No.306 - プーランク:カルメル会修道女の対話

フランス革命 今回は No.42 「ふしぎなキリスト教(2)」 と No.138「フランスの "自由"」で触れた、フランシス・プーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」(1957)について書きます。このオペラは実話にもとづいています。つまり、 フランス革命のさなかの 1794年7月17日、カトリックの修道会の一つである "カルメル会" の修道女・16人が、反革命の罪によりパリで処刑された という歴史事実を題材にしたオペラです。フランス革命の勃発(バスティーユ襲撃、1789年7月14日)から5年後、マリー・アントワネットの処刑(1793年10月16日)からは9ヶ月後、ということになります。 フランス革命は現在のフランス共和国の原点ですが、重要なのは、貴族とともに聖職者(カトリック)が打倒されて市民(=ブルジョアジー)が権力を握ったことです。この「フランスの "国のかたち" は宗教を打倒してできた」という歴史から理解できることがあります。No.138「フランスの "自由"」に書いたように、フランスの伝統的な自由の考え方は、 ・ 宗教といえども、イデオロギーや思想の一つである。他のさまざまな思想と横並びで同等である。 ・ 従って「言論の自由」の中には「宗教を批判する自由」も含まれる。これはフランス国民の権利である。 というものです。従って、キリストやムハンマド(イスラム教)を戯画化して描いた風刺画を雑誌や新聞に載せるのはかまわない。いわば "フ…

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No.285 - ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲 第1番

No.281~No.283 の記事でショスタコーヴィチの3作品を取り上げました。 No.281 - 交響曲 第7番「レニングラード」 No.282 - オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」 No.283 - 交響曲 第5番 ですが、今回はその継続としてショスタコーヴィチの別の作品をとりあげます。ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 作品77(1948)です。 実は No.9~No.11で、20世紀に書かれた3曲のヴァイオリン協奏曲について書きました。作曲された年の順に、シベリウス(1903/1905。No.11)、バーバー(1939。No.10)、コルンゴルト(1945。No.9)です。 しかし思うのですが、20世紀のヴァイオリン協奏曲ではショスタコーヴィチの1番が最高傑作でしょう。それどころか、これは個人的な感想ですが、この曲がヴァイオリン協奏曲のベストです。ベートーベン(1806)、メンデルスゾーン(1844)、ブラームス(1878)、チャイコフスキー(1878)の作品が「4大ヴァイオリン協奏曲」などと言われ、またチャイコフスキーを除いて「3大ヴァイオリン協奏曲」との呼び方もあります。しかしこれらは「19世紀のヴァイオリン協奏曲」であり、20世紀まで含めればショスタコーヴィチが一番だと(個人的には)思うのです。 というわけで以下、譜例とともにショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲 第1番を振り返ってみたいと思います。 ショスタコーヴィチとヴァイオリニスト…

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No.283 - ショスタコーヴィチ:交響曲第5番

前回の No.282「ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人」の続きです。以下の "番組" とは、音楽サスペンス紀行「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)のことです(No.281 参照)。 プラウダ批判 「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が初演されたのは、1934年1月22日、レニングラードの、現ミハイロフスキー劇場です。それから2年も経ったあと、"事件" が起きました。 1936年1月26日、スターリンはモスクワのボリショイ劇場で評判のオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を観ましたが、第3幕が終わったところで席を立ちました。翌々日の1月28日、共産党機関誌「プラウダ」は『マクベス夫人』を批判する記事を掲載しました。いわゆる「プラウダ批判」です。 画面の左下の記事がいわゆる「プラウダ批判」。「ショスタコーヴィチ:死の街を照らしたレニングラード交響曲」(NHK BS プレミアム、2020年1月16日)より。 私はロシア語を読めないので英訳にあたってみると、記事の見出しは "Muddle instead of Music" です。"Chaos insted of Music" との訳もあるようです。日本語に直訳すると「音楽ではなく混乱」ぐらいでしょう。番組にあったように "支離滅裂" というのもあると思います。 いったい『マクベス夫人』の何が批判されたのでしょうか。番組において、サンク…

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No.282 - ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人

前回の No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」の続きです。前回は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番に関するドキュメンタリー番組、 音楽サスペンス紀行 ショスタコーヴィチ 死の街を照らしたレニングラード交響曲 NHK BS プレミアム 2020年1月16日 の内容から、交響曲第7番に関するところを紹介し、所感を書きました。この番組の最初の方、第7番の作曲に至るまでのショスタコーヴィチの経歴の紹介で、 スターリンはショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を気に入らず、すぐさま共産党の機関誌・プラウダは批判を展開した。ショスタコーヴィチはそれに答える形で『交響曲第5番』を書いた という主旨の説明がありました。この件は20世紀音楽史では有名な事件なのですが、ショスタコーヴィチと政治の関係に関わる重要な話だと思うので、以降はそれについて書きます。 『交響曲第5番』(初演:1937。30歳)はショスタコーヴィチ(1906-1975)の最も有名な曲でしょう。聴いた人は多数いるはずです。しかし『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(初演:1934。27歳)を劇場やDVD/BDで観た人は、交響曲第5番に比べれば少数だと思います。そこでまず、これがどういうオペラかを書きます。その内容と音楽がプラウダ紙の批判と密接にからんでいるからです。 ムツェンスク郡のマクベス夫人 島田雅彦 「オペラ・シンドローム」 (NHKブックス 2009) 『ム…

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No.281 - ショスタコーヴィチ:交響曲第7番「レニングラード」

