No.378 - クロテンの毛皮の女性:源氏物語

パルミジャニーノ 「アンテア」 No.332「クロテンの毛皮の女性」のテーマは、16世紀イタリアの画家・パルミジャニーノの『アンテア』(ナポリ・カポディモンテ美術館)でした。女性の全身像を描いた絵です。この絵の大きなポイントは、超高級品であるクロテンの毛皮で、しかもその毛皮にクロテンの頭部の剥製がついている(当時の流行らしい)、そのことによる "象徴性" でした。それは、描かれた女性の気性きしょうと感情を暗示している(と、絵を見る人が感じる)のでした。 ところで『アンテア』とは何の関係もないのですが、日本文学史上で著名な、"クロテンの毛皮を身につけた女性" がいます。源氏物語の登場人物の一人である "末摘花すえつむはな" です。以下、源氏物語でクロテンの毛皮がどのように扱われているかをみていきます。漢字で書くと、クロテン = 黒貂 です。 末摘花 源氏物語の第六帖は「末摘花」と題されています。末摘花は、赤色染料に利用する紅花べにばなの別名で、同時に、源氏がある姫君につけた "あだ名" です。名前の理由は物語の中で明かされます。 第六帖「末摘花」において源氏は18歳(数え年)す。この年齢では、物語の先々まで影響する重要な出来事が起こります。まず、父(桐壺帝)の妃である藤壺との密通があり、藤壺が懐妊します。また、不遇の身である紫の上(藤壺の姪)を見い出し、二条院(源氏の邸宅)に引き取ります。これらの出来事は第五帖の「若紫」で語られますが、同時並行で進むのが「末摘花」です。 …

続きを読む

No.367 - 南部鉄器のティーポット

これまでの記事で、NHK総合で定期的に放映されているフランスの警察ドラマ「アストリッドとラファエル」から連想した話題を2つ書きました。 No.346「アストリッドが推理した呪われた家の秘密」(シーズン1 第2話「呪われた家」より) No.363「自閉スペクトラム症と生成AI」(シーズン2 第6話「ゴーレム」より) の2つです。今回もその継続で、このドラマに出てくるティーポットの話を書きます。 ダマン・フレール パリのマレ地区のヴォージュ広場を囲む回廊の一角に、紅茶専門店、ダマン・フレール(Dammann Frères)の本店があります。ダマン・フレールは、17世紀のルイ14世の時代にフランスにおける紅茶の独占販売権を得たという老舗しにせで、ホームページには次のようにあります。 フランス王室に認められた 随一のティーブランド ダマンフレールの歴史は、1692年、フランス国王ルイ14世によりフランス国内での紅茶の独占販売権を許可されたことから始まりました。それはまた、フランスにおける紅茶の歴史の始まりとも言えます。1925年には紅茶を愛してやまないダマン兄弟により紅茶専門のダマン・フレール社が立ち上げられ、上流階級の嗜好品としての紅茶文化が開花しました。 ダマン・フレールの日本語公式サイトより ちなみに、フレールとはフランス語で兄弟の意味で、屋号は「ダマン兄弟」です。緑茶や中国茶も扱っているので「お茶専門店」…

続きを読む

No.304 - オークは樫ではない

No. 93「生物が主題の絵」の「補記4」で、「西洋でオークと呼ばれる木は日本の "楢ナラ" に相当し、"樫カシ" ではない」という話を書きました。日本では樫と訳されることが多く、このブログで過去に引用した数枚のオークの絵の日本語題名も「樫」となっています。 たとえば国立西洋美術館(上野)の常設展示室にある、ロヴィス・コリントの「樫の木」です。コリントはドイツ人で、この絵の原題は Der Eichbaum です。Eiche はドイツ語のオーク、Baum は木なので「オークの木」ということになります。しかし美術館が掲げる日本語タイトルは「樫の木」となっている。一見、些細なことのように思えますが、「樫の木」とするのはこの絵を鑑賞する上でマイナスになると思うのです。今回はそのことを順序だてて書いてみたいのですが、まず西欧における "オーク" がどいういう樹木か、そこから始めたいと思います。 オーク ヨーロッパでオーク(英語で Oak、フランス語で Chêne、ドイツ語で Eiche)と呼ばれる木の和名は "ヨーロッパナラ" であり、日本語に訳す場合は楢ナラとすべきだと書きました。オークも楢もコナラ属の落葉樹です。コナラ属の常緑樹を日本では樫カシと言いますが、たとえばイタリアなどには常緑樹のオークがあり、英語では live oak、ないしは evergreen oak と言うそうです(Wikipedia による)。 つまり Oak はコナラ属の樹木全般を指すが、普通は落葉…

