No.346 - アストリッドが推理した呪われた家の秘密

このブログでは数々の絵画について書きましたが、その最初は、No.19「ベラスケスの "怖い絵"」で取り上げた「インノケンティウス10世の肖像」で、中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある解説を引用しました。この絵はローマで実際に見たことがあり、また中野さんの解説が秀逸で、印象的だったのです。 『怖い絵』には興味深々の解説が多く、読み返すこともあるのですが、最近、あるテレビドラマを見ていて『怖い絵』にあった別の絵を思い出しました。15~16世紀のドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』です。今回はそのことを書きます。 テレビドラマとは、NHK総合で放映中の「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」です。 アストリッドとラファエル 「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」は、NHK総合 日曜日 23:00~ の枠で放映されているフランスの警察ドラマです。 アストリッドはパリの犯罪資料局に勤務する文書係の女性(俳優はサラ・モーテンセン)、ラファエルはパリ警視庁の刑事(警視)です(俳優はローラ・ドヴェール)。アストリッドは自閉スペクトラム症ですが、過去の犯罪資料に精通していて、また抜群の洞察力があります。一方のラファエルは、思い立ったらすぐに(捜査規律違反もいとわず)行動に移すタイプです。しかし正義感は人一倍強く、人間としての包容力もある女性刑事です。この全く対照的な2人がペアになって難事件を解決していくドラマです(サラ・…

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No.343 - マルタとマリア

No.341「ベラスケス:卵を料理する老婆」は、スコットランド国立美術館が所蔵するベラスケスの「卵を料理する老婆」(2022年に初来日。東京都美術館)の感想を書いたものでした。ベラスケスが10代で描いた作品ですが(19歳頃)、リアリズムの描法も全体構図も完璧で、かつ、後のベラスケス作品に見られる「人間の尊厳を描く」という、画家の最良の特質が早くも現れている作品でした。 この「卵を料理する老婆」で思い出した作品があるので、今回はそのことを書きます。ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する「マルタとマリアの家のキリスト」です。この絵もベラスケスが10代の作品で、また、2020年に日本で開催された「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」で展示されました。 新約聖書のマルタとマリア まず絵の題についてです。「マルタとマリアの家のキリスト」は新約聖書に出てくる話で、聖書から引用すると次のようです。原文にあるルビは最小限に省略にしました。 一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言みことばに聞き入っていた。ところがマルタは接待のことで忙しくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った。「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは…

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No.341 - ベラスケス:卵を料理する老婆

今まで何回か書いたベラスケスについての記事の続きです。2022年4月22日 ~ 7月3日まで、東京都美術館で「スコットランド国立美術館展」が開催され、ベラスケスの「卵を料理する老婆」が展示されました。初来日です。今回はこの絵について書きます。 なお、ベラスケスに関する過去の記事は以下のとおりです。 No.  19 - ベラスケスの「怖い絵」 No.  36 - ベラスケスへのオマージュ No.  45 - ベラスケスの十字の謎 No.  63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」 No.133 - ベラスケスの鹿と庭園 No.230 - 消えたベラスケス(1) No.231 - 消えたベラスケス(2) No.264 - ベラスケス:アラクネの寓話 卵を料理する老婆 ディエゴ・ベラスケス 「卵を料理する老婆」(1618) (100.5cm × 119.5cm) スコットランド国立美術館 この絵は、No.230「消えたベラスケス(1)」で紹介しました。No.230 は、英国の美術評論家、ローラ・カミングの著書「消えたベラスケス」の内容を紹介したものです。この中で著者は、8歳のときに両親に連れられて行ったエディンバラのスコットランド国立美術館で見たのがこの絵だった、と書いていました。彼女の父親は画家です。画家はこの絵を8歳になった娘に見せた。8歳であればこの絵の素晴らしさが理解…

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No.339 - 千葉市美術館のジャポニズム展

No.224 に引き続いてジャポニズムの話題です。No.224「残念な "北斎とジャポニズム" 展」は、2017年に国立西洋美術館で開催された展覧会(= "北斎とジャポニズム" 2017年10月21日~2018年1月28日)の話でしたが、先日、千葉市美術館で「ジャポニズム ── 世界を魅了した浮世絵」と題する企画展が開かれました(2022年1月12日~3月6日)。見学してきたので、それについて書きます。 ジャポニズム 世界を魅了した浮世絵 (ちらし) 以下、引用などで『図録』としてあるのは、この展覧会のカタログです。 ジャポニズム 世界を魅了した浮世絵 (図録) ジャポニズムを通して浮世絵を見る 『図録』の最初に、この展覧会の主旨を書いた文章が載っていました。それを引用します(段落を増やしたところがあります。また下線や太字は原文にはありません)。 浮世絵の魅力とはなんであろうか。この展覧会は、視覚的に浮世絵を見慣れてきた我々、特に日本人が無意識に感受しているその表現の特性を明らかにすることを主眼としている。 周知のように、19世紀後半に至り、日本の鎖国は解かれ、欧米へと大量の文物がもたらされるようになる。それは視覚的驚きを持って迎え入れられ、幻想と言っても良いレベルの日本への憧れをも伴いつつ、ジャポニズムという熱狂的な動向を導いた。 とりわけ浮世絵版画は、古典主義、ロマン主義の中で形骸化しつつあった西洋絵画の表現に、新たな可能性を示し…

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No.332 - クロテンの毛皮の女性

このブログで過去にとりあげた絵の振り返りから始めます。No.19「ベラスケスの怖い絵」で紹介した『インノケンティウス十世の肖像』で、ベラスケスがイタリア滞在中に、当時75歳のローマ教皇を描いたものです。 ベラスケス(1599-1660) 「インノケンティウス十世の肖像」(1650) ドーリア・パンフィーリ美術館(ローマ) この絵について中野京子さんは「怖い絵」の中で次のように書いていました。 ベラスケスの肖像画家としての腕前は、まさに比類がなかった。──(中略)── 彼の鋭い人間観察力が、ヴァチカンの最高権力者に対しても遺憾いかんなく発揮されたのはとうぜんで、インノケンティウス十世は神に仕える身というより、どっぷり俗世にまみれた野心家であることが暴露されている。 眼には力がある。垂れた瞼まぶたを押し上げる右の三白眼。はっしと対象をとらえる左の黒眼。ふたつながら狡猾こうかつな光を放ち、「人間など、はなから信用などするものか」と語っている。常に計算し、値踏ねぶみし、疑い、裁く眼だ。そして決して赦ゆるすことのない眼。 どの時代のどの国にも必ず存在する、ひとつの典型としての人物が、ベラスケスの天才によってくっきり輪郭づけられた。すなわち、ふさわしくない高位へ政治力でのし上がった人間、いっさいの温かみの欠如した人間。 中野京子『怖い絵』 (朝日出版社。2007) 肖像画を評価するポイントの一つは、描かれた人物の性格や内に秘めた感情など、人物の内面を表現して…

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No.331 - カーネーション、リリー、リリー、ローズ

No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、画家・サージェント(1856-1925)の『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館所蔵)のことを書きました。ベラスケスの『ラス・メニーナス』への "オマージュ" として描かれたこの作品は、2010年にプラド美術館に貸し出され、『ラス・メニーナス』と並べて展示されました。 ジョン・シンガー・サージェント (1856 - 1925) 「エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち」(1882) (222.5m × 222.5m) ボストン美術館 この絵の鑑賞のポイントの一つは、画面に2つ描かれた大きな有田焼の染め付けの花瓶です。これはボイト家に実際にあったもので、その後、ボストン美術館に寄贈されました。この有田焼は当時の欧米における日本趣味(広くは東洋趣味)を物語っています。 そして、同じサージェントの作品で直感的に思い出す "日本趣味" の絵が、画面に提灯と百合の花をちりばめた『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(1885-6。テート・ブリテン所蔵)です。No.35 では補足として画像だけを載せましたが、今回はこの絵のことを詳しく紹介します。というのも、最近この絵の評論を2つ読んだからで、その評論を中心に紹介します。 カーネーション、リリー、リリー、ローズ ジョン・シンガー・サージェント (1856 - 1925) 「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」(1885-6) (174cm ×…

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No.322 - 静物画の名手

No.93「生物が主題の絵」では "生物画" と称して、動物・植物が生きている姿を描いた西洋絵画をみました。「生きている姿を描く」のは日本画では一大ジャンルを形成していますが、西洋絵画の著名画家の作品では少ないと思ったからです。もちろん、西洋絵画で大ジャンルとなっているのは「静物画」であり、今回はその話です。 静物画はフランス語で "nature morte"(=死んだ自然)、英語で "still life"(=動かない生命)であり、「花瓶の花束」とか「テーブルの上の果物や道具類」などが典型的なテーマです。瓶や壷などの無生物だけが主題になることもあります。 まず、18世紀より以前に描かれた絵で "これは素晴らしい" と思った静物画は(実物を見た範囲で)2つあります。No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した、カラヴァッジョとスルバランの作品です。 ミケランジェロ・メリージ・ダ・ カラヴァッジョ(1571-1610) 「果物籠」(1595/96) (46cm × 64cm) アンブロジアーナ絵画館(ミラノ) フランシスコ・デ・スルバラン(1598-1664) 「レモンとオレンジとバラの静物」(1633) (62cm × 110cm) ノートン・サイモン美術館 (米国・カリフォルニア州) この2作品の感想は No.157 に書きました。古典絵画なので写実に徹した作品ですが、よく見かけそうな静物を描いているにもかかわらず、じっと見ていると、それらが何かの…

