このブログでは数々の絵画について書きましたが、その最初は、
No.19「ベラスケスの "怖い絵"」で取り上げた「インノケンティウス10世の肖像」で、中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある解説を引用しました。この絵はローマで実際に見たことがあり、また中野さんの解説が秀逸で、印象的だったのです。
『怖い絵』には興味深々の解説が多く、読み返すこともあるのですが、最近、あるテレビドラマを見ていて『怖い絵』にあった別の絵を思い出しました。15~16世紀のドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』です。今回はそのことを書きます。
テレビドラマとは、NHK総合で放映中の「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」です。
アストリッドとラファエル
「アストリッドとラファエル 文書係の事件簿」は、NHK総合 日曜日 23:00~ の枠で放映されているフランスの警察ドラマです。
アストリッドはパリの犯罪資料局に勤務する文書係の女性(俳優はサラ・モーテンセン)、ラファエルはパリ警視庁の刑事(警視)です(俳優はローラ・ドヴェール)。アストリッドは自閉スペクトラム症ですが、過去の犯罪資料に精通していて、また抜群の洞察力があります。一方のラファエルは、思い立ったらすぐに(捜査規律違反もいとわず)行動に移すタイプです。しかし正義感は人一倍強く、人間としての包容力もある女性刑事です。この全く対照的な2人がペアになって難事件を解決していくドラマです(サラ・モーテンセンの演技が素晴らしいと思います。彼女の演技だけでも番組を見る価値があります)。
呪われた家
このドラマのシリーズで「呪われた家」というストーリーが2回に分けて放映されました(前編:2022年8月14日、後編:8月21日)。このストーリーでの重要な舞台は、パリにある "呪われた家" との噂がある屋敷です。この屋敷の歴史について、アストリッドが過去の資料を調べてラファエルに説明するシーンがあります。台詞を抜き出すと以下です。以下に出てくる "リボー" とは、突然、行方不明になった屋敷の主です。
アストリッド 家の件です。あなたが置いていったファイルに、リボーの住所がありました。同じ住所で数件の資料があります。アーカイブも調べました。
ラファエル アーカイブ ?。50年以上昔の資料がある場所 ?
アストリッド その通りです。1905年にパン職人、エミリアン・ポポンが建てた家です。その6年後、最初の殺人事件が起きました。パン職人の使用人が火掻き棒で刺されて死亡。
ラファエル 素敵。
アストリッド 素敵じゃないです。じわじわ苦しんで死んだはず。
ラファエル そりゃそうだ。
アストリッド この事件は未解決です。さらに7年後の1918年9月、パン職人は原因不明の死をとげました。次の所有者は1942年、46歳の若さで就寝中に死亡し、不審死として捜査されましたが、検視報告書には急死とだけ。説明はありません。
ラファエル まさか。呪われた家だって言いたいの ?
アストリッド いいえ。ただ、これらの事件の共通点がフロッシュ通り32番地の家だというだけです。
1995年、家庭内殺人が起きました。当時18歳のロール・ガナが、就寝中の両親と8歳の弟を刺し殺しました。しかし彼女は刑事責任能力がないと判断され、無罪になりました。あっ!さわらないで下さい。さわると ・・・。
以来、空き家でしたが、1998年7月にマックス・リボーが購入。
ラファエル ロール・ガナは? どうなったの?
アストリッド 訴訟のあとは精神科病院に収容され、今もそちらで療養中です。施設名はエスペリト・サント。
"アストリッドとラファエル" 「呪われた家 前編」 (NHK 総合 2022年8月14日)
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呪われた家の秘密
実は、"呪われた家" には隠されていた地下室がありました。ラファエルが封印を破って地下室に最初に入ったとき、ラファエルは幻影を見ます。
その後、ラファエルとアストリッドが地下室を詳しく調ているときです。アストリッドは地下室の隅に放置されたままの袋を見つけました。
アストリッド 小麦粉の袋です。
ラファエル ああ、そうかもね。最初の所有者はパン職人だった。100年以上前の袋。
アストリッド 離れます。強烈な臭いで。
ラファエル 感じないけど。湿気とか地下室の臭いじゃない ?
アストリッド いいえ。私は外の刺激に敏感なんです。強い光とか、うるさい場所とか、刺激臭とか。これは地下室の臭いではありません。とてもきつくて、強烈な臭いです。長くは居られません。ここを出なければ。
"アストリッドとラファエル" 「呪われた家 後編」 (NHK 総合 2022年8月21日)
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"呪われた家" を出たアストリッドは、あることが
閃いたようで、「犯罪資料局に戻らなければ。今すぐに」と言います。ラファエルも同行しました。
アストリッド ポン・サン・テスプリの事件をご存じですか。
ラファエル 知ってる、って言いたいけど、知らない。聞いたことない。
アストリッド 1951年、7人が死亡、50人が精神科病院へ、250人に症状が起きました。たった一つの村で。あっ、これです(事件のファイルを見つけて取り出す)。
被害者は同じパン屋でパンを購入していました。中毒と結論づけられました。
ラファエル 寝る前に子どもにお話してあげたくなる話。事件と関係ある ?
