◆ | 酒造りに使う酒米を自社の農地で栽培するか、周辺の農家に委託して栽培してもらっている。 | ||
◆ | 栽培するのは「山田錦」や「雄町」などの酒米として一般的なものもあるが、「亀の尾」や「神力」といった、いったんは廃れた品種を復活させて使っている(いわゆる復古米)。 | ||
◆ | 精米も自社で行う。つまりこの蔵元は、米の栽培から精米、醸造という一連の過程をすべて自社で行う、「栽培醸造」をやっている。 |
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いづみ橋の定番商品、恵(めぐみ)の青ラベル(純米吟醸酒)と赤ラベル(純米酒)。泉橋酒造周辺の海老名産の山田錦を使用。日本酒度は +8 ~ +10 と辛口である。 |
このことに関してですが、最近、朝日新聞の小山田研慈・編集委員が「栽培醸造」を行っている酒造会社を取材した新聞記事を書いていました。「日本酒を大切にする」という観点から意義のある記事だと思ったので、以下に紹介したいと思います。
余談ですが、No.172「鴻海を見下す人たち」で朝日新聞の別の編集委員(山中季広氏)が、シャープを買収した鴻海精密工業を見下すような "不当な" 記事を書いていたことを紹介しました。今回の小山田・編集委員の記事は大変にまともで、さすがによく社会を見ていると思いました。朝日新聞の編集委員ともなれば、きっと小山田氏の方が普通なのでしょう(と信じたい)。
記事は「新発想で挑む 地方の現場から」と題されたシリーズの一環です。まず、秋田県のある酒蔵の話から始まります。以下の引用で下線は原文にはありません。
酒米 蔵から5キロ圏産だけ
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あとで出てくるのですが、浅舞酒造は半径5キロ圏内にある19の農家に委託してコメを栽培しています。上の引用によると、苗は自前でも作っているようです。
半径5キロ圏内ということは、浅舞酒造はコメ作りの過程に常時関与できるか、少なくともその過程を詳しく知ることができるということです。農家ごとの土壌もわかるし、その年の気温や降雨もつぶさにわかる。このことがおいしい酒造りには重要です(No.89「酒を大切にする文化」で紹介した泉橋酒造のホームページ参照)。
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・酒米の品種
・酒米の生産地区
・使用する水
・精米度合い
・醸造方法
を規定するようなものです。
日本のワインにAOCのような国家規定はないのですが、日本のワイン醸造所も自社のブドウ畑を持つか、契約農家にブドウを栽培してもらうかのどちらか、あるいは両方をやっています。甲府盆地とその周辺にはたくさんの醸造所がありますが、私の知っている限り、皆そうです。サントリーやメルシャンなどの大手メーカーも自社のブドウ畑を持っている。「栽培醸造を全くやっていないワインメーカー」というのは、ちょっと考えにくいわけです。
ちなみにフランスのネゴシアンと呼ばれるワイン流通業者は、シャトーやドメーヌから仕入れたワイン原酒をブレンドして瓶詰めし、販売しています。そのネゴシアンの中には、ブドウの果汁を仕入れて自社で醸造して販売する業者もあるといいます。このケースでは「栽培」と「醸造」が分離していることになりますが、知っての通りフランスは「ワイン大国」であって、そこまでワイン産業が発達していると言うべきでしょう。
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小山田氏が指摘しているように、コメはブドウと違って運搬や貯蔵が容易にできます。そのため「栽培醸造」が普及しなかった(ないしは廃れた)というのはわかります。しかしだからといって、他県のコメを仕入れるだけで安住しているのは怠慢でしょう。さっき書いたようにコメの品質は、山田錦であればいいというのではなく、稲が育った環境(土壌、水、栽培方法)と、その年の気温・降雨によって変化するはずです。それを知った上で最適な精米の具合と醸造方法を決める。そうであってこそ "醸造家" です。
酒造りには水が大切です。そのため地下水などの「自前の水源」を確保している酒蔵も多い。しかしそういう酒蔵でも、米を自前で確保しようとしないのは不思議です。コメよりも水の方が大切なのでしょうか。そんなことはないはずです。記事にある浅舞酒造は「蔵から約50メートルのところにあるわき水」を使うと同時に、自前で酒米の確保を始めました。
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記事の下線を引いたところに「自腹の補助金」の話がでてきます。日本政府もコメ作りに補助金を出すなら、こういう農家に(手厚く)出してほしいものです。