続きを読む

No.278 - エリチェの死者の日

No.29「レッチェンタールの謝肉祭」の話から始めます。レッチェンタールはスイスのアルプスの谷にある小さな村ですが、この村の謝肉祭では「チェゲッテ」と呼ばれる鬼の面(ないしは "妖怪" の面)をつけた村人が練り歩きます。これは日本の秋田県男鹿地方の「ナマハゲ」に酷似した祭りです。つまり、謝肉祭というキリスト教の祭りと「チェゲッテ」というキリスト教以前の習俗が融合しているところに特徴があります。レッチェンタールにキリスト教が布教されたのは16世紀と言いますから、ヨーロッパの中でも極めて遅いことになります。だから「チェゲッテ」が生き延びたのでしょう。 さらに「レッチェンタールの謝肉祭」で印象的だったのは、この謝肉祭を取材したNHKの番組で語られていた村人の言葉でした。つまり、 「祭りのときに先祖の霊が戻ってきて、終われば帰っていく。先祖が我々を守る」 という意味の発言です。いわゆる先祖信仰、ないしは先祖祭祀ですが、これもキリスト教とは無縁のコンセプトです。こういった日本のお盆にも似た信仰は宗教にかかわらず世界共通ではないかと、そのとき思いました。 ところで、先祖信仰のイタリアでの例が先日のNHKの番組で紹介されました。2019年12月24日に放送された「世界ふれあい街歩き スペシャル」(NHK BS1)の中の「エリチェ」です。「レッチェンタールの謝肉祭」の続きとして、その内容を以下に掲載したいと思います。以下は番組をテキスト化したもの、ないしは番組内容の要約です。ちなみに「…

続きを読む

No.207 - 大陸を渡った農作物

前回のNo.206「大陸を渡ったジャガイモ」の続きです。アンデス高地が原産のジャガイモは16世紀以降、世界に広まりました。もちろん日本でもジャガイモ料理は親しまれていて、肉じゃがやポテトサラダ、ポテトコロッケなどがすぐに浮かびます。ジャガイモはドイツの「国民食」であり、ジャガイモのないドイツ料理など想像もできないわけですが、ドイツだけでなく世界中の食卓にあがっています。 フライド・ポテト(アメリカでフレンチ・フライ、英国でチップス)とその仲間も世界中で食べられています。ベルギーに初めて旅行したとき、食事のときにもベルギー・ビールのつまみにも、現地の人はフライド・ポテト(ベルギーで言う "フリッツ")にマヨネーズをつけて食べていました。極めて一般的な食べ物のようで、それもそのはず、フライド・ポテトはベルギーが発祥のようです。 ムール貝の白ワイン蒸しとフリッツ。これを食べないとベルギーに行ったことにならない(?)、代表的なベルギー料理(Wikipedia)。 ジャガイモと同じようにアメリカ大陸が原産地で、16世紀以降に世界に広まった農作物や食品はたくさんあります。No.206「大陸を渡ったジャガイモ」で、世界で作付け面積が多い農作物は、小麦、トウモロコシ、稲、ジャガイモだと書きましたが、そのトウモロコシもアメリカ原産で、その栽培種は中央アメリカのマヤ文明・アステカ文明で作り出されたものです。 トウモロコシ トウモロコシは食用にしますが、それよりも重要なのは飼料用穀物として…

続きを読む

No.206 - 大陸を渡ったジャガイモ

前回の No.205「ミレーの蕎麦とジャガイモ」で、ミレーの『晩鐘』に描かれた作物がジャガイモであることを書きました。小麦が穫れないような寒冷で痩せた土地でもジャガイモは収穫できるので、貧しい農民の食料や換金作物だったという話です。今回はそのジャガイモの歴史を振り返ってみたいと思います。 ジャガイモは、小麦、トウモロコシ、稲、に次いで世界4位の作付面積がある農作物です。1位~3位の「小麦・トウモロコシ・稲」は穀類で、保存が比較的容易です。一方、ジャガイモは "イモ" であり、そのままでは長期保存ができません。それにもかかわらず世界4位の作付面積というのは、寒冷な気候でも育つという特質にあります。これは、ジャガイモの原産地が南米・アンデス山脈の高地だからです。 そのアンデス高地でジャガイモはどのように作られているのでしょうか。以下、山本紀夫氏の著作「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会。2004)からたどってみたいと思います。  山本紀夫氏は国立民族学博物館(大阪府・吹田市)の教授を勤められた方です。植物学と文化人類学の両方が専門で、ペルーのマルカパタという村に住み込んで農耕文化の調査をされました。また家族帯同でペルーに3年間滞在し、ペルーの首都・リマの郊外にある国際ポテトセンター(ジャガイモの研究機関)で研究されました。ジャガイモを語るには最適の人物です。 インカ文明を支えたジャガイモ ジャガイモ文化を育はぐくんだのは南米のインカ文明です。最盛期のイ…