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No.319 - アルマ=タデマが描いた古代世界

前回の No.318「フェアリー・フェラーの神技」は、19世紀英国のリチャード・ダッドの絵画をもとに、ロックバンド、クィーンが同名の楽曲を作った話でした。今回は、絵画が他のジャンルの創作に影響した話の続きとして映画のことを書きます。リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(2000)に影響を与えた絵画のことです。 実は、No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差し下おろされた親指』(1904)が『グラディエーター』の誕生に一役買った話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。 20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。 制作サイドは監督にリドリー・スコットを望んだ。『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『白い嵐』など、芸術性とエンターテインメント性を合体させたヒット作を連打していたスコットなら、古代ローマものを再創造してくれるに違いない、と。 だがスコットは最初はあま…

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No.318 - フェアリー・フェラーの神技

このブログでは数々の絵画作品を取り上げましたが、その中に「絵画が他のジャンルの創作にインスピレーションを与えた」という例がありました。最もありそうなのが絵画から文学を作るケースで、ベラスケスの『ラス・メニーナス』から発想を得たオスカー・ワイルドの『王女の誕生日』がそうでした(No.63)。そもそも西洋絵画は宗教画、つまり "宗教物語の視覚化" から発達したので、絵画と物語の相性は良いわけです。 絵画に影響を受けた映画もありました。リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(No.203)や『ブレードランナー』(No.288)、アルフレッド・ヒチコック監督の『サイコ』(No.301)、黒澤明監督の『夢』(No.312)などです。映画は視覚芸術でもあり、絵画との相性は物語以上に良いはずです。スコット監督や黒澤監督は絵画の素養があるぐらいです。 こういった中に「絵画からインスピレーションを得た音楽」があります。過去に触れた例では、ドビュッシーの交響詩『海』です(No.156「世界で2番目に有名な絵」)。この曲は葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』に影響を受けたと言われています。スコアの初版本の表紙が『神奈川沖浪裏』だし、ドビュッシーの自宅書斎には『神奈川沖浪裏』が飾ってあったぐらいなので(No.156 参照)大いにありうるでしょう。もちろん根拠はないでしょうが、「北斎が波をあのように描いたのだから、自分は海を音楽で」と作曲家が考えたとしても不思議ではありません。 この「絵画からインスピレーショ…

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No.312 - ダブル・レインボー

先日、新聞を読んでいたらダブル・レインボー(二重の虹。二重虹)のことが出ていました。そして、以前にこのブログで引用した絵画を思い出しました。今回はそのことを書きます。 二重の虹 まず、ダブル・レインボーについて書かれた朝日新聞の記事を引用します。以降の引用において下線は原文にはありません。 5分間の奇跡 ダブルレインボー朝日新聞 2021年4月8日(木)夕刊 奈良の里山にかかった二重の虹。第37回「日本の自然」写真コンテスト(全日本写真連盟など主催)の入選作=山本一朗さん撮影 虹が二重にかかる「ダブルレインボー」。豊富な水滴や強い太陽光などの条件がそろわないとめったにお目にかかれないため、幸運の象徴とも言われる珍しい現象だ。 大阪府の全日本写真連盟会員、山本一朗さん(75)は、祭りの撮影に訪れた奈良県天理市の里山で、雨宿り中に虹に気づいた。田んぼに駆け出ると、紅白のコブシの頭上に、二重の円弧が橋のようにかかっていた。その時間5分。「一生に一回あるかないか」。びしょぬれになってシャッターを切った。 内側の通常の虹(主虹)が、雨粒の中で太陽光が1回反射して七色の光の帯を見せるのに対し、外側にみえる虹(副虹)は2回反射する。色の並びが内側は赤、外側は紫と、主虹と反対であり、色も薄い。これは反射が1回多いせい。理論上、三重、四重の虹も存在するが、光量が弱く、見ることはできないそうだ。(石倉徹也) ダブル・レインボーは私も2~3度、見たこと…

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No.301 - 線路脇の家

No.288「ナイトホークス」に続いて、アメリカの画家、エドワード・ホッパーの絵画とその影響についての話です。No.288 は、ホッパーの『ナイトホークス』(1942)が、リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』(1982公開)のアート・デザインやビジュアルに影響を与えたという話でした。『ナイトホークス』の複製画を映画の美術スタッフに見せ続けたと、スコット監督自身が述懐しているのです。 映画「キャロル」の原作となったパトリシア・ハイスミスの小説(河出文庫。2015.12)。表紙はホッパーの「オートマット」(1927)。オートマットとは自動販売機による軽食の施設。 その『ブレードランナー』を始め、ホッパーの絵画は多数の映画に影響を与えました。最近のアメリカ映画でいうと、2015年に制作された『キャロル』(日本公開:2016年2月)はホッパーの多数の作品から場面作りの影響を受けています(アートのブログサイト:https://www.sartle.com/blog/post/todd-haynes-channels-edward-hopper-in-the-film-carol)。トッド・へインズ監督がホッパーの大のファンのようです。そのためか、映画の日本公開に先立って出版されたパトリシア・ハイスミスの原作の表紙には、ホッパーの「オートマット」が使われています(河出文庫。2015.12)。 そういった映画への影響で昔から最も有名なのは、アルフレッド・ヒチコック監督の『サイコ』(19…

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No.297 - チョコレートを運ぶ娘

No.284「絵を見る技術」は、秋田麻早まさ子 著『絵を見る技術 ── 名画の構造を読み解く』(朝日出版社 2019)の内容をかいつまんで紹介したものでした。この中の「線のバランス」のところで、縦と横だけのシンプルな構造線をもつ絵の例として、秋田氏は上村松園の『序の舞』(1936)をあげていました。扇を持つ右手の袖の表現で分かるように、"静" と "動" のはざまの一瞬をとらえた傑作(重要文化財)です。 上村松園「序の舞」 「絵を見る技術」で著者の秋田氏は「縦の線とそれを支える横の線」という線のバランスをもつ絵画の例として、上村松園の「序の舞」をあげていた。 そして、線のバランスが『序の舞』とそっくりな絵として連想したのが、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にあるリオタールのパステル画『チョコレートを運ぶ娘』で、そのことは No284 に書きました。 リオタール 「チョコレートを運ぶ娘」 この絵は、構図(縦と横のシンプルな構造線)が『序の舞』とそっくりです。ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館には一度行ったことがありますが、実は現地に行くまでこの絵を全く知りませんでした。アルテ・マイスター絵画館の必見の名画というと、 ◆ ラファエロの『システィーナの聖母』 絵画館の "顔" となっている作品。No.284 に画像を引用。 ◆ ジョルジオーネの『眠れるヴィーナス』 数々の西洋絵画のルーツと言える作品。マネの『オランピア』の源流と考えら…

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No.295 - タンギー爺さんの画中画

このブログでは過去にさまざまな絵画を取り上げましたが、その中に「絵の中の絵」、いわゆる "画中画" が描かれたものがありました。しかも、画中画が絵のテーマと密接な関係にあるものです。今回はそういった絵の一つであるゴッホの作品について書くのが目的ですが、その前に過去に取り上げた画中画を振り返ってみたいと思います。 フェルメール フェルメールの作品には、室内に左上から光が差し込み、人物がいて、後ろの壁には絵がある、という構図が多くあります。その一つが No.248「フェルメール:牛乳を注ぐ女」で引用した『窓辺で手紙を読む女』(1657頃。ドレスデン アルテ・マイスター絵画館所蔵)です。この絵の後の壁には何も描かれていないのですが、実は後世の誰かが壁を塗りつぶしたことが分かっています。そして、オリジナル復元のための修復を進めると、後の壁から画中画が出現したというニュースが2019年の5月に報道されました。修復の途中ですが、明らかにキューピッドの姿が見て取れます。 ということは、描かれた女性は恋人からラヴ・レターを読んでいることになります。フェルメール作品によくあるように、絵のテーマを画中画で表している。しかし・・・。 まだ修復途中だということが気になります。画中画の全容が明らかになると、キューピッドの下に何か別のアイテムが描かれていて、トータルすると恋の破局を表しているのかも知れません。 フェルメール(1632-1675) 「窓辺で手紙を読む女」(1657頃) - 修復…

