ちなみに、このブログで以前にとりあげたミレーの絵は『鳥の巣狩り』『晩鐘』『死と樵』(以上、No.97)、『冬』『虹』(No.192「グルベンキアン美術館」)ですが、それぞれミレーの違った側面を表している秀作だと思います。 |
まず例によって、中野京子さんの解説によって『落穂拾い』がどういう絵かを順に見ていきたいと思います。
貧しい農民と旧約聖書
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ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) 「落穂拾い」(1857) (オルセー美術館) |
この絵に描かれた光景と構図について、中野京子さんは著書「新 怖い絵」で次のように解説しています。
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『落穂拾い』の構図は、前景と後景の対比で成り立っています。中野さんの文章を整理してみると、
《後景》
・ | 明暗の対比の「明」 | |
・ | 夕暮れのやさしい陽を浴びて豊穣 | |
・ | 麦藁が天まで届けとばかりに積み上がる | |
・ | 干し草のかぐわしい匂いが漂う | |
・ | 大勢の人間が収穫に沸き、賑やか |
《前景》
・ | 明暗の対比の「暗」 | |
・ | 影が濃く貧困としている | |
・ | やっとの思いで集めた数束が画面の右端に見える | |
・ | じめじめした土の臭いを感じさせる | |
・ | 三人の女性が腰を折って黙々と落穂を拾う |
となります。そしてもちろん絵の主役は "じめじめした土の臭いを感じる中で腰を折って黙々と落穂を拾う" 前景の三人です。
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中野さんは、落穂を拾う三人の「どっしりした存在感」と書いていますが、確かにその通りです。西洋絵画における "モデリング" というのでしょうか、骨太の立体感が伝わってきます。絵の中に彫刻作品があるような、造形の確かさがあります。実際に見た通りに描くと、こうはならないでしょう。絵画でしか成しえない世界を作ったという感じがします。それに加えて完璧な構図と色使いのうまさがあり(赤と青が利いている)、この絵が絵画史上の名画中の名画とされていることも分かります。
ミレーによって "永遠の命を与えられた" 三人の女性、表情は定かではないが存在感抜群の三人の女性は、いったいどういう人たちだったのでしょうか。これはよく知られています。中野さんは次のように書いています。
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さらに "落穂拾い" が聖書で言及されていることも、よく知られていると思います。
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ミレーは敬虔なクリスチャンであり、有名な『種まく人』も聖書に由来があります。まず、そういった信仰がベースにあり、そこに懸命に生きる人間の "けなげさ" が加わり、さらに絵としての構図や描写の素晴らしさが重なって、この絵は当時から大いに人気を博しました。数々の複製画が出回ったと言います。
以上のように「最下層の農民」と「キリスト教」が、この絵の二つの背景です。しかしこういった見方とは別に、この絵が発表された当時は全く別の観点から見る人たちがいたのです。
共産党宣言
『落穂拾い』は人々の共感を呼んだと同時に、ミレーと同時代の一部の人たちに強い反感をもたらしました。
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実は "落穂拾い" の主題は多くの画家によって取り上げられてきました。聖書に言及があるので当然とも言えるでしょう。その典型例がジュール・ブルトン(1827-1906)の『落穂拾いの女たちの招集』(1859)で、ミレーの『落穂拾い』(1857)と同時期に発表された作品です。
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ジュール・ブルトン(1827-1906) 「落穂拾いの女たちの招集」(1859) (オルセー美術館) |
官展で1等をとったこの絵は、聖書の世界をあくまで美的に表現していて、ミレーが描いた現実の農民の姿とは全く違います。登場する女性は若々しく健康的で(非現実的)、前列の2人は裸足であり(これも非現実的)、拾い集めた麦も穂がたっぷりとついています(とても落穂とは思えない)。
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絵を見る視点
中野京子さんが「新 怖い絵」という本に『落穂拾い』をとりあげたのは、この絵が発表された当時、ある種の人たちにとっては本当に "怖い絵" だったからでした。その背景になったのは、産業革命以降の資本主義の発達と貧富の差の拡大です。そこから社会主義運動が起こってきた。それは労働者の権利の主張という範囲を越えて、階級社会の否定、ないしは革命を目指す運動にもつながってくる。特にフランスの富裕層は、70年前に大革命が起きて王制や教会が打倒されたことを想起したでしょう。ミレーに階級社会を否定する意図が無かったようですが、意図があると見なされる社会的な素地があったわけです。
現代人である我々が『落穂拾い』を見るとき、キリスト教や聖書の背景を考えないとしても、
貧しい中で黙々と働く農婦への共感を覚え、労働の尊さに想いを馳せる |
のが普通でしょう。ところが19世紀半ばのフランスでは、必ずしもそうではなかったのですね。つまり、ボードレールに代表される『落穂拾い』への非難、ないしは反感が示しているのは、
◆ | 現代人の感覚だけで過去を判断してはいけない。一面的な(ないしは誤った)見方をしてしまうことがある。 | ||
◆ | 絵画は描かれた時代を映すものでもある。 | ||
◆ | 絵画は、見る視点のとり方によって、その解釈がガラッと変わることがある。 |
ということだと思いました。
『落穂拾い』と『鳥の巣狩り』
