バーンズ・コレクション | |||
コートールド・コレクション | |||
ノートン・サイモン美術館 |
の3つです。その "個人コレクション・シリーズ" の継続で、今回はオランダのオッテルローにある「クレラー・ミュラー美術館」について書きます。
ロケーション
クレラー・ミュラー美術館のロケーションは、以前の3つの美術館とは "真逆" と言っていいてしょう。その "特徴" は
◆ | アムステルダムから「行きにくい」所にある | ||
◆ | 国立公園の中にある |
の二つです。
クレラー・ミュラー美術館は、オランダの「デ・ホーフェ・フェルウェ国立公園」の中にあるのですが、アムステルダムから行くには、列車でエーデ・ワーゲニンゲン駅まで行き、そこからバスでオッテルローに向かい、さらにバスを乗り継いで国立公園の入り口まで行く必要があります。

(Google Map)
冒頭に掲げた3つの美術館が都市の中心部にごく近く、メトロかバス1本(ないしは近距離タクシー)で行けるのとは大違いです。オランダの著名美術館と比較しても、アムステルダム国立美術館とゴッホ美術館はトラムの発達した市内にあるし、マウリッツハイス美術館は首都のデン・ハーグの駅から徒歩圏内、ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館も大都会のロッテルダムの駅から歩いて行けます。フランス・ハルス美術館はハーレム(アムステルダムの近く)の駅を降りると、旧市街の街並みを見ながらの散歩圏内です。
それらに比較すると、クレラー・ミュラー美術館はずいぶん辺鄙なところにある。そもそも「オッテルロー」「エーデ・ワーゲニンゲン」「デ・ホーフェ・フェルウェ」というような地名・固有名詞は、クレラー・ミュラー美術館に行こうとしない限り、普通の日本人にとっては聞いたこともない名前でしょう。
私がクレラー・ミュラー美術館に行ったときは、アムステルダムのホテルのコンシェルジュに行き方を紙に書いてもらい、その通りにしました。そういう要望はよくあるらしくコンシェルジュは手慣れた感じだったし、バスの運転手も親切で、間違いなく行けたのですが、何だか不安だったのは確かです。国立公園の入り口でバスを降ろされたのは、公園に入るにも入園料がいるからです。入り口から美術館は公園内を歩いて行きました。記憶によると、帰りは美術館の前からバスに乗ったと思います(帰りに入園料は不要だから)。また帰りは列車を乗り継いでアムステルダムに帰ったように覚えています。直通列車を待つより早かったのだと思います。
なお、バスのルートは変更されることがあると思うので、現在も「バス乗り継ぎ」が必要かどうかは分かりません。 |
国立公園の中にあるということは、関東で言うと箱根の「彫刻の森美術館」の規模を大きくした感じで、美術鑑賞に「極めて適した環境」だと言えます。しかし問題は、箱根とは違って美術館の周りに観光スポットはなく、レストランやショップもないことです。もちろん美術館内にはカフェもミュージアム・ショップもあるのですが、前回のノートン・サイモン美術館などとは大きく環境が違います。バーンズ・コレクションのように "美術館のはしご" もできない。国立公園は総面積 5500ha というオランダ最大の広さで、それはそれで素晴らしいところなのですが、まさかオランダまで来て "自然公園の中のサイクリング" もないでしょう。風車やチューリップ畑があるわけではないし・・・・・・。
従って、アムステルダムに宿泊してクレラー・ミュラー美術館を訪れるということは、まる一日をかけて、たった一つの美術館のアートを鑑賞するということになります。そこで当然、海外旅行の貴重な1日をつぶす価値のある場所なのかが問題になります。
その答えはイエスです。1日をつぶす価値はあります、もしあなたがゴッホの絵画作品が大好きだとしたら・・・・・・。以下はその説明です。


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クレラー・ミュラー美術館 |
ゴッホ作品のコレクション
クレラー・ミュラー美術館は、実業家のアントン・クレラー(1862-1941)と、その妻のヘレーネ・ミュラー(1869-1939)のコレクションを政府に寄贈することで、1938年に開館したものです。この美術館はその後、現代アートや彫刻の収集にも力をいれ、館のまわりには美しい彫刻庭園があります(箱根の彫刻の森美術館のモデルと言われる)。天気がよければ、この彫刻庭園をゆっくりと散策するのがいいでしょう。
この美術館は何よりもゴッホ(1853.3.30 - 1890.7.29)のコレクションで有名です。アムステルダムのゴッホ美術館とあわせて、ここは「第2ゴッホ美術館」と言ってもよいぐらいです。アムステルダムに行ってオッテルローに行かないのでは "ゴッホ・ファン" とは言えない。
ここには270点のゴッホ作品があるといいます(水彩・デッサンを含む)。その油絵作品から代表的なものを以下に掲げます。誰でも知っている絵が多いのでコメントは最小限にします。
青い夜 : 夜のカフェテラス
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「夜のカフェテラス」(1888.9) クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
