No.377 - 私には恋人があるの

このブログでは「言葉の使い方が時とともに変化する」という視点の記事をいくつか書きました。多くは「語彙や意味の変化」に関するもので、   No.144 - 全然OK   No.145 - とても嬉しい   No.147 - 超、気持ちいい   No.362 - ボロクソほめられた が相当します。ここでは、"全然"、"とても"、"超"、"めちゃ"、"ぼろくそ" などをとりあげました。それ以外に「文法の歴史的変遷」に関する記事もあって、   No.146「お粥なら食べれる」 です。この記事の中では "可能" を示す表現の変遷をたどりました。 我々は言葉によって考えています。その結果、言葉は人の認知能力に影響を与えます(No49, No.50, No.139, No.140, No.141, No.142, No.143)。また、風景や絵を見るときも、その全体や部分に言葉を割り当て、その言葉によっても記憶します。言葉は我々の認識・思考・発想・記憶を豊かにすると同時に、制約します。言葉には関心を持たざるを得ないのです。 今回は、そういった一連の記事の継続で、「文法の歴史的変遷」の例を取り上げます。 日本経済新聞の "春秋" 2024年8月11日の日本経済新聞の朝刊コラム "春秋" は、日本国語大辞典(小学館。1972年刊行開始)の改訂作業が始まるというテー…

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No.364 - 言語の本質

No.344「算数文章題が解けない子どもたち」で、慶応義塾大学 環境情報学部教授の今井むつみ氏の同名の著作を紹介しました(著者は他に6名)。今回は、その今井氏が名古屋大学准教授の秋田喜美きみ氏(言語心理学者)と執筆した『言語の本質 - ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書 2023。以下、"本書")を是非紹介したいと思います。共同執筆ですが、全体の核の部分は今井氏によるようです。 今井むつみ 秋田喜美 「言語の本質」 (中公新書 2023) 言うまでもなく、言語は極めて複雑なシステムです。それを、全くのゼロ(=赤ちゃん)から始まってヒトはどのように習得していくのか。本書はそのプロセスの解明を通して、言語の本質に迫ろうとしています。それは明らかに「ヒトとは何か」に通じます。 "言語の本質" とか "言葉とは何か" は、過去100年以上、世界の言語学者、人類学者、心理学者などが追求してきたものです。本書はその "壮大な" テーマを扱った本です。大風呂敷を広げた題名と思えるし、しかも新書版で約280ページというコンパクトさです。大丈夫なのか、見かけ倒しにならないのか、と疑ってしまいます。 しかし実際に読んでみると「言語の本質」というタイトルに恥じない出来映えの本だと思いました。読む立場としても幾多の発見があり、また個々の論旨の納得性も高い。以下に、内容の "さわり" を紹介します。 AI研究者との対話 本書で展開されている著者の問題意識のきっかけが、今井氏によ…

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No.362 - ボロクソほめられた

先日の朝日新聞の「天声人語」で、以前に書いた記事、No.145「とても嬉しい」に関連した "言葉づかい" がテーマになっていました。今回は、No.145 の振り返りを含めて、その言葉づかいについて書きます。 「天声人語」:2023年 6月 11日 「天声人語」は例によって6段落の文章で、段落の区切りは▼で示されています。以下、段落の区切りを1行あけで引用します。 夕方のバス停でのこと。中学生らしき制服姿の女の子たちの会話が耳に入ってきた。「きのうさー、先生にさあ、ボロクソほめられちゃったんだ」。えっと驚いて振り向くと、楽しげな笑顔があった。若者が使う表現は何とも面白い。 「前髪の治安が悪い」「気分はアゲアゲ」。もっと奇妙な言い方も闊歩かっぽする昨今だ。多くの人が使えば、それが当たり前になっていく。「ボロクソ」は否定的な文脈で使うのだと、彼女らを諭すのはつまらない。言葉は生き物である。 大正の時代、芥川龍之介は『澄江堂ちょうこうどう雑記』に書いている。東京では「とても」という言葉は「とてもかなはない」などと否定形で使われてきた。だが、最近はどうしたことか。「とても安い」などと肯定文でも使われている、と。時が変われば、正しい日本語も変化する。 今どきの若者は、SNSの文章に句点を記さないとも聞いた。「。」を付けると冷たい感じがするらしい。元々、日本語に句読点がなかったのを思えば、こちらは先祖返りのような話か。 新しさ古さに関係なく、気をつけるべきは居心地の…