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No.292 - ゴッホの生物の絵

No.93「生物が主題の絵」の続きです。No.93 でとりあげたのは、西洋絵画における "生物画" でした。ここでの "生物画" の定義は次の通りです。 生物画: 人間社会やその周辺に日常的に存在する動物・植物・生物の「生きている姿」を主題に描く絵。空想(龍、鳳凰)や伝聞(江戸時代以前の日本画の象・ライオン・獅子などの例)で描くのではない絵。生物だけ、ないしは生物を主役に描いたもので、風俗や風景が描かれていたとしてもそれは脇役である絵。 西洋絵画の "静物画" は、フランス語で "nature morte"(死んだ自然)、英語で "still life"(動かない生命)と言うように、「死んだ」ないしは「動かない」状態を描いたものです。そうではなく「生物が生きている環境で生きている姿を描く」のが上の "生物画" の定義のポイントです。 この定義の "生物画" は日本画では大ジャンルを作っていますが、西洋の絵では少ない。もちろん、記録が主たる目的の「植物画」や「博物画」は除いて考えます。その少ない中でも生物を中心画題にした絵はあって、特に著名画家が描いた "生物画" を並べてみると何か見えてくるものがあるのでは、との考えで書いたのが、No.93「生物が主題の絵」でした。 その No.93 でゴッホの『アイリス』を引用しましたが、No.93 でも書いたようにゴッホは多数の生物を主題にした絵を描いています。つまり『アイリス』だけでは画家の本質を伝えられないと思うので、今回はゴッホ…

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No.291 - ポーラ美術館のセザンヌ

No.150「クリスティーナの世界」で、箱根のポーラ美術館で開催されたセザンヌ展のことを書きました。今回はその展覧会に関連した短篇小説を紹介します。 セザンヌ ── 近代絵画の父になるまで まず No.150 で書いたセザンヌ展ですが、次のような経緯をたどりました。 ◆ ポーラ美術館で「セザンヌ ── 近代絵画の父になるまで」と題した展覧会が、2015年4月4日~2015年9月27日の会期で開催された。 ◆ この展覧会のポイントは、ポーラ美術館所蔵のセザンヌ作品9点と、日本の美術館から借り受けた12点を合わせ、計21点の日本にあるセザンヌが一堂に会することである。また合わせて、ポーラ美術館が所蔵するセザンヌの同時代、前後の時代の画家の作品も展示され、近代絵画におけるセザンヌのポジションが一望できるようになっている。 ◆ ところが、開催直後の 2015年4月下旬になって、箱根山で不吉な火山性微動が観測されはじめた。 ◆ 借り受けたセザンヌ作品12点のうち、国立近代美術館所蔵の1点は6月7日で展示が終了した(当初からの予定どおり)。 ◆ その後、火山性微動は頻発し、7月になって大湧谷周辺(ポーラ美術館の近く)の噴火警戒レベルが3に引き上げられた。 ◆ これを受けてポーラ美術館は、借り受けたセザンヌ11点のうち7点の展示を中止した(2015年7月3日のアナウンス)。No.150 をアップしたのは …

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No.289 - 夜のカフェ

前回の No.288「ナイトホークス」の続きです。前回はエドワード・ホッパー(1882-1967)の代表作『ナイトホークス』(1942。シカゴ美術館所蔵)が、リドリー・スコット監督の映画『ブレードランナー』(1982公開)に影響を与えたという話でした。 この『ナイトホークス』ですが、2016年3月26日のTV東京の「美の巨人たち」でとりあげられました。その中で、美術史家でニューヨーク市立大学教授のゲイル・レヴィン(Gail Levin。1948- )の説が紹介されていました。ゲイル・レヴィンは、ホッパー作品を多数所蔵しているニューヨークのホイットニー美術館のキュレーター(ホッパー担当。1976-1984)の経験があり、ホッパーの没後初めての回顧展のキュレーターもつとめた人です。1995年にはホッパーの作品総目録も編纂しました。いわば「ホッパー研究の第1人者」です。その彼女が「Edward Hopper : An Intimate Biography」(1995。「エドワード・ホッパー:親密な伝記」)というホッパーの伝記に、 『ナイトホークス』はゴッホの『夜のカフェ』から着想を得ている。『夜のカフェ』は『ナイトホークス』が描かれた年(1942年)の1月にニューヨークで展示されていた との主旨を書いているのです。今回はその話です。 夜のカフェ ゴッホはアルルの時代に夜のカフェの様子を2枚の絵画に描いています。一つは、オランダのクレラー・ミュラー美術館が所蔵する『夜のカフェ…

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No.288 - ナイトホークス

No.203「ローマ人の "究極の娯楽"」で、フランスの画家・ジェロームが古代ローマの剣闘士を描いた『差し下おろされた親指』(1904)がハリウッド映画『グラディエーター』(2000)の誕生に一役買ったという話を書きました。そのあたりを復習すると次のようです。 20世紀末、ハリウッド映画で "古代ローマもの" を復活させようと熱意をもった映画人が集まり、おおまかな脚本を書き上げました。紀元180年代末の皇帝コンモドスを悪役に、架空の将軍をヒーローにした物語です。将軍は嫉妬深いコンモドス帝の罠にはまり、奴隷の身分に落とされ、剣闘士(グラディエーター)にされてしまう。そして彼は剣闘士として人気を博し、ついにはローマのコロセウムで、しかもコンモドス帝の面前で命を賭けた戦いをすることになる。果たして結末は ・・・・・・。 制作サイドは監督にリドリー・スコットを望んだ。『エイリアン』『ブレードランナー』『ブラック・レイン』『白い嵐』など、芸術性とエンターテインメント性を合体させたヒット作を連打していたスコットなら、古代ローマものを再創造してくれるに違いない、と。 だがスコットは最初はあまり乗り気ではなかったらしい。そこで制作総指揮者は彼に『差し下された親指』を見せた。フランスのジェロームが百年以上も昔に発表した歴史画である。後にスコット曰く、「ローマ帝国の栄光と邪悪じゃあくを物語るこの絵を目にした途端、わたしはこの時代の虜とりこになった」(映画パンフレットより)。 こうして完…

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No.287 - モディリアーニのミューズ

このブログでは中野京子さんの絵画評論から数々の引用をしてきましたが、今回は『画家とモデル』(新潮社 2020。以降「本書」と書くことがあります)からモディリアーニを紹介したいと思います。本書の「あとがき」で中野さんは次のように書いています。 「画家とモデル」といえば、男性画家と彼に愛された女性モデルを想起しがちです。実際、シーレとヴァリ、ピカソと愛人たちなどが、評論、伝記、映画といったさまざまな媒体で幾度も取り上げられ、美術ファン以外にもよく知られているようです。本書では、そこにはあまりこだわりませんでした。もちろんそうした範疇はんちゅうにあるシャガールやモディリアーニも扱いましたが、むしろこれまであまり触れられることがなかった画家とモデルの関係に、できるだけ焦点を当てたいと思いました。 中野京子『画家とモデル』 (新潮社 2020) 中野京子 「画家とモデル」 表紙はワイエスが描いたヘルガ この「あとがき」どおり、本書には "これまであまり触れられることがなかった" クラーナハとマルティン・ルター、同性愛を公言できなかったサージェントと男性モデル、女性画家・フォンターナと多毛症の少女、ピエロ・デラ・フランチェスカと傭兵隊長(ウルビーノ公)など、全部で18のエピソードトが取り上げられています。全く知らなかった話もいろいろあって、大いに参考になりました。 その18のエピソードの中から敢あえてモディリアーニなのですが、"男性画家と彼に愛された女性モデル" の典型であ…

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No.284 - 絵を見る技術

このブログでは今までに絵画について、本から多数の引用をしてきました。まず『怖い絵』を始めとする中野京子さんの一連の著書です。中野さんの著作全体に流れている主張は、 1枚の絵の "背景"、つまり画家が描くに至った経緯や画家の個人史、制作された時代の状況などを知ると、より興味深く鑑賞できる ということでしょう。絵画は「パッとみて感じればよい、というだけではない」という観点です。 また、絵画の鑑賞は視覚によるわけですが、その視覚は脳が行う情報処理の結果です。次の3つの記事、 No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」 No.256「絵画の中の光と影」 No.277「視覚心理学と絵画」 は「視覚心理学と絵画」というテーマでした。No.243, No.256 は心理学者の三浦佳世・九州大学名誉教授の本、ないしは新聞コラムによります。脳の情報処理には錯視にみられるような独特の "クセ" があり、画家は意識的・無意識的にそのクセを利用して絵を描いています。つまり、 視覚心理学が明らかにした人間の脳の働きを知っておくと、より興味深く絵画を鑑賞できる のです。もちろん絵画の鑑賞においては、その絵をパッと見て「いいな」とか「好きだ」とかを "感じる" のが出発点であり、それが最も重要なことは言うまでもありません。前提知識がなくても鑑賞は全く可能です。しかし前提知識があると鑑賞の面白味が増すということなのです。 秋田麻早子 「絵を見る技術」 (朝日出版社 201…

