No.375 - 定住生活の起源

No.232「定住生活という革命」の続きです。最近の新聞に日本列島における定住の起源に関する記事があったので、No.232 に関係した話として以下に書きます。 変わりゆく考古学の常識 2024年8月7日の朝日新聞(夕刊)に、  定住の兆し 旧石器時代に  変わりゆく考古学の常識 との見出しの記事が掲載されました。これは、東京大学大学院の森先もりさき一貴かずき准教授が2024年度の浜田青陵賞(考古学の顕著な業績に贈られる賞。第36回)を受賞されたのを機に、記者が森先准教授に取材した記事です。見出しの通り、新しい発見によって考古学の従来の常識がどんどん書き換えられている、との主旨の記事です。 ちなみに見出しの「旧石器時代」ですが、日本列島に現生人類(ホモ・サピエンス)がやってきたのが約4万年前で、そこから縄文時代が始まる約1万6千年前までを世界の先史時代の区分に合わせて「旧石器時代」と呼んでいます。「旧石器」は打製石器、「新石器」は磨製石器の意味ですが、日本では縄文時代以前にも磨製石器があったので、石器の種類での時代区分はできません。 新たな発見や研究の深まりで通説が塗りかわるのもこの世界の常だ。たとえば縄文時代の到来を象徴する土器はかつて、1万年ほど前に最終氷期が幕を閉じて環境の変化とともに出現したとされてきた。ところが近年、土器の誕生は1万6千年ぼど前にさかのぼり、氷期に食い込む。かつての常識はもはや通用しない。 同様に「定住…

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No.374 - マイノリティは過小評価される

No.347「少なくともひとりは火曜日生まれの女の子」は、偶然の出来事が起こる "確率" を考えることは人間にとって難しい、というテーマでした。イギリスの著名な数学者、イアン・スチュアートは次のように書いています。 確率に対する人間の直感は絶望的だ。偶然の出来事が起こる確率をすばやく推定するように促されると、たいていはまったく間違った答えを出す。プロの賭博師や数学者のように鍛錬を積めば改善はできるが、時間も労力も必要だ。何かが起こる確率を即断しなければならないとき、私たちの答えは誤っていることが多い。 イアン・スチュアート   「不確実性を飼いならす」 (徳田 功・訳。白揚社 2021) スチュアートの本には次のような設問が載っていました。前提として、女の子と男の子は等しい確率で生まれてくるとします。また、赤ちゃんが生まれる曜日は、日・月・火・水・木・金・土、で同じ確率とします。 ① スミス夫妻には2人の子どもがいます。2人とも女の子である確率はどれだけですか。 ② スミス夫妻には2人の子どもがいて、少なくとも一人は女の子です。2人とも女の子である確率はどれだけですか。 ③ スミス夫妻には2人の子どもがいて、少なくとも一人は火曜日生まれの女の子です。2人とも女の子である確率はどれだけですか。 ① の正解は \(\tfrac{1}{4}=0.25\) ですが、\(\tfrac{1}{3}\…

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No.361 - 寄生生物が宿主を改変する

今まで、寄生生物が宿主(=寄生する相手)を操あやつるというテーマに関連した記事を書きました。 No.348「蚊の嗅覚は超高性能」 No.350「寄生生物が行動をあやつる」 No.352「トキソプラズマが行動をあやつる」 の3つです。最初の No.348「蚊の嗅覚は超高性能」を要約すると、 ◆ 蚊がヒトを感知する仕組みは距離によって4種あり、その感度は極めて鋭敏である。 10メートル程度 : ヒトの呼気中の二酸化炭素 3~4メートル : ヒトの臭い 1メートル程度 : ヒトの熱 最終的に : ヒトの皮膚(色で判断) ◆ ある種のウイルスは、ネズミに感染すると一部のたんぱく質の働きを弱める。それによってアセトフェノンを作る微生物が皮膚で増え、この臭いが多くの蚊を呼び寄せる(中国・清華大学の研究)。 でした。また No.350「寄生生物が行動をあやつる」は、次のようにまとめられます。 ◆ ハリガネムシは、カマキリに感染するとその行動を改変し、それによってカマキリは、深い水辺に反射した光の中に含まれる「水平偏光」に引き寄せられて水に飛び込む。ハリガネムシは水の中でカマキリの体から出て行き、そこで卵を生む。 ◆ トキソプラズマに感染したオオカミはリスクを冒す傾向が強く、群のリーダーになりやすい。 ◆ トキソプラズマに感染…

