No.132 - 華氏451度(3)新訳版

レイ・ブラッドベリ(1920-2012。米国)の小説『華氏451度』(Fahrenheit 451。1953)について、以前に2回にわたって感想を書きました。 ・No.51 - 華氏451度(1)焚書〔2012.3.24〕 ・No.52 - 華氏451度(2)核心〔2012.4.06〕 の二つです。 日付から推測できるかもしれませんが、作者のレイ・ブラッドベリは、記事を書いた直後(2012.6.5)に92歳で亡くなられました。その時も何か書こうと思ったのですが、適当なテーマが見つけられませんでした。 そうこうするうち、2014年に小説の新訳が出版されました。『華氏451度〔新訳版〕』(伊藤典夫・訳。ハヤカワ文庫SF。早川書房。2014.6.25)です。今回はこの新訳の感想を、ブラッドベリの追悼の意味も込めて書きたいと思います。『華氏451度』のあらすじや、そこで語られていることについては、No.51、No.52 を参照ください。 レイ・ブラッドベリ 「華氏451度・新訳版」 (伊藤典夫訳。早川書房。2014)  以下、従来の『華氏451度』(宇野利泰・訳。ハヤカワ文庫SF。早川書房)を「旧訳」と呼ぶことにします。 マルクス・アウレリウス マルクス・アウレーリウス 「自省録」(岩波文庫)No.51「華氏451度(1)焚書」に書いたのですが、旧訳の違和感は、Marcus Aurelius という人名を、英語読みそのままに「マーカス・オー…

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No.79 - クラバート再考:大人の条件

前々回と前回に書いた『赤毛のアン』は何回目かの「少年少女を主人公とする物語」でした。特に意識しているわけではないのですが、第1回が『クラバート』だったので自然とそういう流れになったのかも知れません。 取り上げた「少年少女を主人公とする物語」は、4つの小説と1つのアニメーション映画です。作品名、発表年、物語の舞台となった国、主人公の名前をまとめると次の通りです。 ◆クラバート(No.1, No.2)1971 ドイツ クラバート ◆千と千尋の神隠し(No.2)2001 日本 千尋 ◆小公女(No.40)1888 イギリス セーラ ◆ベラスケスの十字の謎(No.45)1999 スペイン ニコラス ◆赤毛のアン(No.77, No.78)1908 カナダ アン  一見してわかるように、5つの物語は発表年に100年以上の隔たりがあり、物語の舞台となった国は全部違います。しかしその内容には共通点があるように思えます。今回はこの「5つの物語」の共通点を考えてみようというのが主旨です。 5つの物語 No.2「千と千尋の神隠しとクラバート(2)」で、『クラバート』という小説は、一言で言うと少年が「大人になる物語」だと書きました。これは他の4つの物語でも共通しています。大人になるという言い方がそぐわないなら「主人公の少年(少女)が、自立した人間として生きていくためのさまざま…

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No.78 - 赤毛のアン(2)魅力

文学から文学を作るという手法 前回に続いて『赤毛のアン』(『アン』と略)の話です。松本 侑子さんは『アン』に引用されている英米文学(以下、テクストと記述)を調べて重要な指摘をしています。それは、モンゴメリが単にテクストから文言だけを抜き出して引用したのではなく、テクストに書かれている物語とその内容を十分に踏まえた上で、引用を盛り込んだ『アン』の文章を書いている、という指摘です。 典型的な例は、前回の No.77「赤毛のアン(1)」で紹介したアメリカの詩人・ロングフェローの『乙女』という詩です。モンゴメリはこの詩の内容を踏まえた上で『アン』の第31章を書いた。それは明らかです。そして、そのことのひそかな(誰も気づかないであろう)しるしとして『乙女』の一節を章の題名にもってきた。 別の例をあげると、第2章でマシュー・カスバートは孤児院からやってくるアンを駅に迎えに行きます。その第2章の冒頭はこうです。 マシュー・カスバートと栗毛馬くりげうまは、ブライトリバーへの八マイルの道のりを、とことこと気持ちよく進んでいた。それは美しい道行きだった。よく手入れされた農場を通り過ぎ、時にはバルサムの匂いも芳かぐわしいもみの林を抜け、また時には、野生のすももプラムがこぼれんばかりに花をつけて白くかすんでいる窪地くぼちを通った。 そこかしこにある林檎園りんごえんから吹く風にのって、空気は爽やかに香った。若々しい緑の牧草地はなだからに遠くまで広がり、地平線のあたりで真珠色と紫色にかす…

