「恐竜から鳥への進化」と「中島みゆき」は何の関係もないのですが、このブログでは過去に12回、中島みゆきの詩について書いているので、思わず余談を書いたわけです。そこで《India Goose》という詩についてです。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 |
インド雁
まず India Goose とは何かですが、そのまま訳すと "インドの雁、ないしは鵞鳥" で、これは「インド雁(学名 Anser Indicus)」という鳥のことです。学名の Anser は雁、Indicus は "インドの" という意味なので、英訳すると India Goose になります。ただし英語ではインド雁のことを "Bar-headed goose" と言います。名前のごとく頭に黒い縞(=bar)があるのが特徴で、他の雁とはすぐに見分けられます。
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インド雁 (Wikipedia) |
インド雁はモンゴル高原が繁殖地で、冬は越冬のためにインドで過ごします。この間、ヒマラヤ山脈を越えて往復することが知られています。
以下の記述は、BBC New(Web版)2015.1.15「Bar-headed geese : Highest bird migration tracked」によります。 |
話は半世紀以上前に遡ります。1953年、サー・エドモンド・ヒラリーとテムジンは世界で初めてエベレスト(チョモランマ)の登頂に成功しました。この時の登山隊の中にジョージ・ロウというニュージーランドの登山家がいたのですが、彼は「エベレストを越えていく雁を見た」と語ったのです。
鳥がなぜ標高9000メートル近いところを飛行して渡りができるのか、科学者の興味を惹いてきました。BBC Newsの記事(2015.1.15)には、イギリス、ウェールズのバンゴー大学のチームの調査結果が報告されています。チームはモンゴル高原でインド雁にGPSとセンサーをつけ、飛行経路、高度、雁の体の動きを計測しました。その分析によると、インド雁の飛行高度は最高24,000フィート(7,300メートル)に達したそうです。これならエベレスト(8848メートル)を越えるのもうなずけます。さらに調査の結果として次のようなことが指摘してあります。
◆ | インド雁は追い風に乗ることはない。 | ||
◆ | 滑空飛行をしないで羽ばたき続ける。17時間も羽ばたき続けた鳥がいた。 | ||
◆ | しばしば夜間に飛行する。夜は気温が低いが空気の密度が高く、昼間に飛ぶよりエネルギーの節約になる。 |
エベレストの頂上程度の高度だと、気圧は平地の3分の1しかありません。従って酸素の密度も3分の1です。しかも気温はマイナス10~40度です(飛行機に乗ったときの外気温表示を見ればわかる)。人間の登山家なら酸素ボンベをしょってエベレストに登ります。現在までにエベレストに登頂した人は4000人を越えるはずですが、無酸素で登頂した人は確か数人だったと思います。
このような過酷な条件の中で17時間も羽ばたき続けるというインド雁の能力は驚異的です。これは単に貫流式の肺(No.210 参照)が効率的に酸素を吸収できるというだけでなく、筋肉に酸素を送る仕組みや老廃物を分解する機能など、多くのことが関係しているのでしょう。羽毛の断熱効果も見逃せません。
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ヒマラヤを飛行するインド雁 (BBC - Youtube) |
なおインド雁とおなじようにヒマラヤ山脈を越えて渡りをする鳥に、小型の鶴であるアネハヅル(姉羽鶴)があります。これについては2016年10月17日のNHK BSプレミアム、ワイルドライフ「アネハヅル 驚異のヒマラヤ越えを追う」で放映(アンコール放送)されました。
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アネハヅル(姉羽鶴) ツルの中でも最小の種で、翼開長は100-140cm程度である(ちなみにタンチョウヅルは200-240cm)。 (Wikipedia) |
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ヒマラヤを飛行するアネハヅル (NHK - ワイルドライフ) |
India Goose
そこで中島みゆきさんの《India Goose》です。この曲は2014年に発表された40作目アルバム『問題集』の最後の曲として収録されました。次のような詩です。