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No.350 - 寄生生物が行動をあやつる

No.348、No.349 に続いて寄生の話です。No.348「蚊の嗅覚は超高性能」では、 ある種のウイルスは、宿主(= ウイルスが感染している生物)を、蚊の嗅覚に感知されやすいように変化させ、蚊の媒介によるウイルスの拡散が起こりやすくしている との主旨を書きました。ウイルスの生き残り(ないしはコピーの拡散)戦略は誠に巧妙です。また、No.349「蜂殺し遺伝子」は、 ウイルスが芋虫に感染すると、その芋虫は寄生バチの卵や幼虫を死滅させるタンパク質を生成し、これによってハチに寄生される確率が下がる。このタンパク質を生成する「蜂殺し遺伝子」はウイルスがもたらす との主旨でした。ウイルスにとって寄生パチは宿主(=芋虫)をめぐる競争相手です。従って競争相手を排除する仕組みを発達させたのです。 こういったウイルス、もっと広くとらえると「寄生体」は、この2例のように宿主の "体質" を変えることがあり、さらにそれだけでなく、宿主の行動をコントロールするケースがあることが知られています。そのような「宿主の行動を操あやつる寄生体」として、カマキリにの寄生するハリガネムシの例を紹介します。ハリガネムシ(針金虫)とは、その名のとおり針金のような形の虫で、カマキリをはじめとする各種の昆虫に寄生します。 最強ハンター カマキリ 2022年11月7日のNHK BSプレミアムの番組、ワイルドライフ「鳥を襲う最強ハンター カマキリ 究極の技」で、驚きの映像が2つ紹介されました。一つは、カ…

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No.349 - 蜂殺し遺伝子

前回の No.348「蚊の嗅覚は超高性能」で、 ある種のウイルスは、宿主(= ウイルスが感染している生物)を "蚊の嗅覚に感知されやすいように" 変化させ、蚊の媒介によるウイルスの拡散が起こりやすくしている との主旨を書きました。ウイルスの生き残り(ないしはコピーの拡散)戦略は誠に巧妙です。 これは、2022年9月17日の日本経済新聞の記事から紹介したものですが、その1年ほど前の日経新聞にも「ウイルスの巧妙な戦略」の記事があったことを思い出しました。今回はその内容を紹介します。 ウイルスの脅威、競合相手にも 「感染者」横取り阻む 日本経済新聞(2021年8日22日) と題した記事です。以下の引用は、日経デジタル(2021年8月21日 2:00)からです。 補食寄生 まず、この記事の前提は「補食寄生」です。ほとんどの寄生者は宿主(= 寄生する相手)と共存しますが、補食寄生とは最終的に宿主を殺してしまう寄生です。 エメラルドゴキブリバチの成虫(Wikipedia) 蜂の仲間には補食寄生を行う種が多々ありますが、最も "高度な" 寄生者として「エメラルドゴキブリバチ」が知られています。多くの補食寄生者は特定の1種の昆虫を宿主とします。エメラルドゴキブリバチの宿主は、ゴキブリの1種のワモンゴキブリ(輪紋ゴキブリ)です。日経サイエンス 2021年7月号の記事「エメラルドゴキブリバチは3度毒針を刺す」(K.C.カタニア:バンダービルト大学・米 テネシー州)…

