No.353 - ウイルスがうつ病のリスクを高める

前回の No.352「トキソプラズマが行動をあやつる」で、トキソプラズマという微生物が人間の脳に影響を与え、人間の行動を変容させるのではという仮説を紹介しました。哺乳類に対しては、オオカミやハイエナの例、また、マウスでの実験で影響が明らかなので、人間に対してもそうだと考えるのが妥当なわけです。 これに関連してですが、微生物(=ウイルス)が人間の脳に影響を与え、その結果うつ病の発症リスクが高まるという研究がテレビ番組で放送されました。今回はその話です。 番組は、2022年10月4日放送の「ヒューマニエンス 49億年のたくらみ」(NHK BS プレミアム)で、その中での東京慈恵会医科大学のウイルス学者・近藤一博教授の研究です。大変興味深かったので、以下に番組のナレーションと近藤教授の話を再録します。 HHV-6 がうつ病のリスクを高める 【ナレーション】 過度の疲労が続くと起こりやすくなるうつ病。その発症に関係していると近藤さんが考えているのが、ヒトヘルペスウイルス6、通称 HHV-6。これまでは、赤ちゃんに突発性発疹を引き起こすことだけが知られてきた。HHV-6 は、私たちのほぼ 100% が体内に宿しているが、大人になってからは健康被害を引き起こすことはないと言われてきた。 しかし近藤さんは、HHV-6 はうつ病と深いつながりがあると考えている。 【近藤教授】 うつ病患者の血液を調べますと、HHV-6 が作り出す SITH-1(シス・ワン)というタン…

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No.352 - トキソプラズマが行動をあやつる

No.350「寄生生物が行動をあやつる」で、トキソプラズマの話を書きました。今回はその補足です。トキソプラズマは単細胞の原生生物ですが、N0.350 の要点は次の通りでした。 ◆ トキソプラズマは猫科の動物が最終宿主であり、そこでしか有性生殖できない。◆ トキソプラズマは人間を含む幅広い哺乳類や鳥類に感染し(= 哺乳類や鳥類は中間宿主)、無性生殖(=分裂)を行う。◆ トキソプラズマは感染した動物の行動を変える。狼は攻撃的になり、群のリーダになりやすい(仮説)。ネズミは猫を恐れなくなる。 この、トキソプラズマが感染した動物の行動をあやつることに関して、NHK BSプレミアムの番組の中で詳しく紹介されていました。 超進化論 第3集すべては微生物から始まった~ 見えないスーパーパワー ~( NHK BSP 2023年1月8日) です。今回はその番組からトキソプラズマの部分を紹介します。 超進化論・すべては微生物から始まった 【ナレーション(廣瀬智美アナウンサー)】 微生物は、ひょっとしたら意志をもっているのではないか。そう、思わせるような研究報告が相次いでいます。何と、感染した生き物の脳を操って自分の味方にしてしまうというのです。 ことの主役はトキソプラズマ。哺乳類や鳥類に感染する微生物です。人間に感染しても、胎児を除けば、ほとんど影響がないと考えられてきました。 チェコ・カレル大学のフレグルさん。トキソプラズマの驚く…

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No.338 - がん進化論にもとづく治療戦略

No.336 と No.337 の続きです。No.336「ヒトはなぜ "がん" になるのか」と No.337「がんは裏切る細胞である」は、 がんは体内で起きる細胞の進化である という知見にもとづき、新たな治療方法の必要性を述べた2つの本を紹介したものでした。この2書に共通していたのは新たな方法である「適応療法」で、この療法を始めたアメリカの医師、ゲイトンビー(Robert Gatenby)の研究が紹介されていました。そのゲイトンビー本人による論文が2年前の日経サイエンスに掲載されました。 「がん進化論にもとづく治療戦略」   J.デグレゴリ(コロラド大学)   R.ゲートンビー(モフィットがんセンター) 日経サイエンス 2020年5月号 日経サイエンス 2020年5月号 です。今回はこの内容を紹介します。No.336、No.337 と重複する部分が多々あるのですが、「進化論にもとづくがん治療」をそもそも言い出した研究者の発言は大いに意味があると思います。 注意点は、この論文がもともと「Scientific American 2019年8月号」に掲載されたものだということです(原題は "Darwin's Cancer Fix")。がん治療の研究は日進月歩であり、約3年前の論文ということに留意する必要があります。 とはいえ、進化論にもとづくがん治療のキモのところが端的に解説されていて、「がんとは何か」の理解が進むと思いま…

