美術館があります。 ・プラド美術館 ・ソフィア王妃芸術センター ・ティッセン・ボルネミッサ美術館 ですが、この3つの美術館はそれぞれの所蔵作品に特色があります。プラド美術館は古典絵画(18世紀かそれ以前)とスペインの近代絵画(19世紀)が充実していてます。ソフィア王妃芸術センターは、20世紀のモダンアートが中心です(『ゲルニカ』がある)。 それに比較してティッセン・ボルネミッサ美術館は、古典からモダンアートまで幅広い作品が揃っています。特に、他の2つにはない19世紀の(スペイン以外の)印象派・後期印象派の絵、および18世紀以前のオランダ絵画が充実している。その意味で、3館をあわせると西洋絵画の幅広い美術史がカバーできます。 ティッセン・ボルネミッサ美術館 (白い建物は増築された部分) ティッセン・ボルネミッサ美術館の設立経緯 ティッセン・ボルネミッサという名称は、スペイン語にはそぐわない感じの、ちょっと変…

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No.166 - データの見えざる手(2)

(前回より続く) 前回より引き続いて『データの見えざる手』(矢野和男・著。草思社。2014)の紹介と感想です。『データの見えざる手』は次のような章構成になっています。 第1章時間は自由に使えるか 第2章ハピネスを測る 第3章「人間行動」の方程式を求めて 第4章運とまじめに向き合う 第5章経済を動かす新しい「見えざる手」 第6章社会と人生の科学がもたらすもの 矢野和男 「データのみえざる手」 (草思社。2014) 前回は第1章の内容の紹介と感想でした。第2章は "ハピネス"(幸福だと感じること)が人間の身体の動きにどうあらわれるか、また従業員の "ハピネス" と企業の業績の関係が説明されています。 第3章は、人間がある行動をしてから次に同じ行動をするまでの経過時間(T)の分析です。ここでは、Tの逆数に比例して行動の確率が低下していくことが述べられています("去るものは日々に疎うとし")。 第4章は、「運がよい」ことを「人との出会い(直接的・間接的)の回数が多いこと」ととらえ、"運がよい組織" のありかたが検討されています。第5章は以下で紹介します。 第6章は、著者が主催した瀬戸内海の直島での「討論会」(人と社会についての大量データの取得・分析にもとづく、科学と社会の新しい関係)の結果が説明されています。 以下では第5章、"経済を動かす新しい「見えざる手」" で書かれていることを紹介します。前回の第1章と同じく人の行動に関するビッグデータの分析の話…

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No.165 - データの見えざる手(1)

No.148「最適者の到来」で書いた内容から始めます。No.148 中で、チューリヒ大学のワグナー教授が、  コンピュータは21世紀の顕微鏡 と語っているのを紹介しました。進化生物学者のワグナー教授は、進化の過程を分子レベルでコンピュータ・シミュレーションし、なぜランダムな遺伝子変化の中から環境に合った最適なものが生まれたきたのか、一見すると確率的に起こり得ないように思える変化がなぜ起こったのかを解き明かしていました。 進化は極めて長い時間をかけて起こるものであり、かつ分子レベルの変化なので、実験室で "見る" ことはできません。その "見えない" ものをコンピュータは "見える" ようにできる、だから "21世紀の顕微鏡" だという主旨です。 「21世紀の顕微鏡」を「見えないものを見えるようにする」という意味にとると、他の分野の例として医療現場で使われている「CT装置」「MRI装置」が思い当たります。この2つの装置の原理は違いますが、いずれも電磁場を照射し、人体を透過した電磁場の変化を測定し、それをコンピュータで解析して人体内部を画像化する(輪切りの画像や3次元画像)ということでは共通しています。まさに「見えないものを見えるようにする顕微鏡」です。 クルマの開発にもコンピュータが駆使されています。クルマは、衝突したときに前方のエンジン・ルームはグチャグチャに壊れ(=衝撃を吸収し)、運転席はできるだけ無傷なように設計してあります。これもコンピュータを使って、…

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No.164 - 黄金のアデーレ

No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたことから始めます。20世紀のヨーロッパ史に関係した話です。 1933年、ドイツではナチスが政権をとり、そのナチスは5年後の1938年にオーストリアを併合しました。この一連の経緯のなかで、多くのユダヤ人や文化人、学者、社会主義者・自由主義者が海外、特にアメリカに亡命しました。そしてロサンジェルスには、ドイツ・オーストリアから亡命してきた音楽家、およびその関係者の "コミュニティー" ができました。No.9 で書いた人名で言うと、 ・コルンゴルト(1897-1957)作曲家 ・シェーンベルク(1874-1951)作曲家 ・ワルター(1876-1962)指揮者 ・クレンペラー(1885-1973)指揮者 などです。コルンゴルトが自作のヴァイオリン協奏曲を献呈したアルマ=マーラー・ヴェルフェル(かつての、グスタフ・マーラー夫人)もロサンジェルスに住んでいたわけです。この地でコルンゴルトは数々の映画音楽を作曲し、それが現代のハリウッド映画の音楽の源流になったというのが No.9 の主旨でした。 この、ロサンジェルスの "ドイツ・オーストリア音楽家コミュニティー" に関係がある映画を最近みたので、今回はその映画の話を書こうと思います。『黄金のアデーレ』(2015。イギリス・アメリカ)です。 黄金のアデーレ この映画は実話であることがポイントです。そのあらすじは以下のようです。 1998年の話です。ウィーン出…

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No.163 - ピカソは天才か(続)

今回は、No.46「ピカソは天才か」の続きというか、補足です。No.46 では、ピカソがなぜ天才と言えるのかを書いた人の文章を引用しましたが、その中で中野京子さんがピカソの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1900)を評した文章を引用しました。最近、中野さんは『名画の謎 対決篇』(文藝春秋 2015)という著書でこの絵を詳しく解説していたので、それを No.46 の補足として紹介したいと思います。 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』というと、オルセー美術館にあるルノワールの絵(1876)年が大変に有名ですが、24年後にピカソも全く同じ場所を描きました。 ルノワールがムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いて24年後の1900年、スペインから若い画家がパリへやってきた。パリでの成功イコール世界制覇を意味したので、各国からうじゃうじゃ集まってきた画家の卵のひとりである。だがスペイン生まれの小柄な19歳は、卵というには達者すぎる腕前だった。 パリ到着の二ヶ月後、彼はムーラン・ド・ラ・ギャレットへ何度か通い、あっという間に一枚の絵を描きあげる。もとより早描きだった。美術学校入学試験の制作でも、期限が一ヶ月というのにたった一日で描き終えたほどだ。自分が天才だと知っていた。小さなころからラファエロのように描けたと豪語していた。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ…