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No.348 - 蚊の嗅覚は超高性能

今まで何回か生物の "共生" について書きました。たとえば、 No.105「鳥と人間の共生」 では、アフリカのサバンナにすむノドグロミツオシエという鳥が動物を蜂の巣へ誘導する行動が、かつてアフリカにいた絶滅人類との共生関係で成立したのではないかとする、ハーバード大学のランガム教授の仮説を紹介しました。また、 No.307「人体の9割は細菌(1)21世紀病」 No.308「人体の9割は細菌(2)生態系の保全」 では、人体に住む常在菌(特に腸内細菌)が、人体に数々のメリットを与えていることをみました。 生物界における共生、ないしは依存関係で最も知られているのは、植物と昆虫の関係でしょう。植物は昆虫によって受粉・交配し、昆虫は蜜などを得る(=栄養として子孫を残すことに役立つ)という関係です。植物は昆虫にきてもらう為にいろんな手を尽くします。 オーストラリアに自生するある種のランは、特定の蜂のメスに擬態し、その蜂のオスが間違えて交尾にやってくると、可動する雄蕊おしべで花粉を蜂の背中につけるものがあります。こうなると、ランが蜂を「利用している」という印象になりますが、進化のプロセスが作り出したしくみは誠に奥深いというか、非常に巧妙だと思わざるを得ません。 ところで最近、植物と昆虫の関係に似た話が日本経済新聞に載っていました。それは「ウイルス」と、ウイルスを動物間で媒介する「蚊」の関係です。ちょっと信じがたいような内容だったので、それを紹介したいと思います。中国の清華大学のチームの…

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No.345 - "恐怖" による生態系の復活

No.126-127「捕食者なき世界」の続きです。No.126-127は、生態系における捕食者の重要性を、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著「捕食者なき世界」(文春文庫 2014)に沿って紹介したものでした。 生態系において捕食者(例えば肉食獣)が、乱獲などの何らかの原因で不在になると、被捕食者(例えば草食動物)が増え過ぎ、そのことによって植物相が減少する。最悪の場合は草食動物もかえって数が減って生態系の荒廃が起こり得る。このようなことが、豊富な実例とともに示されていました。 生態系における「捕食・被捕食」の関係は、動植物の種が複雑に絡み合うネットワークを形成していて、そのネットワークには「不在になると他の種に連鎖的な影響を及ぼす種」(= キーストーン種。キーストーンは "要石かなめいし" の意味)があります。食物連鎖の頂点に位置する肉食獣は代表的なキーストーン種なのでした。 ところで、最近の NHK BS1 のドキュメンタリーで、人的要因によって激変してしまった生態系を、捕食者の再導入によって元に戻そうとするプロジェクトが放映されました。その番組は、 NHK BS1 BS世界のドキュメンタリー (2022年8月9日 15:00~15:45) 「"恐怖" でよみがえる野生の王国」 (Nature's Fear Factor)  制作:Tangled Bank Studios(米国 2020) です。今回はこの番組の概要を紹介します。日本語題名に「"恐…

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No.344 - 算数文章題が解けない子どもたち

No.234「教科書が読めない子どもたち」は、国立情報学研究所の新井紀子教授が中心になって実施した「全国読解力調査」(対象は中学・高校生)を紹介したものでした。 この調査の経緯ですが、新井教授は日本数学会の教育委員長として、大学1年生を対象に「大学生数学基本調査」を実施しました。というのも、大学に勤める数学系の教員の多くが、入学してくる学生の学力低下を肌で感じていたからです。この数学基本調査で浮かび上がったのは、そもそも「誤答する学生の多くは問題文の意味を理解できていないのでは」という疑問だったのです。 そこで本格的に子どもたちの読解力を調べたのが「全国読解力調査」でした。その結果は No.234 に概要を紹介した通りです。 ところで最近、小学生の学力の実態を詳細に調べた本が出版されました。慶応義塾大学 環境情報学部教授の今井むつみ氏(他6名)の「算数文章題が解けない子どもたち ── ことば・思考の力と学力不振」(岩波書店 2022年6月)です(以下「本書」と記述)。新井教授の本とよく似た(文法構造が全く同じの)題名ですが、触発されたのかもしれません。 今井むつみ・他6名 著 「算数文章題が解けない子どもたち」 (岩波書店 2022年6月) 新井教授は数学者ですが、本書の今井教授は心理学者であり、認知科学(特に言語の発達)や教育心理学が専門です。いわば、読解力を含む「学力」とは何かを研究するプロフェッショナルです。そのテーマは「算数文章題」で、対象は小学3年生…

