2016年2月23日(火)にTBSで放映された「マツコの知らない世界」では "卒業ソング" が特集されていました。ここに柏原芳恵さんがサプライズ登場し、『春なのに』(1983)を歌いました。マツコさんは柏原さんに「変わらない」「相変わらず素敵な胸で」と言っていましたね。確かに50歳(1965年生まれ)にしてはお美しい姿で、マツコさんの発言も分かります。失礼ながら、歌は現役時代のほうがうまいと思いました。高音が少し出にくく微妙な音程だった気がします。しかしそれはやむを得ないというものでしょう。
この「柏原芳恵・サプライズ登場」を見て思ったのは、テレビ局の(テレビ業界の)"番組制作力" はあなどれないということでした。もちろん視聴者の中には、卒業ソング特集だったはずが、途中から柏原芳恵特集になってしまう、この「強引さ」に違和感や反発を覚えた人がいたでしょう。だけど話は全く逆では?と想像します。はじめから柏原芳恵特集として企画されたのでは、と思うのですね。そのポイントは、
・ | 放送日の2月23日は皇太子殿下の誕生日であり | ||
・ | 殿下が若い時には柏原芳恵ファンだった |
という点です。Wikipedia情報によると皇太子殿下は、皇太子になる以前の浩宮の時代に柏原芳恵さんのリサイタルにお忍びで行かれ、花束まで贈呈されたそうです。ロンドンに留学されていたころには部屋に柏原さんのポスターが貼ってあった、というような話もあります。おそらく、この番組のディレクター(ないしは今回の番組の企画をした人。あるいは企画をTBSに売り込んだ人)は次のように考えたのではないでしょうか。
◆ | 2月23日は皇太子殿下の誕生日だ。 | ||
◆ | この日にあわせて、かつて皇太子殿下がファンだった柏原芳恵を番組にサプライズ登場させよう。 | ||
◆ | 柏原芳恵の代表曲に『春なのに』がある。 | ||
◆ | 『春なのに』は卒業ソングだ。 | ||
◆ | だったら、この日の「マツコの知らない世界」を「卒業ソング」特集ということにしてしまおう。そして柏原芳恵を登場させよう。 |
つまり、柏原芳恵さんの出演を大前提として考えたとき、番組制作サイドとしては、
① | 柏原芳恵さんが2月23日にサプライズ登場 | ||
② | 2月23日は皇太子殿下の誕生日(恒例の記者会見がニュースで放映される) | ||
③ | 皇太子殿下は、かつて柏原芳恵さんのファン |
の3つが揃えば、これで話題にならないはずがないと読んだのではないでしょうか。この3つの一致は偶然にしてはでき過ぎています。「卒業ソング特集」あくまで "前振り" に過ぎず、本番はサプライズ登場、そいういう風に思いました。番組の作り方としての善悪は別にして、テレビ業界の(TBSの)バイタリティーを感じたし、この記事の最初の方に "あなどれない" と書いたのも、その感想の一環です。
このサプライズ登場は、隠れた「殿下へのプレゼント」という意味があったのかもしれません。TBSの上層部は内々に宮内庁を通して皇太子殿下に伝えたとも考えられます。というのも、TBSは「皇室アルバム」を毎週放映している局だからです。毎日放送(MBS)制作の番組ですが、TBS系列で1959年からずっと放映されている番組であり、半世紀を越える民放の最長寿番組です。ひょっとしたら、とも思います。
憶測はさておき、あのような「強引な番組作り」に反発を覚えた人もいたでしょう。と同時に、もっといろんな卒業ソングを聞きたかったという人も多いと思います。卒業ソングには名曲が多いし、人それぞれの思い出が詰まっているのだから・・・・・・。
しかし私にとっては、柏原芳恵さんが『春なのに』を熱唱したシーンは大変に好ましいものでした。その理由はもちろん、『春なのに』が中島みゆき作詞・作曲の、屈指の名曲だからです。そして、そのことを改めて再認識できたからです。
中島みゆき 作詞・作曲『春なのに』
本題は、中島みゆき 作詞・作曲『春なのに』のことでした。その詩についてです。
