一つの例を、No.185「中島みゆきの詩(10)ホームにて」に書きました。テレビ朝日の「怒り新党」という当時の番組のある回で(2016年8月3日)、中島みゆき「ホームにて」(1977)が BGM として流されたからです。この曲は JR東日本の CM にも使われたし、BGM にするのはありうるのですが、番組放送から40年近くも前の曲です。この曲が好きな人は "突如として" 懐かしさがこみ上げてくる感じになったと思います。そういった BGM の最近の例を書きます。NHKの番組「美の壷」のことです。
美の壷「煙の魔法 燻製」
NHK BSプレミアムで 2021年9月10日(19:30~20:00)に、
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」
が放映されました。久しぶりにこの番組を見ましたが、出演は草刈正雄さん(案内人)と木村多江さん(ナレーション)で、番組の構成方法や進行は以前と同じでした。燻製を特集した今回の内容と出演者は次の通りです。
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美の壷 File550「煙の魔法 燻製」で紹介された多彩な燻製。NHKの公式ホームページより。 |
プロローグ |
今回の内容紹介。下記の「壷 一、二、三」の要点。 |
壺一(煙):煙が引き出す新たな魅力 |
燻製工房のオーナー・片桐晃【東京都世田谷】 鴨肉、牡蠣、プリン、チーズなどの燻製。 | |
アウトドアコーディネーター・小雀陣二【千葉県君津市】 アウトドアで簡単に作れる "ライトスモーク"(豚の肩ロース肉、醤油に漬け込んだ牛肉)。 |
壺二(多様):いぶしの技で千変万化 |
中国料理店オーナーシェフ・脇屋友詞 塩漬けにした豚バラ肉を、米、茶、砂糖を使って燻す中華の技法。 | |
料理人・輿水治比古【東京都赤坂】 塩、醤油、オリーブオイル、胡椒、ゴマなど、調味料の燻製。 |
壺三(風土):土地の恵みを末永く |
俳優・柳葉敏郎【秋田県大仙市】 大根を燻製にする秋田の郷土食、いぶりがっこ。 | |
燻製職人・安倍哲郎【北海道紋別市】 サクラマス、ホタテ、タコ、サバなど、魚介類の燻製。 |
すべてに BGM がありましたが、"えっ!" と思ったのは、ローリング・ストーンズの2曲です。プロローグで「She's a Rainbow」(1967)、最後の燻製職人・安倍哲郎氏のところで「Lady Jane」(1966)が BGM に使われました。
そもそも「美の壷」の BGM はジャズのはずです。その象徴は、テーマ曲である番組冒頭のアート・ブレーキーの曲です。ジャズが使われるのは、この番組の初代の案内人だった故・谷啓氏がジャズマンだったことによるのだと思います。
全く久しぶりに「美の壷」を見たのですが、最近の BGM は全部がジャズというわけではないのでしょう。しかし半世紀以上前のローリング・ストーンズの曲で、しかも編曲(たとえばジャズに編曲)ではなくオリジナルの音源だったのには少々驚きました。もちろん時間の都合での編集はありましたが、ミック・ジャガー(現役です)の若い頃の声がそのまま流れてきました。「She's a Rainbow」と「Lady Jane」は、編曲であれば TV やカフェの BGM で聴いた記憶はあるのですが、「美の壷」ではオリジナル音源を使ったのが最大のポイントです。
「燻製」というテーマにローリング・ストーンズの曲というのも、一見ミスマッチのようですが、この場合は内容にフィットしていて、番組制作スタッフの(うちの誰かの)センスに感心しました。そこで、よい機会なので、BGM として使われた2曲を振り返ってみたいと思います。
She's a Rainbow
美の壷「煙の魔法 燻製」のプロローグは、今回の番組内容の紹介です。木村多江さんのナレーションは次の通りでした。
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このナレーションのあいだ流れていたのが「She's a Rainbow」でした。この曲は、1967年のアルバム「Their Satanic Majesties Request」(サタニック・マジェスティーズ)に収録された曲です(YouTube に音源があります)。歌詞だけをとりあげると次の通りです。
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The Rolling Stones 「Their Satanic Majesties Request」 (1967) |
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原曲では最初の "客引き" の効果音のあと、ピアノのイントロが始まり、ミック・ジャガーのヴォーカルが続きます。もちろん「美の壷」の BGM として使われたのはピアノのイントロ以降です。
最初の客引きの声は、街でのお祭りか何かのフェアのようなものを想像させます。屋台が並び、ゲームもある。そのゲームに客を呼び込む声です。ゲームの内容は判然としませんが、ボールを使ったもので、客が成功すると棚の商品がもらえる。最後のインストルメンタルのところで雑音のような効果音(楽器で演奏したもの)がはさみ込まれるのも、"祭" の雑踏を想像させます。
そんな晴れやかな雑踏の中でも、彼女は虹のように輝いている。そういった詩だと思います。
Lady Jane
美の壷「煙の魔法 燻製」の最後は、北海道紋別市の燻製職人、安倍哲郎さんを取材したものでした。安倍さんはサクラマス、ホタテ、タコ、サバなどの魚介類の燻製を作っていますが、映像はサバの燻製作りでした。サバは身が柔らかく、出来上がりが美しいようにすべてを手作業で行います。サバの切り身の小骨を丁寧に取り、塩水につけたあと、一晩、しっかりと乾燥させます。