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No.326 - 統計データの落とし穴

個人や社会における意志決定においては「確かな数値データにもとづく判断」が重要なことは言うまでもありません。しかしデータの質が悪かったり判断に誤りが忍び込むことで、正しい議論や決定や行動ができないことが往々にしてあります。「誤ったデータ、誤った解釈」というわけです。このブログでは何回か記事を書きました。分類してまとめると次の通りです。  社会調査における欺瞞  No.81「2人に1人が買春」 No.83「社会調査のウソ(1)」 No.84「社会調査のウソ(2)」 アンケートやデータ収集による社会調査には、データの信頼度が無かったり、解釈が誤っている事例が多々あります。一例として、回収率が低いアンケート(たとえば30%以下)は全く信用できません。  "食" に関する誤り  No. 92「コーヒーは健康に悪い?」 No.290「科学が暴く "食べてはいけない" の嘘」 "食" に関する言説には、根拠となる確かなデータ(=エビデンス)がないものが多い。「・・・・・・ が健康に良い」と「・・・・・・ は健康に悪い」の2つのパターンがありますが、その「健康に悪い」に誤りが多いことを指摘したのが、No.92、No.290 でした。  相関関係は因果関係ではない  No.223「因果関係を見極める」 データの解釈に関する典型的な誤りは「相関関係」を「因果関係」と誤解するものです。これは No.83、No.8…

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No.296 - まどわされない思考

このブログでは、我々の思考を誤らせる要因について何回か書きました。まず No.148「最適者の到来」と No.149「我々は直感に裏切られる」では、日常生活とは全くかけ離れた巨大な数は想像できないので、直感があてにならず、誤った判断をしてしまう例を書きました。組み合わせの数とか、分子の数とか、カジノにおけるゲーム(賭け)の勝率などです。No.293「"自由で機会均等" が格差を生む」も、膨大な回数の繰り返しが我々の直感に全く反する結果を招く例でしょう。 また、No.83-84「社会調査のウソ」では、現代において数限りなく実施されている社会調査は、その調査方法が杜撰だったり推定方法が誤っていると実態とはかけ離れた結論になることを見ました。この「社会調査のウソ」の一つが "偽りの因果関係" です。つまり、物事の間に相関関係があると即、それが因果関係だと判断してしまう誤りです。No.223「因果関係を見極める」ではその分析と、正しく因果関係を見極める方法を専門家の本から紹介しました。 さらに、No.290「科学が暴く "食べてはいけない" の嘘」は、食の安全性についての科学的根拠がない言説にまどわされてはいけないという話でした。 以上の「直感」「社会調査」「因果関係」「食べてはいけない」以外にも、我々を誤った思考に導きやすいものがいろいろとあります。特に今の社会はインターネットの発達もあって、人々をまどわす誤った主張や非論理的な説明に満ちているのが実態です。それらに惑わされないようにし…

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No.294 - 鳥が恐竜の子孫という直感

No.210「鳥は "奇妙な恐竜"」で、鳥が恐竜の子孫であることが定説となった経緯を日経サイエンスの論文から紹介しました。特に、1990年代以降に発見された「羽毛恐竜」の化石が決定打になったという話でした。 その「鳥は恐竜の子孫」に関係した話を、歌人で情報科学者(東京大学教授)の坂井修一氏が日本経済新聞に連載中のコラム、"うたごころは科学する" に書かれていました。坂井氏の奥様のことなのですが、興味深い内容だったのでそのコラムを引用して感想を書きたいと思います。 見ればわかる  "うたごころは科学する" 見れば分かる 坂井修一 私の妻は文学部出身。科学や技術にはそれほど詳しくない。オーディオ装置のリモコンを使いこなせないし、パソコンやスマホでSNSするのも上手とは言えない。 でも、不思議な直感力をもっている。 40年前に彼女とつきあい始めたころ、井の頭公園で泳いでいる鴨かもを見て、「鳥は恐竜の直系の子孫である」と強く主張したのだ。 これは今では定説となっているが、当時はそうでなかった。少なくとも、私は知らなかった。彼女も、むろん、学説として知っていたわけではない。でも、彼女は直感していた。犬がオオカミの親戚であるように、猫がライオンの親戚であるように、鳥は恐竜の進化形なのだと。 駝鳥だちょうや海鵜うみうを見ると、まあそれもありかなと思うが、彼女は公園の鴨や鳩はとを見てもそう感じるのだそうだ。そのときは文学部らしい感性だなと思ったが、…

