No.340 - 中島みゆきの詩(20)キツネ狩りの歌

今回は「中島みゆきの詩」シリーズの続きですが、No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」の中で一部を引用した《キツネ狩りの歌》を取り上げます。この詩は、数ある中島作品の中でも最も "不思議な" というか、解釈にとまどう詩の一つだと思うからです。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 キツネ狩りの歌 《キツネ狩りの歌》は、7作目のオリジナルアルバム「生きていてもいいですか」(1980)第3曲として収録されている楽曲で、その詩は次のようです。 《キツネ狩りの歌》 キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら ねぇ空は晴れた風はおあつらえ あとは君のその腕次第 もしも見事射とめたら 君は今夜の英雄 さあ走れ夢を走れ キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら、ね キツネ狩りにゆくなら酒の仕度も忘れず 見事手柄たてたら乾杯もしたくなる ねぇ空は晴れた風はおあつらえ 仲間たちとグラスあけたら そいつの顔を見てみろ 妙に耳が長くないか 妙にひげは長くないか キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ グラスあげているのがキツネだったりするから 君と駆けた君の仲間は 君の弓で倒れてたりするから キツネ狩りにゆくなら 気をつけておゆきよ キツネ狩りは素敵さ ただ生き…

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No.334 - 中島みゆきの詩(19)店の名はライフ

No.328「中島みゆきの詩(18)LADY JANE」で書いたように、《LADY JANE》(アルバム「組曲」2015) という曲は下北沢に実在するジャズ・バーがモデルでした。これで思い出すのが、No.328 にも書いたのですが、《店の名はライフ》(1977)です。2つの楽曲には 38年の時間差があるのですが「実在の店がモデル」で「屋号がタイトル」いう点でよく似ています。今回はその《店の名はライフ》の詩について書きます。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 店の名はライフ 「店の名はライフ」は、3作目のオリジナル・アルバム「あ・り・が・と・う」(1977)に収められている作品で、次のような詩です。 《店の名はライフ》 店の名はライフ 自転車屋のとなり どんなに酔っても たどりつける 店の名はライフ 自転車屋のとなり どんなに酔っても たどりつける 最終電車を 逃したと言っては たむろする 一文無したち 店の名はライフ 自転車屋のとなり どんなに酔っても たどりつける 店の名はライフ おかみさんと娘 母娘で よく似て 見事な胸 店の名はライフ おかみさんと娘 母娘で よく似て 見事な胸 娘のおかげで 今日も新しいアルバイト 辛過ぎるカレー みようみまね 店の名はライフ おかみさんと娘 母娘で よく似て 見事な胸 店の名はライフ 三階は屋根裏 あやしげな運命…

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No.328 - 中島みゆきの詩(18)LADY JANE

No.321「燻製とローリング・ストーンズ」で、「美の壷 File550:煙の魔法 燻製」(NHK BSプレミアム。2021年9月10日)で BGM として使われたローリング・ストーンズの楽曲のことを書き、その一つの "Lady Jane" の歌詞と日本語訳を掲げました。 この "Lady Jane" で連想するのが、下北沢にあるジャズ・バー「LADY JANE」です。このジャズ・バーは、今は亡き松田優作さんが通い詰めたことで知られ(優作さんがキープしたボトルがまだあるらしい)、現在も多くのミュージシャンや演劇・映画関係者に愛されている店です。俳優の桃井かおりさん、六角精児さん、写真家の荒木経惟のぶよし(アラーキー)さんもこの店の常連だそうです。 この店の「LADY JANE」という屋号はローリング・ストーンズと関係があるのでしょうか。 店のオーナーは音楽プロデューサーの大木雄高さんという方ですが、大木さんの「音曲祝祭行」というブログにそのことが書いてあります(http://bigtory.jp/shukusai/shukusai12.html)。以下に引用します。原文の漢数字を算用数字に改めました。 1975年の年明け、「レディ・ジェーン」というジャズバーを、僕はつくった。デューク、サイドワインダー、サムシンなど、最後まで残ったジャズにまつわる店名候補を退けて、レディ・ジェーンを選んだ。この名は、3月に来日予定の“世界遺産”のロックバンド「ローリング・ストーンズ」の、…