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No.277 - 視覚心理学と絵画

No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」と No.256「絵画の中の光と影」で、九州大学名誉教授の三浦佳世氏が書かれた「視覚心理学が明かす名画の秘密」(岩波書店 2018)と「絵画の中の光と影 十選」(日本経済新聞。2019年3月。10回連載のエッセイ)の "さわり" を紹介しました。今回はその「視覚心理学と絵画」というテーマの補足です。 2013年にアメリカの「Scientific American誌 特別版」として発行された、 「Scientific American Mind 187 Illusions」 マルティネス = コンデ(Susana Martinez-Conde)、マクニック(Stephen Macknik)著 という本があります。著者の2人はアメリカのバロー神経学研究所に所属する神経科学者で、本の日本語訳は、 「脳が生み出すイルージョン ── 神経科学が解き明かす錯視の世界」(別冊日経サイエンス 198) です(以下「本書」と記述)。本書は20のトピックごとの章に分かれていて、その中に合計187の錯視・錯覚・イルージョンが紹介されています。ここから絵画に関係したものの一部を紹介したいと思います。 なおタイトルに「視覚心理学」と書きましたが、もっと一般的には「知覚心理学」です。さらに医学・生理学からのアプローチでは「神経生理学」であり、広くは「神経科学」でしょう。どの用語でもいいと思うのですが、三浦佳世氏の著書からの継続で「視覚…

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No.266 - ローザ・ボヌール

No.93「生物が主題の絵」の続きです。ここで言う "生物" とは、生きている動物、鳥、樹木、植物、魚、昆虫などの総称です。日本画では定番の絵の主題ですが、No.93 で取り上げたのは西欧絵画における静物画ならぬ "生物画" でした。 その中でフランスの画家、ローザ・ボヌールが描いた「馬の市場の絵」と「牛による耕作の絵」を引用しました。この2作品はいずれも19世紀フランスの日常風景や風俗を描いていますが、実際に見ると画家の第一の目的は馬と牛を描くことだと直感できる絵です。 ローザ・ボヌール(1822-1899) 「馬市」(1853) (244.5cm × 506.7cm) メトロポリタン美術館 ローザ・ボヌール 「ニヴェルネー地方の耕作」(1849) (133.0cm × 260.0cm) オルセー美術館 日本人がニューヨークやパリに観光に行くとき、メトロポリタン美術館とオルセー美術館を訪れる方は多いのではないでしょうか。ローザ・ボヌールのこの2枚の絵は大きな絵なので、記憶に残っているかどうかは別にして、両美術館に行った多くの人が目にしていると思います(展示替えがないという前提ですが)。メトロポリタン美術館は巨大すぎて観光客が半日~1日程度で全部をまわるは不可能ですが、『馬市』は "人気コーナー" であるヨーロッパ近代絵画の展示室群の中にあり、しかも幅が5メートルという巨大な絵なので、多くの人が目にしているはずです。 多くの人が目にしているはずなのに話題に…

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No.264 - ベラスケス:アラクネの寓話

前回の No.263「イザベラ・ステュワート・ガードナー美術館」で、この美術館の至宝、ティツィアーノ作『エウロペの略奪』について中野京子さんが次のように書いていることを紹介しました。 本作は、後代の著名な王侯御用達画家ふたりに取り上げられた。ひとりはルーベンスで、外交官としてスペインを訪れた機会にこれを丁寧に模写している。ティツィアーノに心酔していただけであり、自らの筆致を極力抑えて写しに徹した、すばらしい作品に仕上がった。 もうひとつはベラスケス。フェリペ2世の孫にあたるフェリペ4世の宮廷画家だった彼は、『織おり女めたち』の中で、アラクネが織り上げたタペストリーの主題として、このエウロペをいわば画中画の形で描き出した。 中野京子『名画の謎:対決篇』 (文藝春秋 2015) ルーベンスによる『エウロパの略奪』の模写は No.263 に引用したので、今回はもう一つの『織り女たち』を取り上げます。前回と同じく中野京子さんの解説から始めます。 ベラスケス『織り女たち』 ディエゴ・ベラスケス 「アラクネの寓話(織り女たち)」(1657頃) (220cm × 289cm) プラド美術館 本作は、通称『織おり女めたち』、正式には『マドリード、サンタ・イザベル綴織つづれおり工場』と呼ばれてきた。王立タペストリー工場内部を描いたもので、前景にいるのは糸紡いとつむぎする女性たち、後景は買い物にやってきた高貴な女性たち、一番奥の壁に飾られているのは、売り物のタ…

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No.256 - 絵画の中の光と影

No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」で、三浦佳世氏の同名の本(岩波書店 2018)の "さわり" を紹介しました。その三浦氏が、2019年3月の日本経済新聞の最終面で「絵画の中の光と影 十選」と題するエッセイを連載されていました。日経の本紙なので読まれた方も多いと思いますが、「視覚心理学が明かす名画の秘密」の続編というか、補足のような内容だったので、是非、ここでその一部を紹介したいと思います。 左上からの光 「視覚心理学が明かす名画の秘密」であったように、フェルメールの室内画のほぼすべては左上からの光で描かれています。それは何もフェルメールだけでなく、西洋画の多くが左上からの光、それも30度から60度の光で描かれているのです。その理由について No.243 であげたのは次の点でした。 ◆画家の多くは右利きのため、窓を左にしてイーゼルを立てる。描く手元が暗くならないためである。 ◆そもそも人間にとっては左上からの光が自然である。影による凹凸判断も、真上からの光より左上30度から60度からの光のときが一番鋭敏である。 三浦氏の「絵画の中の光と影 十選」には、この前者の理由である「画家は窓を左にしてイーゼルを立てる」ことが、フェルメール自身の絵の引用で説明されていました。ウィーン美術史美術館にある『画家のアトリエ(絵画芸術)』という作品です。 ヨハネス・フェルメール(1632-1675) 「画家のアトリエ」(1632-1675) (ウィ…

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No.255 - フォリー・ベルジェールのバー

No.155「コートールド・コレクション」で、エドゥアール・マネの傑作『フォリー・ベルジェールのバー』のことを書きました。この作品は、英国・ロンドンにあるコートールド・ギャラリーの代表作、つまりギャラリーの "顔"と言っていい作品です。 最近ですが、中野京子さんが『フォリー・ベルジェールのバー』の評論を含む本を出版されました。これを機会に再度、この絵をとりあげたいと思います。 エドゥアール・マネ(1832-1883) 「フォリー・ベルジェールのバー」(1881-2) (96×130cm) コートールド・ギャラリー(ロンドン) マネ最晩年の傑作 まず、中野京子さんの解説で本作を見ていきます。以下の引用で下線は原文にはありません。また漢数字を算用数字に直したところがあります。 『フォリー・ベルジェールのバー』は、エドゥアール・マネ最晩年の大作。画面左端にある酒瓶のラベルに、マネのサイン「Manet」と制作年「1882」が見える。この翌年、彼は51歳の若さで亡くなるのだ。 高級官僚の息子に生まれ、生涯、経済的に不自由せず、生活のため絵を売る必要もなく、生粋きっすいのパリジャン、人好きするダンディーで知られたマネだが、二十代で罹患りかんした梅毒ばいどくが進んで末期症状を迎え、壊死えしした片足を切断したものの、ついに回復できなかった。本作制作中も手足の麻痺まひや痛みに苦しみ、現地でデッサンした後はもはや外出できず、わざわざ自分のアトリエにカウンターを設しつらえ、…

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No.254 - 横顔の肖像画

No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」の続きです。No.217 ではルネサンス期の女性の横顔の肖像画で傑作だと思う作品を(実際に見たことのある絵で)あげました。次の4つです。 A:ピエロ・デル・ポッライオーロ  「若い貴婦人の肖像」(1470頃)  ポルディ・ペッツォーリ美術館(ミラノ) B:アントニオ・デル・ポッライオーロ  「若い女性の肖像」(1465頃)  ベルリン絵画館 C:ドメニコ・ギルランダイヨ  「ジョヴァンナ・トルナボーニの肖像」(1489/90)  ティッセン・ボルネミッサ美術館(マドリード) D:ジョバンニ・アンブロジオ・デ・プレディス  「ベアトリーチェ・デステの肖像」(1490)  アンブロジアーナ絵画館(ミラノ) A と C はそれぞれ、ポルディ・ペッツォーリ美術館とティッセン・ボルネミッサ美術館の "顔" となっている作品です。そもそも横顔の4枚を引用したのは、ポルディ・ペッツォーリ美術館の "顔" が「A:若い貴婦人の肖像」だからでした。その A と B の作者は兄弟です。また D は、ミラノ時代のダ・ヴィンチの手が入っているのではないかとも言われている絵です。 これらはすべて「左向き」の横顔肖像画で、一般的に横顔を描く場合は左向きが圧倒的に多いわけです。もちろん「右向き」の肖像もあります。有名な例が、丸紅株式会社が所有している…