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No.293 - "自由で機会均等" が格差を生む

今回は、日経サイエンス 2020年9月号に掲載された論文「数理が語る格差拡大のメカニズム」の内容を紹介するのが目的です。この論文は、自由主義経済においては公平でフェアな取引きを繰り返すと必然的に格差が拡大することを数理モデルで論証したものです。 なぜこの論文を取り上げるかというと、No.165「データの見えざる手(1)」で紹介した "玉の移動シミュレーション" と本質的に同じことを言っているからです。そこでまず、No.165のシミュレーションを復習してから本題に入りたいと思います。 コインの移動シミュレーション No.165は、矢野和男・著「データのみえざる手」(草思社 2014)の内容の一部を紹介したものでした。この中に出てきたシミュレーションをここで再掲します。ただし本質をより明確にするため、シミュレーションの初期設定を変え、またシミュレーションの実行は繰り返し回数を変えて3種類にします。No.165では「玉」と書きましたが、本題につなげるために「コイン」とします(同じことです)。 まず 30 × 30 = 900 のセルを用意し、これらのセルに初期状態としてコインをそれぞれ 80 割り当てます。従って割り当てるコインの総数は、  80 × 900 = 72,000 セルの色分け です。900 とか 80 という数字は、No.165「データの見えざる手(1)」に合わせるためにそうしただけで、他意はありません。今回は別の数でもかまわないのですが、シ…

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No.290 - 科学が暴く「食べてはいけない」の嘘

今回は No.92 の継続で、食と健康、ないしは食の安全性の話です。食とは "食べる" "飲む" に加えて、食品添加物など体内に摂取するものすべてを指します。 このブログの No.92「コーヒーは健康に悪い?」で、次のような話を書きました。 ◆ 2013年8月26日の朝日新聞によると、アメリカのサウスカロライナ大学のチームが米国人44,000人のコーヒーを飲む習慣を調査し、その後17年にわたって死亡記録を調べた。その結果、55歳未満に限ると、週に28杯以上コーヒーを飲む人の死亡率が男性で1.5倍、女性で2.1倍になった。55歳以上では変化がなかった。 ◆ 同じ記事によると、WHO(世界保健機構)は1991年にコーヒーを「膀胱がんの発がん性がある物質」に分類した。その一方で、アメリカ国立保健研究所(NIH)は2012年、50~71歳の男女40万人の疫学調査で、コーヒーを1日3杯以上飲む人の死亡率が1割ほど低いと発表している。 ◆ 2013年8月27日の朝日新聞の「天声人語」は前日の記事をうけて、「6年前に日本の厚生労働省はコーヒーが肝臓がんのリスクを下げると発表した。いったいコーヒーは健康にいいのか悪いのか」と書いた。 ◆ コーヒーの健康調査について、大阪商業大学の学長の谷岡一郎氏は著書の「社会調査のウソ」(文春新書 2000)で次のように書いている。つまり、以前に関東地方の大学教授が「1日3倍以上コーヒーを飲む人は飲まない人にく…

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No.276 - AIの "知能" は人間とは違う

いままで合計16回書いたAI(人工知能)についての記事の続きです。まず、No.196「東ロボにみるAIの可能性と限界」を振り返るところから始めます。No.196 で紹介した「ロボットは東大に入れるか」プロジェクト(略称:東ロボ)の結論は、 ◆ 東ロボくんは、"MARCH"、"関関同立" の特定学部に合格できるレベル ◆ ただし、東大合格は無理 というものでした(MARCH = 明治、青山学院、立教、中央、法政。関関同立 = 関西、関西かんせい学院、同志社、立命館)。つまりこのプロジェクトは「AIの可能性と限界を実証的に示したもの」と言えるでしょう。あくまで大学入試という限られた範囲です。しかし大学入試は10代後半の人間の知的活動の成果を試す重要な場であり、その結果で人生が左右されることもあるわけです。"人工知能" の実力を試すにはうってつけのテーマだったと思います。 では、なぜ東大合格は無理なのか。それは東ロボくんには得意科目もあるが、不得意科目があるからです。たとえば数学では、東大理科3類を受験する子なみの偏差値を出しました。しかし不得意もあって、その典型が英語のリスニング、「バースデーケーキの問題」でした(No.196 の「補記」参照)。この問題において東ロボくんは、英語を聞くことは完璧にできました(=音声認識技術)。しかし質問が「できあがったケーキはどれか、4つのイラストから選びなさい」だったため、そこが全くできなかった。国立情報学研究所の方の「絶対に…