中島さんは、他の歌手に提供した曲をセルフ・カバーしたアルバムを何枚か出していますが、この曲もアルバム『回帰熱』(1989)に収められています。『回帰熱』の最後を飾る曲が『春なのに』です。
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①黄砂に吹かれて、②肩幅の未来、③あり、か、④群衆、⑤ロンリー カナリア、⑥くらやみ乙女、⑦儀式(セレモニー)、⑧未完成、⑨春なのに |
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「卒業」という言葉で始まるこの曲は、卒業ソングには違いありません。卒業ソングというと、普通、学園生活の思い出が語られ、クラスメートとの別れの悲しさがあり、今後始まる新しい人生への希望(や、ちょっぴりした不安)が語られるものです。
しかしこの詩は「別れ」が強調されていて、少女からみた少年との別れ = 失恋が語られています。卒業ソングというより「失恋ソング」と言った方が適切でしょう。その失恋も、少女からみて "結局自分の片思いだった" というあきらめ感が出ている。
会えなくなるねと 右手を出して さみしくなるよ それだけですか |
というのは、"なじる" ような感じもあり、
卒業しても 白い喫茶店 今までどおりに 会えますねと 君の話はなんだったのと きかれるまでは 言う気でした |
というところは、「君の話はなんだったの」という少年の言葉に落胆し(ないしは愕然とし)、"大きな決意"をして言おうとしていたはずの言葉が言えなかった、その "少女のあきらめ感" が出ています。
シチュエーションとしては、少女の完全な片思いか、片思いではないにしろ、二人の思いのレベルには決定的な差があるという状況です。実は、No.65「中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉」で書いたように、中島さんは「二人の "思い" のレベルに決定的な差がある状況での女性心理を描いた詩」を数々書いています。そういった一連の詩の一つと考えてよいでしょう。
この詩の場合、別れの契機は「卒業」です。季節は春で、すがすがしい青空が広がり、おそらく桜も咲きはじめているでしょう。少なくとも蕾は膨らんでいる。詩の中では、
春なのに、春なのに、春・・・、春・・・ |
と、たたみかけるように、しつこいぐらいに「春」が繰り返され、そのあいだに「涙」「ため息」「お別れ」「捨てる」といった言葉が散りばめられて、春とのキャップ感が強調されています。いい詩だと思います。
「マツコの知らない世界」の中で、マツコさんは「昔のアイドルはレベルが高い。アイドル=歌手だった」という意味の発言をしていましたが、確かにそうだと思います。付け加えると『春なのに』は、詩に加えて曲が素晴らしい。流れるような美しいメロディーが続きます。名曲とされるゆえんでしょう。昔のアイドルはこんな名曲を歌っていたと考えると(しかも作詞・作曲は中島みゆき!)、マツコさんの感想も納得が行くというものです。
ところで、『春なのに』から連想する、中島みゆきさんの別の作品があります。それは『春なのに』と同じく、
◆ | 春の別れをテーマとし、 | ||
◆ | 中島さんがアイドル歌手に提供した曲 |
で、『春なのに』の続編と言ってもよい曲です。『少年たちのように』という曲で、No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」でも取り上げたのですが、そこでは簡単に触れただけだったので、『春なのに』つながりでもう一度書くことにします。
少年たちのように
三田寛子さんは、現在は歌舞伎役者の三代目 中村橋之助夫人ですが、元はというと柏原芳恵さんとおなじくアイドル歌手でした。その三田寛子さんが歌った中島みゆき作品に『少年たちのように』(1986)があります。