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No.324 - 役割語というバーチャル日本語

このブログの第1回目は、 No.1-2「千と千尋の神隠し」と「クラバート」 でした。宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』には、ドイツの作家・プロイスラーの小説『クラバート』に影響を受けた部分があるという話から始まって、『クラバート』のあらすじを紹介し、『千と千尋の神隠し』との関係を探ったものです。 その発端の『千と千尋の神隠し』ですが、最近の新聞に登場人物の言葉使いについての興味深い話題が載っていました。今回は是非ともそれを紹介したいと思います。 なお、以下に掲げる引用において下線は原文にはありません。また段落を増やしたところがあります。 役割語 キーワードは、大阪大学教授で日本語学者の金水きんすい敏さとし氏が提唱した概念である "役割語" です。役割語とは何か、朝日新聞の記事から引用します。 「千と千尋」セリフが作る世界観   キャラ印象づける「役割語」 「そうじゃ、わしが知っておるんじゃ」 「そうですわよ、わたくしが存じておりますわ」 こんな話し言葉を聴くと、私たちは自然に、おじいさんとお嬢様の姿を思い浮かべる。特定の人物像と結びついた特徴ある言葉遣いを、大阪大学大学院文学研究科の金水敏教授(65)は「役割語」と名付けた。役割語からアニメの世界を読み解くことで、見えてくるものとは。 金水さんは3年前から、「ジブリアニメのキャラクターと言語」と題した講義を始め、毎回200人以上の学生が受講している。講義では、…

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No.252 - Yes・Noと、はい・いいえ

言葉で認識し、言葉で思考する このブログで今まで日本語と英語(ないしは外国語)の対比について何回か書いてきました。今回もそのテーマなのですが、本題に入る前に以前に書いたことを振り返ってみたいと思います。なぜ日本語と英語を対比させるのかです。 人間は言葉で外界を認識し、言葉で考え、言葉で感情や意見を述べています。我々にとってその言葉は日本語なので、日本語の特徴とか特質によって外界の認識が影響を受け、思考の方法にも影響が及ぶことが容易に想像できます。 それは単に影響するというレベルに留まらず、日本語によって外界の認識が制限され、思考方法も暗黙の制約を受けると思います。どんな言語でもそうだと思うので仕方がないのですが、我々としては言葉による束縛から逃のがれて、なるべく制限や制約なしに認識し、思い込みを排して自由に考えたいし、発想したい。 それには暗黙に我々を "支配" している日本語の特徴とか特質や "くせ" を知っておく必要があります。知るためには日本語だけを考えていてはだめで、日本語以外のもの = 外国語と対比する必要があります。日本人にとって(私にとって)一番身近な外国語は英語なので、必然的に英語と対比することになります。 英語(ないしは外国語)との対比ということで過去のブログを振り返ってみますと、まず語彙レベルの話がありました。  蝶と蛾  No.49「蝶と蛾は別の昆虫か」で書いたのですが、日本語(と英語)では蝶と蛾を区別しますが、ドイツ語で…