今回は「音楽家、ないしは芸術家と社会」というテーマです。No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたことを振り返ると、次のようなことでした。 ◆ ウィーンで活躍した作曲家のコルンゴルト(チェコ出身。1897-1957)は、ユダヤ人迫害を逃れるためアメリカに亡命し、ロサンジェルスに住んだ。 ◆ コルンゴルトはハリウッドの映画音楽を多数作曲し、アカデミー賞の作曲賞まで受けた(1938年)。 ◆ 彼はその映画音楽から主要な主題をとって「ヴァイオリン協奏曲」を書いた(1945年)。この曲はコルンゴルトの音楽のルーツであるウィーンの後期ロマン派の雰囲気を濃厚に伝えている。この曲は50年前の1895年に書かれたとしても全くおかしくない曲であった。 ◆ 「ヴァイオリン協奏曲」はハイフェッツの独奏で全米各地で演奏され、聴衆からの反応は非常に良かった。 ◆ しかしアメリカの音楽批評家からは「時代錯誤」、「ハリウッド協奏曲である」と酷評された。またヨーロッパからは「ハリウッドに魂を売った男」と見なされ評価されなかった。 アメリカの聴衆からは好評だったにもかかわらず、なぜ批評家から酷評されたかというと、「20世紀音楽でなく、旧態依然」と見なされたからです。 20世紀前半の音楽というと、オーストリア出身のシェーンベルクやベルク、ウェーベルンが無調性音楽や12音音楽を作り出しました。またヨーロッパの各国では、ヒンデミット(独…

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No.262 - ヴュイユマンのカンティレーヌ

今回は "音楽のデジャヴュ(既視感)" についての個人的な体験の話です。題名にあげた「ヴュイユマンのカンティレーヌ」はそのデジャヴュを引き起こした曲なのですが、その曲については後で説明します。デジャヴュとは何か。Wikipedia には次のような主旨の説明がしてあります。 実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したように感じる現象。フランス語由来の言葉。デジャヴ、デジャブなどとも呼ばれる。 日本語では普通「既視感」ですが、聴覚、触覚などの視覚以外による体験も含みます。「既知感」との言い方もあります。今回は音楽(=聴覚)の話なので、以降は "デジャヴュ" で通します。 サン・サーンスのクラリネット・ソナタ "音楽のデジャヴュ" については以前に書いたことがあります。No.91「サン・サーンスの室内楽」で、サン・サーンス最晩年の作品、「クラリネット・ソナタ」について、次の主旨のことを書きました。 ◆ サン・サーンスのクラリネット・ソナタを初めて聴いたとき、この曲の冒頭の旋律は以前にどこかで聴いたことがあると思った。 ◆ それは、フランス映画かイタリア映画の映画音楽だろうと強く感じた。 ◆ しかし調べてみても、サン・サーンスのクラリネット・ソナタが映画に使われたという事実は見つからなかった。どうも違うようだ。 ◆ いろいろと考えてみて、この "音楽のデジャヴュ" を引き起こしたのは『ニュー・シネマ・パ…

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No.261 - "ニーベルングの指環" 入門(5)複合   [EX.162-193]

2019.6.21 Last update:2021.2.08 ⇒前回より続く これは、デリック・クックの「"ニーベルングの指環" 入門」(Deryck Cooke "An Introduction to Der Ring Des Nibelungen"。No.257 参照)の対訳です。 今回の(5)が最終回で、EX.162 ~ EX.193 の 32種 のライトモティーフです。まず、今まで取り上げなかった副次的なモティーフの中から、人物や自然の活動に関係したものなどが解説されます。 そして「"ニーベルングの指環" 入門」の締めくくりとして、複数のモティーフを組み合わせてドラマを進行させる "複合モティーフ" が解説されます。 リヒャルト・ワーグナー 「神々の黄昏」 ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1964) CD2-Track12 There're one or two motives which lie outside the main families, representing simple characters rather than symbols. One of these is the motive attached to Hunding which we heard right at the start. Another is the brass motive as…

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No.260 - "ニーベルングの指環" 入門(4)英雄・神秘 [EX.115-161]

2019.6.07 Last update:2024.9.04 ⇒前回より続く これは、デリック・クックの「"ニーベルングの指環" 入門」(Deryck Cooke "An Introduction to Der Ring Des Nibelungen"。No.257 参照)の対訳です。 第4回は、EX.115 ~ EX.161 の 47種 のライトモティーフです。ここでは『指環』に登場する "英雄" たちに関するモティーフをとりあげます。《剣》のモティーフとそこから派生するファミリーもその一部です。そのあとに "魔法と神秘" に関係したモティーフが解説されます。 リヒャルト・ワーグナー 「ジークフリート」 ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1962) CD2-Track03 The characters, in whose lives love plays such an important part, Siegmund and Sieglinde, Siegfried and Brunnhilde, are heroic figures, fighting to establish the claims of love in the loveless world of the Ring and the Spear. And these figures, taken together, f…

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No.259 - "ニーベルングの指環" 入門(3)愛    [EX.80-114]

2019.5.24 Last update:2021.2.08 ⇒前回より続く これは、デリック・クックの「"ニーベルングの指環" 入門」(Deryck Cooke "An Introduction to Der Ring Des Nibelungen"。No.257 参照)の対訳です。 第3回は EX.80 ~ EX.114 の 35種のライトモティーフです。第2回の権力のモティーフ("指環" や "槍")とは正反対の関係にある "愛" に関連したモティーフ全般を扱います。 リヒャルト・ワーグナー 「ワルキューレ」 ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD 1997。録音 1965) CD1-Track15 Love is another of the central symbols of the drama, standing in direct opposition to the two central symbols of power, the Ring and the Spear. In the first place, it stands naturally in opposition to the Ring because the crucial condition attached to the making of the Ring is the Renunciation of Love. And …

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No.258 - "ニーベルングの指環" 入門(2)指環・槍 [EX.39-79]