続きを読む

No.182 - 日本酒を大切にする

No.89「酒を大切にする文化」の続きです。No.89 で、神奈川県海老名市にある泉橋いづみばし酒造という蔵元を紹介しました。「いづみ橋」というブランドの日本酒を醸造しています。この蔵元の特長は、 ◆ 酒造りに使う酒米さかまいを自社の農地で栽培するか、周辺の農家に委託して栽培してもらっている。 ◆栽培するのは「山田錦」や「雄町」などの酒米として一般的なものもあるが、「亀の尾」や「神力しんりき」といった、いったんは廃すたれた品種を復活させて使っている(いわゆる復古米)。 ◆精米も自社で行う。つまりこの蔵元は、米の栽培から精米、醸造という一連の過程をすべて自社で行う、「栽培醸造」をやっている。 いづみ橋の定番商品、恵(めぐみ)の青ラベル(純米吟醸酒)と赤ラベル(純米酒)。泉橋酒造周辺の海老名産の山田錦を使用。日本酒度は +8 ~ +10 と辛口である。という点です。「酒を大切にする文化」は、酒の造り手、流通業者、飲食サービス業、消費者の全部が関係して成立するものです。しかし文化を育成するためには、まず造り手の責任が大きいはずです。この記事で言いたかったことは、ワインは世界でも日本でも「栽培醸造」があたりまえだが、日本酒では非常に少ない。こんなことで「日本酒を大切にする文化」が日本にあると言えるのだろうか、ということでした。 このことに関してですが、最近、朝日新聞の小山田研慈けんじ・編集委員が「栽培醸造」を行っている酒造会社を取材した新聞記事を書いていました。「日…

続きを読む

No.117 - ディジョン滞在記

前回の No.116「ブルゴーニュ訪問記」の時に滞在した町、ディジョンについてです。ディジョン滞在の事前情報として、日本の旅行者の方が書かれたブログが参考になりました。お互いさまというわけで、何点かディジョンについて書きます。 ブルゴーニュ公国 ブルゴーニュ公国は14-15世紀に隆盛を誇ったブルゴーニュ公の領地で、その首都がディジョンでした。またブルゴーニュ公はフランドル地方(現在のベルギー・オランダ・ルクセンブルグ)も支配していました。前回の No.116「ブルゴーニュ訪問記」に書いたボーヌのオスピス・ド・ボーヌにある「最後の審判」は15世紀のフランドルの画家・ウェイデンの作ですが、同じ領主の支配地域であったとすると納得できます。 ディジョンはパリから見ると南東の方向で、コート・ドール県の県庁所在地です。パリのリヨン駅からTGVで1時間40分程度で行けます。また、今回のブルゴーニュ旅行で訪問したボーヌは、列車で行くとするとディジョンから普通列車に乗り継いで約20分程度のようです。 ディジョンの駅を降りると、駅前にトラムの発着場があるのに気づきました。ディジョンは人口約15万の街です。トラムと言うと大きな都市のイメージがあるので、ちょっと意外な感じがしましたが、あとで調べてみるとフランスではかなりの数の地方都市にトラムがあり、現在も新設されているようです。ディジョン駅からディジョン旧市街の中心部までは十分歩いて行ける距離なので、トラムに乗る必要はありません。 ふくろう…