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No.162 - 奴隷のしつけ方

今まで「古代ローマ」と「奴隷」について、いくつかの記事を書きました。「古代ローマ」については塩野七生氏の大著『ローマ人の物語』の感想を書いたのが始まりで(No.24-27)、以下の記事です。 No.24-27「ローマ人の物語」No.112-3「ローマ人のコンクリート」No.123「ローマ帝国の盛衰とインフラ」 また「奴隷」については No.18「ブルーの世界」で、青色染料の "藍あい" が、18世紀にアメリカのサウス・カロライナ州の奴隷制プランテーションで生産されたという歴史を書いたのが発端でした。 No.18「ブルーの世界」No.22-23「クラバートと奴隷」No.33「日本史と奴隷狩り」No.34「大坂夏の陣図屏風」No.104「リンカーンと奴隷解放宣言」No.109「アンダーソンヴィル捕虜収容所」 この「古代ローマ」と「奴隷」というテーマの接点である「ローマ帝国の奴隷」について解説した本が2015年に出版されました。『奴隷のしつけ方』(ジェリー・トナー著。橘明美訳。太田出版。2015)という本です。その内容の一部を紹介し、読後感を書きたいと思います。 『奴隷のしつけ方』 ジェリー・トナー 「奴隷のしつけ方」 (橘明美訳。太田出版。2015) 『奴隷のしつけ方』の著者は、英国・ケンブリッジ大学のジェリー・トナー教授で、教授は古代ローマの社会文化史の専門家です。この本の特徴は、紀元1~2世紀のローマ帝国の架空の人物、"マルクス・シドニウス・ファルクス" が「…

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No.161 - プラド美術館の「怖い絵」

前回はプラド美術館の二つの絵(モナリザの模写作品、エル・グレコの『胸に手をおいた騎士』)についてでした。その続きで、プラド美術館にある別の絵について書きます。No.19「ベラスケスの怖い絵」の続きという意味もあります。 現地に行かないと分からない 旅行の楽しみの一つは、さまざまなシチュエーションにおける「発見」です。これだけ各種の情報が容易に手に入る時代でも、現地に行かないと分からないことがいろいろあります。「食事」や「ショッピング」は旅の楽しみの大きな要素ですが、さまざまな「発見」も旅行の楽しさを作っているポイントでしょう。 プラド美術館 (Wikipedia) プラド美術館にも、現地に行ってみて初めて知ることがありますが、その一つは「ヌードを描いた絵が非常に少ない」ということです(些細ささいですが)。これは同じように古典絵画(18世紀かそれ以前に描かれた絵画)をメインのレパートリーとするルーブル美術館やロンドンのナショナル・ギャラリーと違うところです。ルーブルにはギリシャ・ローマ神話を題材に、女性神を裸体・半裸体で描いた絵がたくさんあるのに、プラド美術館にはそれがあまりありません。ティツィアーノやルーベンスなど、無いことはないが非常に少ない。これは「プラド美術館の特徴」と言ってよいと思います。 そんなことはないはずだ、"あの絵" があるではないか、と思われるかも知れません。その通りです。誰もが知っているヌードの超有名絵画があります。ゴヤの『裸のマハ』と『着衣のマハ』…

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No.160 - モナ・リザと騎士の肖像

No.156「世界で2番目に有名な絵」の続きです。No.156 では、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏なみうら』が "世界で2番目に有名な絵" としたのすが、もちろん "世界で1番有名な絵" は『モナ・リザ』です。そして『モナ・リザ』は "一見どこにでもありそうな女性の肖像画" にもかかわらず、なぜ "世界で1番有名な絵" にまでなったのか、No.156 ではその理由を推測しました。 こだわるようですが、その理由について別の角度から考えてみたいと思います。今回は「モナ・リザの模写」とされる絵との対比からです。 プラド美術館の "モナ・リザ" プラド美術館に『モナ・リザの模写』(作者不詳)が展示されています。普通、プラドのような超一流の美術館が、第一級の名画に混じって「模写作品」を展示することはあまりないと思います。"世界で1番有名な絵" の模写だからと言えそうですが、『モナ・リザ』の模写と称する絵は世の中にたくさんあります。しかも、プラド美術館の模写は著名画家のものではありません。「ラファエロが模写した」のなら展示して当然かも知れないが、この絵の作者は "不詳" です。 ダ・ヴィンチの工房 「モナ・リザの複製」(1503-1516頃) プラド美術館 (Wikimedia) プラド美術館の説明によると、この絵は ◆数ある『モナ・リザ』の模写の中では、最も古いものであり、 ◆ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描く姿を見ていた直弟子が『モナ・リザ』とほぼ同時期に模写した …

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No.159 - AIBOは最後のモルモットか

ソニーは日本を代表するエレクトロニクス会社ですが、今までソニーについて次の3つの記事を書きました。 No.54ウォークマン(1)買わなかった理由 No.55ウォークマン(2)ソニーへの期待 No.110リチウムイオン電池とモルモット精神 今回はその続きです。実は、今回のタイトル(AIBOは最後のモルモットか)は No.55 の中の一節の見出しですが、最近、それを強く思い出す新聞記事を読んだので、その話を書きます。ソニーのスマートフォン(Xperia)の話です。 Xperia Z5 Premium (ソニーモバイルコミュニケーションズ) 2015年11月下旬発売予定の4Kディスプレイ搭載機。2300万画素のイメージセンサーを備え、またハイレゾ音源に対応している。 SONY 転生 モバイル大転換 2015年10月23日から28日まで、日経新聞の星記者がソニーモバイルコミュニケーションズを取材した記事が4回連続で日経産業新聞に掲載されました。記事のタイトルは「SONY 転生 モバイル大転換」です。星記者が取材したのは、ソニーモバイルの十時ととき裕樹社長と、商品開発を担当する川西泉EVP(Exective Vice President)など、数名です。十時氏はソニー銀行をはじめとする金融系サービスの立ち上げや、ソニーの新規事業創出を担当した経歴をもち、また川西氏はプレイステーション・ポータブル(PSP)の開発者です。 ソニーのスマホ事業は、2012年にソニ…