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No.77 - 赤毛のアン(1)文学

赤毛のアン No.61「電子書籍と本の進化」で、注釈が重要な本の例として『赤毛のアン』(ルーシー・モード・モンゴメリ著。1908)を取り上げました。この本が英米文学や聖書からの引用に満ちているからです。 また No.76「タイトルの誤訳」でも『赤毛のアン』のオリジナルの題名が「グリーン・ゲイブルズのアン」であることに加えて、文学からの引用について書きました。この本は「大人のための本でもある」という主旨です。 今回はこの小説の魅力を書いてみたいと思います。とっかかりは、この本に盛り込まれた英米文学からの引用です。前にも書きましたが、英米文学や聖書からの引用を全く意識しなくても『赤毛のアン』を読むには支障がないし、十分に魅力的で面白い小説です。しかし実は過去の文学からの引用が『赤毛のアン』の隠された魅力のもとになっていると思うのです。 以降、原則として題名を『アン』と略記します。 松本侑子ゆうこ・訳『赤毛のアン』 L.M.モンゴメリ作。松本侑子訳 「赤毛のアン」(集英社。1993)この本が英米文学や聖書からの引用、パロディに満ちていることを知ったのは、松本侑子・訳『赤毛のアン』(1993年。集英社)を読んでからでした。この訳には巻末に187個もの注釈がつけられていて、その多くが引用注です。 松本さんはこの本を文庫化するときに訳文を見直し、新たに判明した引用を含めて注釈を充実させました。松本侑子・訳『赤毛のアン』(2000年。集英社文庫)には、約300の注釈がつけ…

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No.52 - 華氏451度(2)核心

(前回から続く)『華氏451度』が描くアンチ・ユートピア(続き) クラリスの言葉による『華氏451度』の世界の描写(前回の最後の部分参照)は、この世界になじめない側からの発言でした。このクラリスの「世の中からの距離感」がモンターグの心を揺さぶることになるのです。 一方、ファイアーマンの署長であるビーティは「体制側」の人間です。彼がモンターグに、こういう世界ができた経緯や理由を語るシーンがあります。なぜ本が禁止されているのかも語られます。ここが『華氏451度』の核心と言えるでしょう。 [ビーティ] 20世紀の初期になって、映画が出現した。つづいて、ラジオ、テレビ、こういった新発明が、大衆の心をつかんだ。大衆の心をつかむことは、必然的に単純化につながらざるをえない。かつては書物が、ここかしこ、いたるところで、かなりの人たちの心に訴えていた。むろん訴える内容となると、書物ごとに、さまざまだった。なにしろ、まだまだ世界は、のんびりと余裕があったからだ。ところが、その後地球上は、眼と肘と口とが、ぐんぐん数をまして、人口は倍になり、3倍になり、4倍になった。映画、ラジオ、雑誌の氾濫。そしてその結果、書物はプディングの規格みたいに、可能なかぎり、低いレベルに内容を落とさねばならなくなった。 この世界では、簡略化、ダイジェスト化、短縮化が徹底的に進んでいます。 『ハムレット』を知っているという連中の知識にしたところで、例の、《これ一冊で、あらゆる古典を読破したとおなじ、隣人との会話のため、…

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No.51 - 華氏451度(1)焚書

No.28「マヤ文明の抹殺」において、16世紀に中央アメリカにやってきたスペイン人たちがマヤの文書をことごとく焼却した経緯を紹介したのですが、そこで、ブラッドベリの名作『華氏451度』を連想させる、と書きました。今回はその連想した本の感想を書きます。米国の作家、レイ・ブラッドベリ(1920 - )の『華氏451度』(宇野利泰・訳。早川書房)です。 華氏451度(Fahrenheit 451 : Ray Bradbury 1953) まず、この小説のあらすじです。後でも触れますが、1953年に出版された小説ということが大きなポイントです。 (以下に物語のストーリーが明らかにされています) レイ・ブラッドベリ 『華氏451度』 宇野 利泰 訳 (ハヤカワ文庫SF, 2008) 未来のある国の話です。どこの国なのか、最初は分からないのですが、途中からアメリカの地名がいろいろ出てきて、舞台が未来のアメリカであることが分かります。 その時代、本の所持と本を読むことが禁止されています。本の所持が見つかると、焚書官と呼ばれる公務員が発見現場に急行し、本を焼きます。小説の題名の華氏451度は摂氏233度に相当し、紙の発火温度を示します。 焚書官と訳されていますが、原文ではファイアーマン(fireman)です。言うまでもなく消防士のことですが、この時代には建物が完全耐火建築になり、消防士(ファイアーマン)は不要になりました。消防士は焚書官(ファイアーマン)となり、かつての…