続きを読む

No.116 - ブルゴーニュ訪問記

No.12-13「バベットの晩餐会」で書いたように、あの映画のクライマックスの晩餐会ではワインが重要な役割を占めていました。そのメインのワインは「クロ・ヴージョ 1845」です。映画の設定からすると、40年ものの赤ワインということになります。映画の舞台はデンマークの寒村で、主人公のバベットは元・パリの高級レストランの料理長です。映画では、調理場でバベットが万感の思いを込めてクロ・ヴージョを味わう場面がありました。 そのクロ・ヴージョ(クロ・ド・ヴージョ)などの著名なワインの産地であるブルゴーニュを訪問してきたので、その感想を以下に書きます。 別に映画の影響というわけではないのですが、甲府・勝沼近辺のワイナリーには何回か行ったし、ナパ・ヴァレーのワイナリー巡りにも2回行ったことがあるので、次はヨーロッパにも是非行きたいと、かねてより思っていました。ボルドーではなくブルゴーニュに行ったのは、やはり映画の影響かもしれません。何回か書いたと思うのですが、映画が人に与える(暗黙の)影響は意外に強いものなのです。 ディジョンからの出発 4月末にディジョンに連泊し、一日を「ブルゴーニュ・日帰り旅行」にあてました。ガイドをしてくださったのは、尾田有美ゆみさんです。彼女は京都市出身で、日本でソムリエ(ソムリエール)の資格をとり、フランス人と結婚し、ディジョンに住んでいるという、ブルゴーニュのドメーヌのガイドとしてはまさにうってつけの方です。朝、滞在したホテルまで彼女の車で迎えに来てもらい、9…

続きを読む

No.108 - UMAMIのちから

No.106「食品偽装と格付けチェック」の続きです。2013年の一連の「食品偽装事件」、および「芸能人 格付けチェック」で出題される料理・食材の問題(No.31)で分かることの一つは、 「食」のプロではない一般人にとって、料理・食材・お酒の味を判別するのは簡単なことではない。「おいしい」か「まずい」かは分かるが「どういったおいしさか」はを識別するのは難しい ということだと思います。もちろんプロは違います。プロの料理人や食品製造・流通業の人、ソムリエなどの顧客サービスの専門家は、味の相違や共通性が大変敏感に分かるようです。しかし素人しろうとにとっては、判別はそう簡単ではない。 この最も極端な例が、テレビの「グルメ番組」に登場する「レポーター」です。 「グルメ・リポーター」の悲惨 テレビで「料理」を取材した番組がいろいろあります。それは、大都市のレストラン・飲食店だったり、老舗の日本料理店であったり、また地方の郷土料理店もあり、もちろん外国、特にフランスやイタリアなどもよく紹介されます。そういった番組の「レポーター」として、料理のプロではないタレント、芸能人、女優などが起用されることが多い。こういった人たちを「グルメ・レポーター」ないしは略して「レポーター」と呼ぶことにします。このような番組で強い違和感を覚えるのは  料理を食べてみて、ほとんど「おいしい」としか言わない、ないしは「おいしい」と同義の言葉しか発しない「グルメ・レポーター」がいる、むしろそうい…

続きを読む

No.89 - 酒を大切にする文化

No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」でワイン(赤ワイン)の話を書いたのですが、そこからの連想です。 No.31で書いたのは、イタリアワインである「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」をたまたま飲む機会があり、その味に感動し、それ以降「ワイン好き」になったという経緯でした。しかし「ワイン好き」の理由は、単に味や香りが好きということだけではないと自己分析しています。その他の理由として、   ◆ ワインは(主として)食中酒である   ◆ ワインを大切にする文化がある の2点が大きいと思っているのです。 食中酒というのはもちろん「酒が料理を引き立て、料理は酒のおいしさを増すという相乗作用を引き出す酒」ということです。これが食事の楽しみを倍加させる。ワインと食事の「マリアージュ(=結婚)」などと言います。No.12-13「バベットの晩餐会」では  ・ヴーヴ・クリコ 1860(白・発泡性)  ・クロ・ヴージョ 1845(赤) が食中酒として使われていました。もちろんバベットの故郷であるフランスのワインです。 ワインを大切にする文化というのは ◆ワインの造り手◆レストラン関係者(シェフ、ウェイター、ソムリエなど)◆ワインの流通にかかわる様々な人々や組織(ショップ、評論家、ジャーナリズムなど)◆ワインの消費者 のそれそれが、品質の良いワインを育はぐくみ、楽しむという点において、それぞれの立場か…