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No.158 - クレラー・ミュラー美術館

前回もそうでしたが、"個人コレクション"を元にした美術館について、今まで3回書きました。 No.95バーンズ・コレクション No.155コートールド・コレクション No.157ノートン・サイモン美術館 の3つです。その "個人コレクション・シリーズ" の継続で、今回はオランダのオッテルローにある「クレラー・ミュラー美術館」について書きます。 ロケーション クレラー・ミュラー美術館のロケーションは、以前の3つの美術館とは "真逆まぎゃく" と言っていいてしょう。その "特徴" は ◆アムステルダムから「行きにくい」所にある ◆国立公園の中にある の二つです。 クレラー・ミュラー美術館は、オランダの「デ・ホーフェ・フェルウェ国立公園」の中にあるのですが、アムステルダムから行くには、列車でエーデ・ワーゲニンゲン駅まで行き、そこからバスでオッテルローに向かい、さらにバスを乗り継いで国立公園の入り口まで行く必要があります。 (Google Map) 冒頭に掲げた3つの美術館が都市の中心部にごく近く、メトロかバス1本(ないしは近距離タクシー)で行けるのとは大違いです。オランダの著名美術館と比較しても、アムステルダム国立美術館とゴッホ美術館はトラムの発達した市内にあるし、マウリッツハイス美術館は首都のデン・ハーグの駅から徒歩圏内、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館も大都会のロッテルダムの駅から歩いて行けます。フランス・ハルス美術館はハーレム(アムス…

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No.157 - ノートン・サイモン美術館

今までの記事で、個人コレクションをもとにした美術館について書きました。 No.95バーンズ・コレクション No.155コートールド・コレクション の2つです。今回はその "シリーズ" の続きとして、アメリカのカリフォルニアにあるノートン・サイモン美術館のことを書きたいと思います。 電車で行ける ノートン・サイモン美術館はロサンゼルス近郊のパサデナにありますが、ポイントの一つはロサンゼルスのダウンタウンから電車で行けることです。 ロサンゼルスの観光スポットと言うと、クルマがないと行けないところ、ないしは大層不便なところ(バスの乗り継ぎなど)もあるのですが(ディズニーランド、ナッツベリーファームなど)、ノートン・サイモン美術館に関しては2003年にメトロの「ゴールドライン」が開通し、電車で行けるようになりました。ダウンタウンのユニオン駅から乗って「メモリアル・パーク」という駅で下車します。 パサデナ・オールドタウン メモリアル・パーク駅からノートン・サイモン美術館までは約1.2~3kmの距離ですが、是非、歩いていきましょう。というのも途中に "パサデナ・オールドタウン地区" があるからです。 パサデナは高級住宅街ですが、その中のオールドタウン地区は、昔からのレンガ造りの建物を生かした街づくりがされています。ここには各種のショップやアート・スポット、レストラン、カフェが立ち並び、大変おしゃれな感じのエリアです。そもそもパサデナ・オールドタウンがロサンゼル…

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No.156 - 世界で2番目に有名な絵

前回の No.155「コートールド・コレクション」で、日本女子大学の及川教授の、  サント・ヴィクトワール山は、セザンヌにとっての富士山 という主旨の発言を紹介しました。これはあるIT企業(JBCC)の情報誌に掲載された対談の一部です。その対談で及川教授は別の発言をしていました。大変興味をそそられたので、その部分を紹介したいと思います(下線は原文にありません)。 石黒 和義:(JBCCホールディングス社長:当時) 先週まで、スペインにおられたとうかがいました。 及川 茂:(日本女子大学教授:当時) はい。サラマンカ大学とサラゴサ大学で講義を行ってきました。 石黒: サラマンカ大学はスペインで最も歴史のある名門大学ですね。 及川: そうです。イタリアのボローニャ大学についで古い大学の一つです。そのサラマンカ大学では、2週間の集中講義を行いました。美術史講座で「ジャポニズム」がテーマでしたので、関連深い浮世絵の全体像を知りたいと、私に白羽の矢が立ったようです。 ところで、世界で一番有名な絵はダ・ヴィンチの「モナ・リザ」といわれますが、二番目に有名な絵は何だと思いますか ? 石黒: なんだろうな。ゴッホの「ひまわり」あたりはどうですか。 及川: 近いですよ(笑)。葛飾北斎の大波の絵と言われています。サラマンカでも講義に出た全員が知っていました。ところが、この絵をきちんと説明できる日本人はほとんどいない。まず正確な題名が出てこ…

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No.155 - コートールド・コレクション

前回の No.154「ドラクロワが描いたパガニーニ」で紹介した絵画『ヴァイオリンを奏でるパガニーニ』があるのは、アメリカのワシントン D.C.にあるフィリップス・コレクションでした。また以前に、No.95 でバーンズ・コレクション(米・フィラデルフィア)のことを書きましたが、これらはいずれも個人のコレクションを美術館として公開したものです。 個人コレクションとしては、日本でも大原美術館(大原孫三郎。倉敷市。1930 ~ )、ブリヂストン美術館(石橋正二郎。東京。1952 ~ )、足立美術館(足立全康。島根県安来市。1970 ~ )などが有名だし、海外でもノートン・サイモン(米・カリフォルニア)、クラーク(米・マサチューセッツ)、フリック(米・ニューヨーク)、クレラー・ミュラー(オランダ)、オスカー・ラインハルト(スイス)など、コレクターの名前を冠した美術館が有名です。 こういった個人コレクションで最も感銘を受けたのが、ロンドンにある「コートールド・コレクション」でした。今回はこのコレクションのことを書きたいと思います。実は以前、知人に新婚旅行でイギリスに行くという人がいて、ロンドンの「おすすめスポット」を尋ねられたことがありましたが、私は「コートールド・コレクション」と答えました。新婚旅行から帰ってから、その方に「よかった」と、たいそう感謝された記憶があります。 サミュエル・コートールド サミュエル・コートールド(1876-1947)は、イギリスで繊維業を営んだ実業家で、フ…