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No.241 - ウリ科野菜による中毒の危険性

No.178「野菜は毒だから体によい」の関連記事です。No.178で書いたことを要約すると次のようになります。 ◆植物は昆虫や動物から守るため、毒素をもつように進化してきた。 ◆これらの毒素のなかには人間にとって "ホルミシス" を起こすものがある。ホルミシスとは、少量を摂取すると有益だが、多量に摂取ると有毒になる現象を言う。 ◆ホルミシスを起こす毒素を少量摂取すると、人間の体はそれを排除しようとして活性化する。これが人体にとって有益となる。 ◆ホルミシスの一つの例だが、カレーの香辛料の一つであるターメリックに含まれるクルクミン(黄色の物質)は、脳において活性酸素を除去する抗酸化酵素の生産を促進するように働く。これがアルツハイマー病の直接原因であるベータアミロイドの蓄積を減少させる。 ターメリックに関して思い出しましたが、よく「インド人には認知症が少ない」と言いますよね。これは疫学的にも確かなようです。これもホルミシスの効果かも、と思ったりします。 しかしホルミシスの原因物質は「微量だと益になる」わけで、毒素であることには変わりありません。薬か毒かは一つの物質の表と裏です。そしてそれは植物が敵(昆虫や動物)を撃退するために発達せた "毒" が本来の姿なのです。 この「植物に含まれる毒」に関して、意外にも身近な野菜で中毒を起こす場合があるという記事を最近読みました。今回はそれを紹介したいと思います。2018年8月9日の Yahoo Newsに、 &em…

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No.238 - 我々は脳に裏切られる

No.149「我々は直感に裏切られる」で、極めて大きな数を私たちは想像できず、そのために直感が働かないという話を書きました。23人のクラスで同じ誕生日の人がいる確率は 50% 以上もあるとか(= バースデー・パラドックス)、10都市を巡回する全ての経路を総当たりで調べるのは家庭用パソコンで2秒で可能だが、32都市となるとスーパーコンピュータ "京" を宇宙の年齢(135億年)だけ動かしても絶対に不可能、といった話でした(総当たりでは不可能という意味)。これらの裏に潜んでいるのは日常生活とは全くかけ離れた大きさの数であり、それが直感に反する結果を招くのです。 今回は、それとは別の直感が裏切られる例をとりあげます。視覚が騙される例、いわゆる "錯視" です。もちろん錯視は昔から心理学の重要な研究テーマであり、数々の錯視図形が作られてきました。その多くは平面図形ですが、今回とりあげるのは立体の錯視です。 明治大学の杉原厚吉こうきち教授は数理工学が専門ですが、数々の立体錯視の例を作ってきた(= 発見してきた)方です。その杉原教授が日経サイエンスの2018年8月号に「立体錯視と脳の働きの関係」についての解説を書かれていました。大変興味深い内容だったので、それを紹介したいと思います。それは「我々が視覚によってまわりの立体物をどうやって認識しているのか」というテーマと深く関わっています。そしてこのテーマは人工知能の研究の重要な領域です。 エッシャーの不可能立体 杉原教授が立体の錯視に取り…

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No.223 - 因果関係を見極める

No.83-84「社会調査のウソ」の続きです。No.83-84では主に谷岡一郎氏の著書『社会調査のウソ』(文春新書 2000)に従って、世の中で行われている "社会調査" に含まれる「嘘」を紹介しました。たとえばアンケートに関して言うと、回答率の低いアンケート(例:10%の回答率)は全く信用できないとか、アンケート実施者が誘導質問で特定の回答を引き出すこともあるといった具合です。そして、数ある「嘘」に惑まどわされないための大変重要なポイントとして、  相関関係があるからといって、因果関係があるとは限らない ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。 ①Xが増えたからYが増えた(因果関係) ②Yが増えたからXが増えた(逆の因果関係) ③X,YではないVが原因となってXもYも増えた(隠れた変数) ④Xが増えるとYが増えたのは単なる偶然(疑似相関) 相関関係がある場合の可能性 XとYのデータの動きに関連性がある場合の可能性。①XがYに影響する、②YがXに影響する、③VがXとYの両方に影響する。これ以外に、④単なる偶然、がある。図は伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。 『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(…

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No.204 - プロキシマ b の発見とスターショット計画