アストリッド その村で精神疾患が蔓延した原因は菌によるものでした。その菌がライ麦粉に付着すると強烈な刺激臭を発します。
ラファエル 地下室の袋も?
アストリッド その通り。(ラファエルにファイルを渡す)。丁寧に扱って。
麦角菌と呼ばれるものですが、そこからリゼルギン酸ジエチルアミドが生成されました。
ラファエル LSD !
アストリッド その通り。
ラファエル だからあの屋敷は様子が変だった。地下室で見たのも ・・・・・・。
アストリッド 警視は強い向精神薬の影響を受けていたのだと、説明がつきます。
ラファエル ロール・ガナは? ずっとあそこをたまり場にしてた。大量に吸ってたはずだ。
アストリッド 麦角菌を。
ラファエル それ。
アストリッド 彼女の犯行も、これまでの謎の行動も説明がつきます。もしも幻覚剤によるフラッシュバックだったすれば。
ラファエル 今も影響を受けてる。幽霊でもなく、呪いでもなく、バッド・トリップね。
アストリッド バッド ・・・。バッド・トリップですか。それがもし中枢神経系の不具合と関係する感覚の変化のことを言ってるのだとしたら、正しいです。そうでしょ。
ラファエル ええ。そうだよ。
アストリッド バッド・トリップ。警視はバッド・トリップ状態だった。
"アストリッドとラファエル" 「呪われた家 後編」
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キーワードは麦角菌です。その麦角菌と関係する有名な絵画がフランスにあります。
麦角菌
LSD(Lysergic acid diethylamid)は強い幻覚作用をもち、日本をはじめ各国で麻薬として禁止されている薬物です。ラファエルが「リゼルギン酸ジエチルアミド」とアストリッドから聞いてすぐ LSD だと分かったのは、それが刑事の必須知識である禁止薬物だからです。
LSDは人工的に合成されますが、もともと麦角菌に含まれる「麦角アルカロイド」の研究から生まれたものでした。麦角アルカロイドの中のリゼルギン酸から LSD が生成されることもあります。
アルカロイドとは、主に植物や菌が生成する有機化合物の総称ですが、麦角アルカロイドの人への影響は幻覚だけでありません。Wikipedia から引用すると、次のとおりです。
(麦角アルカロイドは)循環器系や神経系に対してさまざまな毒性を示す。神経系に対しては、手足が燃えるような感覚を与える。循環器系に対しては、血管収縮を引き起こし、手足の壊死に至ることもある。脳の血流が不足して精神異常、痙攣、意識不明、さらに死に至ることもある。さらに子宮収縮による流産なども起こる。
Wikipedia(2022.9.6 現在)
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麦角アルカロイドが人にもたらすさまざまな症状を「麦角中毒」といいます。そして「麦角中毒」は、アストリッドが指摘した1951年のポン・サン・テスプリ(Pont-Saint-Esprit。南フランスの小さな町)での事件(実際にあった事件です)より遙か昔から、ヨーロッパでしばしば起こっていました。そして中世ヨーロッパでは、麦角中毒のことを人々は「聖アントニウス病」ないしは「聖アントニウスの火」と呼んでいました。
その「聖アントニウス病」と密接に関係した絵が、ドイツの画家・グリューネヴァルトが描いた『イーゼンハイムの祭壇画』(1515年頃)です。イエスの磔刑を描いていますが、イエスを最も
酷い姿で描いた絵として有名です。
イーゼンハイムの祭壇画
中野京子さんの『怖い絵』(2007)にある『イーゼンハイムの祭壇画』の解説を紹介します。
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マティアス・グリューネヴァルト(1470/75 - 1528) 「イーゼンハイムの祭壇画 第1面」(1515年頃)
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中世三大疫病といえば、ペスト、ハンセン病、聖アントニウス病だが、最後にあげた聖アントニウス病については、発症地がアルプス以北にほぼ限定されているた め、あまり知られていないのではないか。
これは麦角アルカロイドによる中毒が原因で起こり、細菌感染したライ麦でパンを作って食べると発症した(ただしそうとわかるのは、ようやく17世紀も終わり近くなってからだ)。神経をやられるので痙攣性の発作に襲われたり、四肢の末端が灼けつくように痛んで腫れあがり、進行すると壊疽になって崩れ落ち、果ては死に至る難病である。手足が変形するのは、ハンセン病の重篤な場合と似ているので、どちらに罹患しているのかわからない場合もあったようだ。
中野京子『怖い絵』 (朝日出版社 2007)
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上に引用にあるように、聖アントニウス病が麦角中毒だと分かるのは17世紀終わりです。ということは、それ以前の中世、たとえば『イーゼンハイムの祭壇画』が描かれた16世紀では、そんなことは誰も知らない。当時、聖アントニウス病を治すには、転地療養や旅(巡礼)が良いとされたようですが、それは食事が変わって、いつも食べている「麦角菌入りのライ麦パン」を食べなくなったからなのでしょう。
では、麦角中毒がなぜ「聖アントニウス病」と呼ばれたのか。そして、イーゼンハイム(現在のストラスブール近郊の町)の修道院にあった『イーゼンハイムの祭壇画』が、なぜ「聖アントニウス病」と関係するのか。中野さんの解説が続きます。
当時は教養のあるなしに関わらず誰もが悪魔の存在を信じていたから、原因不明の激しい苦痛と肉体の崩壊を伴うこれらの病気を、犯した罪への神罰と見なして差別したり、地域によっては悪魔の徴として魔女裁判にかけて火炙りにすることさえあった。いずれにせよ患者は住む家を追われ、死に場所を求めて放浪するしかない。その際でも、ハンセン病にかかっていることを周りに知らせるため、切り裂いた衣服を着たり、あるいはガラガラを持って鳴らし続けながら歩かねばならなかった。
どこにも救いはなかったのだろうか ?
