柏原芳恵への提供曲(1983) | ||||
三田寛子への提供曲(1986) |
をとりあげました。2曲とも "春の別れ" をテーマとした詩です。そのときに別の中島作品を連想したのですが、今回はそれを書きます。2曲とは全く対照的な "春の出会い" をテーマとする曲、
アルバム『夜を往け』1990 |
です。
ふたりは
「ふたりは」は、1990年に発売されたアルバム『夜を往け』に収録されている曲です。また、その年の暮れの第2回目の「夜会」で最後に歌われました。その詩を引用すると以下の通りです。
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中島みゆき「夜を往け」(1990) ①夜を往け ②ふたつの炎 ③3分後に捨ててもいい ④あした ⑤新曾根崎心中 ⑥君の昔を ⑦遠雷 ⑧ふたりは ⑨北の国の習い ⑩with |
さっき書いたように、この曲は1990年の第2回目の「夜会」の最後に歌われました。その前の年、1989年の夜会(第1回)の最後は『二隻の舟』です。『二隻の舟』は「夜会」のために書かれた曲で、1990年の「夜会」の最初の曲でもあり、3年後にアルバムに収録されました(『EAST ASIA』1992)。『ふたりは』という曲は、"二人" ないしは "あなたと私" のことを詩にしているという点で『二隻の舟』と似ています。アルバム『夜を往け』の発売(1990.6.13)は「夜会 1990」(1990.11.16~)より先なのですが、「夜会」の最後に歌うことを想定して書かれたのかもしれません。
シャンソン
『ふたりは』という曲を初めて聴いたとき、詩で描かれた物語について、"どこかで聴いた(見た)ような・・・・・・" という既視感がぬぐえませんでした。
男と女の物語です。男は、社会や町、ないしはコミュニティーの "アウトサイダー" です。最も極端なのはヤクザですが、そこまで行かなくても、不良、チンピラ、アウトロー、嫌われ者であり、蔑んだ言い方では「ゴロツキ」です。
対するのは「性的に奔放な女性」です。職業としては「売春婦」ないしは「風俗嬢」ですが、そうでなくても「あばずれ」とか「ふしだら女」と呼ばれる女性。「誰とでもやる女」と見られていて、蔑んだ言い方では「バイタ(売女)」です。
要するに、社会や町やコミュニティーの表ではなく裏、光の部分ではなく陰の部分を象徴するような二人です。しかし二人の心の奥底には非常にピュアな部分があり、人を愛したい、人から愛されたいとの思いを秘めている。人々からは蔑まれてはいるが、内心は愛を求めている。二人とも "夢破れて"、夢とは正反対の状況で生きている。そんな「ごろつき」と「バイタ」が、たまたま街で出会い、惹かれ合う、そういった物語・・・・・・。
これって、映画か歌に似たようなストーリーがあったのではないでしょうか。映画だとすると、イタリア映画かフランス映画です。イタリア映画だと、最後は二人の意志とは無関係な悲劇で終わるというような・・・・・・。映画だと登場人物も多いし、さまざまな尾鰭がついてはいるが、ストーリーの骨子は上のような映画です。
・・・・・・と思ったものの、その映画の題名は何かと問われると、ピッタリとした映画が思い出せません。それに近い映画はあるのですが・・・・・・。
「既視感」が映画ではなく歌によるのだとすると、思い浮かぶのはシャンソンです。しかし、シャンソンでも同じストーリーの曲は思い出せません。
そこで、既視感を抱いた理由はストーリーそのものというより、この曲の構成スタイルがシャンソンのあるジャンルを思い起こさせたから、とも考えました。つまり、物語性がある歌詞で、人生の一断面にハイライトが当たっている。曲の作りとしては「街の人々の声や囁き」と「主人公の言葉」が交錯する。つまり「語りのような部分」と「歌の部分」、オペラで言うとレチタティーボとアリアが交替するような作りになっている。こういった曲の作り方はシャンソンにいろいろあったと思います。
「語りと歌の交替」でいうと、大御所、シャルル・アズナブールの『イザベル』などはその典型です。イザベルという女性への思いを綿々と綴った詩ですが、「歌」の部分の歌詞は "イザベル" という女性名が繰り返されるだけであり、その他の歌詞はすべてメロディーをつけない「語り」になっています。ちょっと極端かもしれませんが。
『ふたりは』と似た詩の内容のシャンソンは思い出せないのですが、詩の内容はともかく、曲の作り方がシャンソンの影響を感じる。そういった全体の雰囲気から既視感を覚えたのだと思いました。既視感の本来の意味は、本当は見聞きしたり体験したことがないのに、あたかも過去に経験したことのように感じることなのです。
余談ですが、シャルル・アズナブールは92歳(2016年5月現在)です。その「最後の日本公演」を2016年6月に東京と大阪で行うそうです。92歳で現役というのは凄いことですが、「最後の」と銘打って宣伝するプロモーター側の言い方も相当なものです。さっきアズナブールの名前を出したのは、この日本公演のことが頭にあったからでした。 |
言葉の力
中島みゆき『ふたりは』の詩の話でした。ここには "あそびめ"、"ばいた"、"ごろつき" など、あまり日常的ではない言葉が使われています。そうしたこともあり、描かれた物語は「ある種のおとぎ話」のように聞こえます。詩の中に主人公の言葉として "おとぎばなし" が出てきますが、全体が「おとぎばなし」のようです。物語の内容もシンプルで、中島作品にしてはめずらしく平凡な感じがします。もっとストレートに言うとステレオタイプに思える。中島みゆき "らしくない" 物語という感じがします。