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No.337 - がんは裏切る細胞である

前回の No.336「ヒトはなぜ "がん" になるのか」は、英国のサイエンスライター、キャット・アーニー著の同名の本を紹介したものでした。内容は、がんを「体内で起きる細胞の進化」ととらえ、その視点で新たな治療戦略の必要性を説いたものでした。 今回は引き続き同じテーマの本を紹介します。アシーナ・アクティピス著「がんは裏切る細胞である ─ 進化生物学から治療戦略へ ─」(梶山あゆみ・訳。みすず書房 2021。以下 "本書")です(原題は "The Cheating Cell")。 アシーナ・アクティピス 「がんは裏切る細胞である」 梶山あゆみ・訳 (みすず書房 2021) 前回の本と本書は、2021年の出版です。つまり「進化生物学の視点でがんの生態を研究し治療戦略をつくる」という同じテーマの本が、同じ年に2冊刊行されたことになります。ただし、今回の著者は現役のがん研究者で、そこが違います。 著者のアシーナ・アクティピス(Athena Aktipis)は米国のアリゾナ州立大学助教で、同大学の "進化・医学センター" に所属しています。またカリフォルニア大学サンフランシスコ校の進化・がん研究センターの設立者の一人です。進化生物学の観点からがんを研究する中心の一人といってよいでしょう。従って、自身や仲間の研究も盛り込まれ、また、がんの生態に関する詳細な記述もあります。専門的な内容も含みますが、あくまで一般読者を対象にした本です。専門性と一般性がうまくミックスされた好著だと思いました…

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No.336 - ヒトはなぜ「がん」になるのか

No.330「ウイルスでがんを治療する」に引き続いて、がんの話を書きます。今回は治療ではなく、そもそもがんがなぜできるのかという根本問題を詳説した本を紹介します。キャット・アーニー著 "ヒトはなぜ「がん」になるのか"(矢野真千子・訳。河出書房新社 2021。以下 "本書")です。 世の中にはがんに関する本が溢れていますが、なぜヒトはがんになるのか、がんはヒトにとってどういう意味を持つのかという根本のところを最新の医学の知識をベースにちゃんと書いた本は少ないと思います。本書はその数少ない例の一つであり、紹介する理由です。 キャット・アーニー "ヒトはなぜ「がん」になるのか" 矢野真千子・訳 (河出書房新社 2021) 著者のキャット・アーニー(Kat Arney)は英国のサイエンス・ライターで、ケンブリッジ大学で発生遺伝学の博士号を取得した人です。また、英国のがん研究基金「キャンサー・リサーチ・UK」の "科学コミュニケーション・チーム" で12年勤務した経験があります。最新の医学知識を分かりやすく一般向けに書くにはうってつけの人と言えるでしょう。 この本をとりあげる理由はもう一つあって、矢野真千子氏の日本語訳が素晴らしいことです。以前に、アランナ・コリン著「あなたの体は9割が細菌」を紹介したことがありましたが(No.307-308「人体の9割は細菌」)、この本も矢野氏の翻訳で、訳文が大変に優れていました。もちろん原書が論理的で明快な文章だからでしょうが、それにしても矢野氏…

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No.330 - ウイルスでがんを治療する

No.314「人体に380兆のウイルス」の最後の方に、東京大学医科学研究所の藤堂とうどう具紀ともき教授が開発した "ウイルスによるがん治療薬" が承認される見通しになったとのメディア記事を紹介しました(2021年6月11日に承認)。今回はその治療薬の話を詳しく紹介します。 承認の対象となったがんは、脳腫瘍の一種である悪性神経膠腫こうしゅで、条件・期限付き承認です。期限は7年で、7年後にそれまでの治療結果をもとに再度、承認の申請の必要があります。またすべての悪性神経膠腫の患者さんに使えるのではなく制限がかかっています(後述)。とはいえ、これは画期的な治療薬です。つまり、 ◆ ウイルス療法の治療薬が日本で初めて承認された。 ◆ 脳腫瘍を対象にしたウイルス療法薬が世界で初めて承認された。 ◆ 開発から製造までの全工程を日本で行った国産ウイルス療法薬である。 藤堂 具紀 「がん治療革命 ウイルスでがんを治す」 (文春新書 2021)という3つの点で画期的です。この治療薬の開発名は G47Δデルタで、WHOが決めた一般名称は「テセルバツレブ」、製品名は「デリタクト注」です("注" は注射薬の意味。製造する製薬会社は第一三共株式会社)。 ウイルス療法薬とは「がん細胞にのみ感染するウイルスを投与し、そのウイルスが次々とがん細胞に感染し破壊することでがんを治療する」というものです。どうしてそんなこと出来るのか、また、この薬による治療の承認対象…

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No.323 - 食物アレルギーの意外な予防法

過去に何回か書いた免疫関連疾患の話の続きです。まず以前の記事の振り返りですが、No.119/120「不在という伝染病」と No.225「手を洗いすぎてはいけない」をざっくりと一言で要約すると、 人間は微生物が豊富な環境でこそ健康的な生活を送れる となるでしょう。健康の反対、不健康の代表的なものが免疫関連疾患(自己免疫病とアレルギー)でした。そして、現代社会においては「微生物が豊富な環境」が無くなってきたからこそ(ますます無くなりつつあるので)"不健康" が増えるというのが大まかな要約です。次に、微生物の中でも腸内細菌に注目したのが No.307/308「人体の9割は細菌」でした。一言で要約すると、 腸内細菌の変調が21世紀病を引き起こす要因になる となります。21世紀病とは、19世紀末から20世紀にかけて増え始め、20世紀後半に激増し、21世紀にはすっかり定着してしまった病やまいです。免疫関連疾患、(BMIが30超のような)肥満、自閉症がその代表的なものでした。 以上は最新の生理学・医学の知識をベースにした本を紹介したものでしたが、もちろん展開されていた論の中には仮説もあり、今後検証が必要な事項もあります。 ところで、これらの共通事項は「免疫関連疾患」です。つまり人間に備わっている免疫の機構が関連している疾患です。免疫とは、 自己と非自己を区別し、非自己を排除したり、特定の非自己と共存する(ないしは特定の非自己を自己に取り込む)ためのしくみ です…