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No.300 - 中島みゆきの詩(17)EAST ASIA

No.298「中島みゆきの詩(16)ここではないどこか」は、1992年のアルバム『EAST ASIA』に収録された《此処じゃない何処かへ》のことでした。その No.298 最後に、このアルバムの冒頭の曲でアルバムのタイトルにもなっている《EAST ASIA》について、最重要の曲のはずだから別途書くとしました。今回はその話です。 『EAST ASIA』(1992年)1. EAST ASIA 2. やばい恋 3. 浅い眠り 4. 萩野原 5. 誕生 6. 此処じゃない何処かへ(No.298) 7. 妹じゃあるまいし 8. ニ隻の舟 9. 糸 中島みゆき 「EAST ASIA」(1992) なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 EAST ASIA 中島みゆきさんの 《EAST ASIA》は次のような詩です。全文を引用します。 《EAST ASIA》 降りしきる雨は霞み 地平は空まで 旅人一人歩いてゆく 星をたずねて どこにでも住む鳩のように 地を這いながら 誰とでもきっと合わせて 生きてゆくことができる でも心は誰のもの 心はあの人のもの 大きな力に いつも従わされても 私の心は笑っている こんな力だけで心まで 縛れはしない くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに む…

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No.298 - 中島みゆきの詩(16)ここではないどこか

No.35「中島みゆき:時代」から始まって16回書いた "中島みゆきの詩" シリーズですが、今回は絵画の話から始めます。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 モネとマティス ── もうひとつの楽園 箱根のポーラ美術館で2020年4月末から半年間、ある展覧会が開催されました。 モネとマティス もうひとつの楽園 (2020年4月23日 ~ 11月3日) と題した展覧会です。ポーラ美術館のサイトにはこの展覧会の概要が次のように説明してありました。 19世紀から20世紀にかけて、急速な近代化や度重なる戦争といった混乱した社会状況のなか、「ここではないどこか」への憧れが、文学や美術のなかに表れます。なかでもクロード・モネ(1840-1926)とアンリ・マティス(1869-1954)は、庭や室内の空間を自らの思うままに構成し、現実世界のなかに「楽園」を創り出した点において、深く通じ合う芸術家であると言えます。 モネは19世紀末、近代化するパリを離れ、ジヴェルニーに終の住処を構えます。邸宅の庭で植物を育て、池を造成し、理想の庭を造りあげたモネは、そこに日々暮らしながら、睡蓮を主題とした連作を制作しました。一方、南仏に居を構えたマティスもまた、テキスタイルや調度品を自在に組み合わせ、室内を演劇の舞台さながらに飾り立てて描きました。こうしたモティーフは、南仏の光とともにマティスのアトリエと作品を彩っ…

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No.228 - 中島みゆきの詩(15)ピアニシモ

前回の No.227「中島みゆきの詩(14)世情」を書いていて思い出した詩があるので、引き続き中島作品について書きます。《世情》という詩の重要なキーワードは "シュプレヒコール" でした。実はこの "シュプレヒコール" という言葉を使った中島さんの詩がもう一つだけあります。《世情》の34年後に発表されたアルバム『常夜灯』(2012)の第2曲である《ピアニシモ》です。 《世情》のほかに "シュプレヒコール" を使ったのは《ピアニシモ》だけというのは絶対の確信があるわけではありません。ただ CD として発売された曲は全部聴いているつもりなので、これしかないと思います。中島さんは詩に使う言葉を "厳選する" のが普通です。あまり歌詩には使わないような言葉ならなおさらです。34年後に "シュプレヒコール" を再び使ったのは、そこに何らかの意味があると考えられます。その意味も含めて詩の感想を書きます。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 ピアニシモ アルバム『常夜灯』の第2曲である《ピアニシモ》は、次のような詩です。 《ピアニシモ》 あらん限りの大声を張りあげて 赤ん坊の私はわめいていた 大きな声を張りあげることで 大人のあいだに入れると思った 大人の人たちの声よりも 男の人たちの声よりも 機械たちや車の音よりも ずっと大きな声を出そうとした だって歴史たちが示している シュ…