この作品の大きな特徴は、歌川広重や歌川国芳の浮世絵に見られるように夜の空を青く描いたことです。もちろん青と補色の関係にある強烈な黄色の対比がきいています。画面のほぼ中心に消失点がある "典型的な遠近法" の構図は、見る人の視線を青い夜空へと引き込んで行きます。
No.18「ブルーの世界」で書いたように、青は人を引きつける強い力をもっています。No.152「ワイエス・ブルー」で書いたアンドリュー・ワイエスは、褐色系との対比で青を効果的に使うのがうまかった。そういう青と黄色の対比の典型的な絵画がこの作品だと言えるでしょう。
これは、いわゆる印象派の絵の描き方とはだいぶ違います。絵を描く根幹のコンセプトが違っている。絵画における "色" の意味について、後の画家に大きな影響を与えたに違いないと思わせる絵です。
陽光の中の青と黄 : アルルのはね橋
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「アルルのはね橋」(1888.3) クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
ゴッホがアルルにきた直後、故国オランダの "原風景" とも言える「はね橋」に出会って描いた作品です。この絵は浮世絵の影響を指摘されますね。はね橋のところは、あえて輪郭線を描いて色を塗っています。輪郭線を描かないといけない "必然性" はないはずです。
浮世絵の影響は確かにそうだと思いますが、それよりもこの絵の最大のポイントは『夜のカフェテラス』と同じように、青と黄色の対比です。はね橋の "橋脚" の陰になった部分にまで明るい青を使っている。「影にも色がある」というのはその通りですが、実際の風景ではこのようには絶対に見えないでしょう。印象派までの画家にあった "暗黙の制約" を破り、別の世界に一歩踏み出した感じがする絵です。
夕日の中の風景 : 「柳」と「種まく人」
夕日の中の風景を描いた2作品、『日没の柳』と『夕陽と種まく人』です。普通、夕日というと赤っぽく見えるものですが、ゴッホの夕日はあくまで黄色い。そこに青を配置するのが画家の色彩感覚です。
柳の絵は葉が落ちた秋の風景、種まく人は早春というかこれから生命が芽生えるという季節です。「種まく人」は聖書にもとづいていますが、もちろんゴッホはミレーの絵を踏まえて描いています。踏まえてはいるものの、その表現方法や色彩の個性が突出しています。
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「日没の柳」(1888.秋) クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「夕陽と種まく人」(1888.6) クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
3つ目の "星月夜" : 糸杉のある道
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「糸杉のある道」(1890.5) クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
ゴッホがオーヴェル・シュル・オワーズで書いたゴーギャン宛の手紙(未完)にこの絵が出てきます。その部分を引用します。
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この作品において星月夜よりも重要なのは、真ん中に "ドカッ" と描かれた糸杉です。そもそもゴッホ作品には糸杉を描いたものがいろいろありますが、この絵はその典型です。西洋では、神話などから糸杉は死の象徴だと言われています。キリストの十字架の材料になったとう伝説もある。牧師の子であるゴッホが死期を悟って描いたという見方もできるでしょう。
もう一つ、サン・レミの病院を描いた絵をあげておきます。入院した直後の作品です。
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フィンセント・ファン・ゴッホ 「サン・ポール病院の庭」(1889.5) クレラー・ミュラー美術館 ( site : krollermuller.nl ) |
ゴッホは緑を主体にした美しい作品がいろいろあるのですが、この絵はその一つです。構図は「夜のカフェテラス」とそっくりで、「カフェの黄色と夜空の青」は「木々の緑と昼間の空の青」に置き換えられています。もちろん、黄色も効果的に使われている。これは「夜のカフェテラス」を意識して昼間を描いた絵だと思われます。二つの絵を比較するとよく分かるのですが、空の色はほとんと変わらないことに注目すべきだと思います。
その他のゴッホ作品は省略しますが、追加するとアルルで描いた「郵便配達夫・ルーランの肖像」と、その妻である「オーギュスティーヌ・ルーランの肖像」も有名です。ゴッホは「ひまわり」のように、ほぼ同じ構図の作品を何枚か描くことがあり、この二つも欧米の美術館が何枚か所蔵しています。ルーランの肖像はニューヨーク近代美術館(MoMA)とバーンズ・コレクション(Room 2 North Wall)、夫人の肖像はアムステルダム市立美術館とアメリカのボストン、メトロポリタン、シカゴにあります。