2019.5.10 Last update : 2024.9.04 ⇒前回より続く これは、デリック・クックの「"ニーベルングの指環" 入門」(Deryck Cooke "An Introduction to Der Ring Des Nibelungen"。No.257 参照)の対訳です。 第2回は EX.37 ~ EX.79 の 43種のライトモティーフの解説です。ここでは『ニーベルングの指環』において "権力" や "力" のシンボルとなる2つの基本モティーフ、《指環》と《槍》、およびそこから派生するモティーフのファミリーを扱います。 リヒャルト・ワーグナー 「ラインの黄金」 ゲオルグ・ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 (新リマスター版CD:1997。録音:1958) CD1-Track07 The cause of the deterioration of the Gold from a life giving inspiration to an agent of misery and death is, of course, the Ring of absolute power which Alberich makes from the Gold and puts the such evil use. Alberich's Ring is a central symbol of the drama, one of the two…

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No.257 - "ニーベルングの指環" 入門(1)序論・自然 [EX.1-38]

2019.4.26 Last update : 2024.4.17 No.14-15「ニーベルングの指環(1)(2)」で、リヒャルト・ワーグナーのオペラ(楽劇)『ニーベルングの指環』で使われているライトモティーフ(示導動機)について書きました。この長大なオペラにおいてドラマを進行させるのは、登場人物の歌唱と演技、舞台装置、オーケストラの演奏だけではなく、それに加えてライトモティーフです。つまり、ライトモティーフだけでドラマの今後の進行を予告したり、ライトモティーフだけで歌唱と演技の裏に隠された真の意味を説明するようなことが多々あります。従って『ニーベルングの指環』を真に "味わう" ためには、ライトモティーフを知ることが必須になってきます。 もちろん No.14-15 で書いたのはライトモティーフのごくごく一部です。ライトモティーフの全貌を知るにはどうすればよいか。一番参考になるのは、ショルティ指揮・ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の『ニーベルングの指環』全集(輸入盤・日本盤)に付けられた英国の音楽学者、デリック・クック(1919-1978)によるライトモティーフ解説でしょう。特に、日本盤CD(POCL9943-9956。14枚組)には日本語音声による解説CD(DCI-1043-1045。3枚組)が付録としてついていたので、この全集を入手できる人はそれを聴くのが一番です。 日本語の解説CDがついた全集を入手できない場合は、そのライトモティーフ解説だけを独立させて販売されている2枚組…

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No.236 - 村上春樹のシューベルト論

前回の No.235「三角関数を学ぶ理由」で、村上春樹さんが「文章のリズムの大切さ」を述べた発言を紹介しました。これは「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(新潮社 2011。以下「本書」)からの引用でしたが、それ以前の記事でも本書の内容を紹介したことがありました。 ◆ No.135 - 音楽の意外な効用(2)村上春樹◆ No.136 - グスタフ・マーラーの音楽(1)◆ No.137 - グスタフ・マーラーの音楽(2) の3つです。本書は、指揮者・小澤征爾さんとの3回にわたる対談を村上春樹さんがまとめたものですが、その「あとがき」で小澤さんが次のように書いていたのが大変に印象的でした。 音楽好きの友人はたくさん居るけれど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている。クラシックもジャズもだ。 小澤征爾 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮社 2011)の「あとがき」より 村上春樹「意味がなければスイングはない」 (文春文庫 2008) その "正気の範囲をはるかに超えた音楽好き" である村上春樹さんが書いた音楽エッセイ集(評論集)があります。「意味がなければスイングはない」(文藝春秋 2005。文春文庫 2008)です。内容はジャズとクラシック音楽に関するものが多いのですが、ウディー・ガスリー、ブライアン・ウィルソン(ビーチ・ボーイズ)、ブルース・スプリングスティーン、スガシカオもあるというように、フ…

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No.220 - メト・ライブの「ノルマ」

No.8「リスト:ノルマの回想」でとりあげたリストの『ノルマの回想』(1836)は、ベッリーニ(1801-1835)のオペラ『ノルマ』に出てくる数個の旋律をもとにリストが自由に構成した曲でした。 実は今まで『ノルマ』を劇場・オペラハウスで見たことがなく、No.8 を書いた時も一度見たいものだと思ったのですが、その機会がありませんでした。ところが先日、メト・ライブビューイングで『ノルマ』が上映されることになったので、さっそく見てきました。No.8「リスト:ノルマの回想」からすると7年越しになります。以下はその感想です。 ベッリーニのオペラ『ノルマ』(1831初演) ベッリーニのオペラ『ノルマ』のあらすじは、No.8「リスト:ノルマの回想」に書いたので、ここでは省略します。ドラマの時代背景とポイントを補足しておきますと、紀元前50年頃のガリア(現在のフランス)が舞台です。 古代の共和制ローマは紀元前58年~51年、カエサルの指揮のもとにガリアに軍隊を進め、いわゆる「ガリア戦争」を戦いました。この結果、ガリア全土がローマの属州となりました。この過程を記述したカエサルの「ガリア戦記」は世界文学史上の傑作です。その直後のガリアがこのオペラの時代です。 ガリアの住民はケルト民族で、ドルイド教を信仰しています。オペラではドルイド教の巫女みこの長がノルマ、巫女でノルマの部下にあたるのがアダルジーザ、ローマのガリア総督がポリオーネで、この3人のいわゆる "三角関係" でドラマが進行して…