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「中島みゆき ソング・ライブラリー」は、中島みゆきが他の歌手に提供した曲(ないしは他の歌手が中島みゆきをカバーした曲)のオリジナル音源を集めたコンピレーション・アルバムで、第5集まである。「少年たちのように」は第3集に収められている。 「ソング・ライブラリー」の曲は、中島みゆきがアルバムでセルフ・カバーした曲が多いが、中にはそうではない「少年たちのように」のような曲もあり、貴重なCDである。「窓ガラス」(研ナオコ)も同じである。 ちなみに第3集の収録曲は、①すずめ(増田けい子)、②FU-JI-TSU(工藤静香)、③煙草(古手川祐子)、④美貌の都(郷ひろみ)、⑤みにくいあひるの子(研ナオコ)、⑥海と宝石(松坂慶子)、⑦少年たちのように(三田寛子)、⑧命日(日吉ミミ)、⑨帰っておいで(ちあきなおみ)、⑩りばいばる(研ナオコ)、⑪最愛(柏原芳恵)、⑫しあわせ芝居(桜田順子) |
『少年たちのように』の詩の出だしは、
女の胸は春咲く柳 逆らいながら春咲く柳 私は髪を短く切って 少年たちを妬んでいます |
となっていて、これだけを聴くと「何のことか?」と思ってしまいますが、詩が進むにつれて次第に状況が明らかになってきます。ちなみに「女の胸」というは「女ごころ」と思えるし、もっと直接的に少女の体の胸という意味を含めてもいいと思います。
次第に明らかになってくる状況は「春」と「別れ」という2点で『春なのに』と共通しています。「春咲く柳」「春は咲き」「春は行き」「春は降り」と、春が続くところなどは『春なのに』とよく似ている。「恋人ですか サヨナラですか」とありますが、その後に「せかされて むごい別れになる」とあり、「嗚呼 でもそれは」と出てきて「別れ」の詩だと分かります。
しかしこの詩は3つの点で『春なのに』とは違っている。まず第1点は「別れ」の背景が卒業とは限らないことです。「季節(春)があなた(少年)を困らせている」とあるので、その困ってしまう契機は普通に考えると卒業でしょうが、あえて卒業とはしてありません。卒業よりもっと抽象化され一般化された「春の別れ」と受けとった方が、より詩の味わいが増すと思います。「春は降り」とあるので、"まるで空から降ってくるかように" あたり一面に春の雰囲気が充満しています。木々の新芽が膨らみ、花が開花し、自然が生き生きと復活している。それとは全くの対極にある「むごい別れ」がテーマになっています。「春の別れ」よりもっと強い表現の、「春が降る中での、むごい別れ」です。
2番目は、この詩のポイントとも言えるところですが、少女(主人公)が「少年のようになりたい」と願うことで、少女が抱く別れの悲しみが表現されていることです。そもそも題名が「少年たちのように」であり、これを含んで、
・ | 髪を短く切る | ||
・ | 荒げたことばをかじってみる | ||
・ | 兄のシャツを着る |
などは、少年たちのようになりたいということの具体的表現です。主人公が少年たちを妬み、そして少年たちのようになりたいと願うのは、少年に変身してしまえば「ともだちでいられる」し「裸足でじゃれあう」こともできるからです。つまり、女性であることからくる恋心のつらさ、そこから引き起こされた別離の悲しみを断ち切りたいのです。
「髪を短く切る」という表現がありますが、中島さんの詩においては(特に1980年代かそれ以前の詩では)「長い髪」が「恋をする存在としての女性」の象徴になっています。このことは別にめずらしくはありません。女性が失恋して心気一転のために髪を切る、というのもよく聞く話です。しかし中島さんの(そしてこの詩の)「髪を切る」は、「少年たちのようになるため」という理由が第一義なのですね。そこがこの詩のポイントであり、題名そのものです。中島さんの初期の作品に似たコンセプトの詩がありました。そのものズバリ『髪』という詩です。