![]() 「郵便配達夫・ルーランの肖像」 クレラー・ミュラー美術館 ( site : krollermuller.nl ) | ![]() 「オーギュスティーヌ・ルーランの肖像」 クレラー・ミュラー美術館 ( Wikimedia ) |
スーラ
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ジョルジュ・スーラ 「シャユ踊り」(1890) クレラー・ミュラー美術館 ( site : seurat.krollermuller.nl ) |
クレラー・ミュラー美術館にあるゴッホ以外の作品を何点かあげます。まず、ジョルジュ・スーラの『シャユ踊り』という大作です。シャユ踊りとは、当時のパリで流行した男女で踊るカンカンのようです。No.95「バーンズ・コレクション」で書いたように、スーラの大作(おおむね1メートルを越えるサイズの絵)は、制作年順に並べると次の6点です。
◆ | 『アニエールの水浴』 1883/4。201cm×302cm。ロンドン・ナショナル・ギャラリー | ||
◆ | 『グランド・ジャット島の日曜日』 1884/6。206cm×306cm。シカゴ美術館 No.115「日曜日の午後に無いもの」参照 | ||
◆ | 『ポーズする女たち』 1886/8。200cm×250cm。バーンズ・コレクション No.95「バーンズ・コレクション」参照 | ||
◆ | 『サーカスの客寄せ』 1887/8。100cm×150cm。メトロポリタン美術館 | ||
◆ | 『シャユ踊り』 1890。172cm×141cm。クレラー・ミュラー美術館 | ||
◆ | 『サーカス』 1890/1。186cm×153cm。オルセー美術館 No.115「日曜日の午後に無いもの」参照 |
これ以外に
◆ | 『化粧する女』 94cm×80cm。コートールド・コレクション No.155「コートールド・コレクション」参照 |
を "準大作" として付け加えてもよいと思います。
別に絵が大きいからといって名作というわけではないのですが、点描は時間のかかる描き方です。ゴッホが2日で1枚を描いたとしたら、スーラの大作は少なくとも半年はかかるでしょう。100倍の時間です。従って、点描の大作に挑戦するということは、絵のテーマについてそれなりに "画家の想い" がこもっていると考えられます。
しかしその想いとは裏腹に、この『シャユ踊り』は有名な絵だけれど、絵として成功しているとは言えません。点描だと、踊りの激しい動きが全く感じられないのですね。ロートレックと比較すると一目瞭然です。それはオルセー美術館の『サーカス』も同じです。画家の狙いは何か。まるで写真のように、ある一瞬をフリーズさせたように切り取る試みでしょうか。動きの一瞬を静止したよう描く「対比のおもしろさ」かもしれません。
『シャユ踊り』に比べると、クレラー・ミュラー美術館が所蔵している『ポール・アン・ベッサンの日曜日』や『グラヴリーヌの水路』は、小品だけれども点描の技法を生かしきった美しい作品です。ちなみに、ポール・アン・ベッサンを描いた別の絵がオルセー美術館にあります。
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ジョルジュ・スーラ 「ポール・アン・ベッサンの日曜日」(1888) クレラー・ミュラー美術館 ( site : seurat.krollermuller.nl ) |
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ジョルジュ・スーラ 「グラヴリーヌの水路」(1890) クレラー・ミュラー美術館 ( site : seurat.krollermuller.nl ) |
ピカソ
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パブロ・ピカソ 「ヴァイオリン」(1911/2) クレラー・ミュラー美術館 ( site : krollermuller.nl ) |
ピカソの『ヴァイオリン』という作品です。ヴァイオリンという楽器のフォルムに含まれるいろいろな線や形を分解し、キュビスムの手法で画面に再構成しています。この作品の特色は色使いです。我々がヴァイオリンという楽器を見たときに感じる落ち着いた感じや、手作業で作られた道具に感じる暖かみが、この色使いでうまく表されています。楕円形の画面もヴァイオリンの雰囲気にマッチしている。
ピカソのキュビスム作品の中ではめずらしく "イケた" 作品だと思います。
モンドリアン
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ピエト・モンドリアン 「コンポジション Ⅱ」(1913) クレラー・ミュラー美術館 ( site : krollermuller.nl ) |
クレラー・ミュラー夫妻はモンドリアンを援助していました。そのモンドリアンは、画家としての出だしは具象的な絵を描いていましたが、キュビスムに衝撃を受け、そういう傾向の作品を描くようになった(まさに『ヴァイオリン』のような傾向の絵)。それを突き詰めると、この絵のようになります。もっと突き詰めると『ブロードウェイ・ブギウギ』(1942/3)のような絵になる。
『コンポジション Ⅱ』という題名に意味はなく、何が描かれているかは分かりません。たとえ意味がある題名がついていたとしても「線と色のコンポジション」といった題だと、それはトートロジー(同義反復)であり、情報量はゼロです。