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No.320 - 健康維持には運動が必須

科学雑誌「日経サイエンス」の記事を紹介した、No.272「ヒトは運動をするように進化した」と、No.286「運動が記憶力を改善する」の続きで、"ヒトが健康を維持するためには運動が必須" というテーマです。 ふつう "運動" というと、ジムに通ってエクササイズをしたり、筋トレをしたり、またランニングやサイクリング、ウォーキングなどの「意識的に体や筋肉を動かすこと」を思い浮かべます。しかしここで言う運動とは、徒歩通勤も、都会の営業担当の人が電車と徒歩で顧客回りをするのも運動です。もちろん農業や建設労働など、かなりの "運動" が必要な職業もあります。運動というより「身体活動のすべて」と言った方がよいと思います。 まず No.272 と No.286 の復習をしますと、No.272「ヒトは運動をするように進化した」は進化人類学の視点からの解説で、狩猟・採集の生活を送ってきたヒトは「運動に適合した体に進化してきた」という話でした。これは大型類人猿と比較するとよく分かります。要約すると次の通りです。 ◆ 大型類人猿は日中の8~10時間を休憩とグルーミング、食事にあて、一晩に9~10時間の睡眠をとる。チンパンジーとボノボは1日に約3km歩くが、ゴリラとオランウータンの1日あたりの移動距離はもっと少ない。 ◆ つまり、大型類人猿は習慣的に身体活動度が低く、人間の基準からすると「怠け者」である。 ◆ それにもかかわらず大型類人猿は、たとえ飼育下であっても…

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No.317 - プラセボ効果とノセボ効果

No.302「ワクチン接種の推奨中止で4000人が死亡」に続いて、ワクチンや治療薬の副反応・副作用の話を続けます。No.302 で書いたことを要約すると以下でした。 ◆ ヒトパピローマウイルス(HPV, Human papilloma virus。papilloma = 乳頭腫)が引き起こす子宮頸癌で、世界で毎年およそ 27万人が死亡していた。 ◆ HPV感染を予防する「HPVワクチン」が開発され、日本ではグラクソ・スミスクラインが2009年12月から「サーバリックス」を、またMSD(米国の製薬大手、メルクの日本法人)が2011年8月から「ガーダシル」の販売を始めた。このワクチンは、日本では2013年4月に "定期接種化" された(=ある年齢がくれば公費で接種が受けられる)。 ◆ ところが定期接種化から2ヶ月後の2013年6月14日、厚生労働省は HPVワクチンの「積極的な接種勧奨の一時停止」を発表した。接種後に、けいれんする、歩けない、慢性の痛みがある、記憶力が落ちたといった、様々な症状を訴える人が相次いだからだった。 ◆ この "一時停止" は今も続いている(2020年末現在)。一方、HPVワクチンは承認されたままであり、公費による接種を受けることができる(=定期接種の対象)。 ◆ 厚生労働省は専門家を集め、子宮頸がんワクチンの安全性について様々な角度から検討した。そして2013年12月に、ワクチン接種後の症状は「…

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No.314 - 人体に380兆のウイルス

No.307-308「人体の9割は細菌」で、ヒトは体内や皮膚に棲む微生物と共存していることを書きました。これら微生物には、もちろんヒトに有害な事象を引き起こすものもありますが、ヒトの役に立ったり、ヒトの免疫機構を調整しているものもある。人体は微生物と共存することを前提に成り立っています。 No.307-308での "微生物" は、題名にあるように主に細菌でした。しかし忘れてはいけない微生物のジャンルはウイルスです。そして人体はウイルスとも共存しています。人体に共存する微生物の総体(=微生物叢そう)をマイクロバイオーム(Microbiome。厳密にはヒトマイクロバイオーム)と言いますが、ウイルスの総体(=ウイルス叢そう)をバイローム(Virome。ヒトバイローム)と言います。言葉がややこしいのですが、マイクロバイオームの一部としてバイロームがあると考えてよいでしょう。 ウイルスというと、病気を引き起こす "ヒトの敵" というイメージが強いわけです。新型コロナウイルスがまさにそうだし、No.302「ワクチン接種の推奨中止で4000人が死亡」でとりあげたのは、子宮頸癌を引き起こすヒトパピローマウイルス(HPV)とそのワクチンの話でした(HPV は他の癌の原因にもなりうる)。大きな社会問題にもなった肝炎を引き起こすウイルスがあるし、エイズもウイルスの感染で発症する病気です。もちろんインフルエンザもウイルスが原因です。 しかしウイルスの中にはヒトに "好ましい" 影響を与えるものもあります…