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No.154 - ドラクロワが描いたパガニーニ

No.124「パガニーニの主題による狂詩曲」では、ラフマニノフがパガニーニの主題にもとづいて作曲した狂詩曲(= 変奏曲形式のピアノ協奏曲)をとりあげました。この曲が、ラフマニノフのパガニーニに対する強いリスペクトによるものだという主旨です。今回はそのパガニーニに関する話です。 フィリップス・コレクション アメリカの首都・ワシントン D.C.にある美術館の話からはじめます。今までの記事で、ワシントン D.C.の2つの美術館の絵を紹介しました。 ◆ワシントン・ナショナル・ギャラリー  メアリー・カサット 『青い肘掛け椅子の少女』 No.87「メアリー・カサットの少女」 フランシスコ・デ・ゴヤ 『セニョーラ・サバサ・ガルシア』 No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」 ◆フリーア美術館  尾形光琳『群鶴図屏風』 No.85「洛中洛外図と群鶴図」 の2つです。私は一度だけワシントン D.C.に行ったことがあるのですが、その時は光琳の『群鶴図屏風』は展示してありませんでした。しかし運良く日本で『群鶴図屏風』の精密な複製(キヤノン株式会社 制作)を見られたのは、No.85 に書いた通りです。 ワシントン D.C.には上記の2つのギャラリー以外にも "スミソニアン博物館群" があります。自然史博物館とか航空宇宙博物館など、観光で訪れても飽きることがありません。しかしもう一つ(美術好きなら)見逃せないミュージアムがあります。フィリップ…

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No.153 - 中島みゆきの詩(7)樋口一葉

今までに、中島みゆきの詩に関して7つの記事を書きました。 No.  35 - 中島みゆき「時代」 No.  64 - 中島みゆきの詩( 1)自立する言葉 No.  65 - 中島みゆきの詩( 2)愛を語る言葉 No.  66 - 中島みゆきの詩( 3)別れと出会い No.  67 - 中島みゆきの詩( 4)社会と人間 No.  68 - 中島みゆきの詩( 5)人生・歌手・時代 No.130 - 中島みゆきの詩( 6)メディアと黙示録 の7つですが、今回はその続きです。 日本文学からの引用 No.68「中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代」で、《重き荷を負いて》(A2006『ララバイSINGER』)という曲の題名は、徳川家康の遺訓である「人の一生は、重き荷を負いて遠き道を行くがごとし」を連想させると書きました。あくまで連想に過ぎないのですが、こういう連想が働くのも、中島作品には日本の歴史や文化に根ざした詩がいろいろあるからで、たとえば、 《新曾根崎心中》 『夜を往け』1990 《萩野原》 『EAST ASIA』1992 《雨月の使者》 『時…

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No.152 - ワイエス・ブルー

No.150「クリスティーナの世界」と No.151「松ぼっくり男爵」でアンドリュー・ワイエス(1917-2009)の絵画をとりあげましたが、その継続です。今回はアンドリュー・ワイエスの "色づかい" についてです。No.18「ブルーの世界」の続きという意味もあります。 まず「クリスティーナの世界」の画題となったオルソン家の話からはじめます。 オルソン家 No.150「クリスティーナの世界」で描かれたクリスティーナ・オルソンは、1歳年下の弟・アルヴァロとともにオルソン・ハウスと呼ばれた家に住んでいました。その家はアメリカ東海岸の最北部、メイン州のクッシングにあるワイエス家の別荘の近くです。オルソン家とアンドリュー・ワイエスの出会いを、福島県立美術館・学芸員の荒木康子氏が書いています。 1939年の夏のある日、メイン州クッシングの夏の家にいたアンドリュー・ワイエスは、ジェイムズという男を訪ねることにした。まだ会ったことのない男だったが、ジェイムズの友人が、デビューしたてのワイエスの絵を一枚買ったという話を人づてに聞き、どういうわけかその日、訪ねてみようという気になったのだった。あいにく彼は外出中で、かわりに娘のベッツィがワイエスを出迎えた。ベッツィとワイエスはすぐに打ち解け、一緒にドライブに出ることになった。彼女は、いいとことがあるといって、一本道の行き止まりにある古い質素な家にワイエスを案内した。そこにはクリスティーナ・オルソンと弟のアルヴァロが住んでいた。 こう…

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No.151 - 松ぼっくり男爵

福島県立美術館 前回の No.150「クリスティーナの世界」で、福島県立美術館が所蔵するアンドリュー・ワイエスの「松ぼっくり男爵」にふれました。今回はこの絵についてです。 ポスターの絵は「Faraway」(遥か彼方に。1952)。モデルは息子のジェイムズ。前回書いた様に、家族旅行の帰り道でたまたま立ち寄った福島県立美術館でワイエスを "発見" したのですが、もちろん、ワイエスという画家は知っていました。初めて本格的な展覧会に行ったのは、世田谷美術館で1988年に開催されたワイエス家・3代(アンドリュー・ワイエスと父・ニューウェル、息子・ジェイムズ)の展覧会(ポスター)だったと思います。 しかし福島県立美術館で出会ったワイエス、特に「松ぼっくり男爵」は心に残るものでした。それは「思いがけず」ということに加えて「不思議な絵だな」という感触を持ったからだと思います。もちろん、福島で見たときには、この絵が描かれた経緯を知りませんでした。以下の「描かれた経緯」は全てあとで知ったものです。 なお以下の説明は、 ◆テレビ東京「美の巨人たち」で放映された「松ぼっくり男爵」(2013.6.22) ◆福島県立美術館の学芸員・荒木康子氏の解説 = 「アンドリュー・ワイエス 創造への道程みち展 2008」の図録所載 を参考にしました。荒木康子氏は「美の巨人たち」のインタビューにも答えていました。 福島県立美術館 松ぼっくり男爵 アンドリュー・ワイエス(1917-…

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No.150 - クリスティーナの世界

今までに原田マハさんの "美術小説" に関して二回書きました。 ◆『楽園のカンヴァス』(2012) No.72「楽園のカンヴァス」 ◆『エトワール』 - 短編集『ジヴェルニーの食卓』(2013)より No.86「ドガとメアリー・カサット」 の二つの記事です。この続きなのですが、最近、原田さんは新しい短編小説集『モダン』(文藝春秋。2015)を出版しました。収められたのはいずれも美術をテーマとする小説ですが、すべてがニューヨーク近代美術館(MoMA - Museum of Modern Art)を舞台にしているので、"美術小説" というよりは "美術館小説" です。むしろ "MoMA小説" と言うべきかもしれません。 以下でとりあげるのは『モダン』の冒頭の『中断された展覧会の記憶』です。この小説は私にとっては過去の記憶を呼び醒まされた一編でした。そのストーリーは次のようです。 『中断された展覧会の記憶』 (以下では『中断された展覧会の記憶』のストーリーの前半が明らかにされています) ニューヨーク近代美術館(MoMA)の「展示会ディレクター」である杏子きょうこ・ハワードは、夫のディルとともにマンハッタンのアパートに暮らしています。杏子の両親は若いときにボストンに移住した日本人で、彼女はアメリカ国籍ですが、英語と日本語のバイリンガルです。 杏子はMoMAでの仕事を続けつつ、博士論文を執筆中でした。というのも、彼女は「キュレーター(学芸員)」になるという "野望…

