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上村松園「序の舞」 |
「絵を見る技術」で著者の秋田氏は「縦の線とそれを支える横の線」という線のバランスをもつ絵画の例として、上村松園の「序の舞」をあげていた。 |
そして、線のバランスが『序の舞』とそっくりな絵として連想したのが、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にあるリオタールのパステル画『チョコレートを運ぶ娘』で、そのことは No284 に書きました。
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リオタール 「チョコレートを運ぶ娘」 |
この絵は、構図(縦と横のシンプルな構造線)が『序の舞』とそっくりです。ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館には一度行ったことがありますが、実は現地に行くまでこの絵を全く知りませんでした。アルテ・マイスター絵画館の必見の名画というと、
ラファエロの『システィーナの聖母』 絵画館の "顔" となっている作品。No.284 に画像を引用。 | |
ジョルジオーネの『眠れるヴィーナス』 数々の西洋絵画のルーツと言える作品。マネの『オランピア』の源流と考えられる。 | |
フェルメールの『窓辺で手紙を読む女』 フェルメール作品の中でも傑作。No.295 に画像を引用。 |
でしょう。フェルメールの『取り持ち女』(自画像を描き込んだと言われる絵)もこの絵画館にあります。また、それ以外にもファン・エイク、ルーベンス、レンブラント、ヴァン・ダイク、ホルバイン、デューラー、ベラスケス、ムリーリョ、エル・グレコ、ティツィアーノなど、西洋古典絵画史のビッグ・ネームが揃っています。
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ドレスデン アルテ・マイスター絵画館 |
アルテ・マイスター絵画館は、ツヴィンガー宮殿の庭に面している。ほぼ横に一直線の建物で、展示室は40程度しかないが、古典絵画の名品が並んでいる。 |
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なぜ『チョコレートを運ぶ娘』が印象的だったのか。それは「一目瞭然のシンプルな構造線が作り出す強さ」だろうと、秋田氏の本を読んで思いました。もちろん、おだやかな色のパステルで精緻に描かれた "美しさ" もあると思います。これも、構図と並んでパッと見て分かる。しかし最近の新聞を読んでいて、どうもそれだけではないぞと思いました。そのことを以降に書きます。
リオタール『チョコレートを運ぶ娘』
2020年9月11日の日本経済新聞の最終面で、美術史家の幸福輝氏(国立西洋美術館学芸員)が『チョコレートを運ぶ娘』を解説されていました。構図とは全く違う視点からの解説ですが、興味深い内容だったので以下に引用します。少々意外なことに「描かれたアジア」というシリーズの最終回です。
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ジャン = エティエンヌ・リオタール (1702 - 1789) 「チョコレートを運ぶ娘」(1744/45) |
パステル 羊皮紙 (82.5×52.5cm) ドレスデン アルテ・マイスター絵画館 |
美の十選:描かれたアジア(10) |
このコラムで着目すべきは、次の4点でしょう。
チョコレート・カップはマイセンの磁器(だろう)。 | |
娘が持っているトレーは漆器である。 | |
リオタールはパステルの名手で、この絵は羊皮紙に描かれ、磁器を思わせる入念な仕上げが施されている。 | |
この絵は制作当時、"中国的" と評された。 |
このコラムに触発されて、改めて詳しくこの絵を画集で眺めてみました。それが以降です。
娘が持っているもの
娘が持っているものを拡大したのが次の図です。コラムにはカップがマイセンの磁器(おそらく)、トレーが漆器とありましたが、もう少し詳しく見ていきます。
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 チョコレート・カップとソーサー  |
まずチョコレート・カップとソーサーですが、これは普通の "カップ・アンド・ソーサー" ではありません。"トランブルーズ"(Trembleuse)と呼ばれるタイプのものです。
Wikipediaによると、トランブルーズは1690年代のパリが発祥で、フランス語で「震える」という意味のようです。つまり、手が震えてもチョコレートをこぼさない仕掛けがしてあるカップ・アンド・ソーサーで、ソーサーにカップを固定するための "ホールダー" が作り付けてあります。トランブルーズは現代でも製作されていて、マイセンの実例が次の画像です。