いや、ささやかだがあった。かつてひとりの病人が、聖アントニウスの聖遺骨に祈りを捧げて健康を取りもどしたのだという。おそらく軽症だったため、長い巡礼の行程でライ麦パンを口にしなくなっただけで治ってしまったのであろうが、この言い伝えを信じた人々は、聖アントニウスゆかりの各地へ巡礼するようになる。とりわけストラスブール近郊イーゼンハイムの聖アントニウス修道会へは、人々が殺到した。というのもここには治療院も併設され、修道士たちが薬草を煎じてくれたり、重病人には優れた技術で四肢切断を施し、末期の場合でも信仰による慰めを与えてくれたからだ。
中野京子『怖い絵』
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このあと中野さんは、当時、聖アントニウス病にかかった村人が、同じ症状の人をさそって、5人でイーゼンハイムへ巡礼に出かける旅路を、村人目線で、想像で書いています。同行の人は次々と行き倒れ、イーゼンハイムに近づいたときには、村人一人になっていました。
ある日、道づれが増えはじめたのに気づく。みんな同じような姿の巡礼者たちで、同じ方向を目指して歩いている。あなたは興奮し、聖アントニウス修道会が近いのですか、と傍の人に声をかけると、あそこに屋根の十字架が見えるでしょう、と言われた。
あなたには見えないが、それも道理で、両足はすでに腐り、しばらく前から使える左腕だけを頼りに、あぶら汗を流すほどの痛みに耐えながら、膝でいざりつつ進んでいたのだ。子どもの背丈でしか周りが見えず、高いはずの教会も木々に遮られていた。でもそれが何だろう。もうイーゼンハイムに着いたのだ。
あなたは勇気づけられ、ミミズのように角を曲がる。教会だ。戸口にいた修道士があなたのひどい様子に気づき、駆け寄ってくる。その人に抱きかかえられ、薄暗く、ひんやりした堂の中へ入れてもらった。祭壇の前へ連れてゆかれると、ロウソクの炎のゆらめく中に浮かび上がったのが ─── この絵だ。
長い辛い旅路の果てに、あなたは今この絵を目にしている。
十字架上のイエスのねじれ、よじれ、伸びきった身体、肉体と精神の苦痛に激しく歪む顔、干からびた昆虫のような指、醜い皮膚の斑点、棘の刺さった痛々しい傷跡、流れる血。
何と怖ろしい! 何と凄惨な! 何と痛い! 痛すぎる!
これでは仲間の死に際と同じではないか。いや、自分の今の姿そのものではないか!