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No.219 - リスト:詩的で宗教的な調べ

今までフランツ・リスト(1811-1886)の曲を3つとりあげました。 ◆No.    8 - リスト:ノルマの回想 ◆No.  44 - リスト:ユグノー教徒の回想 ◆No.209 - リスト:ピアノソナタ ロ短調 の3作品です。No.8 と No.44 は、それぞれベッリーニとマイヤーベーアのオペラの旋律をもとに自由に構成した曲で、どちらかというとリストの作品ではマイナーな(?)ものです。一方、No.209 は "傑作" との評価が高い曲ですが、今回は別の傑作を取り上げます。『詩的で宗教的な調べ』です。他にも有名な作品はありますが、なぜこの曲かと言うと私が持っているこの曲の CD(イタリアのピアニスト、アンドレア・ボナッタ演奏)について書きたいからです。それは後にすることにして、まず『詩的で宗教的な調べ』について振り返ってみます。 詩的で宗教的な調べ 『詩的で宗教的な調べ』はリストが19世紀フランスの代表的詩人、アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(1790-1869)の同名の詩集(1830)に触発されて作曲した、全10曲からなるピアノ曲集です。1845年(34歳。初稿)から1853年(42歳。最終稿)にかけて作曲されましたが、曲集の中の「死者の追憶」の原曲は1834年(23歳)の作品であり、足かけ20年近くの歳月で完成したものです。 この曲集は、ドイツ系ロシア貴族のカロリーヌ・ザイン = ヴィトゲンシュ…

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No.214 - ツェムリンスキー:弦楽4重奏曲 第2番

No.209「リスト:ピアノソナタ ロ短調」からの連想です。No.209 において、リストのロ短調ソナタは "多楽章ソナタ"と "ソナタ形式の単一楽章" の「2重形式」だと書きました。そしてその2重形式を弦楽でやった例がツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』だとしました。今回はそのツェムリンスキーの曲をとりあげます。 ツェムリンスキーについては No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」にオペラ作品『こびと』(原作:オスカー・ワイルド)と、それにまつわるエピソードを書きました。今回は2回目ということになります。 ツェムリンスキー(1871-1942) アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)はウィーンに生まれたオーストリアの作曲家です。指揮者としても著名だったようで、ウィーンのフォルクス・オーパーの初代指揮者になった人です。作曲家としての代表作品は各種Webサイトに公開されているので省略します。 このブログで以前とりあげた当時のウィーンの音楽人との関係だけを書いておきます。まず、No.72「楽園のカンヴァス」でシェーンベルク(1874-1951)の「室内交響曲 第1番」について書きましたが、ツェムリンスキーの妹がシェーンベルクと結婚したため、ツェムリンスキーとシェーンベルクは義理の兄弟です。また No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」で書いたように、マーラー(1860-1911)の夫人のアルマはツェムリンスキーのかつての恋人でした。No.9…

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No.209 - リスト:ピアノ・ソナタ ロ短調

今までにフランツ・リストの曲を2つとりあげました。 ◆No.  8 - リスト:ノルマの回想 ◆No.44 - リスト:ユグノー教徒の回想 の2つですが、そもそもローマのレストランのテレビでやっていた「素人隠し芸大会」で、オペラ「ノルマ」の有名なアリア「清き女神よ」を偶然に聞いたことが発端でした(No.7「ローマのレストランでの驚き」参照)。 この2つはいわゆる "パラフレーズ" 作品です。つまりそれぞれ、ベッリーニのオペラ「ノルマ」とマイヤベーアのオペラ「ユグノー教徒」のなかの数個のアリアの旋律をもとに、それを変奏したり発展させたりして自由に構成した作品です。まさにオペラを観劇したあとに、それを回想しているという風情の作品です。 今回は方向性を全く変えて、同じリストの作品ですが「ピアノ・ソナタ ロ短調」を取り上げます。なぜこの曲かというと、恩田陸さんの小説『蜜蜂と遠雷』に出てきたからです。この小説は直木賞(2016年下半期)と本屋大賞(2017年)をダブル受賞したことで大きな話題になりました。 恩田陸「蜜蜂と遠雷」 (幻冬舎 2016) 蜜蜂と遠雷 『蜜蜂と遠雷』は、日本での国際ピアノコンクールに参加した4人のコンテスタント(16歳、19歳、20歳、28歳の4人)を中心に、彼らをとりまく友人、師匠、審査員なども含めた群像劇です。これらコンテスタントのなかで、マサル(=マサル・カルロス・レヴィ・アナトール。19歳)の演奏曲目に、リス…

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No.154 - ドラクロワが描いたパガニーニ

No.124「パガニーニの主題による狂詩曲」では、ラフマニノフがパガニーニの主題にもとづいて作曲した狂詩曲(= 変奏曲形式のピアノ協奏曲)をとりあげました。この曲が、ラフマニノフのパガニーニに対する強いリスペクトによるものだという主旨です。今回はそのパガニーニに関する話です。 フィリップス・コレクション アメリカの首都・ワシントン D.C.にある美術館の話からはじめます。今までの記事で、ワシントン D.C.の2つの美術館の絵を紹介しました。 ◆ワシントン・ナショナル・ギャラリー  メアリー・カサット 『青い肘掛け椅子の少女』 No.87「メアリー・カサットの少女」 フランシスコ・デ・ゴヤ 『セニョーラ・サバサ・ガルシア』 No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」 ◆フリーア美術館  尾形光琳『群鶴図屏風』 No.85「洛中洛外図と群鶴図」 の2つです。私は一度だけワシントン D.C.に行ったことがあるのですが、その時は光琳の『群鶴図屏風』は展示してありませんでした。しかし運良く日本で『群鶴図屏風』の精密な複製(キヤノン株式会社 制作)を見られたのは、No.85 に書いた通りです。 ワシントン D.C.には上記の2つのギャラリー以外にも "スミソニアン博物館群" があります。自然史博物館とか航空宇宙博物館など、観光で訪れても飽きることがありません。しかしもう一つ(美術好きなら)見逃せないミュージアムがあります。フィリップ…

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No.137 - グスタフ・マーラーの音楽(2)