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マイセンの磁器製トランブルーズ (マイセンのサイトより) |
上の画像のマイセンはすべて磁器製ですが、『チョコレートを運ぶ娘』に描かれているトランブルーズはソーサーが銀製です。銀製のソーサーはアンティークとして流通しているようで、その例を次にあげます。
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1750年代にドイツのアウグスブルクで製作されたトランブルーズ。オークション・ハウス、ドロテウムのサイトより。 |
『チョコレートを運ぶ娘』のトランブルーズは、銀の輪のようなホールダーがソーサーに立つように作ってあります。また、ソーサーには取っ手が付いている。親指をここにかけ、ソーサーを持って飲むためのものです。
他の注目点としては、銀のソーサーの上に置かれたビスケットでしょう。またチョコレート・カップに蓋がなく、ホット・チョコレートがギリギリ一杯に注がれているのもポイントです。
ちなみに「チョコレート・カップ」は、コーヒー・カップやティー・カップとは違う、絵に描かれたような背の高いカップです。当時は、チョコレートを溶かし、香辛料や砂糖を入れ、よくかき混ぜて泡と一緒に飲むというスタイルで、それ専用のカップです。
 グラス  |
絵の娘はチョコレート・カップとソーサーの他に、水が入ったグラスを運んでいます。このグラスは、良く見るとカットで模様がつけてあるようです。これはボヘミアのガラス器でしょう。
このグラスには、窓の形の反射が2つ描かれています。この娘は2つの窓からの光の中にいることを示しています。
 トレー  |
日経新聞のコラムに、娘が運んでいるトレーは漆器だとありました。アートについてのウェブ・マガジン、"www.apollo.com" のこの絵の解説(2018.11.20。筆者:Tessa Murdock)には、この漆器は日本製だと書いてあります。娘が持っているものでは唯一の東洋からの輸入品ということになります(輸入品としては、他にカカオ)。この漆器が一番高価かもしれません。同じ解説には、チョコレート・カップは当然のようにマイセンの磁器と書いてありました。
この絵は、画家のリオタールはウィーン滞在中(1743~45)に描かれました。場所はウィーンの貴族の館でしょう。メイドの彼女が朝、女主人にチョコレートを運びます。女主人はベッドの上で、ソーサーを手に持ちながらチョコレートをゆっくりと飲む。そして苦さを緩和するため甘いビスケットを食べ、水を飲む。それを繰り返す ・・・・・・。そういった情景が浮かびます。
描かれているのはすべて高価なもので、マイセンの磁器、銀のトランブルーズ、ボヘミアン・グラス、そして日本製の漆器です。いかにも貴族の邸宅の光景という感じがします。
そして、この絵がとらえた瞬間を考えてみると、メイドの彼女はチョコレート・カップを慎重に、静かに運んでいるはずです。18世紀のチョコレートは貴重なものです。しかも絵のカップには蓋がなく、チョコレートがなみなみと注がれている。彼女はこぼさないよう、そろりそろりと運んでいるに違いありません。
精緻に仕上げられたパステル画
全体を見渡すと、この絵の大きなポイントは "パステル画" だということです。日本経済新聞のコラムに、
パステルは18世紀肖像画の主要技法で、リオタールはパステルの名手だった。粉状の脆弱感と自然な即興性が当時の趣味に合致したのか、パステルは貴族たちに好まれた。
とありました。このブログでもパステル画を引用したことが何回かあります。それはドガとカサットの作品で、いかにも「粉状の脆弱感と自然な即興性」との印象を受ける絵です(No.86, No.87, No.97, No.157)。それは一般的なパステル画のイメージでしょう。
しかしこの絵は違って、細部まで精緻に仕上げられています。また明るい色で、かつ中間色が使われている。ファッションなどの世界で "パステル・カラー" という言い方をしますが、赤・青・緑などの原色ではない "中間色" という意味です。『チョコレートを運ぶ娘』はまさにパステル・カラーの絵です。この絵は「最も美しいパステル画」と評されることがあるそうですが、まさにそういう感じがします。
しかも、展示してあるのがドレスデンの "アルテ・マイスター絵画館" です。英語に直訳すると "Old Masters' Gallery" で、18世紀かそれ以前の古典絵画の展示館です。名画が並んでいますが、それらに使われている多くの色はいわゆる "アースカラー" で、岩石や土が原料の顔料です。全般的に暗い色が多い。その中で、明るいパステル・カラーのこの絵は "目立つ絵" です。全く知らなかったこの絵に目が止まったのは、そういう理由もあるのだと思いました。
"中国的" とは ?