あなたは衝撃に震え、やがて声にならない声をあげて泣くだろう ・・・・・・。
中野京子『怖い絵』
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要するに『イーゼンハイムの祭壇画』は、たとえば、当時、聖アントニウス病に罹患し、イーゼンハイムの修道院にやっとの思いでたどり着いた巡礼者の気持ちを想像してみないと、その価値の一端すら分からないと言っているのですね。
ふつうの人が絵を見る機会などほとんどなかった時代、優れた絵画が心に及ぼす影響がいかに大きかったか、眼の刺激に慣れすぎた現代人にはとうてい想像もつかない。
小説ではあるが、『フランダースの犬』の中で主人公の少年ネロが、ルーベンスの『キリスト昇架』を見たくてたまらず、ついに無断で教会へもぐり込んでこの傑作を目の当たりにしたとき、「ああ、神さま、もうぼくは死んでもいい」とまで思う。それほどの深い満足を与える力が、かつて絵画にはあったのだ。
イーゼンハイムの祭壇画も同じだ。ましてこの作品は特権階級の眼を悦ばせるためではなく、業病に苦しむ一般庶民の癒しになるよう救いを与えるようにと、聖アントニウス修道会がグリューネヴァルトに依頼したものである。彼は約四年かけ、これまでのどんな磔刑図より酷い、見る者に直接肉体の苦痛を感じさせるような、心底恐ろしい作品に仕上げた。仄暗い聖所でこの絵は物凄まじい吸引力を発揮し、病人たちは思わず絵の前に跪き、手を合わせて祈らずにいられなかったという。
中野京子『怖い絵』
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このあとは、祭壇画の詳細な解説です。登場人物はイエス、聖母マリア、イエスの弟子の聖ヨハネ、マグダラのマリア、洗礼者聖ヨハネ、聖セバスティアヌス、聖アントニウスなどです。
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マティアス・グリューネヴァルト 「イーゼンハイムの祭壇画 第1面」
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─── 中央パネルの背景は闇である(磔刑のこの日この時間、日蝕があったからだ)。十字架の横木がイエスの身体の重みで撓り、荊の冠はまさしく拷問の具であることを示して、頭部を血みどろにしている。磔刑図を描く際の決まりどおり、イエスは頭を右にかしげ、右脇腹のえぐられた箇所からは血を流す。
左には、気を失いかける聖母マリアと、それを支える福音書書記聖ヨハネがいる。彼の右腕と指が現実性を欠いた長さなのが目を惹く。いったいに人体各部の比率が正しくないのと、線描になめらかさを欠いていることが、この絵の異様な迫力の一因といえよう。またイエスの足もとで歎くマグダラのマリアのサイズがおかしいが、これは重要度が低い人物は小さく描くというゴシック絵画の約束ごとである。
右側で書を持って立つのは洗礼者聖ヨハネで、彼はイエスの死よりずっと前にヘロデ王に首を斬られたから、本来ここにいるべきではない。しかし彼が指さすそばには、「あの方(= イエス)は栄え、わたしは衰えなければなりません」と文字が記されており、このヨハネが謂わば幻像だとわかる。足元の仔羊はいうまでもなく「犠牲の仔羊」だ。
左の細長いパネルに描かれているのは、ペストの守護神、聖セバスティアヌス。右パネルは聖アントニウス。中央パネル下にあるパネルをプレデッラというが、ここにはイエスの埋葬シーンが描かれている。
この五枚一組は、実は祭壇画の扉である。平日は扉が閉まった状態にあるので、病人や信者たちはこの磔刑図を見る。だが日曜日になると、中央パネルが真ん中、十字架のあたりから観音開きに分かれ、下のパネルがあらわれる。そこには左から順に、『受胎告知』『奏楽の天使』『聖母子像』『復活』の図が並んでいる。さらにこれも観音開きできるようになっており、特別な日だけ開帳するのだが、内部中央は絵画ではなく聖アントニウスの彫刻座像が収められ、両翼には『聖アントニウスの誘惑』と『訪問』図が描かれている。
つまり絵だけで11枚もある、8メートルの高さの、実に複雑な多翼祭壇画なのだ。当時の病人や信者たちは、平日は無惨な生の苦しみを受けるイエスに涙し、日曜になって扉がギーッという音とともに開くと、復活したイエスの健やかで輝かしい姿を見る。どれほど救われた気持ちになったことか。
中野京子『怖い絵』
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マティアス・グリューネヴァルト 「イーゼンハイムの祭壇画 第2面」
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修道士が大きな扉絵を厳かに開けるとき、磔刑図の暗い陰惨な絵の陰から、明るい色彩の復活したイエスや天使が少しずつ見えてきて、それはまるで天国のまばゆい光がこぼれ出るようなものだったに違いない。その瞬間、病人たちは痛みも苦しみも忘れたであろう。堂のそこかしこから、溜め息や声が洩れたであろう。
それと同じ感動を、我々はもはや共有することはできない。
しかし一方で、感じる人には感じられようが、この磔刑図には、数百年前のそうした人々の強い念が取り込まれており、それがこれを、絵画を超えた、一種、生きものの如きものに見せている。
中野京子『怖い絵』
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コルマールのウンターリンデン美術館
「イーゼンハイムの祭壇画」は現在、解体された状態で、フランスのアルザス地方の都市、コルマールにあるウンターリンデン美術館にあります。
コルマールは一度だけ行ったことがありますが、その時はツアー旅行だったので、美術館のところまで来たときには閉館時間を過ぎていました。残念でしたが、ツアー旅行なので仕方ありません。なお、コルマールは、ジブリ映画『ハウルの動く城』のモデルになったとも言われる美しい街です。ウンターリンデン美術館とは関係なく、十分に訪問する価値がある街です。