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No.308 - 人体の9割は細菌(2)生態系の保全

(前回から続く) アランナ・コリン 「あなたの体は9割が細菌」 (矢野真千子 訳。河出文庫 2020) 前回の No.307「人体の9割は細菌(1)」は、アランナ・コリン著「あなたの体は9割が細菌」(訳:矢野真千子。河出書房 2016。河出文庫 2020。原題 "10% Human"。以下「本書」と書きます)の紹介でした。この本は大きく分けて次の2つのことが書かれています。 ◆ 21世紀病 20世紀後半に激増して21世紀には当たり前になってしまった免疫関連疾患、自閉症、肥満などを、著者は「21世紀病」と呼んでいます。これと、ヒトと共生している微生物の関係を明らかにしています。 ◆ 生態系の保全 ヒトと微生物が共生する「人体生態系」を正常に維持するためは何をすべきか。またその逆で、人体生態系に対するリスクは何かを明らかにしています。 前回は「21世紀病」の部分の紹介でしたが、今回は「生態系の保全」の部分から「抗生物質」「自然出産と母乳」「食物繊維」の内容を紹介します。なお本書で「生態系の保全」という言い方をしているわけではありません。 抗生物質のリスク ペニシリンの発見(1928年)以降、抗生物質は人類に多大な恩恵を与えてきました。実は本書の著者も2005年、22歳のとき、マレーシアでコウモリの調査中に熱帯病に感染し、一時まともな生活が送れないようになりましたが、抗生物質による治療で回復しました。 しかし著者は、抗生物質の意義とメリ…

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No.307 - 人体の9割は細菌(1)21世紀病

このブログの過去の記事で、人体に共生している微生物(主として細菌)がヒトにとって重要な役割を果たしていることを、本や雑誌の内容をもとに書いてきました。 No.  70 - 自己と非自己の科学(2) No.119 -「不在」という伝染病(1) No.120 -「不在」という伝染病(2) No.225 - 手を洗いすぎてはいけない No.229 - 糖尿病の発症をウイルスが抑止する の5つの記事です。共生している微生物("常在菌" と総称される)が不在になったり、微生物の種類のバランスが崩れるとヒトは変調をきたします。上の記事は微生物と免疫との関連でしたが、この場合の変調とは免疫関連疾患(=アレルギーや自己免疫疾患)の発症です。 アランナ・コリン 著 矢野真千子 訳 「あなたの体は9割が細菌」 (河出文庫 2020) この、"人体は微生物との共生で成り立っている" ことを書いた別の本を紹介したいと思います。アランナ・コリン著「あなたの体は9割が細菌」(矢野真千子・訳。河出書房 2016。河出文庫 2020。原題 "10% Human"。以下「本書」と記述)です。この本は免疫関連疾患だけなく、ヒトと共生微生物の関係を幅広く取り上げています。そこポイントです。 著者のアランナ・コリンは進化生物学の博士号をもつ英国人で、専門はコウモリのエコロケーション(超音波による物体位置認識)です。また、サイエンス・ライターとしても活躍しています。 以下、…

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No.302 - ワクチン接種の推奨中止で4000人が死亡

デヴィッド・グライムス 「まどわされない思考」 (角川書店 2020) No.296「まどわされない思考」で、アイルランド出身の物理学者・科学ジャーナリストのデヴィッド・グライムス(以下 "著者" と記述)が書いた同名の本(角川書店 2020)の "さわり" を紹介しました。今回はその続きというか、補足です。 『まどわされない思考』(="本書")では、世界で広まる "反ワクチン運動" について書かれていました。WHOは2019年に初めて、全世界の健康に対する脅威のトップ10の中にワクチン接種への抵抗を入れたともあります。確かに "ワクチン接種に反対する運動" は、感染症の蔓延防止や病気の撲滅にとって大きな脅威です。 実は、No.296では省略したのですが『まどわされない思考』には日本のワクチン接種に関する状況が出てきます。それは「ヒトパピローマウイルス(HPV)」のワクチンで、今回はその話です。 ヒトパピローマウイルス(HPV) まず著者はヒトパピローマウイルス(HPV, Human papilloma virus。papilloma = 乳頭腫)と、それに対するワクチンについて次のように説明しています。以下の引用で下線は原文にありません。また段落を増やしたところがあります。 HPVの恐怖に人類ははるか昔からおびえつづけている。おそらく、人の本能一つ、性欲と関係していることもその一因だろう。HPVは性的な接触の際に伝染する。170を超えるウイルス株が知られて…

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No.286 - 運動が記憶力を改善する

No.272「ヒトは運動をするように進化した」の続きです。No.272 は、アメリカ・デューク大学のポンツァー准教授の「運動しなければならない進化上の理由」(日経サイエンス 2019年4月号)を紹介したものでした。この論文の結論を一言で言うと、 運動は自由選択ではなく、必須 ということです。人は、より健康に過ごすために運動(=身体活動)をするのではなく、普通の健康状態で過ごすためには運動が必要なのです。論文の中では、運動が人の生理機能に良い影響を与えることがいろいろと書かれていましたが、その中に次の文章がありました。 運動は神経新生と脳の成長を促す神経栄養分子の放出を引き起こす。また、記憶力を改善し、加齢による認知機能の低下を防ぐことでも知られている。 ハーマン・ポンツァー 「運動しなければならない進化上の理由」 (日経サイエンス 2019年4月号) 我々は、運動が身体に及ぼす良い影響というと暗黙に、呼吸器系・循環器系(心肺機能)、体脂肪や筋肉、関節や骨密度、免疫機能つまり病気に対する抵抗力などを考えます。ざっくりと言うと、我々が「体力」という言葉で考える範疇についての運動の好影響です。 「日経サイエンス」 (2020年5月号) それは全くその通りなのですが、忘れてならないのは「脳に対する運動の影響」です。それは既に常識のはずで、たとえば介護施設などでは認知症予防のために(軽い)身体活動をやっています。しかし、話は介護施設や高齢者にとどまりません。も…