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朝舞酒造のホームページに掲載されている横手盆地の風景。このような写真を見ると「半径5キロ圏内の酒造り」という実感が湧く。 (site : www.amanoto.co.jp) |
別の蔵元の取材です。地元にある酒米の品種を使って成功した蔵元と、自社栽培をはじめた蔵元の話です。
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No.89「酒を大切にする文化」で紹介した、神奈川県海老名市の泉橋酒造も記事に出てきました。海外への販売を見据えた話です。
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純米酒
以上のように、小山田・編集委員の取材記事は「栽培醸造」ないしは「地元産の酒米にこだわる酒造り」「蔵から5キロ圏内で栽培された酒米による酒造り」がポイントなのですが、もう一つポイントがあって、それは純米酒です。
記事によると日本酒の生産は長期低落傾向にあり、2014年度の生産量の56万キロリットルは、ピーク時の30%という深刻な状況です。しかしその中でも純米酒は2010年度から5年連続で伸びている。2014年度の純米酒の生産量は9.7万キロリットルで、これは前年比106%とのことです。このデータから計算すると、日本酒全体の17%が純米酒ということになります。記事にあったグラフを引用しておきます。

朝日新聞(2016.5.9)より
長期低落傾向にある日本酒の中で、純米酒だけは伸びている・・・・・・。これは大変喜ばしいことだと思います。しかし、上のグラフを別の視点からみると、
日本酒の83%には添加用アルコールが入っている |
ということなのですね。これはいくらなんでも多すぎはしないでしょうか。日本酒生産の長期低落傾向がまだ止まらない2014年度でさえこうなのだから、昔の日本酒のほとんどには添加用アルコールが入っていたということになります。
添加用アルコールとは、各種の糖蜜(サトウキビなど)や穀物(米、サツマイモ、トウモロコシ)を発酵させて蒸留したものです。添加用アルコールとは、つまり蒸留酒なのです。日本酒は醸造酒と思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。
83%の日本酒は、醸造酒と蒸留酒の混合酒 |
というのが正しい。添加用アルコールを「醸造アルコール」などと言うことがありますが、この言い方は「醸造酒を造るために使う蒸留酒」という、矛盾した言い方です。
ウイスキーにもモルト・ウイスキー(大麦の麦芽から造る)とグレーン・ウイスキー(穀物から造る)があり、ブレンディッド・ウイスキーはこの両者がブレンドされています(No.43「サントリー白州蒸留所」参照)。しかしこれは蒸留酒に蒸留酒を添加しているのであって、日本酒(醸造酒)に添加用アルコール(蒸留酒)を加えるとは意味が違います。
現在、ビールと総称されているお酒は、「ビール」と「発泡酒」と「第3のビール(リキュールなど)」があります。リキュールに分類されているものには添加用アルコールが加えられています。この例に従って、清酒(日本酒)もたとえば、
・ | 清酒(=純米酒) | ||
・ | 添加清酒(=添加用アルコール入りの日本酒) |
と、はっきり区別すべきだと思います。上に引用したグラフは日本酒の長期低落傾向ではなく「添加清酒」の長期低落傾向を示しているのです。
醸造酒に添加用アルコールを混ぜるのは、別に悪いことではありません。スッキリした飲み口にしたいときや、コストを安く押さえたいときには、選択肢の一つだと思います。それは「第3のビール」と同じことです。しかし、日本酒の83%が「添加清酒」というのは、いかにも多すぎはしないでしょうか。こんなことでは日本酒が長期低落傾向になるのは必然だと思いました。
地元産のコメにこだわる主な酒蔵
小山田・編集委員の取材記事に戻ります。この記事には、地元産のコメにこだわる主な酒蔵という表がありました。その表を引用しておきます。
銘柄 | 酒蔵 | 特徴 |
(ねちおとこやま) | 糸魚川市(新潟) | 地元産米を使い、昨年度は8割が自社生産。「田んぼのすてを見せられるのが強み」 |
海老名市(神奈川) | 地元産米を使い、地元農家のコメが8割。自社生産も。今は純米酒のみ生産。 | |
(ひおきざくら) | 鳥取市 | 全量が県内農家の契約米。農家ごとにタンクを分け、ラベルに農家の名前を入れる。 |
会津若松市(福島) | 地元の酒米が9割弱。うち自社田が25%。 | |
(きっど) | 海南市(和歌山) | 紀州の風土を表現するため、自社田で栽培も。全国の蔵元が味を競う「酒-1グランプリ」で優勝。 |