今まで科学雑誌「日経サイエンス」の記事に関する話題を何件か書きました。振り返ってリストすると以下の通りです  No. 50絶対方位言語と里山  No. 70自己と非自己の科学(2)  No.102遺伝子組み換え作物のインパクト(1)  No.105鳥と人間の共生  No.16910代の脳  No.170赤ちゃんはRとLを聞き分ける  No.177自己と非自己の科学:苦味受容体  No.178野菜は毒だから体によい  No.184脳の中のGPS 日経サイエンス 2017.5 なぜ科学に興味があるかというと、科学的な知見が人間社会の理解に大いに役立つことがあると思うからです。その観点でリストをみると、ほとんどが生命科学の記事であることに気づきます(No.50、No.105以外の全部)。また No.50(絶対方位言語)は心理学の話(人間の認知のしくみと言葉の関係)、No.105は人類学の話なので、これらのすべては「生命・人間科学」と一括できます。「生命・人間科学」の知見が人間社会の理解に役立つのは、ある意味では当然でしょう。 しかし「生命・人間科学」とは全く違う分野のサイエンスが社会や人間の理解につながることもあると思うのです。その意味で、今回は全く違った分野である天文学・宇宙物理学の話を書きたいと思います。最近の「日経サイエンス 2017年5月号」に掲載された記事にもとづきます…

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No.191 - パーソナリティを決めるもの

小説『クラバート』に立ち帰るところから始めたいと思います。そもそもこのブログは第1回を『クラバート』から始め(No.1「千と千尋の神隠しとクラバート」)、そこで書いた内容から連想する話や関連する話題を、尻取り遊びのように次々と取り上げていくというスタイルで続けてきました。従って、折に触れて原点である『クラバート』に立ち戻ることにしているのです。 クラバートは少年の物語ですが、他の少年・少女を主人公にした小説も何回かとりあげました。なぜ子どもや少年・少女の物語に興味があるのか、それは「子どもはどういうプロセスで大人になるのか」に関心があるからです。なぜそこに関心があるかというと、 ・自分とは何か ・自分は、どうして自分になったのか という問いの答が知りたいからです。 就職以来の仕事のスキルや、そのベースとなったはずの勉強の蓄積(小学校~大学)は、どういう経緯で獲得したかがはっきりしています。記憶もかなりある。一方、人との関係における振る舞い方やパーソナリティ・性格をどうして獲得してきたか(ないしは醸成してきたか)は、必ずしもはっきりしません。ただ、自分の振る舞い方やパーソナリティの基本的な部分は子どもから10歳代で決まったと感じるし、20歳頃から以降はそう変わっていない気がします。だからこそ「自分はどうして自分になったのか」を知るために、人の少年時代に興味があるのです。 人の個性は遺伝と環境で決まります。「生まれ」と「育ち」、「もって生まれたもの」と「育った環境」で決…

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No.169 - 10代の脳

少年・少女の物語 前回の、中島みゆき作詞・作曲『春なのに』と『少年たちのように』は、10代の少女を主人公にした詩であり、10代の少女が歌った曲でした。そこからの連想ですが、今回は10代の少年・少女ついて思い出したことについて書きたいと思います。 今までの記事で、10代の少年・少女を主人公にした小説・アニメを5つ取りあげました。 ◆クラバート(No.1, No.2) ◆千と千尋の神隠し(No.2) ◆小公女(No.40) ◆ベラスケスの十字の謎(No.45) ◆赤毛のアン(No.77, No.78) の5つです。また、No.79「クラバート再考:大人の条件」では、これらの共通点を探りました。このブログの第1回目に『クラバート』と『千と千尋の神隠し』を書いたために(またブログの題名にクラバートを使ったために)そういう流れになったわけです。 No.2に書いたのですが、たとえば『クラバート』とはどういう物語か、それは一言でいうと "少年が大人になる物語" です。主人公が "大人になるための条件" を "労働の場" での経験によって獲得する過程が描かれています。これは『クラバート』だけでなく他の小説・アニメでも同様でした。 しかし最近、科学雑誌を読んでいて、それだけではなさそうだと気づきました。それは近年の脳科学の急速な進歩によって人間の脳の発達過程が解明されつつあり、10代の少年・少女の脳は大人とは違い、また子供とも違った特別なものであることが分かってきたことで…