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No.171 - 日本人向けの英語教育

前回の No.170「赤ちゃんはRとLを聞き分ける」を書いていて強く思ったことがあります。  赤ちゃんは誰でもRとLを聞き分ける能力があるが(6月齢~8月齢)、日本人の赤ちゃんは10月齢になるとその能力が低下する(もちろんアメリカ人の赤ちゃんは上昇する) と聞くと、なるほど日本人にとって英語の習得は難しいはずと再認識しました。その "象徴的な例" だと感じたのです。と同時に、だからこそ「日本人向けの英語の教育法」が大切だとも思いました。今回はその話です。 日本人は英語が苦手 学校で英語が必修になっているにもかかわらず、日本人で英語が苦手な人は多いわけです。中学から高校と、少なくとも6年間は英語を学んだはずなのに簡単な会話すらできない、これは英語教育に問題があると、昔からよく言われています。 これはその通りですが、英会話ができないのは当然の帰結でしょう。基礎的な会話ができることを目指すなら、会話が必要なシチュエーションをいろいろとあげ(たとえば自己紹介)、そこでの会話に必要な文型と単語を覚えていくべきですが、そういう教育や教科書、特にテストはあまりない感じがします。また、ホームルームの一部を英語でやるとか、ないしは一部の英語以外の授業を英語でやるといったことも必要だと思いますが、それもない。そもそも学校英語は(一部の私立を除いて)基礎的な会話ができるようになることを目指していないのだと思います。 では、学校英語に意味がないのかというと、そうでもない。No…

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No.170 - 赤ちゃんはRとLを聞き分ける

前回の No.169「10代の脳」では、日経サイエンス 2016年3月号の解説に従って、10代の脳が持つ特別な性質や働きを紹介しましたが、同じ号に "赤ちゃんの脳" の話が載っていました。『赤ちゃんの超言語力』と題した、ワシントン大学のパトリシア・クール教授の解説記事です。題名のように赤ちゃんが言葉を習得する能力についての話ですが、前回と同じく、脳の発達の話として大変興味深かったので紹介したいと思います。 赤ちゃんの言語習得 「あー、うー」としか言わなかった幼児が言葉を習得し、「まんま」とか言い出す。そして文らしきものをしゃべり出す・・・・・・。この過程は、よくよく考えてみると驚くべきことです。誰かが系統的に言葉を教え込んだのではないにもかかわらず、大人とのコミュニケーションが次第に可能になっていく。2歳とか3歳の幼児がいる親は、今まさにその現場に立ち会っているわけです。子育てに忙殺されて驚くどころではないと思いますが、第三者の目で客観的に眺めてみると、言葉の習得というのは驚くべき脳の発達です。 では、その赤ちゃんの言語能力はどういう風に発達するのか。日経サイエンスの記事『赤ちゃんの超言語力』には、まず次のように書いてあります。 誕生時の赤ちゃんは、世界の言語に800種類ほどある「音素」をすべて認識する能力がある。 パトリシア・クール教授 (ワシントン大学) 『赤ちゃんの超言語力』 (日経サイエンス 2016年3月号) 日経サイエンス 2016年3月号 …

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No.147 - 超、気持ちいい

No.144 / 145 / 146 に続き、日本語の話題を取り上げます。No.144「全然OK」で、朝日新聞(2015年4月7日)に掲載された「"全然OK" は言葉の乱れ」との主旨の投書を取り上げましたが、再び朝日新聞の投書欄からです。 "めっちゃ" と "超(ちょう)" 2015年5月17日の朝日新聞の投書欄に、以下のような投書が掲載されました。 日本語と方言の豊かさ知って 東京都・無職・76歳(男性) 若者を中心に「めっちゃ」「超」という言葉が使われています。同じ意味の言葉は、ほかにもこんなにあります。 とても。非常に。大変。大層。甚だ。すこぶる。うんと。大いに。それはそれは。何とも。めっぽう。とびきり。べらぼうに。無上の。えも言われぬ。4月1日の本誌朝刊「折々のことば」にも「涯はてない」という、すてきな言葉がありました。日本語は何と豊かなことか。 方言も宝物です。昔聞いた、みそ会社のコマーシャルも忘れられません。亡くなった歌手の淡谷のり子さんが「たいすたたまげた!」と言っていました。みそ汁の香りまで連想させます。 中学生、高校生のみなさん、使う言葉の幅を広げ、方言も仲間に加えてみてはいかがですか。 朝日新聞(2015.5.17) 実はこの投書の横には別の投書があって「"半端じゃない" を "ぱない" と言う若者言葉は略しすぎで、言葉の乱れ」という主旨の、14歳の少女(福岡県・中学生)の投書が載っていました。言葉遣いに関心がある人は年齢を問…