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No.227 - 中島みゆきの詩(14)世情

今年の正月のテレビ番組を思い出したので書きます。No.32 でも書いたテレビ朝日系列の「芸能人格付けチェック」(2018年1月1日 放映)のことで、今年久しぶりに見ました。No.32 で書いたのは、この番組の本質です。それは、  問題出題者は、高級品・高級食材に人々が抱いている暗黙の思いこみを利用して回答者を "引っかけ" ようとする。回答者は思いこみを排し、問題にどんな "罠" が仕掛けられているのかを推測して正解にたどり着こうとする。 としました。もちろんここで言う回答者とは「番組の本質が分かっている回答者」であり、そういう回答者ばかりでないのは見ていて良く分かります。そして、久しぶりに見て改めて感じたのは、番組の "フォーマット" の良さです。つまり、  回答者を順に Aの部屋とBの部屋に入れ、互いをモニターできるようにし、かつ視聴者は2つの部屋をモニターでき、最後は司会者が正解の部屋の扉を開けることによって正解者が驚喜するという、このテレビ番組のフォーマットが素晴らしい のです。このフォーマットがなければ全くつまらない番組になるでしょう。これを発明した人はすごいと思います。日本のテレビ番組のフォーマットは海外に輸出した実績がありますが(料理の鉄人など)、この番組も売れるのではないでしょうか。 今年の「芸能人格付けチェック」はGACKTチームとしてYOSHIKIさんが出演していました。GACKTさんは例によって全問正解で連勝記録を伸ばしていま…

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No.213 - 中島みゆきの詩(13)鶺鴒(せきれい)と倒木

前回の No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」では、India Goose(= インド雁がん)という詩にちなんで "鳥" が出てくる中島みゆきさんの楽曲を振り返りました。これはオリジナル・アルバムとして発表された作品の範囲であり、また、漏れがあるかも知れません。 実は前回、鳥が出てくる中島さんの楽曲で意図的にはずしたものがありました。2011年に発表された38作目のアルバム『荒野より』に収められた《鶺鴒(せきれい)》という曲です。今回はその曲をテーマにします。まず題名になっている鶺鴒せきれいという鳥についてです。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 セキレイ(鶺鴒) セキレイ(鶺鴒)はスズメより少し大型の、日本で普通に見られる鳥です。自宅近くの県立公園でも見かけます(セグロセキレイ)。街中でも見かけることがある。鳴き声はスズメをちょと長くした "チュ~ン" というような感じです。ピンと伸びた細長い長方形の尾が特徴で、この尾をしばしば上下に振る習性があります。それが地面をたたくようにも見える。セキレイのことを英語で Wagtail と言いますが、wag は振る、tail は尻尾で、セキレイの習性を言っています。 "鶺鴒" とは難しい漢字ですが「角川 大字源」によると、"鶺" は "たたく"(=拓、啄)、"鴒" は "打つ" の意味だとあります。地面をたたく・打つように長い尾を上下さ…

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No.212 - 中島みゆきの詩(12)India Goose

前々回の No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」では恐竜から鳥への進化に関する最新の研究成果を紹介しました。その中で、鳥は恐竜から引き継いだ "貫流式" の肺をもっていて、極めて効率的に酸素を吸収できることを書きました。その証拠に、ヒマラヤ山脈を越えて渡りをする鳥さえあります。そして全くの余談として、中島みゆきさんがヒマラヤ山脈を越える "インド雁" をモチーフにして作った曲《India Goose》に触れました。 「恐竜から鳥への進化」と「中島みゆき」は何の関係もないのですが、このブログでは過去に12回、中島みゆきの詩について書いているので、思わず余談を書いたわけです。そこで《India Goose》という詩についてです。 なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 インド雁 まず India Goose とは何かですが、そのまま訳すと "インドの雁がん、ないしは鵞鳥" で、これは「インド雁(学名 Anser Indicus)」という鳥のことです。学名の Anser は雁、Indicus は "インドの" という意味なので、英訳すると India Goose になります。ただし英語ではインド雁のことを "Bar-headed goose" と言います。名前のごとく頭に黒い縞(=bar)があるのが特徴で、他の雁とはすぐに見分けられます。 インド雁 (Wikipedia) インド雁はモンゴル高原が繁殖地で…