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No.149 - 我々は直感に裏切られる

前回のNo.148「最適者の到来」の続きです。我々は、日常感覚とは全くかけ離れた「数」や「量」の世界を想像し難いし、そういう世界についての日常感覚的な直感は "的外れ" になるというようなことを、前回の最後に書きました。 「最適者の到来」のテーマであった「進化」は、遺伝子型の変異が生物の表現型として現れ、自然選択の結果として最適者が残るというものです。このストーリーの発端になっている「遺伝子」とか「変異」とかは、いずれも生物の体内の分子レベルの話ですが、分子はその "サイズ" も "数" も我々が想像し難いような「小ささ」と「多さ」です。まず、そこを何とか想像してみたいと思います。 量の多さ:分子の数 簡単のために水の分子で考えてみます。コップ1杯の水を180g = 180ミリリットル(mL)とします。この中に水の分子はいくつあるでしょうか。 これは高校生で化学を習っている生徒なら即答できます。水を分子式で書くと H2O であり、分子量は 18(酸素=16、水素=1×2) なので「水 18g にはアボガドロ数だけの水分子が含まれる」ことになります。 ◆アボガドロ数 =6 × 1023 = 6000,0000000000, 0000000000(24桁の数) なので、コップ1杯だとこれを10倍して、 ◆コップ1杯(180g)の水分子の数 = 60000,0000000000, 0000000000(25桁)= A になります。数字のカンマは10…

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No.127 - 捕食者なき世界(2)

(前回より続く) 前回に引き続き、ウィリアム・ソウルゼンバーグ著『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)の内容を紹介します。 「捕食者なき世界」の原題は「Where the Wild Things Were」であり、訳すと「怪獣たちのいたところ」である。Wild Thingsは ”荒くれ者”、”手におえない者”というようなニュアンスであるが、それを"怪獣"としたくなるのは、この原題がセンダックの有名な絵本「かいじゅうたちのいるところ - Where the Wild Things Are」をもじってつけられているからである。現在(are)を過去(were)に変えただけの "こじゃれた" タイトルである。 鳥が消えた島 パナマにバロ・コロラドという、17平方キロメートルほどの島があります。ここはかつて山の頂いただきでしたが、1913年のパナマ運河の建設にともなって湖ができると周りが水没し、湖の中に取り残されたて島になりました。この島は生物保護区になり、スミソニアン研究所の管理のもと、継続的に自然生態観察が行われてきました。 熱帯の森を研究していたプリンストン大学のジョン・ターボー教授は、1970年に初めてこの島を訪れました。島ができてから50数年後ということになります。 バロ・コロラド島で分かったことは、島ができた直後には209種の鳥が確認できたのですが、1970年の段階では、そのうちの45種が見られなくなったということです。バロ・コロラド島の森林…

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No.126 - 捕食者なき世界(1)

No.119-120「不在という伝染病」で、アメリカのサイエンス・ライター、モイゼス・ベラスケス=マノフ氏の著書『寄生虫なき病』(文藝春秋 2014)を紹介しました。この本で取り上げられている数々の研究を一言で言うと、  ヒトと共生してきた体内微生物の「不在」が、アレルギーや自己免疫疾患を発病する要因になっている。その「不在」は、人間の「衛生的な」生活で引き起こされた。 ということになるでしょう。いわゆる「衛生仮説」です。著者は、人間と共生微生物が作っている人体生態系を「超個体」とよび、20世紀になって超個体の崩壊が進んできたことを強調していました。 ウィリアム・ソウルゼンバーグ 「捕食者なき世界」 (文春文庫 2014) 表紙の写真は、絶滅した大型肉食獣、サーベルタイガーの頭部化石である。 その時にも書いたのですが、生態系の崩壊という意味では「自然生態系」の崩壊が近代になって急速に進んできたわけです。むしろその方が早くから注目され、警鐘が鳴らされてきました。今回はその「自然生態系」の話です。 人為的な自然生態系の破壊(主として農薬などの化学物質による破壊)に警鐘を鳴らした本としては、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)が大変に有名ですが、もう一つ、最近出版された重要な本があります。ウィリアム・ソウルゼンバーグの『捕食者なき世界』(文藝春秋 2010。文春文庫 2014)です。今回はこの本の要点を紹介したいと思います。生物界には複雑な依存…

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