『EAST ASIA』(1992年) |
1. EAST ASIA 2. やばい恋 3. 浅い眠り 4. 萩野原 5. 誕生 6. 此処じゃない何処かへ(No.298) 7. 妹じゃあるまいし 8. ニ隻の舟 9. 糸 |
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。
EAST ASIA
中島みゆきさんの 《EAST ASIA》は次のような詩です。全文を引用します。
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これは1992年のアルバムに収録されたものですが、それまでの中島作品からすると、あまりないタイプだと思います。それまでの詩はざっくりというと「人と人との関係の詩」や「人生に関わる詩」、ないしは「社会と人との関係性」が多かったわけです。
しかし、この詩はちょっと違って、East Asia = 東アジアという固有名詞がテーマ、ないしはキーワードになっています。以前の作品にも東京や札幌、南三条(札幌の地区名)、横浜などの地名が出てきましたが、今回は国を越えた地域名です。そこが違います。
もちろん東京や札幌が出てきたところで、詩の内容が日本に関わることというわけではなく、人の普遍的な感情とか人間関係がテーマでした。しかし「東アジア」となると国とか国境がテーマの重要部分を占めるはずであり、その前提で何か普遍的なものが表現されているはずです。以下、この詩の重要なキーワードや概念を順にみていきたいと思います。
東アジア
まずタイトルの意味を確認しておくと、East Asia = 東アジアとはユーラシア大陸の東端の周辺地域です。国名でいうと、日本、朝鮮半島(韓国、北朝鮮)、中国、香港、台湾(中華民国)、モンゴルでしょう。もちろん厳密な意味ではなく、はっきりと線引きできるものではありません。
その東アジアを表現する詩の内容は、雨が多く、地表は地平線まで霞んでいることがある。そこにはモンスーン(=季節風)がある。つまり気候風土まで含めると、ここでの東アジアは、ユーラシア大陸の内陸部(中国のモンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、モンゴルなど)の草原地帯や砂漠地帯を含まない、海洋に面している地域という雰囲気です。
また、植物としては「柳」で代表されています。自生する柳は水辺に多い植物です。「柳」はさらに「柳の枝で編んだゆりかご」と「柳絮 = 柳の種子」へとイメージが広がっていきます。
この詩の題名は英語です。英語の題名なのは、そもそものこの詩の発想からくるのでしょう。つまり詩の中に、
世界の場所を教える地図は
誰でも自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて
地球はくすくす笑いながら回ってゆく
誰でも自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて
地球はくすくす笑いながら回ってゆく
とあるように、たとえばヨーロッパの人が日常的に見ている世界地図では、東アジアは一番右の方、ユーラシア大陸の東端付近です。その付近が East Asia ということでしょう。
その東アジアに昔から住んできた人たちの人種的特徴は、「くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに」とあるように黒い瞳であり、詩にはありませんが、黒い瞳とペアになる直毛の黒い髪です。我々は日本人であって韓国人、中国人ではないと思っていますが、ヨーロッパを旅行していると Korean、Chinese と間違われることがあります。それもそのはずで、日本人からみても区別がつかない場合がある。実際、日本人が形成された考古学的考察からすると、我々は日本人という以前に東アジア人なのです。
壁を越える
この East Asia の中には、人と人とを隔てる「壁」があります。詩の中に、
山より高い壁が築きあげられても
とあるように、「壁」という言葉で象徴される "人々を分断するもの" です。もちろんその最大のものは国境です。同一民族が国境で分断されている例もあります。さらに国の中にも民族の違いなどの「壁」がある。《EAST ASIA》という詩では、その「境を越えて生きる」というイメージがいくつかのキーワードで表現されています。
一つは「旅人」です。「旅人一人歩いてゆく 星をたずねて」とあるように、ボーダーレスに旅をする人のイメージです。その旅人にとって重要なのは、どこにいても、誰もからも共通に見える「星」です。
壁を越えて生きることの二つ目は「鳩」です。No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」でまとめたように、中島作品における鳥は、自由とか、すべてを見渡すとか、そういったイメージで使われることが多いわけです。ただし「スズメ」とか「アホウ鳥」など、鳥に固有のイメージを重ねた詩もあって、この《EAST ASIA》の「鳩」も固有のイメージです。
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと合わせて 生きてゆくことができる
誰とでもきっと合わせて 生きてゆくことができる
とあります。鳩が「地を這いならが、どこにでも住み、生きていく」ことの象徴になっていますが、それは我々が経験的に、暗黙に思っていることです。鳩は都会の広場でも郊外の公園でも人々のそばで見かけます。日本だけでなく海外にいってもそうです。この詩の鳩のイメージにピッタリです。
3番目は「柳絮(りゅうじょ)」です。柳絮とは、ヤナギ、ポプラ、ドロノキなどのヤナギ科の植物の花が咲いたあとにできる "綿毛のついた種子" のことです。またその綿毛が風に乗って飛ぶことも柳絮と言います。ちなみに「絮」という漢字の意味は「綿・わた」です。