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No.47 - 最後の授業・最初の授業

パリ・コミューンと普仏戦争 No.13「バベットの晩餐会(2)」で、この映画の間接的な背景となっているのが、1871年のパリ・コミューンであることを書きました。このパリ・コミューンは普仏戦争におけるフランスの敗戦で引き起こされたものです。この普仏戦争に関連して思い出した小説があるので、今回はその話です。 普仏戦争の結果、講和条約が結ばれ、アルザス・ロレーヌ地区はドイツ(プロイセン)領になります。パリ籠城までして戦ったパリ市民はドイツとの講和に反対して蜂起しましたが(パリ・コミューン)、これは当然(ドイツの支援を受けた)フランス政府軍によって弾圧されたわけです(No.13参照)。支配層が、つい昨日まで敵だった国と裏で手を握り、かつての敵国にいつまでも反対し続ける国民(の一部)を弾圧するというパターンは歴史の常道です。 この普仏戦争の結果、アルザスがドイツ領になったという事実を背景にして書かれた小説があります。アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の『最後の授業』(短編集『月曜物語』に収録。1873)です。要約すると以下のような短編です。 『最後の授業 - アルザスの一少年の物語』 ある晴れて暖かな朝、アルザスの少年、フランツは学校に急いでいます。今日はアメル先生がフランス語の分詞法の質問をするので、ずる休みをしようとも思ったのですが、気をとり直したのです。学校へは遅刻してしまいした。 叱られると思ったフランツですが、アメル先生は意外にもやさしいのです。そして普…

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No.45 - ベラスケスの十字の謎

エリアセル・カンシーノ 「ベラスケスの十字の謎」 (徳間書店 2006) 前回までに児童小説を2つ取り上げました。No.1/2 の「クラバート」と、No.40 の「小公女」です。今回は3冊目の児童小説です。 No.19「ベラスケスの怖い絵」でベラスケス(1599-1660)の傑作『ラス・メニーナス』について書きました。また、No.36「ベラスケスへのオマージュ」でもこの絵について触れています。今回は「ラス・メニーナス」に関する児童小説で、スペインの作家、エリアセル・カンシーノの『ベラスケスの十字の謎』(宇野 和美 訳。徳間書店 2006)です。 『ラス・メニーナス』は謎の多い絵ですが、大きな謎の一つは絵の中の画家本人の胸に描かれた赤い十字で、これはサンチャゴ騎士団の紋章です。サンチャゴ騎士団に入ることは当時のスペインにおいて最大の栄誉であり、ベラスケスは60歳のときに(1659)騎士団への入団をやっと許されました。ところがその3年前に『ラス・メニーナス』は完成していて(1656)、王宮に飾られていたのです。つまり『ラス・メニーナス』の完成時には、ベラスケスはサンチャゴ騎士団員ではありません。従ってその時点で赤い十字は絵になく、後で誰かが十字を描き加えたと考えられているのです。これが『ベラスケスの十字の謎』のテーマとなっています。 ベラスケス「ラス・メニーナス」 (プラド美術館) 小説の主人公は『ラス・メニーナス』に登場するニコラス・ペルトゥサトです。画面の右下で犬に…

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No.40 - 小公女

No.18「ブルーの世界」で青色染料である「藍・インディゴ」の話を書きましたが、そのとき、ある小説を連想しました。児童小説である「小公女」です。なぜ「藍」から「小公女」なのかは、後で書きます。 子供のころに「小公子」は読んことがありますが「小公女」の記憶はありません。「小公女」がどんな話かを知ったのは、以前にテレビのアニメ「小公女セーラ」を娘が熱心に見ていたからで、私もつられて見たわけです。非常によくできた話だと感心しました。 「小公女」はイギリス生まれのアメリカの作家、フランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)が1888年に発表した小説です。「小公子」を出版した2年後になります。要約すると次のような話です。 アニメの「小公女セーラ」は原作より登場人物が拡大されたり、原作にはないエピソードがあったりします。以下は原作をもとに書きますが、アニメ版も、あらすじのレベルでは基本的には同じです。 (以下には物語のストーリーが明かされています) 「小公女」(A Little Princess)のあらすじ 舞台は19世紀のイギリスです。冬のロンドンは日中だというのに薄暗く、霧が立ちこめ、ガス灯がともっています。このなかを行く辻馬車に、父と娘が乗っています。ここから物語は始まります。 「小公女」(岩波少年文庫)セーラは7歳の少女で、父親につれられてロンドンのミンチン女子学院に入学しました。ここはミンチン女史が経営する一種の私塾で、4歳から10代前半の女の子たちが、家…

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