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No.146 - お粥なら食べれる

前回の No.145「とても嬉しい」で、丸谷才一・山崎正和の両氏の対談本『日本語の21世紀のために』から「とても」と「全然」の使い方を取り上げました。この本では "有名な"「見れる」「来れる」という言葉遣いについても話題にしています。「とても」「全然」は個々の単語の問題ですが、「見れる」「来れる」に代表される、いわゆる "ラ抜き言葉" は、動詞の可能形をどう表現するかという日本語の根幹に関わっているので重要です。 丸谷才一・山崎正和 「日本語の21世紀のために」 (文春新書) 「・・・・・・ することが出来る」という "可能" の意味で、 来られる見られる食べられる と言わずに、 来れる見れる食べれる とするのが、俗に言う "ラ抜き言葉" です。文法用語で言うと「来る」はカ行変格活用動詞、「見る」は上一段活用動詞、「食べる」は下一段活用動詞ということになります。 "ラ抜き言葉" が日本語の乱れか、そうでないのか、今でもまだ議論があると思います。これについて丸谷才一氏は次のように語っています。 丸谷才一 僕は「来れる」は使いませんね。「来られる」「来られない」でやっています。「見れる」も使わない。ただしこれは「見られる」とは言わずに「見ることができる」「──できない」と言っている気がします。 僕はしかし、自分では使わないけれども、「見れる」「来れる」を使うからといって、それを咎めたり、非難したりする気はないんですよ。いや、昔は非難したかな ? 丸谷…

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No.145 - とても嬉しい

前回の No.144「全然OK」を書いていて、ある本の一節を思い出しました。丸谷才一氏と山崎正和氏の対談本です。 日本語の21世紀のために 作家・評論家の丸谷まるや才一氏(1925-2012。大正14-平成24年)と評論家・劇作家の山崎正和氏(1934- 。昭和9年-)が、日本語をテーマに対談した本があります。『日本語の21世紀のために』(文春新書 2002)です。この本に「全然」と関係した一節がありました。引用してみます。 山崎正和 私の父方の祖母は、落合直文などと一緒に若い頃短歌をつくっていたという、いささか文学少女だった年寄りでした。私が子供のころ「とても」を肯定的に使ったら、それはいけないって非常に叱られた。なるほどと感心しました。しかし、もういま「とても」を肯定的に使う人を私は批判できませんよ。それほど圧倒的になっているでしょう。 丸谷才一 そうですね 山崎正和 そうするとね、たとえば「全然」はどうでしょう。若い人で「全然いい」とか、「全然平気」というふうに使う人がいますね。これには私は抵抗があります。抵抗はあるけど、それじゃお前は「とても」を肯定的に使っているではないかと言われると、たしかにたじろぎますね。 丸谷才一 ぼくは「とても」はなるべく否定のときに使うようにしてるけれども、「とても」を肯定的に使うと具合がいいときがあるんですよ。「非常に」ではうまくいかないときがやっぱりありますね。 丸谷才一・山崎正和 『日本語の21世紀の…