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No.229 - 糖尿病の発症をウイルスが抑止する

今回は、No.225「手を洗いすぎてはいけない」と同じく、No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 をごく簡単に一言で要約すると、  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫疾患)のリスクが増大する ということでした。「衛生仮説」と呼ばれているものです。その No.119 の中に糖尿病のことがありました。今回はその糖尿病の話です。 糖尿病には「1型糖尿病」と「2型糖尿病」があります。我々がふつう糖尿病と呼ぶのは「2型糖尿病」のことで、肥満や過食といった生活習慣から発症するものです。もちろん、生活習慣から発症するといっても2型糖尿病になりやすい遺伝的体質があります。No.226「血糖と糖質制限」で書いた糖質制限は、もともと2型糖尿病を治療するためのものでした。 一方、「1型糖尿病」は遺伝で決まる自己免疫疾患です。幼少期から20歳以下の年齢で発症するので、小児糖尿病とか若年性糖尿病とも言われます。これは、膵臓すいぞうにある膵島すいとう(ランゲルハンス島)を攻撃する自己免疫細胞が体内で作られ、膵島のβ細胞で生成されるインスリンが作られにくくなり(あるいは作られなくなり)、血糖値が上昇したままになって糖尿病になるというタイプです。No.119 で、この「1型糖尿病」について次の意味のことを書きました。 ◆「1型糖尿病」は20世紀後半に激増した。 ◆「1型糖尿病」の発症…

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No.226 - 血糖と糖質制限

No.221「なぜ痩せられないのか」の続きです。No.221 で米国・タフツ大学の研究を紹介しました。食物のグリセミック指数(Glycemic Index。GI値)と肥満の関係です。GI値とは、その食物を摂取したときにどの程度血糖値(血液中のブドウ糖の濃度)が上昇するかという値で、直接ブドウ糖を摂取したときを 100 として指数化したものです。タフツ大学の研究結果は、 ◆高GI値の食物を摂取すると、その後に脳が空腹感を感じやすく、このことが原因となって過食になりやすい。 ◆被験者を集めて実験した結果、低GI値の食事メニューを半年間食べ続けると体重が平均8kg減り、脳が低GI値の食物により強く反応する(= 脳が欲ほっする)ようになった というものでした。この研究は、肥満(ないしはダイエット)と脳の働きの関係に注目しているのがポイントです。空腹感は人を生き延びさせる大切な脳の働きであり、ダイエットをするために空腹感と戦ってはダメです。そもそも空腹感が起きにくい(かつ健康的な)食事をすべきだということでした。 No.221 にも書いたのですが、「低GI値の食物 = 血糖値の上昇が少ない食物を食べてダイエットをする」というのは、いわゆる糖質制限と基本的には同じです。そこで今回は、血糖値と肥満の関係、糖質制限がなぜダイエットになるのかという基本的なところを振り返ってみたいと思います。こういった人間の体の微妙なメカニズムを理解することが、健康に生きるために大切なことだと思うからです。 …

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No.225 - 手を洗いすぎてはいけない

No.119-120「"不在" という伝染病」の続きです。No.119-120 ではモイゼス・ベラスケス = マノフ著「寄生虫なき病やまい」(原題を直訳すると「不在という伝染病」)の内容を紹介しました。ごく簡単に一言で要約すると、  人類が昔から共存してきた微生物(細菌や寄生虫)が少なくなると、免疫関連疾患(アレルギーや自己免疫病)のリスクが増大する ということでした。No.119 にも書いたのですが、実は上の主張を早くから公表し、警鐘を鳴らしていたのが藤田紘一郎こういちろう博士(東京医科歯科大学名誉教授)です。今回は、その藤田博士に敬意を表して、博士が最近出版された本を紹介したいと思います。「手を洗いすぎてはいけない - 超清潔志向が人類を滅ぼす - 」(光文社新書 2017。以下「本書」)です。以降、本書の内容の "さわり" を、感想とともに書きます。本書を一言で要約すると、  人は微生物が豊富な環境(体内と体外の環境)でこそ健康に生きられる となるでしょう。 人は常在菌と共生している 人体(腸や皮膚など)に住みつき、病原性を示さない細菌を「常在菌」と総称します。常在菌は食物の消化を助けたり、ビタミンを合成したり、免疫を活性化したり、病原菌の排除したり、皮膚を守ったりといった重要な働きをしています。つまり常在菌は人体と共生しています。本書では「人の90%は細菌」という試算が書かれています。どういうことかと言うと、 ◆常在菌の数は、腸…