(前回から続く) 前回に続き『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(小澤征爾・村上春樹)から、マーラーの音楽が語られている部分を紹介します。前回の終わりの方にも取り上げた「音楽の形式」に関係したものです。 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮社。2011) 形式を意識的に崩した音楽 「形式を意識的に崩した音楽」というマーラーの特徴に関して、小澤征爾・村上春樹両氏が語り合う場面があります。交響曲 第1番『巨人』の第3楽章を聞きながらの会話です。第3楽章はコントラバスのソロが演奏する「葬送のマーチ」で始まります(譜例71)。 前回(No.136)でも話題になったように、ここは「重々しく、しかし引きずらないように」という指示が楽譜にあります(譜例71のドイツ語)。村上さんはそういう音をどのように作るのかを小澤さんに質問します。 (村上春樹) 最初にコントラバスのソロが出てきますが、そういう音の設定みたいなものも指揮者が出すわけですか? それはちょっと重すぎるとか、もう少しあっさりやってくれとか。 (小澤征爾) まあ、そうですね。ただね、そのへんはもうコントラバス奏者の音色とか、持ち味で決まってしまう部分が多いんです。指揮者がそんなに口を出せるところじゃない。しかしね、コントラバスのソロそのものが特殊なのに、楽章の冒頭にそんなのが来るなんてね。マーラーって、よっぽど変わった人ですよ。 (p.241) 音楽の始めに「コントラ…

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No.136 - グスタフ・マーラーの音楽(1)

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』 前回のNo.135「音楽の意外な効用(2)村上春樹」では、『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮社。2011)という本から、村上春樹氏が「文章の書き方を音楽から学んだ」と語っている部分を紹介しました。今回はこの本から別の話題をとりあげたいと思います。 『小澤征爾さんと、音楽について話をする』は、村上春樹さんが小澤征爾さんに長時間のインタビューをした内容(2010年11月~2011年7月の期間に数回)にもとづいていて、語られている話題は多岐に渡っています。小澤さんが師事したカラヤンやバーンスタインのこと、欧米の交響楽団やサイトウ・キネンの内輪話、ベートーベンやブラームスのレコードを聞きながらの指揮や演奏の "キモ" の解説、小澤さん主宰の「スイス国際音楽アカデミー」の様子などです。 しかし何と言ってもこの本の最大の "読みどころ" は、グスタフ・マーラーの音楽について二人が語り合った部分でしょう(個人的感想ですが)。本のうちの 84 ページが「グスタフ・マーラーの音楽をめぐって」と題した章になっています。360 ページほどの本なので、4分の1近くが「マーラー論」ということになります。そして、ここで展開されている「マーラー論」は納得性が高く「その通り!」と思うことが多々あったので、何点かのポイントを以下に紹介したいと思います。以下、引用中の下線・太字は原文にはありません。 「小澤征爾さんと、音楽について話をする」 (新潮社…

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No.124 - パガニーニの主題による狂詩曲

変奏という音楽手法 今まで何回かクラシック音楽をとりあげていますが、今回はその継続で、「変奏」ないしは「変奏曲」がテーマです。 No.14-17「ニーベルングの指環」で中心的に書いたのは「変奏」という音楽手法の重要性でした。ちょっと振り返ってみると、ワーグナーが作曲した15時間に及ぶ長大なオペラ『ニーベルングの指環』には、「ライトモティーフ」と呼ばれる旋律(音楽用語で「動機」)が多種・大量に散りばめられていて、個々のライトモティーフは、人物、感情、事物、動物、自然現象、抽象概念(没落、勝利、愛、・・・・・・)などを象徴しているのでした。そして重要なことは「ライトモティーフ・A」が変奏、ないしは変形されて別の「ライトモティーフ・B」になることにより、AとBの関係性が音楽によって示されることでした。 たとえば「自然の生成」というライトモティーフの変奏(の一つ)が「神々の黄昏」であり、これは「生成と没落は表裏一体である」「栄えた者は滅びる」という、このオペラの背景となっている思想を表現しています。また、主人公の一人である「ジーフリート」を表すライトモティーフの唯一の変奏は「呪い」であり、それは「ジーフリートは呪いによって死ぬ」という、ドラマのストーリーの根幹のところを暗示しているのでした。 もちろん『ニーベルングの指環』だけでなく、変奏はクラシック音楽(や、ジャズ)のありとあらゆる所に出現します。ベートーベンの『運命』を聞くと、第1楽章の冒頭の「運命の動機」がさまざまに変奏さ…

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No.99 - ドボルザーク:交響曲第3番

チェコ No.1-2 の「千と千尋の神隠しとクラバート」で紹介した小説『クラバート』は、現在のチェコ領内(リベレツ)で生まれたドイツ人作家、オトフリート・プロイスラーが、ドイツ領内(シュヴァルツコルム)に住むスラヴ系民族・ソルブ人を描いた小説でした。 それが契機で、スラブ系民族の国・チェコにまつわる作曲家の話を2回書きました。 ◆スメタナ(1824-1884)- ボヘミア地方・リトミシュル出身  No.5「交響詩:モルダウ」 ◆コルンゴルト(1897-1957)- モラヴィア地方・ブルノ出身  No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」 の二つです。 今回はその3回目として、チェコの「超大物作曲家」ドヴォルザーク(1841-1904)の作品を取り上げたいと思います。ドヴォルザークはプラハの北北西、約30kmにあるネラホゼヴェスという町で生まれまた人です。ドヴォルザークの時代、チェコはオーストリア帝国の一部だったわけで、町のドイツ語名はミュールハウゼン・アン・デア・モルダウでした。その名の通り、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の沿岸の町です。 ドヴォルザークの名曲はたくさんあり、取り上げたい作品も迷うところですが、交響曲第3番(作品10。33歳)ということにします。初期の作品ですが、それだけにドヴォルザーク「らしさ」がよく現れていると思うのです。 ドヴォルザーク:交響曲第3番 変ホ長調 作品10 ドヴォルザーク 交響曲第3番…