どこにでもゆく柳絮に 姿を変えて
どんな大地でもきっと 生きてゆくことができる
どんな大地でもきっと 生きてゆくことができる
とあるように、風で浮遊する綿毛がついた種は、遠く離れたどこかに落ち、そこが適切な場所だと芽をふく。そのイメージが詩になっています。
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5月の埼玉・北本自然観察公園の柳絮。湿地の柳の木の画像である。埼玉県自然学習センターのYouTubeより。 |
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上高地で、梅雨の合間の晴れた日に、柳の木から柳絮が一斉に飛ぶ様子。「一休コンシェルジュ」(一休.comのWebマガジン)のサイトより。 |
日本で柳絮を見た記憶がないのですが、海外旅行では経験があります(イギリスのウィンザーと、ハンガリーのブダペスト)。ヨーロッパの5月や6月頃にはよく見られる現象のようです。綿毛が風で飛ぶというと、我々がよく思い浮かべるのはタンポポの綿毛がついた種子ですが、しかしこれは数個が野原に舞う光景が一般的でしょう。しかし私が経験したのは街のいたる所に綿毛が浮いている光景で、大変に印象的でした。タンポポと違って、たくさんある街路樹から綿毛が飛ぶと、街のあちこちに浮遊するのです。発生源の木は、どうもポプラのようでした。
柳絮は、柳(やポプラ)の品種によってその程度が違うようで、日本は見る機会は少ないのですが、東アジアでは北京の春の風物詩とてして有名です。街中に柳絮が飛び、地表に落ちて道路が白く覆われ、車がそれを巻き上げたりする。吸い込んでアレルギーを起こす人もいるほどだと言います。
その中国の古典からきた言葉に「柳絮の才」があります。文才がある女性を言う言葉ですが、むかしある方の妻が、降る雪を柳絮の綿毛にたとえたことに由来するそうです。これから分かることは、柳絮が粉雪のように降ってくる光景が中国では昔から一般的だったことです。
この柳絮が、《EAST ASIA》では "壁を越える" ことの最も重要な象徴物でしょう。「りゅうじょ」という言葉は、歌を聴いただけでは何のことだか分かりません。普通の人はそうだと思います。詩を読んで、調べて、「りゅうじょ」=「柳絮」=「柳の綿毛が付いた種子」だと分かる。そういう漢語をあえて《EAST ASIA》に使ったのは、中島さんとしてはどうしてもこの言葉を使いたかったのだと思います。何となく "こだわり" を感る。東アジアの歴史を意識したのかもしれません。
さらにこの詩では「くに」という表現が、壁を越えることのキーワードになっています。今まで「国」とか「国境」と書いてきましたが、詩で明らかなように「国」は一切使われていません。「くに」と表記されています。これも歌を聴いているだけでは分からず、文字として書かれた詩を読んで初めて理解できます。
「くに」は「国」の意味に使いますが、もっと広く「故郷」の意味でも使います。「くにはどこですか?」という質問は、時と場合によって出身地を質問していることもあれば、国籍を聞いている場合もある。
「国」なら日本しかないが、「くに」は、生まれ育った場所、出身地・故郷、日本などの柔軟性があります。従って「くに」は東アジアでもよい。それが「くにの名はEAST ASIA」という詩が成立するゆえんになっています。
以上の「旅人」「鳩」「柳絮」「くに」というキーワードで "壁を越える" ことが象徴されています。
壁を越える愛
壁を越えるものを具体的に言うと、それは「人と人のとの関係」であり、特に「愛」です。
心はあの人のもの
心はあの人のもと帰りゆく
心はあの人のもと帰りゆく
「あの人」に抱く愛情は、壁を越えて「あの人」のもとに行く。その「あの人」とは、人生におけるパートナーか恋人か、それに相当する人でしょう。またこの詩では、
大きな力に従わされても
力だけで心まで縛れはしない
高い壁が築きあげられても
柔らかな風は越えてゆく
力だけで心まで縛れはしない
高い壁が築きあげられても
柔らかな風は越えてゆく
とあります。「心はあの人のもと帰りゆく」というときの「心」は、パートナーへの(男女の)愛情だけではないと感じられます。家族や友人や仲間といった親しい人に対する親愛の情も指していると考えられる。この引用のところの「柔らかな風」という表現は「柳絮」をダイレクトに想起させます。このことからも「柳絮」がこの詩の最も大切な象徴語という感じを受けます。結局、この詩は、
生きるということのベーシックな部分や、人間の本質的な感情や心のあり様においては「壁」は関係ない。特に愛情や親愛の情は、壁を越えて大きく広がっていくもの
ということを言っているのだと思います。
暗示
さらに、この詩の印象的な言い回しである、
大きな力に従わされても、心まで縛れはしない | |
高い壁が築きあげられても、柔らかな風は越えてゆく |
のところを "深読み" すると、次のような意味が込められているのではないでしょうか。つまり、
壁」の存在で困難に陥っている人たちに対する共感の表現 |
という意味合いです。「壁」の存在によって人間関係や人生の選択の面で "思い" が遂げられない人は多いはずだからです。そして、もっと踏み込んで考えると、
自分の意志とは違う "大きな力" に従わざるを得ない人に対する、国境を越えた連帯のメッセージ
という暗示があるようにも思えます。「大きな力」という言葉がそう感じさせます。それは、個人では如何ともしがたい「大きな力」なのでしょう。
ふと思ったことがあります。この詩は1992年に発表されたものです。もし仮に2019年か2020年に発表されていたとしたら、「民主化運動により困難に陥っている香港の人たちへの連帯感を綴った詩」と考えても通用するのではないでしょうか。
そのように思わせるところに、中島作品の普遍性というか "大きさ" があるのだと、《EAST ASIA》を読み返してみて(聴き直してみて)改めて思いました。
(続く)