日本経済新聞に幸福輝氏が書いたコラムは「描かれたアジア」というシリーズで、その最終回が『チョコレートを運ぶ娘』でした。その文章の最後の方に、この絵を評して「中国的」との表現がありました。だから「描かれたアジア」なのでしょう。なぜ中国的なのか、コラムのその部分を再度引用すると次の通りです。
磁器を思わせる入念な仕上げが施された本作品は、通常のパステルとはどこか違う。ほぼプロフィールで描かれた娘の姿も、瞬間の生動感を狙ったようには見えない。制作当時、この作品は「中国的」と評されたとの記録が残っているが、そのあたりに、この画家が凝らした制作の機微が潜んでいるのかもしれない。
これを読むと、「瞬間の生動感を狙ったようには見えないから中国的」と読み取れます。確かに、慎重にチョコレートを運んでいる姿からは "動き" があまり感じられません。この静的な雰囲気が中国的ということでしょう。もちろん、その他に「磁器のチョコレート・カップに漆器のトレー」というアジア由来のアイテムがあることも「描かれたアジア」なのだろうと思います。
しかし、アルテ・マイスター絵画館の公式カタログ「ドレスデンの名画:アルテ・マイスター絵画館」(2006。日本語版)には、別の説明がありました。
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ドレスデンの名画 アルテ・マイスター絵画館 (公式カタログ) |
表紙の絵は、16世紀のイタリアのパルマで活躍したコレッジョの「聖ゲオルギウスの聖母」。厳粛な雰囲気とは対極にある宗教画である。光と影の効果で立体のモデリングをすると同時に、光で人物の重要度を表している。一番強い光が聖母子に当たり、その次が左の洗礼者ヨハネ(毛皮を着て杖を持っている)、最後に右の聖ゲオルギウスの順である。 |
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ヨーロッパの画法では、陰影を使って対象の3次元的造形をするのが伝統です。上に引用したコレッジョの「聖ゲオルギウスの聖母」がまさにその典型です。一方、中国や日本の伝統的な絵画は影を使いません。『序の舞』のように。
上の引用に「画法はヨーロッパのもの」とあるように、この絵は伝統的な画法を踏まえています。しかし影は(もちろんありますが)最小限に抑えてあります。2箇所からの明るい光を受けて、段階付けられた微妙な陰影で、浮き彫りのような効果を出しています。石や貝殻に浮き彫りをする技術を "カメオ" と言いますが、この絵はちょうど瑪瑙を素材にしたカメオのような効果を出しています。
このような "影を極力抑えた" 描き方が中国的だと、上の引用は言っています。おそらくヨーロッパ人からすると、この絵は「何か違うな、斬新だ」と感じるのでしょう。我々日本人からすると、この "中国的な" 描き方は自然で普通だと見えるのですが、その普通の絵がアルテ・マイスター絵画館の中では目立っているのです。この絵画館は西洋古典絵画の展示館です。そこでは光と影が交錯し、その強いコントラストで描かれている絵が多い。ないしは、ほとんど作画対象が暗い影の中にあり、その絵の焦点だけが明るい光に照らされて浮かび上がるような絵です。
そのような絵が多数ある中で『チョコレートを運ぶ娘』は、光と影のコントラストとは無縁であり、全体が明るく輝いています。そのことがこの絵を絵画館の中でも目立つものにしているのでしょう。
名画には理由がある
ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館の『チョコレートを運ぶ娘』について、以上の考察をまとめると次のようになるでしょう。
娘が運んでいるものはどれも高価で、いかにも貴族の館での光景である。またマイセンの磁器製チョコレート・カップと日本の漆器のトレーは、当時の上流階級の東洋趣味を反映している。 | |
全体が明るいパステル・カラーで精緻に仕上げられている。また陰影付けは最低限に抑えられている。これらの点が、アルテ・マイスター(=古典)絵画館の中でも異色の作品にしている。 | |
