No.377 - 私には恋人があるの
このブログでは「言葉の使い方が時とともに変化する」という視点の記事をいくつか書きました。多くは「語彙や意味の変化」に関するもので、
No.144 - 全然OK
No.145 - とても嬉しい
No.147 - 超、気持ちいい
No.362 - ボロクソほめられた
が相当します。ここでは、"全然"、"とても"、"超"、"めちゃ"、"ぼろくそ" などをとりあげました。それ以外に「文法の歴史的変遷」に関する記事もあって、
No.146「お粥なら食べれる」
です。この記事の中では "可能" を示す表現の変遷をたどりました。
我々は言葉によって考えています。その結果、言葉は人の認知能力に影響を与えます(No49, No.50, No.139, No.140, No.141, No.142, No.143)。また、風景や絵を見るときも、その全体や部分に言葉を割り当て、その言葉によっても記憶します。言葉は我々の認識・思考・発想・記憶を豊かにすると同時に、制約します。言葉には関心を持たざるを得ないのです。
今回は、そういった一連の記事の継続で、「文法の歴史的変遷」の例を取り上げます。
日本経済新聞の "春秋"
2024年8月11日の日本経済新聞の朝刊コラム "春秋" は、日本国語大辞典(小学館。1972年刊行開始)の改訂作業が始まるというテー…