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No.91 - サン・サーンスの室内楽

「時代錯誤」の音楽 No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で、この曲について以下の主旨のことを書きました。 ◆この曲は1945年にアメリカで作曲されたが、その50年前の1895年にウィーンで作曲されたとしても全くおかしくない曲である。それほど19世紀末のウィーン音楽に似ている。 ◆この曲の発表当時、音楽批評家は「時代錯誤だ」という批判を浴びせた。ニューヨーク・タイムス紙は「これはハリウッド協奏曲である」と切り捨てた。コルンゴルトが映画音楽を作曲していたことによる。 ◆しかし、時代錯誤であろうとなかろうと、映画音楽であろうとなかろうと、音楽の良し悪しとは関係がない。 コルンゴルトの『ヴァイオリン協奏曲』(譜例9は第1楽章の冒頭)はCDも出ているし、コンサートでも演奏されます。私も1年ほど前に初めてナマ演奏を聞きました。しかし、これほどの名曲(私見)にもかかわらず『ヴァイオリン協奏曲』のジャンルでは、世間の一般的な評価はそれほど高くはないようです。その理由ですが「発表された時に時代錯誤などという評価を受け、その評価が現代まで続いているのではないか」と疑っています。 実は、これと類似の状況が他の作曲家にもあると思うのです。同時代の批評家や音楽家からのネガティブな評価(時代錯誤など)を受け、現代も評価が低い作曲家です。その例としてフランスの作曲家、サン・サーンスをあげたいと思います。 サン・サーンスの音楽 サン・サーンスは19世紀前半(1835)に…

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No.44 - リスト:ユグノー教徒の回想

No.8「リスト:ノルマの回想」では、ベッリーニのオペラ「ノルマ」の旋律にもとづいて、フランツ・リスト(1811-1886)が作曲したピアノ曲『ノルマの回想』(1836)を紹介しました。今回は、それと同じ年に書かれた同一趣向の曲を取り上げます。 NAXOS版 リスト ピアノ曲全集 第1巻 「ユグノー教徒の回想」が収録されている ピアノ:アーナルド・コーエン『ユグノー教徒の回想』(1836)は、マイヤーベーア(1791-1864)のオペラ「ユグノー教徒」(1836年・パリのオペラ座で初演)の中の旋律にもとづいて、リストが自由に作曲・構成したピアノ曲です。1836年ということは、オペラ発表の年と同年に書かれたということになります。原題は「マイヤーベーアのオペラ・ユグノー教徒の主題による大幻想曲」ですが、『ユグノー教徒の回想』という通称(リストが自筆原稿にそう書いているそうです)が分かりやすいので、それで通します。掲載したCDジャケットの写真は、この曲が収録されているNAXOS版のリスト・ピアノ音楽全集の第1巻です。 このリストの曲も、そのもとになったオペラも、『ノルマの回想』に比べるとずっとマイナーな感じですが、リストの曲が好きな人は多いと思うので取り上げる意味はあるでしょう。まず、マイヤーベーアのオペラ『ユグノー教徒』についてです。 サン・バルテルミの虐殺 このオペラの背景となっているのは「サン・バルテルミの虐殺」と言われるフランス史の事件、いやヨーロッパの歴史上の大…

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No.17 - ニーベルングの指環(見る音楽)

No.14-16 に続いてリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」です(以下『指環』と略)。今回のタイトルは「見る音楽」ですが、ここでの「見る」とは劇場やDVDでオペラを見るという意味ではありません。オペラのスコア(総譜・楽譜)を見るという意味です。『指環』はスコアを見てこそ初めて納得できることがいろいろあると思うのです。以下にその「見て分かる」ことを書きます。 スコアでまず分かること このオペラのスコアは Dover社のペーパーバックで比較的容易に入手できます。その表紙を掲げました。 スコアでまず分かること、それは「物量」です。4つのペーパーバック版スコアの厚みとページ数は   ラインの黄金 2.0 cm  327ページ  ワルキューレ 4.0 cm  710ページ  ジークフリート 2.5 cm  439ページ  神々の黄昏 3.5 cm  615ページ合計12.0 cm  2091ページ もあります。ちなみに合計の重さは 6.6kg です。合計2091ページもの紙面の全てが隅々まで音符で埋め尽くされているのはちょっと壮観です。15時間のオペラならこれぐらいになるのは当然といえば当然なのですが、一つの芸術作品でこれだけの量があるという、その「物量感」に圧倒されるので…

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No.16 - ニーベルングの指環(指環とは何か)

No.14 とNo.15 に続いてリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」です。ここでは、このオペラにおける《指環》とは何かについて、自由に発想してみたいと思います。なお、以降で『指環』は「ニーベルングの指環」というオペラを意味し、《指環》は金属加工品としての指環を示します。 《指環》=金属製錬技術の象徴 端的に言うと《指環》とは「金属製錬技術」の象徴だと考えられます。ここで言う金属製錬技術とは広い意味です。つまり金属の元となる鉱石を採掘し、そこから金属だけを抽出し、純度を高め(=精錬)、金属製品に加工するまで全てを指します。この意味での金属製錬技術を象徴するのが《指環》であり、また金属製錬技術を持つ集団がニーベルング族です。 『指環』の物語の発端となるライン河の黄金ですが、古来より黄金は権力の象徴でした。古代エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクは有名ですし、ギリシャ文明のミケーネからは「アガメムノンの黄金のマスク」が出土しています。南米のインカ文明でも黄金文化が栄えました。日本においても奥州平泉の藤原氏の権力基盤は黄金です。豊臣秀吉が作らせた黄金の茶室などは権力の象徴の最たるものでしょう。黄金はその稀少性と光り輝く美しさ、変質しないことにより、権力者が競って求めるものとなり、その製錬技術を持った集団が重用されたことは想像にかたくありません。 人類史をひもとくと青銅も重要な金属です。青銅は農機具や宗教用の器具、日用品、武器などの「実用」に初めて広く使われた金属です。…