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No.149 - 我々は直感に裏切られる

前回のNo.148「最適者の到来」の続きです。我々は、日常感覚とは全くかけ離れた「数」や「量」の世界を想像し難いし、そういう世界についての日常感覚的な直感は "的外れ" になるというようなことを、前回の最後に書きました。 「最適者の到来」のテーマであった「進化」は、遺伝子型の変異が生物の表現型として現れ、自然選択の結果として最適者が残るというものです。このストーリーの発端になっている「遺伝子」とか「変異」とかは、いずれも生物の体内の分子レベルの話ですが、分子はその "サイズ" も "数" も我々が想像し難いような「小ささ」と「多さ」です。まず、そこを何とか想像してみたいと思います。 量の多さ:分子の数 簡単のために水の分子で考えてみます。コップ1杯の水を180g = 180ミリリットル(mL)とします。この中に水の分子はいくつあるでしょうか。 これは高校生で化学を習っている生徒なら即答できます。水を分子式で書くと H2O であり、分子量は 18(酸素=16、水素=1×2) なので「水 18g にはアボガドロ数だけの水分子が含まれる」ことになります。 ◆アボガドロ数 =6 × 1023 = 6000,0000000000, 0000000000(24桁の数) なので、コップ1杯だとこれを10倍して、 ◆コップ1杯(180g)の水分子の数 = 60000,0000000000, 0000000000(25桁)= A になります。数字のカンマは10…

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No.148 - 最適者の到来

No.56「強い者は生き残れない」で、吉村仁氏(静岡大学教授・当時)の著書である『強いものは生き残れない』(新潮選書 2009)を紹介しました。この本は "数理的アプローチ" による生物進化の研究成果を述べているのですが、最近それとも関連がある本が出版されたので内容を紹介したいと思います。アンドレアス・ワグナー著『進化の謎を数学で解く』(垂水雄二・訳。文藝春秋。2015)です。 著者はチューリッヒ大学の進化生物学・環境研究所の教授であり、本の内容は現代進化論の「不備」とも言える事項に解決の方向を提示した、非常に印象的なものです。本の原題は「Arrival of the Fittest」であり、「最適者の到来」という意味です。 現代の進化論への「疑問」 チャールズ・ダーウィン(1809-1882)から始まった近代の進化論は数々の発展を遂げ、現代では以下のプロセスで生物が進化してきたというのが定説になっています。 ①遺伝子(その中心となっているのはDNA)はランダムに突然変異を起こす。このことによって生物の形質が少し変化する。 ②その中から、生物の生息環境にとって最適なものが選択される(natural selection。自然選択=自然淘汰。)。 ③このような小さな変化が膨大に積み重なることによって、現在の生物の形ができあがった。 細かいことを言うとキリがありませんが、ごくアバウトに説明するとこのようになると思います。この中で素人しろうとにもわかりやすいのは「…

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No.147 - 超、気持ちいい

No.144 / 145 / 146 に続き、日本語の話題を取り上げます。No.144「全然OK」で、朝日新聞(2015年4月7日)に掲載された「"全然OK" は言葉の乱れ」との主旨の投書を取り上げましたが、再び朝日新聞の投書欄からです。 "めっちゃ" と "超(ちょう)" 2015年5月17日の朝日新聞の投書欄に、以下のような投書が掲載されました。 日本語と方言の豊かさ知って 東京都・無職・76歳(男性) 若者を中心に「めっちゃ」「超」という言葉が使われています。同じ意味の言葉は、ほかにもこんなにあります。 とても。非常に。大変。大層。甚だ。すこぶる。うんと。大いに。それはそれは。何とも。めっぽう。とびきり。べらぼうに。無上の。えも言われぬ。4月1日の本誌朝刊「折々のことば」にも「涯はてない」という、すてきな言葉がありました。日本語は何と豊かなことか。 方言も宝物です。昔聞いた、みそ会社のコマーシャルも忘れられません。亡くなった歌手の淡谷のり子さんが「たいすたたまげた!」と言っていました。みそ汁の香りまで連想させます。 中学生、高校生のみなさん、使う言葉の幅を広げ、方言も仲間に加えてみてはいかがですか。 朝日新聞(2015.5.17) 実はこの投書の横には別の投書があって「"半端じゃない" を "ぱない" と言う若者言葉は略しすぎで、言葉の乱れ」という主旨の、14歳の少女(福岡県・中学生)の投書が載っていました。言葉遣いに関心がある人は年齢を問…

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No.146 - お粥なら食べれる

前回の No.145「とても嬉しい」で、丸谷才一・山崎正和の両氏の対談本『日本語の21世紀のために』から「とても」と「全然」の使い方を取り上げました。この本では "有名な"「見れる」「来れる」という言葉遣いについても話題にしています。「とても」「全然」は個々の単語の問題ですが、「見れる」「来れる」に代表される、いわゆる "ラ抜き言葉" は、動詞の可能形をどう表現するかという日本語の根幹に関わっているので重要です。 丸谷才一・山崎正和 「日本語の21世紀のために」 (文春新書) 「・・・・・・ することが出来る」という "可能" の意味で、 来られる見られる食べられる と言わずに、 来れる見れる食べれる とするのが、俗に言う "ラ抜き言葉" です。文法用語で言うと「来る」はカ行変格活用動詞、「見る」は上一段活用動詞、「食べる」は下一段活用動詞ということになります。 "ラ抜き言葉" が日本語の乱れか、そうでないのか、今でもまだ議論があると思います。これについて丸谷才一氏は次のように語っています。 丸谷才一 僕は「来れる」は使いませんね。「来られる」「来られない」でやっています。「見れる」も使わない。ただしこれは「見られる」とは言わずに「見ることができる」「──できない」と言っている気がします。 僕はしかし、自分では使わないけれども、「見れる」「来れる」を使うからといって、それを咎めたり、非難したりする気はないんですよ。いや、昔は非難したかな ? 丸谷…