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中島みゆき 「問題集」(2014) ①愛詞 ②麦の唄 ③ジョークにしないか ④病院童 ⑤産声 ⑥問題集 ⑦身体の中を流れる涙 ⑧ペルシャ ⑨一夜草 ⑩India Goose |
とりあえず言葉どおりに受け取ってよい詩、ストレートで、真っ直ぐな直球という感じの詩です。思うのですが、この詩にある、
・ | いちばん強い逆風だけが 高く高く峰を越えるだろう | ||
・ | 羽ばたきはやまない | ||
・ | 飛びたて 夜の中へ |
という表現は、"科学的" というか、BBC News にみるようなインド雁の生態と合致しているのですね。中島さんも調べて書いているのだと思います。それはさておき、この詩の特徴は、
・ | さみしい心 | ||
・ | 弱い心 | ||
・ | 小さな小さな鳥の列 | ||
・ | 薄い羽根 |
という言葉使いでしょう。鳥はヒマラヤを越えるほどの "強靱さ" があると同時に、ある種の "弱さ" を持っているのです。このあたりから受けるイメージは、《India Goose》の30年前に発表された《ファイト!》を思い起こさせます。
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「冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」とは、川を遡上する魚に見立てた表現ですが、魚をテーマにした作品は他にもありました。
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この2つの詩には「ふるえながら」や「涙」があり、《India Goose》の「さみしい心」「弱い心」「薄い羽根」との類似性が明らかだと思います。そもそも中島さんの詩には
・ | 弱い立場にある者が | ||
・ | 厳しい環境の中 | ||
・ | 目的、ないしは目標方向に進む | ||
・ | そこに共感のメッセージを送る |
というタイプの詩がいろいろあったと思います。《India Goose》はそれらの頂点に位置づけられるでしょう。
しかしここで気になるのは鳥が主人公だということです。中島作品には "鳥" がしばしば登場するのですが、鳥が主人公というのはそう多くはない。さらにこの《India Goose》は中島作品における "鳥" の新しいイメージではないかと思うのです。
そこで、これを機会に過去からの中島さんの詩における "鳥" の扱われ方を振り返ってみたいと思います。"中島みゆき 鳥類辞典" を作ったらどうなるか。
カモメ
中島さんの詩に "鳥" がいろいろ出てきますが、繰り返し何回も出てくる鳥はカモメです。そもそもファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』(1976)からカモメが出てきます。
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《渚便り》は "恋の終わり" の詩ですが、それを "渚" が癒してくれるという内容で、その癒してくれるものの一つがカモメです。3枚目のアルバム『あ・り・が・と・う』にもカモメが出てきました。
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これは失恋した女性(というか、男をとられた女)の心情です。一睡もできない夜があけ、朝焼けを迎える。カモメの鳴き声が聞こえ始めた、という情景です。
《渚便り》も《朝焼け》も海辺、ないしは海に近い場所が背景になっています。もちろんカモメはそいういう場所に多いのですが、河口から遡って街に現れることもある。18枚目のアルバム『夜を往け』にそういう詩がありました。
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行きずりの男と(おそらく)ホテルの一室にいる情景です。ふと窓の外を眺めるとクルマのヘッドライトの流れの上を一羽のカモメが飛んでいる。その一瞬にかいま見た紙切れみたいな姿に自分の人生を重ね合わせる・・・・・・。「3分後に捨ててもいい』という "強烈な" タイトルであり、女性の "投げやり" で "あてどなく漂っている" 心情が綿々と語られるのですが、その中に一瞬だけ現れる(詩としては一回しか現れない)真っ白なカモメが効果的です。
カモメで最も有名な中島さんの曲は、セルフカバー・アルバム『御色なおし』に収録された《かもめはかもめ》でしょう。
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カモメがタイトルになっている曲は他にもありました。21枚目のアルバム『時代』(1993)に収録された《かもめの歌》がそうです。