続きを読む

No.76 - タイトルの「誤訳」

No.53「ジュリエットからの手紙」において、この映画(2010年。米国)の原題である  Letters to Juliet の日本公開タイトルを  ジュリエットからの手紙 とすることの違和感を書きました。Letters to Juliet という原題は、世界中からイタリア・ヴェローナの「ジュリエットの家」に年に何千通と届くレター、つまり女性が恋の悩みを打ち明けたレターを指しています。映画のストーリーになっているクレアが書いた手紙はその中の一通です。しかし「ジュリエットからの手紙」という日本語タイトルでは、クレアの手紙に対するソフィーの返信のことになってしまいます。この返信が映画で重要な位置にあることは確かなのですが、原作者がタイトルに込めた意味を無視してまで、反対の意味のタイトルをつける意味があるのかどうか・・・・・・と思ったわけです。 大学入試の英文和訳で「Letters to Juliet」を「ジュリエットからの手紙」と訳せば減点されるし、そもそもそういう学力の人は入試に失敗するでしょう。しかし、日本語タイトルをつけた映画配給会社の担当者の英語力が劣っているわけはないはずです。何らかの意図があってタイトルをつけている。その意図はおそらく  興行成績を上げるために有利なタイトルは何か という判断基準だと推測されます。「ジュリエットからの手紙」というタイトルが「興行成績のために有利」かどうかは知りませんが、あえて「誤訳」をするのはそ…

続きを読む

No.43 - サントリー白州蒸溜所

No.31「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」はワインの話ではじめたのですが、そこでウイスキーを引き合いに出して、 シングルモルト・ウイスキーは個性が際だっている。ブレンド・ウイスキーはバランスがよい。 というようなことを書きました。これは随分アバウト過ぎる言い方であって、本当はそんな単純なものではないことは分かって書いたわけです。 今回は、ウイスキーそんな単純なものではないことの実証です。もう随分前になりますが、山梨県にあるサントリー白州蒸溜所で、ウイスキー作りの過程を見学したことがあります。ここで「ウイスキーが、いかに複雑なお酒であるか」を納得することになりました。 白州蒸溜所の見学コース サントリー白州蒸溜所   [site : SUNTORY] サントリー白州蒸溜所は、中央高速の山梨県・小淵沢インターチェンジの近くで、清里高原や八ヶ岳、蓼科高原にも近いロケーションにあります。南アルプス・甲斐駒ヶ岳へと続く山並みの山麓に蒸溜所はあり、そこはなだらかな傾斜地になっています。ここは一般の人が訪問して、案内ガイドの方に従って、ウイスキー作りのプロセスを見学することができます。 ウイスキー作りは、大きく言うと  ①発酵と蒸溜  ②貯蔵  ③ブレンド の3つから成り、これが見学コースのポイントでした(もちろんその後に、瓶詰めなどの商品製造工程がある)。この3つの過程に従って、私が見学した時に見聞きし…

続きを読む

No.42 - ふしぎなキリスト教(2)

前回より続く西洋を作ったキリスト教:資本主義の発達 前回に引き続き『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎・大澤真幸 著。講談社現代新書 2011)の感想です。 橋爪大三郎・大澤真幸 「ふしぎなキリスト教」 (講談社現代新書 2011)プロテスタントが西洋における資本主義の発達を促したという理論は、マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で主張されたものです。プロテスタント、とりわけカルヴァン派の教義が作り出した生活態度が、資本主義への決定的なドライブを生んだ、というのがその主張であり、なぜそう言えるのかが、ヴェーバーの説に従って解説されています。しかし、本書のこの解説は説明不足というか、資本主義の発達の説明にはなっていないのです。 まずその解説をみてみましょう。ポイントはカルヴァン派の救済予定説(予定説)です。つまりカルヴァン派の考え方によると、 ①ある人が最後の審判で救済されるかされないかは、あらかじめ神が決めていて、人間の行動がその決定に影響を与えることはできず、②かつ、その神の決定を人間があらかじめ(最後の審判以前に)知ることはできない ということなのです。本書で橋爪さんが言っているように、これは一神教の論理のもっとも純粋なヴァージョンであり、一神教を突き詰めて考えるとこうなるわけです。以下、この救済予定説と資本主義の関係を橋爪さんが解説した部分の引用です。 [橋爪] ゲームの理論を使って、考えてみましょう。 プレーヤーは神…

続きを読む

No.41 - ふしぎなキリスト教(1)