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No.221 - なぜ痩せられないのか

No.178「野菜は毒だから体によい」で、なぜ野菜を食べると体に良いのかを書きました。野菜が体に良いのは各種のビタミンや繊維質、活性酸素を除去する抗酸化物質などが摂取できるからだと、我々は教えられます。それは全くその通りなのですが、No.178に書いたのは野菜には実は微量の毒素があり、それが人間の体の防衛反応を活性化させて健康につながるという話でした。微量毒素は "苦い" と感じるものが多く、ここから言えることは、苦みを消すような品種改良は "改良" ではなくて "改悪" だということです。 この話でも分かることは、人間の体の仕組みにはさまざまな側面があり、それを理解することが健康な生活に役立つということです。No.119-120「不在という伝染病」で書いたことですが「微生物に常に接する環境が人間の免疫機能の正常な働きを維持する」というのもその一例でしょう。 今回はそういった別の例を紹介します。肥満の原因、ないしは "なぜ痩やせられないのか" というテーマについての研究成果です。日本ではBMIが25以上で肥満とされていますが、肥満は糖尿病、高血圧、心臓病などの、いわゆる生活習慣病を誘発します。従ってダイエット方法やダイエット食に関する情報が世の中に溢れているし、ダイエット・ビジネスが一つの産業になっています。 なぜ肥満になるのか。その第1の原因は消費エネルギーが摂取エネルギーより小さいからです。その差がグリコーゲンとして肝臓に蓄えられ、また体の各所の細胞や脂肪細胞に蓄えられる。簡…

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No.184 - 脳の中のGPS

空間位置を把握する能力 今回はNo.50「絶対方位言語と里山」の続きです。No.50 で "絶対方位言語" を話す少数民族の話を書きました。要約すると、 ◆絶対方位言語とは、空間上の位置関係を示すのに、右・左・前・後というような「相対方位」の語彙がなく、東・西・南・北のような「絶対方位」を示す語彙だけをもつ言語である。たとえばオーストラリアのアボリジニにはそういう言語を話す種族がいる。 ◆絶対方位言語の話者は、たとえばテーブルの上のモノの位置関係を示すにも「コップの南東に皿がある」といった表現をする。 ◆絶対方位言語の話者は、方位や自分が現在いる位置の把握能力に優れており、たとえば次のようなことができる。 ・どの場所に来ても、東西南北の方位を正確に示せる。 ・家から離れたとろころ(数キロ~100キロ)に来ても、家の方向を正確に示せる。 ということでした。我々はこういう話を聞くと「絶対方位言語の話者は、相対方位の語彙がないために空間位置の認識能力が発達した。一方、(特に近距離において)相対方位を多用する我々は、そういった能力が発達しなかった。」と考えます。それが普通の考え方でしょう。 しかし No.50 の「補記」で紹介した、今井むつみ著「ことばと思考」(岩波新書。2010)には、次の主旨のことが書かれていました。 ◆「相対枠組みが主流の言語」の子どもが「左」と「右」という言葉を学習する時期は、モノの名前などに比べてかなり遅く、これらの言葉を間違えなく使…

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No.178 - 野菜は毒だから体によい

前回からの続きです。前回のNo.177「自己と非自己の科学:苦味受容体」で書いたことをまとめると、 ①苦味とは(本来は)危険のサインである。 ②舌で苦味を感じている「苦味受容体」は、実は体のあちこちに存在し、細菌を排除するためのセンサーとして働いている。 ③我々が往々にして「苦いが安全な飲物・食物」を摂取するのは「苦味受容体」を活性化させるためではないか。 ということでした。No.177は日経サイエンスの記事からの紹介なのですが、記事に書いてあったのは ① と ② であり、③ はあくまで個人的な感想です。しかしなぜ ③ を思ったのかというと「植物の毒素がヒトにプラスの効果をもたらす」ことを解説した別の記事を読んでいたからでした。今回はその話です。 野菜を食べる意味 世の中一般に「野菜を食べましょう」と推奨されています。野菜を食べることは体にいい、健康にいいと、多くの情報が各種メディアで発信されています。野菜不足を補うためのサプリメントや機能性食品も数多く発売されている。では、なぜ野菜が体にいいのでしょうか。 普通の答は、消化器系を活発にする食物繊維がとれるからであり、各種のビタミンや鉄分などの栄養素の摂取であり、また、活性酸素(フリーラジカル)を弱める抗酸化作用がある各種成分が含まれているからでしょう。そう考えるのが普通です。 しかし最近の研究で「野菜や果物を食べる」ことは、一般的に考えられている以上の効果があることが分かってきました。その効果こそ、…