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No.208 - 中島みゆきの詩(11)ひまわり

今までに中島みゆきさんの詩について11回、書きました。次の記事です。 No.  35 - 中島みゆき「時代」 No.  64 - 中島みゆきの詩( 1)自立する言葉 No.  65 - 中島みゆきの詩( 2)愛を語る言葉 No.  66 - 中島みゆきの詩( 3)別れと出会い No.  67 - 中島みゆきの詩( 4)社会と人間 No.  68 - 中島みゆきの詩( 5)人生・歌手・時代 No.130 - 中島みゆきの詩( 6)メディアと黙示録 No.153 - 中島みゆきの詩( 7)樋口一葉 No.168 - 中島みゆきの詩( 8)春なのに No.179 - 中島みゆきの詩( 9)春の出会い No.185 - 中島みゆきの詩(10)ホームにて 今回はその続きで《ひまわり“SUNWARD”》を取り上げます。なぜかと言うと、前回の No.207「大陸を渡った農作物」で、アメリカ大陸原産で世界に広まった農作物として向日葵ひまわりに触れたため、この曲…

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No.185 - 中島みゆきの詩(10)ホームにて

No.35「中島みゆき:時代」から始まって、No.179「中島みゆきの詩(9)春の出会い」まで、中島みゆきさんの詩をテーマに10回書きました。今回はその続きです。 中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 定点写真 「怒り新党」というテレビ朝日の番組があります(水曜日 23:15~)。例の、マツコさんと有吉さんと青山アナウンサー(以前は夏目アナ)のトーク番組です。2016年8月3日に放映されたこの番組の中での「新三大〇〇調査会」はちょっと感動的な内容でした。 テーマは「新三大 写真家・富岡畦草けいそうの次世代に託したい定点写真」です。富岡畦草さんは大正15年(1926)生まれで、現在90歳です。人事院に勤めたこともあるカメラマンで、現在も写真を撮っています。そのライフワークは「定点写真」です。つまり富岡さんは昭和33年(1958年)から半世紀以上ものあいだ、決まった場所で決まったアングルで写真(フィルム写真)を撮り続けています。しかもこの定点写真を次世代に託したいということで、娘の三智子さんと孫の碧美たまみさんも加え、今は3人で撮っています。番組で紹介された定点写真は次の3つでした。 ◆銀座4丁目交差点 ◆新橋駅前広場 ◆家族写真(銀座中央通りで) 素晴らしいと思いました。銀座4丁目交差点は北の方向を見て撮っているのですが、半世紀の移り変わりが手にとるようにわかります。改装中の三越では命綱なしのとび職人…

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No.179 - 中島みゆきの詩(9)春の出会い

今回は、No.168「中島みゆきの詩(8)春なのに」の続きです。No.168では中島みゆき作詞・作曲の、  春なのに柏原芳恵への提供曲(1983)  少年たちのように三田寛子への提供曲(1986) をとりあげました。2曲とも "春の別れ" をテーマとした詩です。そのときに別の中島作品を連想したのですが、今回はそれを書きます。2曲とは全く対照的な "春の出会い" をテーマとする曲、  ふたりはアルバム『夜を往け』1990 です。 ふたりは 「ふたりは」は、1990年に発売されたアルバム『夜を往け』に収録されている曲です。また、その年の暮れの第2回目の「夜会」で最後に歌われました。その詩を引用すると以下の通りです。 《ふたりは》 「ごらんよ あれがつまり遊び女めって奴さ 声をかけてみなよ すぐについて来るぜ 掃除が必要なのさ この街はいつでも 人並みに生きていく働き者たちの ためにあるのだから」 街を歩けば人がみんな振り返る そんな望みを夢みたことなかったかしら子供の頃 街じゅうにある街灯に私あたしのポスター 小さな子でさえ私のこと知っていて呼びかけるの 「バ・イ・タ」 「ごらんよ子供たちよ ああなっちゃ終わりさ 奔放な暮らしの末路を見るがいい 近づくんじゃないよ 病気かもしれない 耳を貸すんじゃない 呪いをかけられるよ」 緑為す春の夜に 私は ひとりぽっちさまよってた 愛だ…