キリスト教への関心 No.24 -27「ローマ人の物語」で、塩野七生・著「ローマ人の物語」の感想を書きましたが、そこでは第14巻の「キリストの勝利」での記述を中心に、ローマ帝国の崩壊を決定づけたキリスト教の国教化と、それに伴うローマ固有の宗教や文化の破壊をテーマにしました。キリスト教は西ローマ帝国の崩壊後もヨーロッパ社会のコアとなっていきます。 橋爪大三郎・大澤真幸 「ふしぎなキリスト教」 (講談社現代新書 2011)私はキリスト教徒ではありませんがキリスト教については大いに関心があります。それはグローバル化した現代文明は、キリスト教をベースとする西洋文化に多大な影響を受けているからです。現代とはどういう時代かをできるだけ客観的に知りたいと思いますが、そのためにキリスト教を知りたい。それは、日本人とは何か、日本人はどういう特質や特徴、特有の行動様式があるのかを、客観的に知りたいのと表裏一体です。「今後どうするか」を考えるには、まず「今が何か」を偏見や思いこみや予断をできるだけ排して知る必要がありあります。 そのキリスト教とは何かを、非常にコンパクトに、かつ全体的に解説した本が2011年に出版されました。『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書 2011)です。 お この本は二人の社会学者の対論です。一人は橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)で、もう一人は大澤真幸(まさち)氏(思想月刊誌 主宰)で…

続きを読む

No.37 - 富士山型の愛国心

No.30「富士山と世界遺産」で、 新幹線で外国人に富士山の美しさを長々と説明した人の行為は、自国の誇りを対外的に説明しようとする「シンプルな愛国心」の発露だと思います。 「愛国心」というとちょっと大げさなようですが、国を構成する重要な側面は「自然」です。そして日本の場合、富士山を含む「山」は自然の極めて重要なファクターです。従って「日本を愛する」ことの一部として「富士山を愛する」ことがあって当然だと思います。 と書きました。今回はその続きです。ここで言葉にした「愛国心」について考えてみたいと思います。 何も大げさに「愛国心」と言わなくても、日本に生まれたから日本が好きだ、日本に住んでいるから日本が好きだ、私は日本を愛します、でよいわけです。しかし一歩踏み込んで、その「日本が好きだ、日本を愛するという感覚」を分析してみたらどうなるか、というのが論点です。 国レベルの愛郷心 「国」という概念は、あまりにも多くのものを含んでいます。そのため「愛国心」も人によってさまざまな定義や考え方があり、論点を整理しておかないと筋道が分からなくなります。 まず一般に「愛国心」と言われるものの中には「(現在の)国の体制や政治的主義に忠誠を誓うことを(暗黙に)求めるもの」があります。この「忠誠型の愛国心」いわば「忠国心」は今回の議論の範囲外です。 また「国益とセットで語られる愛国心」も議論の対象外です。何が「国益」の増進につながるのか、人によって考えが違うことが一般的です。領…

続きを読む

No.31 - ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ

No.3「ドイツ料理万歳!」で紹介しましたが、この本の中で著者の川口さんは、 やはりワインは、太陽を一杯に浴びた葡萄から作られた華やかなものがいいな、と思う。夜、家中が寝静まったあと、一人でそんなワインを空ける。イタリア、スペイン、フランスといった、濃厚な大地の香りのするワイン(お値段は日本の半値以下!)を飲みながら、本を読んだり、音楽を聞いたり、原稿を書いたりする。「ドイツに住んでいてよかった!」と思う至福のひとときである。と書いています。 これを受けて「彼女の意見には120%賛成です」としました。120%というちょっと大袈裟な表現になったのは、川口さんの文章、特に「太陽を一杯浴びた」とか「濃厚な大地の香り」という表現を読んで、私が初めて赤ワインを好きになった時のことを強く思い出したからです。今回はその話です。なお以下の文章で単にワインというと「赤ワイン」のことを指します。 S家のワイン・パーティー もう随分前ですが、近くのS氏のワイン・パーティーに夫婦で招待されたことがありました。それまでS氏とは面識がなかったのですが、妻がS氏の奥さんを知っていたのと、たまたまS氏と私が同じ会社に勤めていた時期があったので、その縁で招待してくれたのだと思います。3組の夫婦が招待されていました。料理は基本的にはS氏の奥さんが作るのですが、招待された側もそれぞれオードブルを作って持ち込みました。 もちろんワインはS氏がふるまいます。彼は仕事の関係でヨーロッパへの出張が多く、空き時間をみつ…