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No.145 - とても嬉しい

前回の No.144「全然OK」を書いていて、ある本の一節を思い出しました。丸谷才一氏と山崎正和氏の対談本です。 日本語の21世紀のために 作家・評論家の丸谷まるや才一氏(1925-2012。大正14-平成24年)と評論家・劇作家の山崎正和氏(1934- 。昭和9年-)が、日本語をテーマに対談した本があります。『日本語の21世紀のために』(文春新書 2002)です。この本に「全然」と関係した一節がありました。引用してみます。 山崎正和 私の父方の祖母は、落合直文などと一緒に若い頃短歌をつくっていたという、いささか文学少女だった年寄りでした。私が子供のころ「とても」を肯定的に使ったら、それはいけないって非常に叱られた。なるほどと感心しました。しかし、もういま「とても」を肯定的に使う人を私は批判できませんよ。それほど圧倒的になっているでしょう。 丸谷才一 そうですね 山崎正和 そうするとね、たとえば「全然」はどうでしょう。若い人で「全然いい」とか、「全然平気」というふうに使う人がいますね。これには私は抵抗があります。抵抗はあるけど、それじゃお前は「とても」を肯定的に使っているではないかと言われると、たしかにたじろぎますね。 丸谷才一 ぼくは「とても」はなるべく否定のときに使うようにしてるけれども、「とても」を肯定的に使うと具合がいいときがあるんですよ。「非常に」ではうまくいかないときがやっぱりありますね。 丸谷才一・山崎正和 『日本語の21世紀の…

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No.144 - 全然OK

No.139-143 の5回連続で「言葉(日本語)」をテーマに書いたのですが、今回もそれを続けます。今までに書いたのは「言葉が人間の思考と行動に影響を与える」という観点でしたが(No.49, 50, 139, 140, 141, 142, 143)、今回は視点を変えて「言葉の使い方が時とともに変化する」という視点です。その例として、最近の新聞の投書欄に載った「全然」という言葉の使い方を取り上げます。 「全然OK」の表現はOK? 約1ヶ月前の、2015年4月7日の朝日新聞の投書欄に、以下のような投書が掲載されました。 「全然OK」の表現はOKなの? 会社員(新潟県 49歳 男性) このごろ気になる言葉がある。「全然」である。この全然という言葉の使い方が、多様化しているのだ。 本来なら、全然のあとには否定する言葉が続くはずだ。「全然おもしろくない」「全然おいしくない」などだ。 ところが、「全然、大丈夫」「全然、平気」などと、肯定する使い方をしている人がいる。「あの映画、全然おもしろかった」「この料理、全然おいしい」などと、何のためらいもない。極めつきは「全然OK」だろう。 言葉は、時代によって変化するものだということは分かる。しかし、「全然、良い」などと言われると、条件反射のように「おやっ、変だな」と思ってしまう。私の感覚は、現代では通用しないのだろうか。「言葉遣いの乱れは文化の乱れ」などと言ったところで、意味はないのだろうか。 朝日新聞(2015.4…

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No.143 - 日本語による科学(2)

(前回より続く)分類学は分類の科学である(ドーキンス) 英語の "高級語彙" は普通の人には分かりにくい(前回参照)という事情から、英米の科学者が一般向けに書いた本の日本語訳を読んでいると、ときどき「あれっ」と思う表現に出会うことがあります。 リチャード・ドーキンス(1941 - )は英国の進化生物学者・動物行動学者で、世界的に大変著名な方です。特に、著書である『利己的な遺伝子』(1976)はベストセラーになりました。これは巧みな比喩を駆使して現代の進化学を概説した本です。その続編の一つが『ブラインド・ウォッチメーカー』(1986)ですが、この本の中に次のような一節が出てきます。 分類学タクソノミーは分類の科学である。ある人々にとっては、分類学はどうにもならぬくらい退屈だという評判であったり、ほこりっぽい博物館や保存液の匂いを思わず連想させたりするものであり、ほとんど剥製術タクシダーミーと混同されているかのようだ。だが、実際には、決して退屈どころではない。 リチャード・ドーキンス 中嶋康裕・他訳 『ブラインド・ウォッチメーカー』第10章 (早川書房 1993) 「分類学は分類の科学である」とは、分かりきったことを言う奇妙な文章です。しかし原文に当たってみるとその理由が分かります。 Taxonomy is the science of classification. Richard Dawkins "The Blind Watchmak…

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No.142 - 日本語による科学(1)

いままでに、言語が人の思考方法や思考の内容に影響を与えるというテーマで何回か書きました。 ◆ No. 49 - 蝶と蛾は別の昆虫か ◆ No. 50 - 絶対方位言語と里山 ◆ No.139 - 「雪国」が描いた情景 ◆ No.140 - 自動詞と他動詞(1) ◆ No.141 - 自動詞と他動詞(2) の5つです。今回もその継続で、科学の研究と日本語の関係がテーマです。なお以下の文章は、  松尾義之『日本語の科学が世界を変える』 筑摩書房(筑摩選書)2015 を参考にした部分があり、この本からの引用もあります。著者の松尾氏は『日経サイエンス』副編集長、日本経済新聞出版局編集委員、『ネイチャー・ダイジェスト』編集長などを勤めた科学ジャーナリストです。以下で『前掲書』とは、この松尾氏の本のことです。 益川敏英 博士 益川敏英 2008年12月7日、スウェーデン王立科学アカデミーにて (Wikipedia) 科学ということで、ノーベル物理学賞の話から始めます。ノーベル物理学賞と言えば、2014年に日本の赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏が青色LEDの開発で受賞したことが記憶に新しいところです。しかしその6年前にも日本の3氏が受賞しました。2008年に素粒子研究で受賞した南部陽一郎・小林誠・益川敏英の3氏です。これも日本人の記憶にまだ残っているのではないでしょうか(中村、南部の両氏の受賞時の国籍はアメリカ)。 この2008年のノ…

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No.141 - 自動詞と他動詞(2)