従ってこの絵は、描かれた線や色のパターンから、たとえば "心地よい" とか "躍動している" とかの何かを感じ取ればそれでよいわけです。ちょうど建築や室内の壁の装飾に似ています。何らかの幾何学的なパターンがあって、それが部屋のムードや居心地の良さを演出する、というような・・・・・・。
ちょっと発想を広げると、ピュアなイスラム教は一切の偶像を排するので、そういうイスラム建築の中に入っても、幾何学的なパターンや模様しかありません。だけど、"荘厳だ" とか "厳粛だ" といった感じを受ける。それと似ています。この作品は「いっさい偶像を排除した絵」と言えるでしょう。
"ゴッホ美術館"としてのクレラー・ミュラー
クレラー・ミュラー美術館は、新印象派の作品や20世紀のモダンアートにもよい作品があるし、周りの彫刻庭園は散策にうってつけです。しかしここはやはりゴッホ作品です。ゴッホ・ファンなら、アムステルダムのゴッホ美術館とワンセットと考えて訪れるべき場所でしょう。
しかし「お目当ての絵」は貸し出し中で、訪問時にはないかもしれません。クレラー・ミュラー美術館は貸し出しに積極的で、過去に何回か日本で開催された「ゴッホ展」には、ずいぶんとクレラー・ミュラー美術館の絵があったと記憶しています。"クレラー・ミュラー美術館の協力がないと、まともなゴッホ展は開催できない" というのが正しいのかもしれません。
しかし、お目当ての絵がないからといってガッカリするようでは真のゴッホ・ファンとは言えないでしょう。クレラー・ミュラー美術館(とゴッホ美術館)を訪れると、かなりの数のゴッホ作品に接することができるのは間違いないのだから・・・・・・。
ゴッホの著名作品・代表作は、アルル、サン・レミ、オーヴェル・シュル・オワーズで描いたものが非常に多いわけですが、ゴッホがアルルに到着してから(1888年2月20日)、オーヴェル・シュル・オワーズで亡くなる(1890年7月29日)までの期間は、わずか2年5ヶ月にすぎまぜん。この間、油絵だけでも大量の作品が生み出されています。ちなみに、月ごとの制作枚数をまとめると以下のようになります(Wikipediaの「ゴッホの作品一覧」より。4月~5月のような記載の絵は5月に入れた)。
制作場所 | 年月 | 作品数 | 備考 | |
++++ | 20日アルル到着 | |||
++++++++++ + | アルルのはね橋 | |||
++++++++++ ++++ | ||||
++++++++++ + | ||||
++++++++++ ++++++++++ +++ | 種まく人 | |||
++++++ | ||||
++++++++++ ++++++++++ +++ | ||||
++++++++++ +++++ | 夜のカフェテラス | |||
++++++++++ ++++ | 日没の柳 | |||
+++++++++ | ||||
++++++++++ ++++++++++ ++++ | ルーラン夫人 | |||
++++++++++ ++++ | ||||
+ | ||||
++ | ||||
++++++++++ ++++ | ルーラン | |||
++++++ | 8日よりサン・レミ サン・ポール病院の庭 | |||
++++++++++ ++++++ | ||||
+++++ | ||||
+++ | ||||
++++++++++ ++++++++++ ++++ | ||||
++++++++++ +++++++++ | ||||
++++++++++ +++++++ | ||||
++++++++++ +++++++++ | ||||
++++ | ||||
++++++++++ | ||||
++++ | ||||
++++++++++ ++++++++++ ++++++ | 糸杉のある道 20日よりオーヴェル | |||
オーヴェル・ シュル・ オワーズ | ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++++++++++ ++ | |||
++++++++++ ++++++++++ ++++ | 29日没。 |
この表の油絵作品数は、合計404作品です。月平均は14作品になり、最も多い月は42作品、つまり2日で3枚描くというスピードです。
印象派以降の画家だからこの速さで描けるのですが、これだけの「大量生産」をすると当然、絵としての "出来上がりのレベル" は多様にならざるを得ません。傑作も数多いが、そうでない作品もあり、中にはこれはどうかと思う凡作(?)もある。それはやむを得ないと思います。
さっき書いたようにクレラー・ミュラー美術館(とゴッホ美術館)を訪れると、かなりの数のゴッホ作品に接することが出来ます。そして、よくよく考えてみると一人の画家の生涯の作品を常設展示でまとまって鑑賞できるというのは、この2つの美術館が "ダントツ" でしょう(ちょっと2館の距離が離れているけれど)。日本を含む世界各国に "XXX美術館"(XXXは画家の名前)がありますが、画家の一部の作品を展示するのとどまっているのがほとんどです。
我々としてはオッテルロー(とアムステルダム)を訪れて、傑作であれどうであれ、絵に表現された画家の感性を順に味わっていく、つまり「画家を鑑賞する」というのが正しい態度だと思います。