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No.177 - 自己と非自己の科学:苦味受容体

ヒトの免疫についての記事の続きです。今までの記事でヒトの免疫について5回書きました。  No.69自己と非自己の科学(1)  No.70自己と非自己の科学(2)  No.119「不在」という伝染病(1)  No.120「不在」という伝染病(2)  No.122自己と非自己の科学:自然免疫 の5つです。No.69とNo.70は "獲得免疫"、No.122 は "自然免疫" の話です。また No.119-120 は免疫関連疾患と "微生物の不在" の関係でした。 獲得免疫は特定の "非自己"(細菌やウイルス)に特異的に反応する免疫系です。その発動には時間がかかりますが(数日程度)、免疫記憶が成立するので2度目に同じ "非自己" が進入しようとしたときには速やかに撃退します。つまり実質的に病気にかからなくなるわけです(ワクチンの原理)。 一方の自然免疫は、自然界に存在する "非自己" の一般的な特徴(RNAや細胞壁など)に反応するため、特定の非自己を狙い撃ちすることはできませんが、反応時間が短いという特徴がありました。速効性がある免疫系です。 ヒトの免疫系は、従来、これら獲得免疫と自然免疫だと考えられてきました。しかし最近の研究で、別種の「非自己排除システム」がヒトに備わっていることが見つかってきました。それは「第2の自然免疫」とでも言うべきもので、今回はその話です。 鼻や気道の防御システム ヒトが外界か…

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No.122 - 自己と非自己の科学:自然免疫

今まで4回にわたって、ヒトの「免疫」に関する話題を取り上げました。 No.69-70自己と非自己の科学 No.119-120「不在」という伝染病 (免疫関連疾患の話) です。これらの記事の意図は、免疫についての科学的知見が、我々の生活態度や社会での行動様式に何らかの示唆を与えるに違いないというものでした。 今回もその継続で、「自然免疫」についてです。今までは「獲得免疫」しか書いてないので、それだけではヒトの免疫システムの全貌を知ることはできません。以下、「新・現代免疫物語:抗体医薬と自然免疫の驚異」(岸本 忠三・中島 彰 著。講談社ブルーバックス 2009)と、「新しい自然免疫学」(審良 静男 監修・坂野上 淳 著。技術評論社 2010)の2冊をもとに、ヒトの自然免疫のしくみをまとめてみます。 「新・現代免疫物語」 岸本 忠三・中島 彰 著 講談社ブルーバックス 2009 「新しい自然免疫学」 審良 静男 監修・坂野上 淳 著 技術評論社 2010 自然免疫とは 我々がインフルエンザにかかったとき、39度を越えるような高熱になり、筋肉が痛み、関節が疼くという症状覚えます。この時点で体の中で起こっているの「自然免疫」による防御反応で、インフルエンザ・ウイルスという「非自己」を排除しようとします。獲得免疫が働き始めるのは感染後4~5日後からで、感染した特定種のインフルエンザを狙い撃ちする抗体やリンパ球が大量に増殖し、ウイルスを次々と無力化してい…

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No.121 - 結核はなぜ大流行したのか

“国民病” としての結核 No.119-120「不在という伝染病」の補足です。No.119-120では『寄生虫なき病』という本の要点を紹介したのですが「微生物の不在と免疫関連疾患の関係」に絞りました。以下の補足は「微生物の不在と病気の発症の関係」で、結核の話です。 No.75「結核と初キス」に、作家の故・渡辺淳一氏が札幌南高校時代に初めてのキスをした話を書きました(日本経済新聞「私の履歴書」より)。相手の女性が結核だと分かっていたので「怯おびえながらキスをした」という話です。1950年頃のことです。 このエピソードからも推察できるように、明治時代から昭和20年代まで、結核(肺病)は「国民病」と言われたほど広まっていました。昭和30年代後半(1960年代前半)でも、年間の発病者は30万人を越えていたほどです。結核の治療に有効な抗生物質、ストレプトマイシンが発見されたのは1944年(昭和19年)です。それまでは結核の有効な治療法はなく「不治の病」として恐れられました。多くの有名人が結核で命を落としています。文学者だけをとってみても、 正岡子規1867-1902(34歳)国木田独歩1871-1908(36歳)樋口一葉1872-1896(24歳)石川啄木1886-1912(26歳)梶井基次郎1901-1932(31歳)堀辰雄1904-1953(48歳) などがすぐに思いつきます。 特に堀辰雄は「結核で療養中の女性」と「私」が主人公の自伝的小説『風立ちぬ』を書きました。JR中…

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No.120 -「不在」という伝染病(2)

(前回より続く) モイゼス・ベラスケス=マノフ 『寄生虫なき病』(原書) 21世紀の免疫学の発見 21世紀の免疫学の発見は、免疫の発動を制御し抑制する細胞群が発見されたことです。この代表が、大阪大学の坂口教授が発見した制御性T細胞です。免疫を抑制する細胞群があることは20世紀の免疫学でも仮説としてはありました。しかし実験的に立証されたのは21世紀(1990年代後半以降)です。 制御性T細胞は、生後、外界からの微生物や寄生虫に接触することで発現します。かつ、腸内細菌が制御性T細胞の発現に関わっていることも分かってきました。この制御性T細胞がアレルギーの発症を抑制しているのです。 東京大学の新あたらし幸二博士、本田賢也博士の研究成果があります。両博士は、特定の腸内細菌をターゲットとする抗生物質を使って、特定種の腸内細菌を徐々に減らすという実験をマウスで行いました。この結果、 ・抗生物質のバンコマイシンで腸内細菌のクロストリジウム属を徐々に減らすと、 ・ある時点で制御性T細胞が急減し、 ・それがクローン病(炎症性腸疾患)の発症を招く ことを発見しました。クロストリジウム属を増やすと制御性T細胞は回復し、炎症も治まります。これは特定の腸内細菌が制御性T細胞の誘導(未分化のT細胞を制御性T細胞に変化させる)に重要な役割をもっていることを実証しています。なお、クロストリジウム属の話は、No.119「不在」という伝染病(1)の冒頭近くで引用した日経サイエンス 20…