(前回から続く) 前回の No.140「自動詞と他動詞(1)」において、次の主旨を書きました。 ①日本語は同じ語幹を有する自動詞・他動詞のペア(対・つい)が極めて豊富に揃っていて、日常よく使う動詞を広範囲に網羅している。 ②日本語のネイティブ・スピーカーはこの動詞のペアをごく自然に、無意識に使い分けていて、表現したい意味内容を変え、また言葉に微妙なニュアンスを与えている。 ③このことが日本語の話者の思考方法や思考内容にまで影響している 前回は ① だけで終わり、言葉の使い分けや思考方法への影響まで話が進まなかったので、今回はそれを中心に書きます。いわば本題です。 対ついになる自動詞と他動詞の使い分け 前回の「対になる自動詞と他動詞の分類」に従って、その使い分けを見たいと思います。前回、自動詞は「自然の流れとしてそうなる・そうなった」という意味合いであり、他動詞は「人為的に、意志的にそうなった」という意味だとしました。この「自然」と「人為」の使い分けがテーマです。 もちろん日本語のネイティブ・スピーカーなら誰でも使い分けができるので、言わば「分かりきった」ことなのですが、日頃は無意識に言葉を使っていることも多いので改めて振り返ってみる意味があると思います。ただしこの種の言葉の使い分けは人それぞれの言語感覚によって差異がでてくることは当然です。以下はあくまで典型的と思われる例です。前回に引き続いて、以下のローマ字は動詞の連用形の語尾です。 決まる(自動…

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No.140 - 自動詞と他動詞(1)

前回の No.139「雪国が描いた情景」に続いて、言葉がヒトの思考に与えている影響の話です。前回、英語を比較対照の「鏡」として日本語を考えましたが、今回も英語にまつわる経験から始めます。 聞き取れなかった車内アナウンス いつだったか忘れたのですが、東京を中心とするJRの車内アナウンスで英語での案内が始まりました。次の駅をアナウンスすると同時に、乗り換えが案内されます。たとえば次の駅で山手線に乗り換えてくださいというケースだと、  Please change here for Yamanote line. というアナウンスです。 実はこのアナウンスが始まったとき、here という単語が聞き取れませんでした。中学校で習うような基本的な英単語です。二・三回アナウンスを聞いてから、そうだ here だ、と分かったのですが、自分の英語のリスニング能力に疑問符がついたようで、軽いショックを受けたものです。それで記憶に残っています。 なぜ極めてベーシックな単語が(当初)分からなかったのか、それを考えてみると「電車を乗り換える」という英語表現を  Please change trains for Yamanote line.  ないしは Please change trains here for Yamanote line. という形で記憶していて、change のあとには trains もしくはそれ相当の目的語が続くものだ…

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No.139 - 「雪国」が描いた情景

以前に「言語が人間の認知能力に深く影響する」というテーマで書いた記事がありました。 ◆No.49 - 蝶と蛾は別の昆虫か ◆No.50 - 絶対方位言語と里山 の二つです。今回はその継続です。 少し振り返ってみると、No.49「蝶と蛾は別の昆虫か」では、蝶と蛾を言葉で区別しないフランス語(パピヨン=鱗翅類)とドイツ語(シュメッタリンク=鱗翅類)を取り上げ、  日本人で「蝶は好きだが蛾は嫌い」という人が多いのは、蝶と蛾を言葉で区別するからであり、フランス語やドイツ語のように言葉で区別しなければ、昼間の蝶と夕暮れ時の蛾を両方とも好きになるのではないか。一方が好きで一方が嫌いという「概念」がそもそも思い浮かばないはず。 という主旨の「仮説」を書きました。その傍証としたのはドイツ人が書いた『蝶の生活』という本の序文で、そこでは蝶と蛾をごっちゃにして「愛すべきものたち」と書かれているのでした。 またNo.50「絶対方位言語と里山」では、世界には相対方位(右・左・前・後など)がなく絶対方位(東・西・南・北など)だけの言語があり、そのような言語を話す人々は空間認知力が優れ、デッド・レコニング能力(= 見知らぬ土地につれて行かれても絶対方位が分かり、自宅の方向が分かる能力)があることを紹介しました。 さらに「里山」という言葉が発明されたからこそ「里山を守ろう」という運動が起きたわけです。言葉がなくても里山が古来からの人々の生活と自然生態系に重要な役割を果たして…

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No.138 - フランスの「自由」

2015年1月7日、フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリ本社がテロリストに襲撃される事件が起きました。この後の一連の報道に接する中で、以前の記事 No.42「ふしぎなキリスト教(2)」で書いたフランス革命の話を連想したので、その経緯を書いてみたいと思います。 シャルリー・エブド 2015年1月7日午前11時半ごろ(日本時間、同日19時半頃)フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」のパリの本社に2人のテロリストが乱入して銃を乱射し、編集長、編集関係者、風刺画家、警官の12人が射殺されました。テロリストは「シャルリー・エブド」がイスラム教の預言者・ムハンマドの風刺画を掲載していることに反発したようです。 1月11日、フランス全土で「シャルリー・エブド」への連帯を示すデモ行進が行われ、350万人以上が参加しました。パリでは100万人以上とも言われる規模の行進が行われました。このときの「私はシャルリー」というスローガンは、 ・反テロの決意 ・表現の自由を守る決意 の表明です。この「パリ大行進」では、フランス、イギリス、ドイツの大統領・首相と並んでイスラエルのネタニヤフ首相、パレスチナ自治政府のアッバス議長が先頭に立ったのが印象的でした。 1月14日に発行された「シャルリー・エブド」は再びムハンマドの風刺画を掲載しましたが、今度はこれに抗議するデモが世界各国のイスラム教国で発生しました。 今回のテロに関しては「アラビア半島のアルカイダ」が犯行声明を出…

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No.137 - グスタフ・マーラーの音楽(2)

(前回から続く) 前回に続き『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(小澤征爾・村上春樹)から、マーラーの音楽が語られている部分を紹介します。前回の終わりの方にも取り上げた「音楽の形式」に関係したものです。 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮社。2011) 形式を意識的に崩した音楽 「形式を意識的に崩した音楽」というマーラーの特徴に関して、小澤征爾・村上春樹両氏が語り合う場面があります。交響曲 第1番『巨人』の第3楽章を聞きながらの会話です。第3楽章はコントラバスのソロが演奏する「葬送のマーチ」で始まります(譜例71)。 前回(No.136)でも話題になったように、ここは「重々しく、しかし引きずらないように」という指示が楽譜にあります(譜例71のドイツ語)。村上さんはそういう音をどのように作るのかを小澤さんに質問します。 (村上春樹) 最初にコントラバスのソロが出てきますが、そういう音の設定みたいなものも指揮者が出すわけですか? それはちょっと重すぎるとか、もう少しあっさりやってくれとか。 (小澤征爾) まあ、そうですね。ただね、そのへんはもうコントラバス奏者の音色とか、持ち味で決まってしまう部分が多いんです。指揮者がそんなに口を出せるところじゃない。しかしね、コントラバスのソロそのものが特殊なのに、楽章の冒頭にそんなのが来るなんてね。マーラーって、よっぽど変わった人ですよ。 (p.241) 音楽の始めに「コントラ…