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No.251 - マリー・テレーズ

このブログではアートのジャンルで数々のピカソの絵を取り上げましたが、今回はその継続で、マリー・テレーズを描いた作品です。今までマリー・テレーズをモデルにした作品として、 ◆『マヤに授乳するマリー・テレーズ』   No.46「ピカソは天才か」 ◆『本を持つ女』   No.157「ノートン・サイモン美術館」 の2つを取り上げました。ピカソは彼女をモデルとして多数の作品をさまざまな描き方で制作していますが、今回はその中でも最高傑作かと思える絵で、『夢』(1932)という作品です。以下、例によって中野京子さんの解説でこの絵を見ていくことにします。中野さんは『夢』の解説でピカソとマリー・テレーズの出会いから彼女の死までを語っているので、それを順にたどることにします。  以下の引用では漢数字を算用数字に改めました。また段落を増減したところがあります。下線は原文にはありません。 パブロ・ピカソ(1881-1973) 「夢」(1932) (個人蔵) マリー・テレーズとの出会い 1927年のパリ。45歳のパブロ・ピカソは街で金髪の少女を見かける。溌剌はつらつたる健康美にあふれた彼女にすぐ声をかけて曰いわく、 「マドモアゼル、あなたは興味深い顔をしておられる。肖像画を描かせてください。私はピカソです」 ずんぐりした小男ながらカリスマ的魅力を放ち、すでに国際的な大画家でもあったピカソにしかできない芸当…

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No.248 - フェルメール:牛乳を注ぐ女

No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」は、九州大学名誉教授で心理学者(視覚心理学)の三浦佳世氏が書いた同名の著書(岩波書店 2018)の紹介でした。この本の中で三浦氏は、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』を例にあげ、  この絵には線遠近法の消失点が2つあるが、違和感を感じない。人の眼は "遠近法の違反" については寛容 野田弘志 「リアリズム絵画入門」 (芸術新聞社。2010) という主旨の説明をしていました。この説明で思い出したのが、現代日本の画家、野田弘志氏が書いた『牛乳を注ぐ女』についての詳しい解説です(「リアリズム絵画入門」芸術新聞社 2010)。ここには "遠近法の違反" だけでなく、写実絵画として優れている点が詳細に語られています。今回は是非ともその文章を紹介したいと思います。 フェルメールの『牛乳を注ぐ女』はアムステルダム国立美術館が所蔵する絵で、2007年に日本で公開され、また、現在開催中のフェルメール展(東京展。上野の森美術館 2018.10.5~2019.2.3)でも展示されています。実物を見た人は多いと思います。 野田弘志氏(1936~)は現代日本の写実絵画を牽引してきた画家で、No.242「ホキ美術館」で『蒼天』という作品を紹介しました。野田先生の文章は写実画家としての立場からのものですが、『牛乳を注ぐ女』はまさに写実絵画の傑作なので、本質に切り込んだ解説になっています。なお、以下の引用での下線は原文にはありません。また段…

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No.244 - ポロック作品に潜むフラクタル

No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」で、三浦佳世氏の同名の著書の "さわり" を紹介したのですが、その中で、ジャクソン・ポロックのいわゆる "アクション・ペインティング"( = ドリップ・ペインティング)がフラクタル構造を持っているとありました。 日経サイエンス (2003年3月号) 実はこのことは 2002年の「Scientific American」誌で論文が発表されていて、その日本語訳が「日経サイエンス 2003年3月号」に掲載されました。おそらく三浦氏もこの論文を参照して「視覚心理学が明かす名画の秘密」のポロックの章を書いたのだと思います。 今回はその論文を紹介したいと思います。リチャード P. テイラー「ポロックの抽象画にひそむフラクタル」です。筆者は米・オレゴン大学の物理学の教授で、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学の物性物理学科長だった時に、ポロックの抽象画に潜むフラクタルに気づいて謎解きを始めました。 アートかデタラメか テイラー教授の論文はまず、ジャクソン・ポロックの代表作である『Blue Poles : No.11, 1952』の話から始まります。 ジャクソン・ポロック(Jackson Pollock, 1912 ~ 1956)は米国の美術史を代表する抽象表現主義の画家だ。彼が傑作『Blue Poles : No.11, 1952』の制作に取りかかったのは、ある3月の嵐の夜だった。すきま風が吹き込む納屋のようなアトリエで、酒…

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No.243 - 視覚心理学が明かす名画の秘密

No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」で、ルネサンス期の女性の横顔肖像画(= プロフィール・ポートレート。以下、プロフィール)で傑作だと思う4作品をあげました。 ◆ピエロ・デル・ポッライオーロ  「若い貴婦人の肖像」(1470頃)  ポルディ・ペッツォーリ美術館(ミラノ) ◆アントニオ・デル・ポッライオーロ  「若い女性の肖像」(1465頃)  ベルリン絵画館 ◆ジョバンニ・アンブロジオ・デ・プレディス  「ベアトリーチェ・デステの肖像」(1490)  アンブロジアーナ絵画館(ミラノ) ◆ドメニコ・ギルランダイヨ  「ジョヴァンナ・トルナボーニの肖像」(1489/90)  ティッセン・ボルネミッサ美術館(マドリード) 三浦佳世 「視覚心理学が明かす名画の秘密」 (岩波書店 2018) の4作品ですが、これらはすべて左向きの顔でした。そして、「プロフィールには右向きのものもあるが(たとえば丸紅が所有しているボッティチェリ)、数としては圧倒的に左向きが多いようだ、これに何か理由があるのだろうか、多くの画家は右利きなので左向きが描きやすいからなのか、その理由を知りたいものだ」という意味のことを書きました。 最近、ある本を読んでいたらプロフィールの左向き・右向きについての話がありました。三浦佳世『視覚心理学が明かす名画の秘密』(岩波書店 2018。以下、本書)です…

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No.231 - 消えたベラスケス(2)

(前回から続く) 前回に引き続き、ローラ・カミング著『消えたベラスケス』(五十嵐加奈子訳。柏書房 2018)の紹介です。 フランシスコ・レスカーノ この絵は No.19「ベラスケスの怖い絵」で、スペイン宮廷にいた他の低身長症の人たちの絵とともに引用しました。 フランシスコ・レスカーノ (1636-38:37-39歳) 107cm × 83cm プラド美術館 岩に腰かけたその小柄な男の絵を見るとき、私たちは視線を上に向けなければならない。絵がその人物を持ち上げている。宮廷という陰鬱な牢獄から遠く離れ、スペインの山岳地帯にいる彼は、ベラスケスの絵の中で太陽の光に包まれている。 彼の名はフランシスコ・レスカーノといい、バルタサール・カルロス王子が4、5歳のときに、遊び相手として宮廷に雇われたと伝えられる。ともに過ごした年月で、小人であるレスカーノと幼い王子の背丈がちょうど同じになった時期があったことだろう。 ローラ・カミング 「消えたベラスケス」p.105 ボストン美術館にベラスケスが描いた『バルタサール・カルロス王子』の肖像がありますが(No.19「ベラスケスの怖い絵」に画像を掲載)、その左横に描かれているのがフランシスコ・レスカーノです(プラド美術館の公式カタログによる)。王子とほぼ同じの背丈であり、額が出っぱったレスカーノの顔の特徴がよくわかります。 レスカーノは、やさしい性格で誰からも好かれていた。深緑色の服を着た若者が彼だと言われて…

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No.230 - 消えたベラスケス(1)

今まで17世紀スペインの宮廷画家、"王の画家にして画家の王" と呼ばれるベラスケスについて5回書きました。 ◆No.  19 - ベラスケスの「怖い絵」 ◆No.  36 - ベラスケスへのオマージュ ◆No.  45 - ベラスケスの十字の謎 ◆No.  63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」 ◆No.133 - ベラスケスの鹿と庭園 の5つです。今回はその続きで、2018年に発売されたローラ・カミング著『消えたベラスケス』(五十嵐加奈子訳。柏書房 2018)を紹介します。著者は英国の美術評論家で、もとBBCの美術担当プロデューサーです。 ローラ・カミング 「消えたベラスケス」 五十嵐加奈子訳(柏書房 2018) 消えたベラスケス この本については中野京子さんが書評を書いていました。まずそれを引用します。日本経済新聞の読書欄からで、下線は原文にはありません。 芸術が魂に与える力を熱く 「消えたベラスケス」   ローラ・カミング 著 著者曰いわく、本書は巨匠の中の巨匠ベラスケスを称たたえる書である。 その言葉どおり熱い本だ。芸術作品というものは各時代の賛美者たちが熱く語り続けることで、次代へ繋つながれてゆく。ベラスケスはスペイン宮廷の奥に隠されていた時代にはゴヤが、公共美術館に展示されてからはマネが、その超絶技巧と魅力を喧…

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No.224 - 残念な「北斎とジャポニズム」展

No.156「世界で2番目に有名な絵」で、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中の『神奈川沖浪裏』が "世界で2番目に有名な絵" であるとし、この絵が直接的に西洋に与えた影響の一例を掲げました。No.156 で書いたのは、 No.156「世界で2番目に有名な絵」で、葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中の『神奈川沖浪裏』が "世界で2番目に有名な絵" であるとし、この絵が直接的に西洋に与えた影響の一例を掲げました。No.156 で書いたのは、 ◆ドビュッシーの交響詩「海」。スコアの表紙に『神奈川沖浪裏』が使われているし、そもそも作曲のきっかけが北斎だと考えられる。 ◆ドビュッシーの家の室内写真。ストラヴィンスキーとのツー・ショット写真だが、壁に『神奈川沖浪裏』が飾られている。 ◆カミーユ・クローデルの彫刻作品『波』。 ◆『神奈川沖浪裏』を立体作品にした、ドレスデン街角のオブジェ。 ◆『神奈川沖浪裏』を童話に仕立てたスペインの絵本。 ◆サーフィン用ウェアの世界的ブランドである Quiksilver のロゴマーク。『神奈川沖浪裏』が単純化されてデザインされている。 でした。もちろん『神奈川沖浪裏』を含む「富嶽三十六景」や「北斎漫画」など、北斎の多数の作品が19世紀以降の西欧アートに影響を与えたし、北斎だけでなく日本の浮世絵や工芸品がヨーロッパに輸出されて、いわゆる "ジャポニズム" の流れを生んだわけです。 No.187「メアリー・カサット展」で書いたのですが、カサットは1890年にパリ…