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ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875) 「鳥の巣狩り」(1874) (フィラデルフィア美術館) |
ところで、冒頭に書いた『鳥の巣狩り』のことです。この絵に初めてフィラデルフィア美術館で出会ったとき、パッと見て何を描いているのか分かりませんでした。題名も "Bird's-Nesters" となっていて、ちょっと不可解な題です(nesters という語の意味が分かりにくい)。しばらく絵をじっと見ていると理解が進んできました。登場人物は4人で、夜の光景です。おそらく2組の夫婦なのでしょう。2人の男が明かりをかざして、画面を覆う鳥を棍棒で叩き落としています。2人の妻は、地面に這いつくばるようにして叩き落とされた鳥(実際は野鳩)を拾っているところです。
現代なら、立てた棒の間にネットを張って鳥を追いこむのでしょうが(=かすみ網。日本では禁止)、棍棒で鳥を撲殺するというのは随分 "原始的な" 方法です。夜に突如として強い光を当てられると鳥はパニックになって飛び去れない。そこをうまく突いた狩猟方法のようです。
ちなみに、この絵を所蔵しているフィラデルフィア美術館は題名を『Bird's-Nesters = 鳥の巣狩り』としています。この題名通りに鳥の巣を狩るとしたら、その目的は鳥の卵か雛をとることです。しかしこの絵は "鳥そのものを狩る" 光景です。なぜ Bird Hunting(鳥狩り)か Bird Hunters(鳥狩り人)ではないのか。その理由の推測を No.97「ミレー最後の絵」に書きました。 |
この『鳥の巣狩り』という絵は『落穂拾い』を連想させるところがあります。それは絵の中の2人の農婦です。
地面に屈み込んでいる(あるいは這いつくばっている)2人の農婦が、
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という点で連想が働くのです。絵の中の雰囲気はまるで違います。『落穂拾い』では、静かな夕暮れ時に2人の農婦がリズミカルに小麦の穂を拾っています。静寂の中、足音と小麦を掴むわずかな音だけが響くという光景です。一方の『鳥の巣狩り』は、野鳩の大群の啼き声と羽ばたき音が充満するなか、地面でまだバタバタと羽を動かしている瀕死の鳩を拾う光景です。地に落ちた野鳩の阿鼻叫喚の中での作業です。
しかし地面に屈み込んで(あるいは "這いつくばって")何かを拾うことでは、2つの絵は共通しています。中野京子さんは『落穂拾い』を評して「這いつくばるように前進する二人が奏でるリフレイン」と書いていますが、『鳥の巣狩り』の2人の方がもっと "這いつくばって" いる。もちろん "リフレイン" どころではない光景だけれど。
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「落穂拾い」(部分) |
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「鳥の巣狩り」(部分) |
No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」に書いたように『鳥の巣狩り』はミレーの絶筆です。描いた時点でミレーは死期を悟っていました。病床にあった彼は最後の最後まで手を入れ続けたといいます。なぜ彼がこの絵を描いたのか、その推測を No.97 に書きました。ミレーはノルマンディー地方の農家に生まれ、バルビゾンで農民を描いて成功した画家です。その人生の総決算が『鳥の巣狩り』だというような想像でした。
そして付け加えるなら、ミレーはこの絵を描くときに『落穂拾い』が念頭にあったのではないでしょうか。ミレーの代表作は『落穂拾い』『晩鐘』『種まく人』『羊飼いの少女』であり、当時からそう見なされていました。画家自身も自らの代表作と意識していたはずです。これらのうち一つをあげるとすると、やはり『落穂拾い』だと思います。ミレーは『落穂拾い』で地面に手を延ばしている2人を、人生最後の作品である『鳥の巣狩り』に再び登場させたのではないでしょうか。全く違うモノに手を延ばす2人として・・・・・・。
ミレーやコローを代表格とするバルビゾンの画家は、当時のパリで大いに人気を博したようです。都市化が進んだパリ市民には「自然へのあこがれ」があり、また「農村の牧歌的風景」や「農民の素朴さ」が求められたからでしょう。それはあくまで都会人の視点での農村・農民です。近・現代の日本でも、そういう "古きよき農村風景" を描いた絵はいろいろありました。
しかしミレーはそう単純ではなかった。あくまで農民の側に立って、農村の真実を描いたわけです。そこには、農民たちの喜び、神への感謝と祈り、労働の辛さと過酷さ、さらには "報われることがない人生に対する悲しみ" までが表現されているようです。だからこそ、見る人が見れば社会を告発している "怖い絵" にも思えたのでしょう。
そしてミレーという画家の人気の源泉、人の心を打つ理由は、まさにその点にあるのだと思います。
(続く)
 補記:乳しぼりの女  |
『落穂拾い』における後景と前景のコントラスト、"明" と "暗" の対比に関連して思い出す絵があります。ブリジストン美術館が所蔵する『乳しぼりの女』です。ブリジストン美術館のWebサイトの解説によると、この絵はミレーが故郷のノルマンディー地方・グリュシーを訪れたときのスケッチをもとに制作したものです。
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ジャン=フランソワ・ミレー 「乳しぼりの女」(1854-60) (ブリジストン美術館) |
この絵では、明るい後景は画面の3分の1程度しかなく、牛と農婦を描いた薄暗い前景が大半を占めています。『落穂拾い』の3人と同じく農婦の顔や表情は全く描かれず、薄暗い中で乳絞りにいそしむ様子だけが画面の中央にシンプルに提示されている。その屈んでいる農婦の姿は何となく『落穂拾い』を連想させます。絵としての構図の妙や農婦の存在感の表現は『落穂拾い』の方がグレードが数段上でしょうが、こういったシンプルな絵にこそ本質が現れることもあります。明るい "のどかな" 農村風景と、そこで日々行われている普通の農民の労働を対比的に描くことで、画家は農民への強いシンパシーを表したのだと思います。
(続く)