続きを読む

No.29 - レッチェンタールの謝肉祭

No.27「ローマ人の物語 (4) 」の最後のところでヨーロッパの固有文化が残った例としてあげた「レッチェンタールの謝肉祭」の話です。 レッチェンタールの謝肉祭 以前、NHK総合で「地球に乾杯」というドキュメント番組シリーズがありました。1999年4月8日のこの番組で放映された「レッチェンタールの謝肉祭」は、非常に強い印象を残すドキュメントでした。 スイスとレッチェンタール レッチェンタールの村 - Kippel http://www.loetschental.ch/en/スイスのレッチェンタールは、イタリアにも近いアルプスの山脈に囲まれた谷です。タールは「谷」であり「レッチェン谷」という意味です。この谷を北に行くとスイス最大のアレッチ氷河にぶつかり、その奥にはユングフラウがあるという位置関係です。この谷間に沿って数個の村が連なっています。番組で紹介されたのは、このレッチェンタールの謝肉祭です。謝肉祭はキリスト教の復活祭の前の40日間である四旬節の、その前に行われる祭り(2月上旬)です。もともとキリスト教の祝祭ですが、カーニバルと呼ばれて一般名詞にもなっているように、大変世俗的な祭りとなっているケースが多いわけです。 しかしレッチェンタールの謝肉祭は独特です。それは同時に行われるチェゲッテの行事です。スイス政府観光局の日本語ホームページから引用します。 チェゲッテとは、村の男性が木で彫った恐ろしい形相の面をつけ、ヤギや羊の毛皮をかぶって扮する一種の怪物のようなもの。雪…

続きを読む

No.21 - 鯨と人間(2)日本・仙崎・金子みすゞ

(前回より続く)日本の伝統捕鯨 前回からの継続です。日本の伝統的な捕鯨にまつわる動物観は、 動物は、人間が利用し、かつ人間が敬う存在である。利用するときには徹底的に利用するのが動物の供養になり、その方が動物も浮かばれる。そのとき、動物を殺生しないと生きていけない人間の罪を意識する。 というようなことだと思います。これは前回に推定した欧米の動物観とはかなり違います。これを江戸時代からの日本の伝統捕鯨で確認して行きたいと思います。 日本では江戸時代に、沿岸に近づいてくる鯨を捕獲する「沿岸捕鯨」が盛んになりました。下の図は「鯨と捕鯨の文化史」(森田 勝昭。名古屋大学出版会。1994年。No.20 参照)に掲載されている鯨の回遊路(推定)です。北太平洋の鯨は、高緯度領域でオキアミなどの餌を接種し、南の低緯度域で繁殖するという行動パターンをもつものが多いのですが、日本列島周辺の海域はその回遊路にあたっています。図でわかるように黒潮にのって鯨が北上してくるわけです。前回の、No.20「鯨と人間(1)」で森田さんが「日本列島は、それ自体が捕鯨場に浮かんでいるという地理的条件にあった」と書いていることを紹介しましたが、この図を見ていると「日本列島は捕鯨場に浮かんでいる」というのは誇張ではないことがわかります。 ナガス鯨、シロナガス鯨、ザトウ鯨の回遊路 (「鯨と捕鯨の文化史」より) しかし上図の回遊路どおりではなく、そこからはずれて沿岸に近づいたり、餌を追って湾に迷い込む鯨も出てくる。…

続きを読む

No.20 - 鯨と人間(1)欧州・アメリカ・白鯨

No.13「バベットの晩餐会(2)」の「海亀のスープ」のところで「海亀は鯨とともに絶滅危惧種であり、そのスープを味わった人はいないはず」と書きました。そこでも触れたように、大型海洋生物の絶滅危惧種として海亀と並んで代表的なのが鯨です。そして鯨はその保護のあり方について世界で論争になっていて、刑事事件まで起こっています。そこで「鯨と人間の関係」について振り返ってみたいと思います。 絶滅危惧種としての鯨 クジラ類は国際自然保護連合(IUCN)のレッド・リストにおいて7つの種が「絶滅の危機」ないしは「脆弱」となっています。また、絶滅の恐れのある野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約では、クジラ類の全種が付属書①(国際商取引禁止)か、ないしは付属書②(国際商取引には輸出国の許可証が必要)に記載されています。 国際捕鯨委員会(IWC)は、商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)を1982年に決議しました。さらにIWCにおいては、反捕鯨国と捕鯨容認国がクジラの保護のありかたをめぐって長期間の論争をしています。このようにクジラ(クジラ目という意味ではイルカを含む)は、その種としての保護が国際的な問題になっているというのが、まず背景としてあります。 反捕鯨テロ 捕鯨に関する「争い」で最近注目を集めたのは、シー・シェパードを名乗るアメリカの団体の船が、2010年1月から2月にかけて、オーストラリア近くの公海上で日本の捕鯨監視船に突っ込もうとし、薬物を投げつけたり、不法進入をしたとい…