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そのほかカモメが出てくる曲は、
海と宝石 | A1985『御色なおし』 | |||
白鳥の歌が聴こえる | A1986『36.5℃』 | |||
紅灯の海 | A1996『パラダイス・カフェ』 | |||
裸爪(はだし)のライオン | A2002『おとぎばなし』 |
がありました。工藤静香への提供曲である《激情》(1996)を中島さんはセルフカバーをしていないのですが、カモメが出てきます。
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以上のように見てみると、中島作品におけるカモメのイメージは、
・ | 鳥の代表としてのカモメ | ||
・ | 普通の鳥であり、際だった個性を感じるものではない | ||
・ | 海と結びついて "癒される" というイメージをもつことがある | ||
・ | 空を飛び回る自由な存在 |
といったところでしょう。中島作品において繰り返し出てくる鳥はカモメしかありません。鳥の代表であり、よく見かける普通の鳥としてカモメが位置づけられています。
名前のある鳥
中島作品においてカモメ以外に名前が明示してある鳥に、スズメがありました。
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スズメを観察すると「はしゃぐ」とか、他のスズメを「追いかける」ように見えることがあります。この詩はそんな雀を主人公である "私" の比喩に使ったものです。このように鳥を人間の形容に使った詩は他にもあります。
あほう鳥 | A1978『愛していると云ってくれ』 | |||
僕は青い鳥 | A1984『はじめまして』 | |||
白鳥の歌が聴こえる | A1986『36.5℃』 | |||
ロンリー カナリア | A1989『回帰熱』 | |||
みにくいあひるの子 | A2002『おとぎばなし』 | |||
鷹の歌 | A2010『真夜中の動物園』 |
などです。《白鳥の歌が聴こえる》(No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」で引用)では、港町の夜の女性を "白鳥" と形容しています。白鳥は死ぬ前に美しい声で歌うという伝説があるので、そのイメージが重なっています。カナリアは "小さく弱い鳥" というイメージですが、《B.G.M.》(A1982 寒水魚)という曲にも、電話に出た恋敵の女性の声が「カナリヤみたい」と形容されていました(No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用)。また、《鷹の歌》については、No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」で書いた通りです。これらはいずれも特定の人間を表現するのに鳥の名前を使ったものです。
一方、人間の形容ではなく、鳥そのものに意味を持たせ、鳥がテーマになっている、ないしはテーマに直結する重要な役割を担っている曲があります。"ツバメ" と" オジロワシ" です。
 ツバメ  |
中島さんの最もよく知られている楽曲の一つに《地上の星》があります。ここではツバメが重要な役割をもっています。
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我々はつい見過ごしてしまうけれど、地上にこそ「星」がある。それを、高い空にいるツバメは知っているはずだ、という詩の構成になっています。
 オジロワシ  |
『短編集』(2000)の翌年にリリースされたアルバム『心守歌』(2001)では、寒帯に住む鳥、オジロワシがテーマとなりました。
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オジロワシ(尾白鷲) その名の通り、尾羽が白い。詩のタイトルにツンドラとあるように寒帯の鳥だが、北海道にも生息する。 (Wikipedia) |
ツバメとオジロワシのイメージを書いてみると
・ | 空に舞い上がって自由に飛行し | ||
・ | 地上のすべてを見通せる、知恵のある存在 |
といったところでしょうか。
無名の鳥
中島作品には単に "鳥" とあって名前は出てこないけれど、鳥が詩のポイントの一つになっているものがあります。
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以上の、詩の一部を引用したものの他にも、"無名の鳥" が出てくる楽曲はいろいろあります。そのリストをあげておきます。