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No.205 - ミレーの蕎麦とジャガイモ

落穂拾い No.200「落穂拾いと共産党宣言」の続きです。画家・ミレー(1814-1875)が描いた傑作『落穂拾い』ですが、No.200で書いたその社会的背景や当時の評判をまとめると以下のようになります。 ◆落穂を拾っている3人は最下層の農民であり、地主の許可なく農地に入り、刈り取りの際にこぼれた小麦の穂を拾っている。地主はその行為を黙認しており、そういった「喜捨きしゃの精神」は聖書の教えとも合致していた。 ◆この絵は当時から大いに人気を博し、数々の複製画が出回った。 ◆しかしパリの上流階級からは社会秩序を乱すものとして反発を招いた。「貧困の三美神」という評や「秩序を脅おびやかす凶暴な野獣」との論評もあった。詩人のボードレールは描かれた農婦を "小賤民パリアたち" と蔑称している。 ◆その理由は当時の社会情勢にあった。「共産党宣言」にみられるように労働者の権利の主張が高まり、社会の変革や改革、革命をめざす動きがあった。ミレーのこの絵は、そういった動きに与くみするものと見なされた。この絵は当時の上流階級からすると「怖い絵」だった。 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) 「落穂拾い」(1857) (オルセー美術館) ミレーは社会運動に参加したわけではないし、労働者や農民の権利や社会の改革についての発言をしたことはないはずです。画家はシンプルにバルビゾン周辺の「農村の実態」を描いた。 しかし描かれたのが「最下層の農民」ということが気にかかり…

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No.201 - ヴァイオリン弾きとポグロム

前回の No.200「落穂拾いと共産党宣言」で、ミレーの代表作である『落穂拾い』の解説を中野京子・著「新 怖い絵」(角川書店 2016)から引用しました。『落穂拾い』が "怖い絵" というのは奇異な感じがしますが、作品が発表された当時の上流階級の人々にとっては怖い絵だったという話でした。 その「新 怖い絵」から、もう一つの絵画作品を引用したいと思います。マルク・シャガール(1887-1985)の『ヴァイオリン弾き』(1912)です。描かれた背景を知れば、現代の我々からしてもかなり怖い絵です。 ヴァイオリン弾き マルク・シャガール(1887-1985) 「ヴァイオリン弾き」(1912) (アムステルダム市立美術館) "ヴァイオリン弾き" というモチーフをシャガールは何点か描いていますが、その中でも初期の作品です。このモチーフを一躍有名にしたのは、1960年代に大ヒットしたミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」でした。シャガールはミュージカルの制作に関与していませんが、宣伝にシャガールの絵が使われたのです。もちろんミュージカルの原作者はロシア系ユダヤ人で、舞台もロシアのユダヤ人コミュニティーでした。 この絵について中野京子さんは「新 怖い絵」で次のように書いています。 緑色の顔の男がまっすぐこちらを見据え、三角屋根の上に片足を載せリズムを刻きざみつつ、ヴァイオリンを奏かなでる。ロシアの小村。木造りの素朴な家が点在し、屋根にも広場にも雪が積もる。煙突からは…

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No.200 - 落穂拾いと共産党宣言

No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」で、フィラデルフィア美術館が所蔵するミレーの絶筆『鳥の巣狩り(Bird's-Nesters)』のことを書きました。その継続で、今回はミレーの "最高傑作" である『落穂拾い』(オルセー美術館)を話題にしたいと思います。実は『落穂拾い』と『鳥の巣狩り』には共通点があると思っていて、そのことについても触れます。  ちなみに、このブログで以前にとりあげたミレーの絵は『鳥の巣狩り』『晩鐘』『死と樵きこり』(以上、No.97)、『冬』『虹』(No.192「グルベンキアン美術館」)ですが、それぞれミレーの違った側面を表している秀作だと思います。 まず例によって、中野京子さんの解説によって『落穂拾い』がどういう絵かを順に見ていきたいと思います。 貧しい農民と旧約聖書 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) 「落穂拾い」(1857) (オルセー美術館) この絵に描かれた光景と構図について、中野京子さんは著書「新 怖い絵」で次のように解説しています。 大地は画面の七割を占め、厚みを帯びて広がっている。『晩鐘ばんしょう』と同じく、明暗のコントラストが鮮やかだ。夕暮れのやさしい陽ひを浴びた豊穣ほうじょうな後景と、影の濃い貧困たる前景。麦藁むぎわらが天まで届けとばかりに積み上がった後景と、やっとの思いで集めた数束が画面右端に見えるだけの前景。干し草のかぐわしい匂いが漂う後景と、じめじめした土の臭いを感…

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No.190 - 画家が10代で描いた絵

No.46「ピカソは天才か」で、バルセロナのピカソ美術館が所蔵するピカソの10代の絵をとりあげ、それを評した作家の堀田善衛氏の言葉を紹介しました。 実は、ピカソの10代の絵は日本にもあって、美術館が所蔵しています。愛知県岡崎市に「おかざき世界こども美術博物館」があり、ここでは子どもたちがアートに親しめる数々のイベントが開催されているとともに、日本を含む世界の有名画家が10代で描いた絵が収集されています。この中にピカソの10代の絵もあるのです。 私は以前からこの美術館に一度行ってみたいと思っていましたが、そのためだけに岡崎市まで行くのも気が進まないし、何か愛知県(東部)を訪問する機会があればその時にと思っていました。 ところがです。今年(2016年)のお盆前後の夏期休暇に京都へ行く機会があったのですが、たまたま京都で「おかざき世界こども美術博物館」の作品展が開催されていることを知りました。会場はJR京都駅の伊勢丹の7階にある「えき」というギャラリーで、展示会のタイトルは「世界の巨匠たちが子どもだった頃」(2016.8.11 ~ 9.11)です。これは絶好の機会だと思って行ってきました。 ピカソのデッサン 今回の展覧会の "目玉作品" がピカソの14歳ごろの2つの絵で、いずれも鉛筆・木炭で描かれた石膏像のデッサンです。展覧会の図録によると、ピカソの石膏像のデッサンは30点ほどしか残されていないそうで、つまり大変貴重なものです。振り返ると、No.46「ピカソは天才か」で…

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No.187 - メアリー・カサット展

今回は、横浜美術館で開催されたメアリー・カサット展の感想を書きます。横浜での会期は 2016年6月25日 ~ 9月11日でしたが、京都国立近代美術館でも開催されます(2016年9月27日 ~ 2016年12月4日)。 メアリー・カサットの生涯や作品については、今まで3つの記事でとりあげました。 No.86ドガとメアリー・カサット No.87メアリー・カサットの「少女」 No.125カサットの「少女」再び の3つです。また次の2つの記事ですが、 No.93生物が主題の絵 No.111肖像画切り裂き事件 No.93では、カサットの愛犬を抱いた女性の肖像画を引用し、またNo.111では、ドガが描いた「メアリー・カサットの肖像」と、その絵に対する彼女の発言を紹介しました。これら一連の記事の継続になります。 メアリー・カサット展 横浜美術館 (2016年6月25日~9月11日) 絵は「眠たい子どもを沐浴させる母親」(1880。36歳。ロサンジェルス美術館蔵) 浮世絵版画の影響 1867年(23歳)に撮影されたメアリー・カサットの写真。彼女がパリに到着した、その翌年である。手にしているのは扇子のようである。フィリップ・クック「印象派はこうして世界を征服した」(白水社。2009)より。今回の展覧会の大きな特徴は、画家・版画家であるメアリー・カサット(1844-1926)の "版画家" の部分を念入りに紹介してあったことです。カサットの回顧展なら当然かも…

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No.186 - もう一つのムーラン・ド・ラ・ギャレット

ポンピドゥー・センター傑作展 2016年6月11日から9月22日の予定で「ポンピドゥー・センター傑作展」が東京都美術館で開催されています。今回はこの展示会の感想を書きます。この展示会には、以下の4つほどの "普通の展示会にあまりない特徴" がありました。  1年・1作家・1作品  まず大きな特徴は「1年・1作家・1作品」という方針で、1906年から1977年に制作された71作家の71作品を制作年順に展示したことです。展示会の英語名称は、 Masterpieces from the Centre Pompidou : Timeline 1906-1977 とありました。つまり Timeline = 時系列という展示方法です。制作年順の展示なので、当然、アートのジャンルや流派はゴッチャになります。 デュフィ 「旗で飾られた通り」(1906) しかし、だからこそ20世紀アートの同時平行的なさまざまな流れが体感できました。Timeline 1906-1977 だと72作品になるはずですが、71作品なのは1945年(第2次世界大戦の終了年)だけ展示が無いからです。 ちなみに、最後の1977年はポンピドゥー・センターの開館の年です。では、なぜ1906年から始まっているのでしょうか。なぜ1901年(20世紀最初の年)ではないのか。おそらくその理由は、1906年のデュフィの作品 = フランス国旗を大きく描いた作品を最初にもって来たかったからだと思いました。…