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No.144 - 全然OK

No.139-143 の5回連続で「言葉(日本語)」をテーマに書いたのですが、今回もそれを続けます。今までに書いたのは「言葉が人間の思考と行動に影響を与える」という観点でしたが(No.49, 50, 139, 140, 141, 142, 143)、今回は視点を変えて「言葉の使い方が時とともに変化する」という視点です。その例として、最近の新聞の投書欄に載った「全然」という言葉の使い方を取り上げます。 「全然OK」の表現はOK? 約1ヶ月前の、2015年4月7日の朝日新聞の投書欄に、以下のような投書が掲載されました。 「全然OK」の表現はOKなの? 会社員(新潟県 49歳 男性) このごろ気になる言葉がある。「全然」である。この全然という言葉の使い方が、多様化しているのだ。 本来なら、全然のあとには否定する言葉が続くはずだ。「全然おもしろくない」「全然おいしくない」などだ。 ところが、「全然、大丈夫」「全然、平気」などと、肯定する使い方をしている人がいる。「あの映画、全然おもしろかった」「この料理、全然おいしい」などと、何のためらいもない。極めつきは「全然OK」だろう。 言葉は、時代によって変化するものだということは分かる。しかし、「全然、良い」などと言われると、条件反射のように「おやっ、変だな」と思ってしまう。私の感覚は、現代では通用しないのだろうか。「言葉遣いの乱れは文化の乱れ」などと言ったところで、意味はないのだろうか。 朝日新聞(2015.4…

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No.143 - 日本語による科学(2)

(前回より続く)分類学は分類の科学である(ドーキンス) 英語の "高級語彙" は普通の人には分かりにくい(前回参照)という事情から、英米の科学者が一般向けに書いた本の日本語訳を読んでいると、ときどき「あれっ」と思う表現に出会うことがあります。 リチャード・ドーキンス(1941 - )は英国の進化生物学者・動物行動学者で、世界的に大変著名な方です。特に、著書である『利己的な遺伝子』(1976)はベストセラーになりました。これは巧みな比喩を駆使して現代の進化学を概説した本です。その続編の一つが『ブラインド・ウォッチメーカー』(1986)ですが、この本の中に次のような一節が出てきます。 分類学タクソノミーは分類の科学である。ある人々にとっては、分類学はどうにもならぬくらい退屈だという評判であったり、ほこりっぽい博物館や保存液の匂いを思わず連想させたりするものであり、ほとんど剥製術タクシダーミーと混同されているかのようだ。だが、実際には、決して退屈どころではない。 リチャード・ドーキンス 中嶋康裕・他訳 『ブラインド・ウォッチメーカー』第10章 (早川書房 1993) 「分類学は分類の科学である」とは、分かりきったことを言う奇妙な文章です。しかし原文に当たってみるとその理由が分かります。 Taxonomy is the science of classification. Richard Dawkins "The Blind Watchmak…

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No.142 - 日本語による科学(1)

いままでに、言語が人の思考方法や思考の内容に影響を与えるというテーマで何回か書きました。 ◆ No. 49 - 蝶と蛾は別の昆虫か ◆ No. 50 - 絶対方位言語と里山 ◆ No.139 - 「雪国」が描いた情景 ◆ No.140 - 自動詞と他動詞(1) ◆ No.141 - 自動詞と他動詞(2) の5つです。今回もその継続で、科学の研究と日本語の関係がテーマです。なお以下の文章は、  松尾義之『日本語の科学が世界を変える』 筑摩書房(筑摩選書)2015 を参考にした部分があり、この本からの引用もあります。著者の松尾氏は『日経サイエンス』副編集長、日本経済新聞出版局編集委員、『ネイチャー・ダイジェスト』編集長などを勤めた科学ジャーナリストです。以下で『前掲書』とは、この松尾氏の本のことです。 益川敏英 博士 益川敏英 2008年12月7日、スウェーデン王立科学アカデミーにて (Wikipedia) 科学ということで、ノーベル物理学賞の話から始めます。ノーベル物理学賞と言えば、2014年に日本の赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏が青色LEDの開発で受賞したことが記憶に新しいところです。しかしその6年前にも日本の3氏が受賞しました。2008年に素粒子研究で受賞した南部陽一郎・小林誠・益川敏英の3氏です。これも日本人の記憶にまだ残っているのではないでしょうか(中村、南部の両氏の受賞時の国籍はアメリカ)。 この2008年のノ…