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『少年たちのように』が『春なのに』と違っている点の3番目は、単に「別れの悲しみ」を表しているだけではなく、人が抱く「深い孤独感」をダイレクトに表現していることです。No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」でも引用したのですが、次の部分です。
昨日の国から抜け出るように 日暮れをボールが転がってくる つま先コツリと受けとめるけど 返せる近さに誰も無い |
こういう言葉の使い方は、単に少女が少年と別れて孤独を味わっている、というようなものではありません。人が人生のさまざまな局面で味わう強い孤独感、自分と自分以外のものとの間の大きな距離感や断絶感が、「昨日の国」「日暮れ」「ボール」「コツリ」「返せる近さ」などの言葉の連鎖で的確にとらえられています。これしかないと思わせる適切な言葉を次々と繰り出していって、人の感情の奥深いところをピタリと表現する・・・・・・。中島さんの詩人としての才能が光っています。
『春なのに』は、"卒業と別れ" というテーマの詩でしたが、『少年たちのように』は突き詰められた別れの表現であり、人の心理の洞察であり、人が抱く孤独感を言語化した作品だという気がします。
10代後半の感情と経験
実質的な失恋ソングである『春なのに』はまだしも、『少年たちのように』は "アイドル歌手" が歌うにはふさわしくない曲のように感じられるかも知れません。
しかしそう思ってしまうのは、我々が現代のアイドルの感覚で昔の(30年前の)アイドルを見てしまうからなのですね。まさに「マツコの知らない世界」の番組でマツコさんが言っていたように「昔のアイドルは歌手だった」のです。「歌手」だと考えると『春なのに』も『少年たちのように』も違和感はありません。松任谷(荒井)由実さんの『ひこうき雲』は "死" をテーマしていますが、彼女が19才で発表した曲です。それから考えると、10代後半の女の子が感情をこめて失恋を歌うのは当然だし、失恋からくる深い孤独感を歌ってもよい。そういう経験をしても全くおかしくない年齢です。中島さんがそういう作品を "アイドル歌手" に提供しても、それはクリエーターとしては自然だと思います。
『春なのに』も『少年たちのように』も、10代後半の少女の感情をテーマに書かれた詩です。大人になる前の10代の少年・少女は、人生でその時にしかもてない感情に動かされ、その時にしかできない経験をし、それが人格を形づくります。10代が人生にとって貴重な時期であることは、少年・少女を主人公にした傑作小説が大人によって数多く書かれてきたことで実証されているでしょう。
中島さんが10代の少女を主人公にした詩を10代の少女歌手に提供するということも、それと同じことかと思います。2曲とも、中島さんが30代前半に書いた作品です。
(続く)
 補記  |
2019年5月1日に平成から令和に改元された前後、TV番組では上皇・上皇后陛下、天皇・皇后陛下のこの数十年の "歩み" がいろいろと特集されました。その中で、ある情報番組を見ていたら、天皇陛下が浩宮親王の時代に柏原芳恵さんのコンサートに行かれた様子の動画が紹介されていました。
1986年10月19日の新宿厚生年金会館のロビーで柏原さん(当時21歳)が陛下(当時26歳)を迎え、写真集をプレゼントしています。陛下はそのお返しに、お住まいだった東宮御所の庭でとったピンクの薔薇を一輪、渡されていました。番組によると "一輪の薔薇" の花言葉は「一目ぼれ。あなたしかいない」とのことです。柏原さんはこの薔薇をドライフラワーにして今でも大切に持っているそうです。このブログの本文中に「花束を贈呈」と書いたのはちょっと不正確で、「束」ではなく「一輪の薔薇」が正解でした。それも "自宅の庭の薔薇" というのがポイントです。
この動画シーンで流れた曲が、やはりというか、中島みゆき作詞・作曲の「春なのに」です。この曲をテレビで聴いたのは、2016年2月23日(陛下の誕生日)に放映された「マツコの知らない世界」(TBS)以来、3年ぶりだったというわけでした。
(2019.5.8)