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No.119 -「不在」という伝染病(1)

マイクロバイオーム(細菌叢そう) No.69-70「自己と非自己の科学」で、ヒトの「獲得免疫」のしくみについて書きました。獲得免疫は「自然免疫」に対比されるもので、「病原体などの抗原に対して、個々の抗原ごとに特異的に反応して排除するしくみ」を言います。その No.70「自己と非自己の科学(2)」の最後の方に、ヒトの「マイクロバイオーム」が免疫に重要な役割を果たしていることを紹介しました。 マイクロバイオームとは人間の消化器官や皮膚に住みついている細菌群(=常在菌)の総体を言う用語で、日本語では「細菌叢そう」です。No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した内容を要約すると次の通りです。 ◆人体に住みついている細菌は「常在菌」と言い、一時的に体内に進入して感染症を引き起こす「病原菌」とは区別される。常在菌は病原性を示さない。 ◆常在菌の住みかは、口腔、鼻腔、胃、小腸・大腸、皮膚、膣など全身に及ぶ。人体にはおおよそ 1015 個(1000兆個)の常在菌が生息し、この数はヒトの細胞数(約60兆個)の10倍以上になる。常在菌の種類は1000種前後と見積もられている。 ◆ヒトの消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトに存在する遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する。 ◆有益な微生物の代表例は、バクテロイデス・テタイオタオミクロンだ。炭水化物を分解する能力が非常に優れていて、多くの植物性食品に含まれる大きな多糖類を、ブドウ糖などの小さくて単純で消…

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No.70 - 自己と非自己の科学(2)

前回の、No.69「自己と非自己の科学(1)」に引き続き、故・多田富雄氏の2つの著作が描く免疫システムの紹介です。ここからは、私自身が多田氏の本を読んで強く印象に残った点、ないしは考えた点です。 多田富雄 『免疫の意味論』多田富雄 『免疫・自己と非自己の科学』 免疫システムの特徴 多田氏の2冊の著作が描く免疫システムを概観すると、それは幾つかの際だった特徴をもっていることに気づきます。免疫システムの特徴をキーワードで表すと以下のようになると思います。  自己組織化  免疫は、刻々変わる「自己」と「非自己」に対応してシステムのありようを変え、再組織化していきます。この「自己組織化」は、変化する環境に対応して「困難な」目標を達成するべく運命づけられたシステムの必然なのでしょう。  冗長性  前回の No.69「自己と非自己の科学(1)」の中の「免疫のプロセス」で、多田氏の本からそのまま引用してB細胞とT細胞が絡む免疫の過程を紹介しました。このプロセスは、かなり複雑でまわりくどく、また冗長だと感じられます。もっとシンプルにできないのか。 免疫学の歴史上有名な「クローン選択説」があります。オーストラリアのウイルス学者・バーネットが1957年代に出した免疫のしくみを説明する学説で、現代免疫学の根幹をなす重要な学説です。それをB細胞を念頭において模試的に描いたのが次の図です。 クローン選択説 (『免疫・自己と非自己の科学』より) …

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No.69 - 自己と非自己の科学(1)

理系学問からの思考 No.56「強い者は生き残れない」で、進化生物学者・吉村仁氏の同名の本(新潮選書 2009)の内容から、どういう生物が生き残ってきたかについての学問的知見を紹介しました。ここで以下のように書きました。 ふつう人間や社会を研究するのは文学、哲学、心理学、社会学、政治学、経済学などの、いわゆる文化系学問だと見なされています。それは正しいのですが、理科系の学問、特に生命科学の分野、物理学、数学などから得られた知見が、人間の生き方や社会のありかたに示唆を与えることがいろいろあると思うのです。 いわゆる「理系学問」の一つの大きな目標は、宇宙や生物を含む広い意味での「自然」の原理や成り立ちを探究することです。従ってそこで得られた知見はあくまで自然に関するものですが、しかしそれが人間社会のありかたに対する示唆となる場合があるはずだ・・・・・・。そういう問題意識が『強い者は生き残れない』という本を紹介した理由でした。 全く同じ考えで、別の本の内容を紹介したいと思います。今回も生命化学の一分野ですが、免疫学に関するものです。 多田富雄氏の2つの著作 免疫学について私が過去に読んだ本のなかで印象的だったのは、免疫学者である故・多田富雄氏の、 ◆免疫の意味論(青土社 1993)◆免疫・「自己」と「非自己」の科学(NHKブックス 2001) という2つの著作です。 多田富雄 『免疫の意味論』多田富雄 『免疫・自己と非自己の科学』 以下、この本の内容を…

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