しかしこの詩には全体を引き締める「言葉」があると思うのですね。それは4回繰り返される「緑為す春の夜」という表現です。この印象的な一言があるために、詩の全体が生きてくる。物語としては "ありがちな" 話かもしれないけれど、短いが印象的な言葉の力で詩全体が独特の光を放っていると強く感じます。
その「緑為す春の夜」とはどういう意味でしょうか。まず「夜」ですが、主人公の二人は社会において、光よりは陰、表よりは裏のポジションにいる男と女です。二人が出会う時間は「夜」というのが当然の設定でしょう。この曲が収められたアルバムのタイトルも『夜を往け』です。男と女はまだ "夜を往って" いる。
しかし季節は「春」です。冬が終わり、肌にあたる空気も刺すような冷たさではありません。夜に戸外をさまよったりすると "凍えきる" かもしれないが、空気感は明らかに冬とは違う。"春先" か "早春" と言うべきかもしれません。生命の活動が再開する季節であり、物語としてはポジティブな将来を予想させます。夜もいずれ終わり朝がくることも暗示しているようです。"夜を往った" 向こうには朝がある。
この「春の夜」ですが、古今和歌集や新古今和歌集に「春の夜」を詠った和歌がいくつもあったと思います。古今和歌集の有名な歌に、
春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそ見えね香やは隠るる(凡河内 躬恒) |
があります。「春の夜の闇は、わけの分からないことをするものだ。梅の花は隠しても、香りは隠せるだろうか(隠せない)」というほどの意味ですが、ここで「春の夜」に付け加えられているモチーフは花(梅)の香りです。夜であっても香りは感じます。
ほかに五感に関係するもので「春の夜」に合わせるとしたら月でしょう。それも、空気が乾燥してくっきりと見える冬の月ではなく、南からの風が吹いて湿度が高くなったときの朧月です。「春の夜」に朧月を登場させた短歌もいろいろあったと思います。
しかし『ふたりは』において「春の夜」に添えられているのは「緑為す」という形容句です。これはどういう意味でしょうか。少なくとも「春の夜」に戸外では「緑」を視認しにくいはずだし、ここに「緑」をもってくるのは意外な感じがします。これには、次の二つの意味が重なっていると思います。
ひとつは、日本に古来からある「緑なす黒髪」という表現で、女性のつややかな黒髪を表します。確か、枕草子にもあったはずです。現代でも、ポップスの歌詞に現れたりする。つまり「緑なす」は「黒」を連想させる言葉であり、と同時に "好ましい黒" というイメージになります。それがこの詩では「夜」に懸かっている。つまり「緑為す夜」であり、それは "好ましい夜" です。
もうひとつの「緑為す」の含意は、草木の葉の緑です。季節は春(春先、早春)なので、新芽や若葉の緑、生命の再生や息吹きを感じさせる緑です。つまり「緑為す春」という連想が働く。まとめると「緑為す」は「春」と「夜」の両方にかかる表現になっていると思います。
「緑為す春の夜」は、きわめて短い表現だけれども『ふたりは』という詩で語られる物語の全体をギュッと濃縮したような言葉になっています。この「緑」と「春」と「夜」の三つの単語を一つのフレーズに持ち込んだのは、ちょっと大袈裟ですが、日本文学史上初めてではないでしょうか。もちろん "あてずっぽう" ですが、そう感じるほと言葉が輝いています。
さらにこの曲は、中島さんの圧倒的な歌唱力と「歌で演技する力」が遺憾なく発揮されています。それとあいまって、数ある中島作品の中でも出色の曲に仕上がっていると思います。
出会い
No.168で取り上げた2曲を含めて
1983 | ||||
1986 | ||||
1990 |
の3曲を比較すると顕著な対比がみられます。「春なのに」と「少年たちのように」は、純真な少年と少女が(卒業で)春に別れる詩です。一方、「ふたりは」のほうは、純真とは真逆の男と女が春に出会い、一緒に旅立とうとする詩です。前の2つの別れの詩とは全くの対極にあります。
『ふたりは』という詩は、1990年代からの中島さんの詩の新しい潮流を象徴するかのようです。この前後から中島さんは、二人でいることの喜び、人が人と出会うことの意義、めぐり逢うことの素晴らしさ、パートナーシップの大切さなどを言葉にした詩を発表しています。
「夜を往け」1990 | ||||
「夜を往け」1990(アルバム最終曲) | ||||
「夜会」1989。「EAST ASIA」1992 | ||||
「EAST ASIA」1992(アルバム最終曲) |
などです。そのことは、No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」でも書きました。数々のアーティストによってカバーされている『糸』は、その典型でしょう。
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これら一連の詩の中で、強い物語性をもっている『ふたり』の詩は異色であり特別だと言えます。そして物語の "結論"、つまり最後の言葉は「もう二度と傷つかないで」です。中島さんが数多く作ってきた「別れ」のシチュエーションの詩では、傷ついた主人公の女性を表現していることがほとんどでした。強がりを言っているようでも、内心は深く傷ついている。そういった数々の詩に対して『ふたりは』の最後の言葉、
「 | もう二度と傷つかないで」 |
は、傷ついている過去の幾多の主人公への呼びかけのように聞こえます。
この曲は1970年代から数多く作られてきた「別れ」の詩とは逆の内容を提示することにより、クリエーターとしての中島さんが新しい段階に進んだことを示しているようです。その意味では「中島みゆき作品史」の中では一つの記念碑的な作品だと思います。
(続く)