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No.136 - グスタフ・マーラーの音楽(1)

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 前回のNo.135「音楽の意外な効用(2)村上春樹」では、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社。2011)という本から、村上春樹氏が「文章の書き方を音楽から学んだ」と語っている部分を紹介しました。今回はこの本から別の話題をとりあげたいと思います。 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』は、村上春樹さんが小澤征爾さんに長時間のインタビューをした内容(2010年11月~2011年7月の期間に数回)にもとづいていて、語られている話題は多岐に渡っています。小澤さんが師事したカラヤンやバーンスタインのこと、欧米の交響楽団やサイトウ・キネンの内輪話、ベートーベンやブラームスのレコードを聞きながらの指揮や演奏の "キモ" の解説、小澤さん主宰の「スイス国際音楽アカデミー」の様子などです。 しかし何と言ってもこの本の最大の "読みどころ" は、グスタフ・マーラーの音楽について二人が語り合った部分でしょう(個人的感想ですが)。本のうちの 84 ページが「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」と題した章になっています。360 ページほどの本なので、4分の1近くが「マーラー論」ということになります。そして、ここで展開されている「マーラー論」は納得性が高く「その通り!」と思うことが多々あったので、何点かのポイントを以下に紹介したいと思います。以下、引用中の下線・太字は原文にはありません。 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮社…

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No.135 - 音楽の意外な効用(2)村上春樹

(前回から続く) 前回からの続きです。「音楽を愛めでるサル」(No.128, No.129)の要点は、以下の3つでした。 ◆音楽の記憶は「手続き記憶=体の記憶」であり、言葉の記憶とは異なる。手続き記憶とは、 ・覚えていることすら自覚しない ・覚えたつもりはない、けれども自分のからだが勝手に動く たぐいの記憶であり、音楽の記憶はその一種である。 ◆音楽は「認知的不協和」を緩和する働きをもつ。「認知的不協和」とは、「したくてもできない」という状況に置かれたときの心の葛藤を言う。この音楽の働きは、俗に言う「モーツァルト効果」の一つである。 ◆ ヒト(霊長類)は、節ふしをつけて声を発することをまず覚え、そこから言語が発達した(と推定できる)。 今回は最後の項目の「言葉と音楽の関係」です。 小澤征爾さんと音楽を語る 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本があります(新潮社。2011)。この本は作家の村上春樹氏が企画し、村上さんが小澤さんとの対談を何回か行って、その録音をもとに村上さんがまとめた本です。小澤征爾さんが経験した音楽界の「内幕」がいろいろ語られていたりして、大変に興味をそそる本です。 この本の大きなポイントは、村上春樹さんが大の音楽好きで(クラシック音楽とジャズ)、またレコード・マニアだということです。本の中では、小澤さんもびっくりするような音楽知識を村上さんが知っていたり、また超レアなレコードを持っていたりなど、いろいろと出て…

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No.134 - 音楽の意外な効用(1)渋滞学

No.128, No.129「音楽を愛めでるサル」の続きというか、補足です。 「音楽を愛でるサル」で紹介した研究(京都大学霊長類研究所の正高まさたか教授による)の要点は、以下の3つでした。 ◆音楽の記憶は「手続き記憶=体の記憶」であり、言葉の記憶とは異なる。手続き記憶とは、 ・覚えていることすら自覚しない ・覚えたつもりはない、けれども自分のからだが勝手に動く たぐいの記憶であり、音楽の記憶はそういう記憶の一種である。 ◆音楽は「認知的不協和」を緩和する働きをもつ。「認知的不協和」とは、「したくてもできない」という状況に置かれたときの心の葛藤を言う。この音楽の働きは、俗に言う「モーツァルト効果」の一種である。 ◆ ヒト(霊長類)は、節ふしをつけて声を発することをまず覚え、そこから言語が発達した(と推定できる)。 このことに関係した話題を書きます。「音楽の意外な効果」と呼べるものですが、「渋滞学」に関係した話です。 渋滞学 東京大学の西成にしなり活浩かつひろ教授は『渋滞学』(新潮社。2006)という本を書き、大変に有名になりました。この本で西成教授は分野横断的にさまざまな渋滞現象を取り上げています。その中で、我々の非常に身近なものとして高速道路の「自然渋滞」が解説されています。高速道路で起こる各種の渋滞のうち、「事故」「工事」「合流」「出口」などの「通行上の障害」が原因のものは理解しやすいわけです。しかし不思議なのは自然渋滞です。自然渋滞の中…

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No.133 - ベラスケスの鹿と庭園

以前に何回かベラスケスの作品と、それに関連した話を書きました。 No.19 - ベラスケスの「怖い絵」 No.36 - ベラスケスへのオマージュ No.45 - ベラスケスの十字の謎 No.63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」 の4つの記事ですが、今回はその続きです。 スペインの宮廷画家としてのベラスケス(1599-1660)は、もちろん王侯貴族の肖像画や宗教画、歴史画を多数描いているのですが、それ以外に17世紀当時の画家としては他の画家にないような特徴的な作品がいろいろとあり、それが後世に影響を与えています。 ます「絵画の神学」と言われる『ラス・メニーナス』は後世の画家にインスピレーションを与え、ベラスケスに対するオマージュとも言うべき作品群を生み出しました。以前の記事であげた画家では、サージェント(No.36)、ピカソ(No.45)などです。オスカー・ワイルドは『ラス・メニーナス』にインスパイアされて童話『王女の誕生日』を書き(No.63)、ツェムリンスキーはそれを下敷きにオペラ『こびと』を作曲しました。近年ではスペインの作家、カンシーノが小説『ベラスケスの十字の謎』を書いています(No.45)。 圧倒的な描写力という点でベラスケスは突出しています。それは、若い時の作品、たとえば『セビーリャの水売り』(1619頃。20歳)の質感表現を見るだけで十分に分かるのですが、極めつけは『インノケンティウス10世の肖像』(1650)でしょう。この絵については N…

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