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No.15 - ニーベルングの指環(2)

(前回より続く)ライトモティーフの物語性(2) 前回に類似したライトモティーフとして「指環」と「ワルハラ」、「呪い」と「ジークフリート」の例をあげましたが、さらに別の例をあげます。 『指環』の最初に出てくるライトモティーフは」「自然の生成」と呼ばれる旋律です(譜例20)。「ラインの黄金」の前奏曲の冒頭、ファゴットとコントラバスの低い連続音が続いた後にホルンで演奏される旋律で、変ホ長調の主和音を力強くシンプルに上昇する、まさに「生成していく」という感じのライトモティーフです。この旋律はその後さまざまに変奏され、「自然」や「ライン河」などの一連のライトモティーフ群を形成します。ここまでは直感的に非常によく理解できます。 しかし「ラインの黄金」の終わりも近くの第4場になって「自然の生成」のちょっと異質な変奏が出てきます。それが短調の「エルダ」のライトモティーフです(譜例21)。エルダは大地の女神であり、全てを見通している知恵の女神です。そして譜例21とともに登場した彼女は「指環を手に入れるとき破滅が待っている。指環の呪いを恐れよ」と、神々の長であるヴォータンに警告を発します。この場面では「自然の生成」(譜例20)も登場し、譜例21がその変奏であることがクリアに分かるようになっています。 そしてそのすぐあとに、短調の別の変奏(譜例22)がヴァイオリンに現れます。このライトモティーフは「神々の没落(黄昏)」という名前がついていて、これはその後の『指環』の進行の中でしばしば現れます…

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No.14 - ニーベルングの指環(1)

No.5 - 交響詩「モルダウ」のところで、 音楽の世界でも神話・伝説・伝承をもとに作品を作った例が数多くあって、スメタナの同世代ワーグナーも多くの作品を書いている、それを最も大々的にやったのがゲルマンの伝承や北欧神話を下敷きにした「ニーベルングの指環」4部作。そう言えばスメタナの「わが祖国」に出てくるシャールカ伝説の「女性だけの戦士団」は「指環」のワルキューレを連想させる。 と書きました。 そのリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」(以下『指環』と記述します)について書いてみようと思います。 『指環』は、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の全4部作のオペラ(楽劇)で、ぶっ通しで上演するとしても約15時間もかかる、音楽史上屈指の大作です。この大作の複雑で込み入ったストーリーやドラマ、登場人物に言及し出だすとキリがないので、ここでは『指環』の音楽の特徴である「ライトモティーフ(ライトモチーフ)」に話を絞ります。「ライトモティーフ」を通して『指環』のテーマを推測してみたいと思います。 なお、以下に掲げる『指環』の画像は、ジェームス・レヴァイン指揮、メトロポリタン・オペラのものです。ライトモティーフ ライトモティーフは特定の人物・モノ・事象・自然現象・感情・理念などを表す比較的短い旋律、クラシック音楽でいう「動機」で、ドイツ語は Leitmotiv です。英訳すると leading motif、日本語では「示導動機」ないしは「指導動機…

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No.11 - ヒラリー・ハーンのシベリウス

セルフ・ライナーノート No.10 に続いてヒラリー・ハーンさんの演奏を取り上げます。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47(1904)です。 彼女はこのコンチェルトのCDのセルフ・ライナーノートで次のように書いています。ちょっと長いのですが、この曲の本質と演奏の難しさを言い当てていると思うので、そのまま引用します。冒頭にシェーンベルクの名前が出てくるのは、このCDのもう一つの協奏曲だからです。引用はシベリウスに関係した部分だけです。 どんなことでも、第一印象というのはなかなか抜けないものです。そして音楽においては、人生の場合と同様、誤解のもとになりかねません。私はそれをまずジャン・シベリウスの協奏曲で、そして次にアノルト・シェーンベルクの協奏曲で体験しました。まず、シベリウスのほうからお話しましょう。 シベリウスの協奏曲にかんする私の最初の思い出は、とても変わっています。子供のとき、野球場ではじめてこの曲をテープレコーダで聞いたのです。ボルティモア・オリオールズの試合の最中に。なぜそんなことをしたのか、よく覚えていません。ヴァイオリンのレパートリーを広げたいと思っていたからか、協奏曲の演奏を夢見ていたからでしょうか。いずれにせよ、シベリウスの協奏曲を1回聞いただけで夢中になったという人が多いのに、私はまず面食らってしまったのです。私の未熟な耳には、音楽が奇妙な両極端の間をめちゃくちゃに揺れているように聞こえたのです。その構成にもとまどい…