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No.163 - ピカソは天才か(続)

今回は、No.46「ピカソは天才か」の続きというか、補足です。No.46 では、ピカソがなぜ天才と言えるのかを書いた人の文章を引用しましたが、その中で中野京子さんがピカソの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1900)を評した文章を引用しました。最近、中野さんは『名画の謎 対決篇』(文藝春秋 2015)という著書でこの絵を詳しく解説していたので、それを No.46 の補足として紹介したいと思います。 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』というと、オルセー美術館にあるルノワールの絵(1876)年が大変に有名ですが、24年後にピカソも全く同じ場所を描きました。 ルノワールがムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いて24年後の1900年、スペインから若い画家がパリへやってきた。パリでの成功イコール世界制覇を意味したので、各国からうじゃうじゃ集まってきた画家の卵のひとりである。だがスペイン生まれの小柄な19歳は、卵というには達者すぎる腕前だった。 パリ到着の二ヶ月後、彼はムーラン・ド・ラ・ギャレットへ何度か通い、あっという間に一枚の絵を描きあげる。もとより早描きだった。美術学校入学試験の制作でも、期限が一ヶ月というのにたった一日で描き終えたほどだ。自分が天才だと知っていた。小さなころからラファエロのように描けたと豪語していた。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ…

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No.161 - プラド美術館の「怖い絵」

前回はプラド美術館の二つの絵(モナリザの模写作品、エル・グレコの『胸に手をおいた騎士』)についてでした。その続きで、プラド美術館にある別の絵について書きます。No.19「ベラスケスの怖い絵」の続きという意味もあります。 現地に行かないと分からない 旅行の楽しみの一つは、さまざまなシチュエーションにおける「発見」です。これだけ各種の情報が容易に手に入る時代でも、現地に行かないと分からないことがいろいろあります。「食事」や「ショッピング」は旅の楽しみの大きな要素ですが、さまざまな「発見」も旅行の楽しさを作っているポイントでしょう。 プラド美術館 (Wikipedia) プラド美術館にも、現地に行ってみて初めて知ることがありますが、その一つは「ヌードを描いた絵が非常に少ない」ということです(些細ささいですが)。これは同じように古典絵画(18世紀かそれ以前に描かれた絵画)をメインのレパートリーとするルーブル美術館やロンドンのナショナル・ギャラリーと違うところです。ルーブルにはギリシャ・ローマ神話を題材に、女性神を裸体・半裸体で描いた絵がたくさんあるのに、プラド美術館にはそれがあまりありません。ティツィアーノやルーベンスなど、無いことはないが非常に少ない。これは「プラド美術館の特徴」と言ってよいと思います。 そんなことはないはずだ、"あの絵" があるではないか、と思われるかも知れません。その通りです。誰もが知っているヌードの超有名絵画があります。ゴヤの『裸のマハ』と『着衣のマハ』…

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No.160 - モナ・リザと騎士の肖像

No.156「世界で2番目に有名な絵」の続きです。No.156 では、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏なみうら』が "世界で2番目に有名な絵" としたのすが、もちろん "世界で1番有名な絵" は『モナ・リザ』です。そして『モナ・リザ』は "一見どこにでもありそうな女性の肖像画" にもかかわらず、なぜ "世界で1番有名な絵" にまでなったのか、No.156 ではその理由を推測しました。 こだわるようですが、その理由について別の角度から考えてみたいと思います。今回は「モナ・リザの模写」とされる絵との対比からです。 プラド美術館の "モナ・リザ" プラド美術館に『モナ・リザの模写』(作者不詳)が展示されています。普通、プラドのような超一流の美術館が、第一級の名画に混じって「模写作品」を展示することはあまりないと思います。"世界で1番有名な絵" の模写だからと言えそうですが、『モナ・リザ』の模写と称する絵は世の中にたくさんあります。しかも、プラド美術館の模写は著名画家のものではありません。「ラファエロが模写した」のなら展示して当然かも知れないが、この絵の作者は "不詳" です。 ダ・ヴィンチの工房 「モナ・リザの複製」(1503-1516頃) プラド美術館 (Wikimedia) プラド美術館の説明によると、この絵は ◆数ある『モナ・リザ』の模写の中では、最も古いものであり、 ◆ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描く姿を見ていた直弟子が『モナ・リザ』とほぼ同時期に模写した …

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No.152 - ワイエス・ブルー

No.150「クリスティーナの世界」と No.151「松ぼっくり男爵」でアンドリュー・ワイエス(1917-2009)の絵画をとりあげましたが、その継続です。今回はアンドリュー・ワイエスの "色づかい" についてです。No.18「ブルーの世界」の続きという意味もあります。 まず「クリスティーナの世界」の画題となったオルソン家の話からはじめます。 オルソン家 No.150「クリスティーナの世界」で描かれたクリスティーナ・オルソンは、1歳年下の弟・アルヴァロとともにオルソン・ハウスと呼ばれた家に住んでいました。その家はアメリカ東海岸の最北部、メイン州のクッシングにあるワイエス家の別荘の近くです。オルソン家とアンドリュー・ワイエスの出会いを、福島県立美術館・学芸員の荒木康子氏が書いています。 1939年の夏のある日、メイン州クッシングの夏の家にいたアンドリュー・ワイエスは、ジェイムズという男を訪ねることにした。まだ会ったことのない男だったが、ジェイムズの友人が、デビューしたてのワイエスの絵を一枚買ったという話を人づてに聞き、どういうわけかその日、訪ねてみようという気になったのだった。あいにく彼は外出中で、かわりに娘のベッツィがワイエスを出迎えた。ベッツィとワイエスはすぐに打ち解け、一緒にドライブに出ることになった。彼女は、いいとことがあるといって、一本道の行き止まりにある古い質素な家にワイエスを案内した。そこにはクリスティーナ・オルソンと弟のアルヴァロが住んでいた。 こう…

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No.151 - 松ぼっくり男爵

福島県立美術館 前回の No.150「クリスティーナの世界」で、福島県立美術館が所蔵するアンドリュー・ワイエスの「松ぼっくり男爵」にふれました。今回はこの絵についてです。 ポスターの絵は「Faraway」(遥か彼方に。1952)。モデルは息子のジェイムズ。前回書いた様に、家族旅行の帰り道でたまたま立ち寄った福島県立美術館でワイエスを "発見" したのですが、もちろん、ワイエスという画家は知っていました。初めて本格的な展覧会に行ったのは、世田谷美術館で1988年に開催されたワイエス家・3代(アンドリュー・ワイエスと父・ニューウェル、息子・ジェイムズ)の展覧会(ポスター)だったと思います。 しかし福島県立美術館で出会ったワイエス、特に「松ぼっくり男爵」は心に残るものでした。それは「思いがけず」ということに加えて「不思議な絵だな」という感触を持ったからだと思います。もちろん、福島で見たときには、この絵が描かれた経緯を知りませんでした。以下の「描かれた経緯」は全てあとで知ったものです。 なお以下の説明は、 ◆テレビ東京「美の巨人たち」で放映された「松ぼっくり男爵」(2013.6.22) ◆福島県立美術館の学芸員・荒木康子氏の解説 = 「アンドリュー・ワイエス 創造への道程みち展 2008」の図録所載 を参考にしました。荒木康子氏は「美の巨人たち」のインタビューにも答えていました。 福島県立美術館 松ぼっくり男爵 アンドリュー・ワイエス(1917-…

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No.150 - クリスティーナの世界

今までに原田マハさんの "美術小説" に関して二回書きました。 ◆『楽園のカンヴァス』(2012) No.72「楽園のカンヴァス」 ◆『エトワール』 - 短編集『ジヴェルニーの食卓』(2013)より No.86「ドガとメアリー・カサット」 の二つの記事です。この続きなのですが、最近、原田さんは新しい短編小説集『モダン』(文藝春秋。2015)を出版しました。収められたのはいずれも美術をテーマとする小説ですが、すべてがニューヨーク近代美術館(MoMA - Museum of Modern Art)を舞台にしているので、"美術小説" というよりは "美術館小説" です。むしろ "MoMA小説" と言うべきかもしれません。 以下でとりあげるのは『モダン』の冒頭の『中断された展覧会の記憶』です。この小説は私にとっては過去の記憶を呼び醒まされた一編でした。そのストーリーは次のようです。 『中断された展覧会の記憶』 (以下では『中断された展覧会の記憶』のストーリーの前半が明らかにされています) ニューヨーク近代美術館(MoMA)の「展示会ディレクター」である杏子きょうこ・ハワードは、夫のディルとともにマンハッタンのアパートに暮らしています。杏子の両親は若いときにボストンに移住した日本人で、彼女はアメリカ国籍ですが、英語と日本語のバイリンガルです。 杏子はMoMAでの仕事を続けつつ、博士論文を執筆中でした。というのも、彼女は「キュレーター(学芸員)」になるという "野望…