そして燻製小屋で、ミズナラのおがくずを使って燻します。おがくずを燻製棚の下に置きますが、おがくずの盛り方にも煙が多く出るための工夫があります。火が入ったおがくずは夜通し燃え、サバを燻し続けます。15時間かけて燻製にし、翌朝9時に取り出します。
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盛り方を工夫したミズナラのおがくずを燻製小屋で一晩中燃やしてサバを燻す。安倍氏が目指す「究極美しい」燻製。番組より。 |
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なるほどと思います。燻製職人の安倍さんが目指すのは、最もおいしい燻製というより「究極に美しい燻製」なのですね。今回の「美の壷」の最後に安倍さんのエピソードを配した番組構成の意図が分かりました。
ミズナラのおがくずに火を付けるシーンで「Lady Jane」のイントロが流れ出しました。ギター伴奏による、アパラチアン・ダルシマーの旋律です。この「Lady Jane」は1966年のアルバム「Aftermath」に収録された曲です。
なお、ローリング・ストーンズが1966年に "エド・サリヴァン ショー" に出演して「Lady Jane」を歌ったときの動画が YouTube で公開されています(2021.10.2 現在)。この中でキース・リチャーズのギターに続いて、ブライアン・ジョーンズがアパラチアン・ダルシマーを演奏する貴重な姿を見ることができます。
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The Rolling Stones 「AFTERMATH」(1966) |
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この歌詞の解釈はいろいろと可能だと思いますが、ジェーンとは16世紀英国のヘンリー8世の3番目の妃、ジェーン・シーモアのことだとするのが最も妥当だと思います。イントロから使われるダルシマーや、間奏以降のチェンバロが "古風な" 感じを与えます。音階で言うと "ソ" で始まって "ラ" で終わる旋律が教会音楽のようにも聞こえる。歌詞は手紙の文章のようで、古語が使ってあります(nigh = near)。ということで、試訳では Lady を貴族の女性に対する敬称と考えてそのまま "レディ" としました。
ジェーンがジェーン・シーモアのことだとすると、アンはヘンリー8世の2番目の妻のアン・ブーリンでしょう(エリザベス1世の母親。映画「1000日のアン」の主人公)。ジェーンはアンの侍女でした。侍女と言っても、ジェーンは貴族です。だとすると、マリーとはジェーンとは別の(Lady = 貴族、ではない)アンの侍女かもしれません。ヘンリー8世は生涯で6人の妻がいましたが、それ以外の愛人が多数いたことでも有名です。
とはいえ、「Lady Jane」が史実を歌っているわけではないでしょう。英国の歴史にヒントを得て、中世に思いを馳せる中で、自由に作られた詩という感じがします。
ちなみに、燻製職人の安倍さんは、慈しむようにミズナラのおがくずを整えて火をつけ、サケに切り身を燻製小屋につるしていました。「Lady Jane」の出だしである "My sweet" にピッタリでした。
ローリング・ストーンズの理由
美の壷 File550「煙の魔法 燻製」(2021年9月10日)の BGM にローリング・ストーンズの楽曲がなぜ登場したのでしょうか。「美の壷」という番組内容、コンセプトにマッチしたストーンズの曲というと、5~6曲ぐらいしか思い浮かびませんが、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」はそのうちの2曲であることは確かです。しかし、なぜストーンズなのかということです。
これはひょっとしたら、2021年8月24日に逝去したローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツを偲んでのことではないでしょうか。ローリング・ストーンズの創設メンバーは5人ですが、ブライアン・ジョーンズは20歳台で亡くなり、ビル・ワイマンは脱退、チャーリー・ワッツが亡くなったことで、創設メンバーはミック・ジャガーとキース・リチャーズの2人になってしまいました。
ということで「美の壷」が終わったあと、「She's a Rainbow」と「Lady Jane」を聴き直し、続けて「Street Fighting Man」の切れ味の鋭いドラムス(特にゾクッとする感じのドラムの出だし)を聞き直したというわけです。
チャーリー・ワッツが亡くなったことと関係しているのかどうか、そこまで番組制作スタッフが意図したのかどうか、本当のところは分かりませんが、是非ともそう考えたいと思いました。
補記:惜別 |
毎年、年末に近づくと新聞に、その年に亡くなった方を偲ぶ文章が掲載されます。10月末に、朝日新聞 文化くらし報道部の河村能宏記者がチャーリー・ワッツさんを偲んだ文章を書いていました。よい "惜別の辞" だと思ったので、ここにそれを掲載します。
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本文中に書いた「Street Fighting Man」では、ギターのリフのあとにドラムが "かっこよく" 登場します。しかし河村記者としては「黙々と8ビートを刻む、ただそれだけ」の「Jumpin' Jack Flash」がチャーリー・ワッツらしいと言っているわけですね。なるほど ・・・・・・。足跡を振り返るにはその方がふさわしいかも知れません。
(2021.11.3)