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No.10 - バーバー:ヴァイオリン協奏曲

No.9 で書いたコルンゴルトのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一曲、アメリカ音楽としてのヴァイオリン協奏曲で絶対に忘れられない曲があります。サミュエル・バーバー(1910 - 1981)のヴァイオリン協奏曲 作品14(1939)です。 コルンゴルトはウィーンで育ち、ユダヤ人であったためにアメリカに移住したわけですが、サミュエル・バーバーはペンシルベニア州生まれの、いわば「生粋の」アメリカ人です。 第1楽章 Allegro から、第2楽章 Andante へ この曲の第1楽章は、前奏なしで独奏ヴァイオリンがいきなり奏でる第1主題(譜例 12)で始まります。これは大変に優美で叙情的な旋律です。Allegroという速度指定ですが、モデラートという感じで、速いという感じはしません。むしろゆったりと流れる曲想です。譜例12には冒頭の10小節だけを掲げましたが、そのあとの17小節も主題の延長が続き、ようやく短い第2主題に入ります。譜例12は第1楽章を支配していて、この主題がさまざまに処理され展開されて楽章が進んでいきます。 第2楽章は弦楽器の短い序奏のあと、オーボエがゆっくりと譜例13の長い旋律を奏でます。それが弦楽器に引き継がれ、変奏され、管楽器も加わり、そのあとにようやく独奏ヴァイオリンが入ってきます。このあたりの展開は何となくラフマニノフを思い出しますね。ピアノ協奏曲第2番の第2楽章や、交響曲第2番の第3楽章の雰囲気です。また譜例13はバーバーの有名な「弦楽のためのアダージョ」(バ…

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No.9 - コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲

チェコ生まれの作曲家 No.5 のスメタナに続いて、現在のチェコ共和国の域内で生まれた作曲家の作品を取り上げます。チェコの南東部・モラヴィア地方出身のコルンゴルト(エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト。 Erich Wolfgang Korngold。 1897-1957)が作曲した、ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35です。 チェコの作曲家といえば、ボヘミア出身のスメタナとドボルザーク、モラヴィア出身のヤナーチェクが有名です。彼らは程度の差はありますが、No.5 にも書いたように、チェコ文化、ボヘミアやモラヴィアの伝統音楽に親和性のある作品を残しました。それとは別に「クラバート」の作者・プロイスラーのように、現在のチェコ域内でドイツ系の家系に生まれ、ウィーンやドイツで活躍した作曲家がいます。代表的なのがボヘミア生まれのグスタフ・マーラーですが、コルンゴルトもそうで、彼はモラヴィアの中心都市であるブルノの出身です。ブルノから南へ100kmがオーストリアのウィーンで、コルンゴルトのお父さんはウィーンで高名な音学評論家でした。また4歳の時から一家でウィーンに引っ越したといいますから、エーリヒは「ウィーン子」でしょう。ちなみに彼は次男ですが、長男はハンス・ロベルト・コルンゴルトといって、ミドルネームのロベルトは音楽評論家の父親が尊敬していたロベルト・シューマンにちなむそうです。もちろん、エーリヒのミドルネームはモーツァルトです。 最初の主題 「ヴァイオリン協奏曲」はコルンゴルトの…

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No.8 - リスト:ノルマの回想

フランツ・リスト No.7「ローマのレストランでの驚き」 でベッリーニのオペラ「ノルマ」の中のアリア「清き女神よ」について触れましたが、この「ノルマ」に関連して、絶対にはずせない芸術作品があります。フランツ・リスト(1811-1886)のピアノ曲「ノルマの回想」(1836)です。 ショパンを称して「ピアノの詩人」ということがありますが、それならピアニスト・作曲家としてのリストはどうでしょうか。ショパンにならって言うと、リストはピアノの詩人であると同時に、小説家であり、脚本家、翻訳家、エッセイスト、書評家でもあると言えるでしょう。「翻訳家」としての仕事は、ベートーベンの9つの交響曲のピアノ編曲版のような一連の編曲作品(トランスクリプション)です。またリストには、オペラの旋律をもとに自由に構成した幻想曲風の作品、いわゆるパラフレーズと呼ばれる作品群があるのですが、これはらはさしずめ「書評」か「エッセイ」でしょう。ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディ、モーツァルトなどのオペラに基づいたパラフレーズがあります。 トランスクリプションやパラフレーズはリストが自らの超絶技巧を披露するために作曲したと言われることがありますが、それだけではありません。トランスクリプションやパラフレーズが作曲家リストの音楽をきわめて豊かにし、普通のピアノ作品の作曲手法にも影響を与えています。なにしろオペラや交響曲を2手や4手のピアノで表現しようとする試みなのですから並大抵ではありません。この作業が、ピアノ音楽…

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No.5 - 交響詩「モルダウ」

ドイツ文化とスラヴ文化 No.1 とNo.2 でとりあげた「クラバート」ですが、訳者の中村浩三氏の紹介によると、作者のプロイスラーはドイツ人だが生まれはチェコのリベレツであり、リベレツのドイツ名はライヒェンベルクだとのことです。つまり「クラバート」はチェコ生まれのドイツ人が、ドイツ(当時はザクセン公国)に住むスラヴ系民族・ヴェンド人(チェコもスラヴ系です)のことを書いた物語ということになります。 このヴェンド人という言い方もドイツ語ですね。自民族の言語では「ソルブ人」であり、最近はソルブ人という言い方に統一されてきたようです。ドイツ系文化圏とスラヴ系文化圏は、ドイツ東部、チェコ、ポーランドあたりでは入り交じっているわけです。 スメタナ これで思い出すことがあります。 スメタナ(ヴェドルジハ・スメタナ)という19世紀チェコの作曲家(1824-1884)がいます。交響詩「モルダウ」の作者として大変に有名ですが、チェコの国民楽派の祖であり、チェコやボヘミア地方(チェコ西部から中央部にかかての地域)を題材にした名曲を残しました。あのドボルザークにも大きな影響を与えたと言います。このことは学校の音楽の教科書にも出ていたはずです。 このスメタナの「母語」が実はドイツ語であり、日常会話はドイツ語で、チェコ語はできなかったということなのです。チェコ人としてチェコ語ができないことを恥ずかしく思ったスメタナは、成人してからチェコ語を学んだようです。 国民楽派というと、ドイツ、…

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