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No.133 - ベラスケスの鹿と庭園

以前に何回かベラスケスの作品と、それに関連した話を書きました。 No.19 - ベラスケスの「怖い絵」 No.36 - ベラスケスへのオマージュ No.45 - ベラスケスの十字の謎 No.63 - ベラスケスの衝撃:王女と「こびと」 の4つの記事ですが、今回はその続きです。 スペインの宮廷画家としてのベラスケス(1599-1660)は、もちろん王侯貴族の肖像画や宗教画、歴史画を多数描いているのですが、それ以外に17世紀当時の画家としては他の画家にないような特徴的な作品がいろいろとあり、それが後世に影響を与えています。 ます「絵画の神学」と言われる『ラス・メニーナス』は後世の画家にインスピレーションを与え、ベラスケスに対するオマージュとも言うべき作品群を生み出しました。以前の記事であげた画家では、サージェント(No.36)、ピカソ(No.45)などです。オスカー・ワイルドは『ラス・メニーナス』にインスパイアされて童話『王女の誕生日』を書き(No.63)、ツェムリンスキーはそれを下敷きにオペラ『こびと』を作曲しました。近年ではスペインの作家、カンシーノが小説『ベラスケスの十字の謎』を書いています(No.45)。 圧倒的な描写力という点でベラスケスは突出しています。それは、若い時の作品、たとえば『セビーリャの水売り』(1619頃。20歳)の質感表現を見るだけで十分に分かるのですが、極めつけは『インノケンティウス10世の肖像』(1650)でしょう。この絵については N…

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No.125 - カサットの「少女」再び

青い肘掛け椅子の少女 No.86「ドガとメアリー・カサット」では、エドガー・ドガ(1834-1917)とメアリー・カサット(1844-1926)の交友関係を紹介しました。また No.87「メアリー・カサットの少女」では、カサットの絵画・版画作品、特に『青い肘掛け椅子の少女』の感想を書きました。その続きというか、補足です。 2014年5月11日から10月5日まで、ワシントン・ナショナル・ギャラリーで「ドガ カサット」という特別展が開催されています。2人の画家の芸術上の相互の影響と、ドガをアメリカに紹介するにあたってのカサットの役割を回顧する特別展です。私はもちろん行かなかった(行けなかった)のですが、展示会の内容を記した小冊子のデジタル・データがナショナル・ギャラリーのホームページに公開されたので、さっそく読んでみました。ナショナル・ギャラリーのフランス絵画部門のキュレーター、Kimberly Jones氏が執筆したものです。 その小冊子の中に、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する『青い肘掛け椅子の少女』(1878)の制作過程に関する最近の発見が書いてあったので、それを紹介します。 メアリー・カサット(1844-1926) 『青い肘掛け椅子の少女』(1878) (ワシントン・ナショナル・ギャラリー) (site:www.nga.gov) ドガの関与 No.87「メアリー・カサットの少女」にも書いたように、この作品には「ドガの手が入っている」…

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No.118 - マグダラのマリア

最近の記事、No.114とNo.115で、中野京子さんによる絵の評論を紹介し、その感想を書きました。  ジェローム『仮面舞踏会後の決闘』(No.114)  スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(No.115) の2作品です。また以前には、No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野さんによる  ベラスケス『インノケンティウス十世の肖像』   『ラス・メニーナス』 の評論を紹介しました。今回もその継続で、別の絵を紹介します。ティツィアーノ『悔悛かいしゅんするマグダラのマリア』(1533。フィレンツェ・ピッティ宮)です。この絵は「マグダラのマリア」を描いた数ある絵の中で、最も有名なもの(の一つ)だと思いますが、中野さんはこの絵の解説でサマセット・モームの小説を持ち出していました。それが印象に残っているので取り上げます。 ティツィアーノ 『悔悛するマグダラのマリア』(1533) (フィレンツェ・ピッティ宮) - Wikipedia - まず「マグダラのマリア」がどういう女性(聖女)か、その歴史的背景を踏まえておく必要があります。中野さんも解説(「名画の謎 ── 旧約・新約聖書篇」文藝春秋。2012)の中で書いているのですが、紙数の制約もあり短いものです。ここでは、京都大学・岡田温司あつし教授の著書である『マグダラのマリア ─ エロスとアガペーの聖女』(中公新書。2005)によって振り返ってみたいと思います…

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No.115 - 日曜日の午後に無いもの

No.114「道化とピエロ」で、中野京子さんが解説するジャン = レオン・ジェロームの『仮面舞踏会後の決闘』を紹介しました。中野さんの解説のおもしろいところは、一般的な絵の見方に留まらず、今まで気づかなかった点、漫然と見過ごしていた点、あまり意識しなかった点に焦点を当てている(ものが多い)ことです。『仮面舞踏会後の決闘』では、それは「ピエロ」という存在の社会的・歴史的な背景や意味でした。 No.19「ベラスケスの怖い絵」で取り上げた絵に関して言うと、ベラスケスの『ラス・メニーナス』では「道化」が焦点であり、ドガの『踊り子』の絵では「黒服の男」でした。そういった「気づき」を与えてくれることが多いという意味で、中野さんの解説は大変におもしろいのです。 今回もその継続で、別の絵を取り上げたいと思います。ジョルジュ・スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』です。言わずと知れた点描の傑作です。 グランド・ジャット島の日曜日の午後 ジョルジュ・スーラ(1859-1891) 『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(1884/6) (シカゴ美術館蔵) まずこの絵の社会的背景ですが、舞台となっている19世紀後半のパリは「高度成長期」でした。1850-60年代のパリ大改造で街並みが一新し、産業革命が浸透し、貧富の差はあるものの人々は余暇を楽しむ余裕ができた。川辺でピクニックをし、清潔になった橋や大通りを散策し、鉄道に乗って郊外に出かけ、ダンスホールで夜を楽しんだ。そういった時代…

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No.114 - 道化とピエロ

No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野京子さんの解説によるベラスケスの『ラス・メニーナス』を紹介しましたが、話をそこに戻したいと思います。中野さんは、王女の向かって右に描かれた小人症の女性、マリア・バルボラに着目し、当時のスペイン宮廷に集められた道化の話を展開していました。 No.19 以降、「ベラスケスと道化」に関係した話題を何回か取り上げています。まず、No.45「ベラスケスの十字の謎」では、マリア・バルボラの横に描かれている小人症の少年、ニコラス・ペルトゥサトを主人公にした小説「ベラスケスの十字の謎」を紹介しました。 さらに、No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」では、英国の詩人・文学者、オスカー・ワイルドが「ラス・メニーナス」からインスピレーションを得て書いた童話『王女の誕生日』と、その童話を原案として作られたツェムリンスキーのオペラ『こびと』に関して書きました。 また、No.36「ベラスケスへのオマージュ」では、エドゥアール・マネがベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』に感銘を受けて『笛を吹く少年』を描いたことに触れました。 No.19, No.36 に引用したように、ベラスケスはスペイン宮廷の道化を多数描いています。しかし宮廷道化師はスペインだけではなくヨーロッパの各国にあり、それは中世からの歴史的経緯があります。 中世ヨーロッパにおいては、「道化」と「愚者」と「精神を病んだ者」は同じ呼ばれ方をした(英語 fool、フランス語 fo…

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No.111 - 肖像画切り裂き事件

No.86「ドガとメアリー・カサット」で、原田マハさんの短編小説「エトワール」の素材となった、エドガー・ドガ(1834-1917)とメアリー・カサット(1844-1926)の画家同士の交友を紹介しました。今回はドガとエドゥアール・マネ(1832-1883)の交友の話です。二人は2歳違いの「ほぼ同い年」です。 エドガー・ドガ 『マネとマネ夫人像』 2014年1月18日の『美の巨人たち』(TV東京)は、ドガの『マネとマネ夫人像』(1868/69)をテーマにしていました。ドガが35歳頃の作品です。この絵は北九州市立美術館が所蔵していますが、絵の右端が縦に切り裂かれていて、無くなった部分にカンヴァスが継ぎ足されていることで有名です。ピアノを弾いているはずのマネ夫人(シュザンヌ)のところがバッサリと切り取られています。 エドガー・ドガ 『マネとマネ夫人像』(1868/69) (北九州市立美術館蔵) 番組で紹介されたこの絵の由来は、以下のような主旨でした。 ①ドガとマネは友情のあかしとして、互いに絵を描いて交換することにした。ドガがマネに贈った絵が『マネとマネ夫人像』である。 ②ドガがこの絵を描いた当時、マネは女性画家のベルト・モリゾと「不倫関係」にあった。 ③後日、マネの家を訪問したドガは、絵の右端が切り裂かれていることを発見し、怒ってその絵を自分の家に持ち帰った。 ④晩年のドガの家の室内写真がある。そこにはドガとともに『マネとマネ夫人像』が、切り取られ…

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