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No.141 - 自動詞と他動詞(2)

(前回から続く) 前回の No.140「自動詞と他動詞(1)」において、次の主旨を書きました。 ①日本語は同じ語幹を有する自動詞・他動詞のペア(対・つい)が極めて豊富に揃っていて、日常よく使う動詞を広範囲に網羅している。 ②日本語のネイティブ・スピーカーはこの動詞のペアをごく自然に、無意識に使い分けていて、表現したい意味内容を変え、また言葉に微妙なニュアンスを与えている。 ③このことが日本語の話者の思考方法や思考内容にまで影響している 前回は ① だけで終わり、言葉の使い分けや思考方法への影響まで話が進まなかったので、今回はそれを中心に書きます。いわば本題です。 対ついになる自動詞と他動詞の使い分け 前回の「対になる自動詞と他動詞の分類」に従って、その使い分けを見たいと思います。前回、自動詞は「自然の流れとしてそうなる・そうなった」という意味合いであり、他動詞は「人為的に、意志的にそうなった」という意味だとしました。この「自然」と「人為」の使い分けがテーマです。 もちろん日本語のネイティブ・スピーカーなら誰でも使い分けができるので、言わば「分かりきった」ことなのですが、日頃は無意識に言葉を使っていることも多いので改めて振り返ってみる意味があると思います。ただしこの種の言葉の使い分けは人それぞれの言語感覚によって差異がでてくることは当然です。以下はあくまで典型的と思われる例です。前回に引き続いて、以下のローマ字は動詞の連用形の語尾です。 決まる(自動…

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No.140 - 自動詞と他動詞(1)

前回の No.139「雪国が描いた情景」に続いて、言葉がヒトの思考に与えている影響の話です。前回、英語を比較対照の「鏡」として日本語を考えましたが、今回も英語にまつわる経験から始めます。 聞き取れなかった車内アナウンス いつだったか忘れたのですが、東京を中心とするJRの車内アナウンスで英語での案内が始まりました。次の駅をアナウンスすると同時に、乗り換えが案内されます。たとえば次の駅で山手線に乗り換えてくださいというケースだと、  Please change here for Yamanote line. というアナウンスです。 実はこのアナウンスが始まったとき、here という単語が聞き取れませんでした。中学校で習うような基本的な英単語です。二・三回アナウンスを聞いてから、そうだ here だ、と分かったのですが、自分の英語のリスニング能力に疑問符がついたようで、軽いショックを受けたものです。それで記憶に残っています。 なぜ極めてベーシックな単語が(当初)分からなかったのか、それを考えてみると「電車を乗り換える」という英語表現を  Please change trains for Yamanote line.  ないしは Please change trains here for Yamanote line. という形で記憶していて、change のあとには trains もしくはそれ相当の目的語が続くものだ…

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No.139 - 「雪国」が描いた情景

以前に「言語が人間の認知能力に深く影響する」というテーマで書いた記事がありました。 ◆No.49 - 蝶と蛾は別の昆虫か ◆No.50 - 絶対方位言語と里山 の二つです。今回はその継続です。 少し振り返ってみると、No.49「蝶と蛾は別の昆虫か」では、蝶と蛾を言葉で区別しないフランス語(パピヨン=鱗翅類)とドイツ語(シュメッタリンク=鱗翅類)を取り上げ、  日本人で「蝶は好きだが蛾は嫌い」という人が多いのは、蝶と蛾を言葉で区別するからであり、フランス語やドイツ語のように言葉で区別しなければ、昼間の蝶と夕暮れ時の蛾を両方とも好きになるのではないか。一方が好きで一方が嫌いという「概念」がそもそも思い浮かばないはず。 という主旨の「仮説」を書きました。その傍証としたのはドイツ人が書いた『蝶の生活』という本の序文で、そこでは蝶と蛾をごっちゃにして「愛すべきものたち」と書かれているのでした。 またNo.50「絶対方位言語と里山」では、世界には相対方位(右・左・前・後など)がなく絶対方位(東・西・南・北など)だけの言語があり、そのような言語を話す人々は空間認知力が優れ、デッド・レコニング能力(= 見知らぬ土地につれて行かれても絶対方位が分かり、自宅の方向が分かる能力)があることを紹介しました。 さらに「里山」という言葉が発明されたからこそ「里山を守ろう」という運動が起きたわけです。言葉がなくても里山が古来からの人々の生活と自然生態系に重要な役割を果たして…