山根酒造場の「日置桜純米酒」がユニークです。酒のラベルに酒米を栽培した農家の名前を入れる・・・・・。酒米がいかに大切かを言っているわけだし、こうなると酒米農家も張り切らざるを得ないでしょう。ウイスキーに「Single Malt Whisky」があります。これに習い「Single Farmer SAKE」と銘打って輸出をしたらどうでしょうか。そうすると商品に強い「物語性」を付与できます。そういった物語性はブランド作りのための基本です。また、泉橋酒造の橋場社長のコメントにもあったように、SAKEは海外進出のチャンスです。おりしも和食がユネスコの無形文化遺産になりました(2013.12登録)。橋場社長の言うアジアだけでなく、欧米にもチャンスはあると思うのです。
余談はさておき、要は、酒造りにもいろいろな創意工夫があるということだと思います。

(右の写真のラベルに酒米生産者の氏名が明記してある)
日本酒を大切にする文化
誤解されないように言いますと、日本酒は栽培醸造の純米酒であるべき、と主張しているわけでは全くありません。酒の好みは人によって多様だし、飲酒のシチュエーションも多様です。一人ないしは二人でじっくり味わう場合もあるし、多人数で楽しく盛り上がりたい時もある。値段も多様であるべきだと思います。他県から酒米を調達してもよいし、純米酒でなくてもかまわない。しかし、醸造酒作りの基本は、
自社農地で栽培された原料、ないしは、目の届く範囲の契約農家で栽培された原料を使い、添加アルコールを入れないで醸造する |
ことだと思います。その「基本の酒づくり」が非常に少ないことが問題だと思うのです。「基本の酒づくり」でどこまでおいしい日本酒ができるかを極めないと、応用は無理だと思います。応用とは、添加物を加えるとか、全国から酒米を調達するとかです。
朝日新聞の小山田編集委員が「蔵から5キロ圏産だけの酒米」を用いる酒造会社を取材した記事は、「新発想で挑む 地方の現場から」というシリーズの一環でした。醸造酒作りの基本であるばずのものが「新発想」というのは、大変悲しむべきことだと感じます。また、この記事がまるで "地方再生の活動を紹介するような" 印象を与えるのも、本当は異常なことです。もちろん、記事そのものは良いと思いますが。
こういった「地方の現場の新発想」が、新発想でも何でもなく、全国のいたるところの酒蔵と大手酒造会社で行われるようになったとき、日本酒を大切にする文化が真に復活し、日本酒の長期低落傾向が止まるのだと思います。
 補記:日本酒の参入規制  |
2020年2月8日の日本経済新聞に、日本酒の参入規制の解説記事が掲載されました。日本酒醸造への新規参入は70年間も認められていないとの記事です。日本酒の今後の発展(ないしは、今後の衰退)についての重要な話だと思うので、以下に引用します。下線は元記事にはありません。
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この記事に出てくる日本酒ベンチャーの WAKAZE については、以下の写真が掲載されていました。
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WAKAZEは東京で「どぶろく」を造るが、日本酒は規制が壁に |
日本経済新聞(2020年2月8日) |
WAKAZEは東京の三軒茶屋に自前の醸造所を持っていますが、記事にあるようにそこでは "どぶろく" しか醸造できません。そういう規制がかかっているからです。ではどうやって日本酒を造るのかというと「委託醸造」です。つまりレシピを WAKAZE が作り、そのレシピでの醸造を既存の日本酒メーカーに委託する。日本酒醸造に新規参入するにはこの手法か、ないしは記事にあるように既存の日本酒メーカーの M&A しかないわけです。
そのWAKAZEは、フランスに自前の醸造所をつくり、フランスの米と水を使った "SAKE" の醸造に乗り出しています。
(プレスリリース) |
WAKAZEは日本酒醸造への新規参入を、日本ではなくフランスで果たしたわけです。おそらく WAKAZE の稲川CEO は、日本の素材で日本で造った "和食に合う日本酒" をフランスに輸出することもしたいはずです。フランスで日本料理を出す店は、パリを中心にたくさんあるからです。しかしその日本酒は日本では売れない。「日本で売られていない "和食に合う日本酒" をフランスで売る意味があるのか」というのが、日経新聞に書かれている稲川CEOの疑問でしょう。
日本酒の大手メーカーは既得権益を守るために、天下り官僚を使って新規参入を阻止する。おそらく、そのことよって日本酒の出荷量はますます低下し、負のスパイラルに陥る ・・・・・・。記事にある萬乗醸造の社長が言うように、まさに新規参入を閉ざす業界は未来も閉ざされてしまうのですね。
この日本酒の話は、構造改革ができずに経済の停滞(ないしは凋落)を招いている日本の象徴だと思いました。
(2020.2.17)