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No.168 - 中島みゆきの詩(8)春なのに

今までに「中島みゆきの詩」について8回書きましたが(No.35, No.64, No.65, No.66, No.67, No.68, No.130, No.153)、その続編です。 2016年2月23日(火)にTBSで放映された「マツコの知らない世界」では "卒業ソング" が特集されていました。ここに柏原芳恵かしわばらよしえさんがサプライズ登場し、『春なのに』(1983)を歌いました。マツコさんは柏原さんに「変わらない」「相変わらず素敵な胸で」と言っていましたね。確かに50歳(1965年生まれ)にしてはお美しい姿で、マツコさんの発言も分かります。失礼ながら、歌は現役時代のほうがうまいと思いました。高音が少し出にくく微妙な音程だった気がします。しかしそれはやむを得ないというものでしょう。 この「柏原芳恵・サプライズ登場」を見て思ったのは、テレビ局の(テレビ業界の)"番組制作力" はあなどれないということでした。もちろん視聴者の中には、卒業ソング特集だったはずが、途中から柏原芳恵特集になってしまう、この「強引さ」に違和感や反発を覚えた人がいたでしょう。だけど話は全く逆では?と想像します。はじめから柏原芳恵特集として企画されたのでは、と思うのですね。そのポイントは、 ・放送日の2月23日は皇太子殿下の誕生日であり ・殿下が若い時には柏原芳恵ファンだった という点です。Wikipedia情報によると皇太子殿下は、皇太子になる以前の浩宮の時代に柏原芳恵さんのリサイタルにお忍びで行…

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No.153 - 中島みゆきの詩(7)樋口一葉

今までに、中島みゆきの詩に関して7つの記事を書きました。 No.  35 - 中島みゆき「時代」 No.  64 - 中島みゆきの詩( 1)自立する言葉 No.  65 - 中島みゆきの詩( 2)愛を語る言葉 No.  66 - 中島みゆきの詩( 3)別れと出会い No.  67 - 中島みゆきの詩( 4)社会と人間 No.  68 - 中島みゆきの詩( 5)人生・歌手・時代 No.130 - 中島みゆきの詩( 6)メディアと黙示録 の7つですが、今回はその続きです。 日本文学からの引用 No.68「中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代」で、《重き荷を負いて》(A2006『ララバイSINGER』)という曲の題名は、徳川家康の遺訓である「人の一生は、重き荷を負いて遠き道を行くがごとし」を連想させると書きました。あくまで連想に過ぎないのですが、こういう連想が働くのも、中島作品には日本の歴史や文化に根ざした詩がいろいろあるからで、たとえば、 《新曾根崎心中》 『夜を往け』1990 《萩野原》 『EAST ASIA』1992 《雨月の使者》 『時…

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No.130 - 中島みゆきの詩(6)メディアと黙示録

No.64~68 は「中島みゆきの詩」と題して、中島みゆきさんが35年に渡って書いた詩(の一部。約70編)を振り返りました。その中の No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」では、現代社会に対するメッセージと考えられる詩や、社会と個人の関わりについての詩を取り上げました。今回はその続きです。 最近、内田樹たつる氏の「街場の共同体論」(潮出版社 2014)を読んでいたときに、中島さんの「社会に関わった詩」を強く思い出す文章があったので、そのことを書きます。 内田 樹・著「街場の共同体論」は、家族論、地域共同体論、教育論、コミュミケーション論、師弟論などの「人と人との結びつき」のありかたについて、あれこれと論じたものです。主張の多くは内田さんの今までのブログや著作で述べられていることなのですが、「共同体 = 人と人との結びつき」に絞って概観されていて、その意味ではよくまとまった本だと思いました。この中に「階層社会」について論じた部分があります。 階層社会の本質 「階層社会」という言葉をどうとらえるかは難しいのですが、ここではごくアバウトに、  単一の、あるいは数少ない "ものさし"で測定される「格差」があり、その格差が「固定的」である社会 という風に考えておきます。人の格差を測定する"ものさし"とは、その人の「年収」や、もっと曖昧には「社会的地位」であり、固定的とは、階層上位のものは(あるいは集団は)ずっと上位にとどまり、それは世代を越えて続く傾向にあるこ…