忘れられるものならば | A1976『みんな去ってしまった』 | |||
ルージュ | A1979『親愛なる者へ』 | |||
最後の女神 | S1993 | |||
ひまわり“SUNWARD” | A1994『LOVE OR NOTHING』 | |||
伝説 | A1996『パラダイス・カフェ』 | |||
You don't know | A1998『わたしの子供になりなさい』 | |||
LAST SCENE | A1999『月 - WINGS』 | |||
後悔 | A2000『短篇集』 | |||
天使の階段 | A2000『短篇集』 | |||
夜の色 | A2009『DRAMA !』 | |||
真夜中の動物園 | A2010『真夜中の動物園』 | |||
リラの花咲く頃 | A2012『常夜灯』 | |||
月はそこにいる | A2012『常夜灯』 |
さらに中島作品には、"無名の鳥" が詩のテーマそのものになっている、ないしは詩の中で極めて重要な役割を果たしているものがありあます。《この空を飛べたら》と《鳥になって》です。
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空を飛ぶという、できるはずがないことを願うことで、そうとでも思うしかない主人公の心情が表現されています。
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《鳥になって》という詩は《この空を飛べたら》と共通点があります。つまり主人公の絶望感を "鳥になりたい" と表現したところです。その意味内容は違うものの "鳥になりたい" ところが同じです。さらに《鳥になって》は絶望感を越えて睡眠薬自殺を匂わせたような詩になっている。「私は早く ここを去りたい / できるなら 鳥になって」というところなど、"ここ" は主人公が男性と寝ているベッドであると同時に "この世" ともとれる。ここまでくると「鳥 = 主人公の魂」ということでしょう。
中島みゆきの "鳥" と India Goose
今まで紹介した中島さんの "鳥" に関した楽曲を総括すると、
・ | 名前のある鳥 | ||
・ | 無名の鳥 |
の2種類があります。名前のある鳥ではカモメがたびたび登場し、それ以外の鳥は1回きりです。カモメが最も一般的な "鳥" であり、それ以外は人がそれぞれの鳥に抱いている独自のイメージが投影されます。総じて言うと中島作品における鳥のイメージは、
◆ | 自由、ないしは "束縛の不在" の象徴 | ||
◆ | 不可能を実現している存在 | ||
◆ | すべてを見通せるポジションにある存在 | ||
◆ | 人とってのあこがれ |
といったところでしょう。ただし、これらの中でも《ツンドラ・バード》(2000)と《India Goose》(2014)は特別です。つまりこの2作品は "オジロワシ" と "インド雁" という、鳥そのものがテーマになっている詩、鳥が主人公の詩なのです。しかも2つの詩には、
◆ | 強い意志を持って何かを達成する存在 |
という新たなイメージが加わっている。さらに《India Goose》は「厳しい環境のなか、逆境を乗り越えて目的に到達しようとする」鳥を描いています。このようなコンセプトで鳥をテーマにしたのは《India Goose》しかありません。前に掲げた画像を見ても分かるように、オジロワシはいかにも "鳥の王者" であり、"頑強な鳥" という感じです。タダ者ではない感じがありありとします。それと比べてインド雁は、何となくひ弱で平凡な普通の鳥に見える。それでもヒマラヤを越えていく。このあたりがポイントでしょう。その意味で《India Goose》は中島作品の中でも特別なポジションにあると思います。
最後に付け加えると、No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で《ツンドラ・バード》を紹介したときに、ここに登場するオジロワシは何かの象徴だということを書きました。中島さんは言葉を象徴的に用いるのがうまく、詩全体が象徴だらけという "象徴詩" も書いています。さきほど《India Goose》について「言葉どおりに受け取ってよい詩」と書きましたが、決してそれだけではない。ここに登場するインド雁も何かの象徴と受け取ってかまわないし、そう受け取るべきだと思います。どう受け取るかは聴く人によって違うだろうけれど ・・・・・・。
そして全く個人的な感覚なのですが、この詩に登場するインド雁は、あることの象徴だと思います。それにつてい次回に書きます。
(次回へ続く)