最初にあげた上村松園の『序の舞』との類似性という観点では、まず第一に「縦と横の、シンプルで強い構造線が作るバランス」である。この構図が大変に印象深い。 | |
さらに『序の舞』との類似性は、"静" と "動" のはざまを描いている、ないしは "静" のような "動" を描いているところである。 | |
この絵は『序の舞』との共通項があることから推測できるように、西欧人からすると "東洋的" な雰囲気を感じるのだろう。それが描かれた当時の「中国的」という評価につながった。 |
この絵を見て惹かれる要因の一つが、"東洋的" ということかもしれません。我々からすると全く違和感のない絵ですが、アルテ・マイスター絵画館においてはまさそこが際立っているということでしょう。
『序の舞』を引き合いに出したのは、秋田麻早子氏の著書『絵を見る技術』(No.284)からの連想でしたが、この本の結論として秋田氏は、
自分の好き・嫌い」と「作品の客観的な特徴」が分けられるようになると、楽しみ方の幅がぐっと広がる |
と書いていました。パッと見て "いいな" と思った『チョコレートを運ぶ娘』について、なぜそう思ったのかを探るために「作品の客観的な特徴」を考えてみましたが、なるほどそうすることで絵画の楽しみ方の幅が広がると実感しました。
補記1:描かれた磁器 |
2022年7月15日の日本経済新聞に、リオタールの「チョコレートを運ぶ娘」に関するコラムが再び掲載されました。今回は "名画の器 十選" と題したコラムで、筆者は西洋陶芸史家の大平雅巳氏です。以下に引用します。
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この記事での新情報は、描かれたカップが
柿右衛門の垣梅に似た、ウィーン磁器工場の製品(と思われる)
というところです。大平氏は西洋陶磁器史の専門家なので「ウィーン磁器工場の製品」というはその可能性が高いのでしょう。柿右衛門の梅の図と言われればそういう感じであり、ここにもまた "アジア" があるのでした。
(2022.7.15)
補記2:有田焼 チョコレート・カップの輸出 |
2024年2月14日の朝日新聞の天声人語は、有田焼のチョコレート・カップが欧米に輸出されたという話題がテーマでした。それを引用します。天声人語は▼で区切られた6段落の文ですが、段落を空行で区切って引用します。
コーヒーカップやティーカップは日常的に使っているが、チョコレートカップなる磁器があったとは知らなかった。江戸時代には鎖国中の日本から輸入して、欧州や中米の人々がチョコレートを飲んでいたという。どんなカップが、どう運ばれたのか。 大航海時代に中米から欧州へ持ち込まれたカカオは、まず飲み物として広まった。水に溶かして砂糖や香辛料などを加え、よくかき混ぜる。泡と一緒に飲む際に背が高い専用器が求められ、チョコレートカップが生まれた。 長崎大教授の野上建紀さんによると、当初は中国が最大の輸出国だったが、王朝交代に伴う混乱や貿易制限策で激減。代わりに、有田焼をはじめとする上質な日本の肥前磁器が注目された。17世紀半ばには、長崎の出島から西回りでの輸出が始まったという。 野上さんは東回りの太平洋ルートもあったのではと考えた。当時、フィリピンとメキシコをガレオン船が結んでいたからだ。20年前にマニラの遺跡で、その根拠となる有田焼の皿を初めて発見したときは「祝杯をあげた」そうだ。のちに、背の高いカップも見つかった。 中米での出土品などから、太平洋ルートで運ばれた肥前磁器の「主力商品」がこのカップだったこともわかった。アジアと新大陸を結んだ海の道は、チョコレートの道でもあった。 日本の職人たちは、味わったことのない飲み物の器をつくっていた。バレンタインデーのきょう、歴史に思いをはせながらホットチョコレートを飲もうか。 朝日新聞(2024.2.14) |
こうしてみると、「チョコレートを運ぶ娘」のチョコレート・カップが、日本から輸入された高価な有田焼であったとしても、おかしくはないわけです。もし仮にヨーロッパ産の磁器が広まる前だったらその可能性もある。当時のグローバル経済の一端がわかります。