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No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代

人生について No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《永久欠番》です。 《永久欠番》 ・・・・・・人生について No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《永久欠番》です。 《永久欠番》 ・・・・・・ どんな記念碑メモリアルも 雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を 100億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙そらの掌てのひらの中 人は永久欠番 宇宙そらの掌てのひらの中 人は永久欠番 A1991『歌でしか言えない』 A1991『歌でしか 言えない』人間の一人一人の「かけがえのなさ」が、非常に直接的な言葉で詩の最後の部分(と題名)に表現されています。 《永久欠番》のような曲を聞くと詩だけを引用することの限界を強く感じます。上に引用したのは最後の部分ですが、全体の構成(詩の大意と時…

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No.67 - 中島みゆきの詩(4)社会と人間

社会を見つめる A1978『愛していると 云ってくれ』中島さんの作品には、現代社会についてのメッセージや、現代人の生き方に対する発言と考えられる一連の詩があります。それは決して多いというわけではないけれど、中島さんのキャリアの初期から現在に至るまで一貫しています。こういった「社会に対するメッセージ性のある詩」を書き続けているシンガー・ソングライターは(今となっては)少ないのではと思います。 「デビュー」して3年目(26歳)に作られた《世情》という作品。 《世情》 世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする 変わらないものを 何かにたとえて その度 崩れちゃ そいつのせいにする シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて 時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため ・・・・・・ A1978『愛していると云ってくれ』 中島さんと同時代に10代後半から20代前半を過ごした人にとっては、この詩のもつ意味は非常によくわかると思います。「意味」だけでなく「体温」や「肌触り」を共有できると感じる人は多いのではないでしょうか。 しかしそういった1960-70年代だけでなく、今から振り返ってみてもこの詩のもつ普遍性は明らかでしょう。「時の流れをとめて夢を見たがる者」と「時の流れの中に夢を見たがる者」の戦いは1960-70年代以降も続いてきたし、今のこの日本でも現在進行形だからです。 …

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No.66 - 中島みゆきの詩(3)別れと出会い

失恋と別れ 中島さんの詩における失恋や別れに関係した歌は、No.65「中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉」で「報われない愛」として引用した以外にも多数あります。つまり、 A1976『私の声が聞こえますか』 ・愛の終わり ・離れていく心 ・失恋、そして別れ ・別れた恋人への強い思い などがテーマの詩です。それは中島さんのキャリアの初期から一貫しています。 その彼女のキャリアの最初のアルバム『私の声が聞こえますか』(1976)の《踊り明かそう》は、題名だけからすると「マイ・フェア・レディ」の有名な曲を連想させますが、詩の内容は全く違います。 《踊り明かそう》 さあ指笛を吹き鳴らし 陽気な歌を思い出せ 心の憂さを吹き飛ばす 笑い声を聞かせておくれ 上りの汽車が出る時刻 名残の汽笛が鳴る あたし一人 ここに残して あの人が逃げてゆく ・・・・・・ A1976『私の声が聞こえますか』 この最初のアルバム以降も、愛の終わり・別れの詩はたくさんあります。個人的な印象で主な作品を年代順にピックアップすると、 《ほうせんか》S1978『おもいで河 / ほうせんか』《わかれうた》A1978『愛していると云ってくれ』《根雪》A1979『親愛なる者へ』《あばよ》A1979『おかえりなさい』《かなしみ笑い》S1980『かなしみ笑い / 霧に走る』《ひとり》A1984『はじめまして』《つめたい別れ》S1985『つめたい別れ / ショウ・タイム』《…

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No.65 - 中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉

No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」の続きで、本題である中島さんの「詩」の特徴と思える点について書きます。中島さんは30年以上に渡って500を超える多数の作品を作っているので、とても全部を「概観」するようなことは出来ません。以下はその一部を眺めてみるに過ぎないことを断っておきます。対象はCDとして発売された曲に限定します。 よく言われるように、中島作品には失恋の歌が多いのですが、まずこれについてです。 報むくわれない愛 中島さんの書く失恋の詩には一つの傾向があります。「報われない愛」とでも言うべきテーマの作品が多いことです。つまり これだけ私(女)はあなた(男)を愛しているのに、 ・あなたの態度は曖昧・あなたは本気ではない・あなたは友達だとしか思っていない  ・あなたは私から離れていく・あなたは別の女性を愛している・あなたは私を嫌っている という言い方で語られる失恋 です。これに伴って「私」の「深いあきらめ」や「絶望感」が語られる。それは「自己嫌悪」にもつながる。時には男に「懇願」することもあるが、反対に「恨み言」や「恨みそのもの」にも転化する。それは男に対してだけでなく「恋敵」にも及ぶことがある・・・・・・。そういった心理がないまぜになった「報われない愛、または、報われなかった愛」です。 No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用した詩の朗読 「元気ですか」 が、まさに「報われない愛」の詩でした。この中に出てくる「いやな私です…

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No.64 - 中島みゆきの詩(1)自立する言葉

No.35「中島みゆき・時代」に続いて「中島みゆきの詩」を取り上げます。今回は特定の曲ではなく、楽曲全体に関わることです。私は評論家ではないので詩の内容についての深いコメントはできないのですが、中島さんの詩が「どういう特徴や特質を持っているか」に絞って書いてみたいと思います。なお、歌詞は歌として歌われることが前提ですが、その言葉だけに注目して鑑賞する場合に「詩」と言うことにします。 No.35「中島みゆき・時代」において、朝日新聞社が『中島みゆき歌集』を3冊も出版していることに触れて、 歌は最低限「 詞 + 曲 」で成り立つので、詩だけを取り出して議論するのは本来の姿ではないとは思うのですが、中島さんの曲を聞くと、どうしても詩(詞)を取り上げたくなります。朝日新聞社の(おそらく)コアな「みゆきファン」の人が、周囲の(おそらく)冷ややかな目をものともせずに歌集(詩集)を出した気持ちも分かります。 中島みゆき全歌集Ⅱ (朝日新聞社 1998)と書きました。 確かに、曲として歌われる「詞」の言葉だけに注目し「詩」として鑑賞したりコメントしたりすることの妥当性が問題になるでしょう。あまり意味がないという意見もあると思います。特に「夜会」のために作られた曲となると、本来は劇の一部なので話は複雑です。 しかし、こと中島作品に限って言うと、彼女はそのキャリアの初期から「私は言葉を大変重要視する」と暗黙に宣言していると思うのです。その点が「詩」として鑑賞する大きな「よりどころ」です。そ…

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No.35 - 中島みゆき「時代」

No.15「ニーベルングの指環 (2) 」において 「循環」をテーマにした音楽作品というと、すぐに中島みゆきさんの名曲「時代」を思い浮かべる と書きました。その「時代」についてです。 中島みゆきさんがデビューしたのは35年以上も前ですが、もちろん現役のシンガー・ソングライターであり、「夜会」の活動や小説やエッセイの執筆にみられるように、シンガー・ソングライターの枠を越えたアーティストとして活躍しています。「夜会」において中島さんは、プロデューサ + 演出家 + 脚本家 + 作詞家 + 作曲家 + 俳優 + 歌手、という一人七役ぶりです。 彼女が広く知られるようになったのは、1975年10月の第10回ポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)で「時代」を歌ってグランプリを受賞してからでした。同年11月の第6回世界歌謡祭でも「時代」はグランプリを受賞しています。彼女はその年の9月に最初のシングル「アザミ嬢のララバイ」を出しているので、こちらがデビュー曲ということになりますが、実質的なデビューはポプコン・世界歌謡祭での「時代」と考えてよいと思います。 「時代」の詩(詞) 中島みゆき全歌集Ⅱ (朝日新聞社 1998)中島さんの歌は詩(詞)だけを取り上げられて語られることが多いですね。そういうニーズや傾向からか、またファンの強い要望からか、天下の朝日新聞社は過去に「中島みゆき歌集」を3冊も出しています。朝日新聞社出版部にはコアな「みゆきファン」がいたようです。 歌は最低…

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