続きを読む

No.18 - ブルーの世界

No.4「プラダを着た悪魔」 で紹介したように、この映画の中で編集長のミランダはアンディの着ているセーターを見て、 でも知らないでしょうけど、その色はブルーじゃない。ターコイズでもラピスでもない、セルリアンよ。 と言っています。このミランダのセリフに出てくるブルー、ターコイズ、ラピス、セルリアンは、すべて「青」を表す言葉です。 そこで「No.4 - プラダを着た悪魔」の補足として「青色の歴史」、特に顔料や絵の具、染料を中心とした青の歴史をまとめておきたいと思います。なお「青」といっても非常に多様です。以下は「代表的な一部の青」であることを断っておきます。また以下に掲げる「色見本」もあくまで一つの例であって、同じ色の名前でもヴァリエーションが多々あります。 現代社会において布地を染める染料、絵画用の絵の具、建築や工業製品・日用品に使われる塗料・顔料の類は、ほとんどが工業的に合成されています。どんな色でも自由に、かつ安価に作れるわけです。しかし昔はそうではありません。「色」は貴重なものであり、それを巡るさまざまな歴史があります。 ブルーと青・あお まずミランダの言う「ブルー」とは、もっとも一般的な色の名称(=色名、しきめい)としてのブルーです。ミランダがアンディに言いたいことは、 いま着ているセーターの色を「ブルー」と思っているようではファッション関係者とは言えない。どういうブルーかが分かっていないようでは・・・・・・ ということでしょう。ファッションに敬意…

続きを読む

No.7 - ローマのレストランでの驚き

No.6 に続いて、海外旅行での「全く意外だった発見」の話です。 ローマに旅行した時の、ある日です。その日はローマ市内のあちこちに行きました。写真はその一つで、カピトリーノ美術館の「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」です。ローマ皇帝の騎馬像で破壊をまぬがれて残った唯一のもので、このあたりの詳細は、塩野七生著「ローマ人の物語 第11巻 終わりの始まり」の冒頭に詳しく書かれています。 とにかくその日はこの美術館だけでなくあちこちに行ったため、ホテルに夜8時頃に帰ってきました。夜も遅いし疲れたので妻と相談して、できるだけ近場で食事をしようということになり、ガイドブックにあったテルミニ駅近くのレストラン、というか「食堂」のような感じの店に入りました。名前は覚えていません。Trattoria とあったと思います。 イタリアを旅行してありがたいのは、レストランの食事の「ハズレ」がほとんどないことです。「大衆食堂っぽい」とろへ行き当たりばったりに入っても、これはまずい、という経験がありません(少なくとも私には)。これがA国やB国やC国だとそうは行きません。慎重に食事の場所を選ぶ必要があります。これらの国では、可能なら、①イタリアン、②日本料理、③中華料理、の優先順位でレストランを選ぶのが賢明です。日本料理と中華料理のプライオリティが少し低いのは、あやしい日本料理や、あやしいチャイニーズの店があるからです(もちろんチャイナタウンの店などに行けば安心です)。つまりイタリア以外でもイタリアンの店は最…

続きを読む

No.3 - 「ドイツ料理万歳!」(川口マーン惠美)

ドイツ料理 No.2「千と千尋の神隠しとクラバート(2)」の最後で、ドイツのザクセン地方を舞台にした小説『クラバート』と料理の関係を書きました。今回はそのドイツと料理の関係についてです。 そもそも「ドイツ料理」は世界から「おいしい料理」だとは認められていないと思います。たとえば、例の「アイスバイン」です。豚の「すね肉」の塊を茹でたものですが、こういう料理がドイツ料理の代表(の一つ)となっていること自体、世界におけるドイツ料理のポジションを暗示しています。ひょっとしたらアイスバインをドイツ料理の代表のように喧伝するのは、ドイツをおとしめるための、周辺の「食通国」の人たちの陰謀ではないだろうか、と思えるほどです。 ベルリンに旅行した時のことです。ある夜、「地球の歩き方」に載っている「ドイツ家庭料理」の店に入ったところ、隣のテーブルに20歳過ぎらしい若いカップルがいて、その女性のほうがアイスバインを注文していました。皿の上に骨付きの豚肉が「ゴロッと」置いてあります。「どうするのだろう」と思って食事をしながらチラチラと見ていましたが、その若い女性はぺろっと食べてしまったのです。注文したのだから食べるのはあたりまえ、と言ってしまえばそれまでですが、真実を目のあたりにして軽いショックを受けました。 もし私が20歳前後の学生で、ドイツの大学に留学していたとして、地元の女子学生に「淡い好意」をもち、首尾良くレストランに誘い出したとします。そこで彼女がアイスバインを注文して平らげたとしたら・…

続きを読む