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No.50 - 絶対方位言語と里山

(前回から続く) 前回のNo.49「蝶と蛾は別の昆虫か」では、蝶と蛾を例にとって言葉が人間の世界認識に影響するということを言ったのですが、一歩進んで、言葉が人の認知能力にも影響し、さらには人の行動にまで影響するということが、学問的に究明されつつあります。あらためて整理すると、 人は言語で世界を切り取って認識している。言語は、その人の世界認識に影響を及ぼしている。さらに、人の認知能力に影響を及ぼし、また行動にも影響する。 ということなのです。この端的な例が「絶対方位言語」です。 絶対方位言語 日経サイエンス 2011年5月号に「言語で変わる思考」という記事が掲載されていました。これは米国スタンフォード大学で認知心理学を研究しているボロディツキー助教授が書いたものです。この中に「絶対方位言語」の興味深い例があります。 人間の言葉には、方向や方角、位置関係を示す言葉がいくつかあります。まず「左」と「右」ですが、これは「相対方位」です。「私」を基準にとると、自分の視線の方向を基準にして心臓のある方向を「左」、反対側を「右」と言っているわけです。どの場所が左でどの場所が右かは、基準のとりかたによって変わります。相手を基準にする場合、混乱を避けるために「あなたから見て、向かって右」という風に丁寧に言ったりしますね。つまり「左」「右」はある基準からみた「相対方位」です。「前」や「後」も同じです。 これに対して「東・西・南・北」は(この地球上で生活している限りは)基準の取りかたに…

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No.49 - 蝶と蛾は別の昆虫か

今回は言葉についての話です。No.18「ブルーの世界」の冒頭で、日本語における「青・あお」について書きました。補足も加えて整理すると、次のようなことです。 ◆日本語ではグリーンからブルーにかけての幅広い色を「あお」と表現してきた歴史と文化がある。特に、グリーンを「あお」という例は、青葉、青野菜、青物(市場)、青信号、青竹、青汁、青蛙、青田(買い)、青虫、青唐辛子、青海苔、青麦、青葱、青いリンゴ、など、いろいろある。 ◆東山魁夷画伯が風景画に使った、いわゆる「ヒガシヤマ・ブルー」は、グリーンからブルーにかけての幅広い色を「ブルー」で表現している。特に、現実には緑(ないしは暗い緑)に見える風景をブルー系統の色で描いた絵があるが、それに全く違和感がないのは、日本語の「あお」という言葉の伝統による(のではないか)。 東山魁夷 「夕静寂」(1974) (長野県信濃美術館) 人間は言葉で外界を認識します。外界の事物について、名前があるのかないのか、あるとしたらその詳細度合いはどうか、どういうカテゴリーで名前付けされているのかが人の認識に影響します。特に色は「連続変化量」なので名前付けは千差万別であり、外界の認識方法が端的に現れるものです。 人は言語で世界を切り取って認識している。言語は、その人の世界認識に影響を及ぼしている。 とうことをさらに考えてみよう、というのが今回のテーマです。 フランス語では蝶と蛾を区別しない No.17「ニーベルングの指環(見る音楽)」において…

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