忠節のシンボルとしての犬
No.93 で引用したヤン・ファン・エイクの『アルノルフィーニ夫妻の肖像』(1434)には、夫妻の足もとに一匹の犬(グリフォン犬)が描かれていました。神戸大学准教授で美術史家の宮下規久朗氏によると、この犬は「忠節」のシンボルとして描かれたものです。犬は主人を裏切らないから忠節を表すのです。
この「足もとに一匹の犬が描かれている」ということで気になる作品があります。パリのクリュニー中世美術館にある『貴婦人と一角獣』(1500年頃)という有名なタペストリーです。このタペストリーは2013年に日本に貸し出され、東京では国立新美術館で4月27日~7月15日に展示されました(大阪展は国立国際美術館で、7/27-10/20)。
『貴婦人と一角獣』は6枚のタペストリーから構成され、そのうち5枚の意味(表現しているもの)は明確になっています。つまり「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」という人間の五感です。しかし最後の一枚、「我が唯一の望みへ」との文字が書かれたタペストリーの意味は謎であり、これまでさまざまな説が提出されてきました。
この「我が唯一の望みへ」をよく見ると、貴婦人の足もとに一匹の犬が描かれている(というより、タペストリーだから織られている)のですね。
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「貴婦人と一角獣 - 我が唯一の望みへ」 (パリ。クリュニー中世美術館) |
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しかし犬の種類はともかく、この位置に犬が描かれていることが重要だと思うのです。No.93「生物が主題の絵」での引用を再掲します。
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そうだとすると「我が唯一の望みへ」というタペストリーの意味は、次のような解釈が可能になります。
味覚・聴覚・視覚・嗅覚・触覚という五感を超越し、人にとって最も尊い感覚は愛。私は愛に生き、あなたへの忠節を誓います。 |
もちろん男性は一角獣によって象徴されているのでしょう。私は美術史家ではないので確定的なことは言えないのですが、いちど専門家に聞いてみたいものです。
虎
虎の生息地はインドから中国大陸・朝鮮半島までの東アジアです。中国文化においては「龍虎」という言い方もあって、強いものの代表であり、画題にされてきました。その中国文化の影響を受けた日本においても虎の絵は多数描かれました。しかし日本に生息していないために、伝聞だけで描いたような絵、大きな猫のような感じの絵もあります。
ヨーロッパも虎の生息地域ではありません。しかしヨーロッパ人のインドからアジアへの進出に従って虎はよく知られるようになり、また19世紀以降のヨーロッパには動物園も作られたので、虎は画題として描かれるようになりました。このうち、19世紀フランスの著名な画家であるドラクロアとジェロームの作品を掲げておきます。いずれも、リアリズムの伝統に従った見事な絵だと思います。
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ドラクロア「母虎と戯れる子虎」(1831) (ルーブル美術館) |
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ジェローム「虎と子虎」(1884) (メトロポリタン美術館) |
ドラクロアもジェロームも虎の親子を描いていますね。特にジェロームの作品は生まれて間もないような子どもの虎です。
日本で「虎の子」というように、中国を中心とする東アジア文化圏において虎は「子を大切にする動物の典型」と考えられています。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺も、大きな危険(=虎穴に入る)を何故おかすかというと、想定する成果(虎子を得る)が巨大だからです。それは、長年の人々の観察が積み重なっているのだと思います。だから「虎は子を大切にする動物」となった。
ドラクロアもジェロームも、おそらく動物園などにおいて虎を観察し、その習性までを見て描いたのだと考えています。
ウサギ
前回の No.93「生物が主題の絵」で、アルブレヒト・デューラーの野ウサギの絵を引用しましたが、ウサギの絵で見逃せないのがアンリ・ルソーの「The Rabbit's Meal」(1908。フィラデルフィアのバーンズ財団所蔵。題名はバーンズ財団による英語名)という作品です。
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アンリ・ルソー「The Rabbit's Meal」 (Le Repas du lapin. 1908) (バーンズ財団) |
No.72「楽園のカンヴァス」で紹介したアンリ・ルソーの絵には動物がしばしば登場しますが、その多くは、どことも知れない熱帯地方の森(や砂漠)の中の光景の中に、人がいて、そこにヒョウやライオンや猿が現れるというものです。No.72で引用した『蛇使いの女』の場合は蛇ですね。
動物だけを「主人公」にして描いたアンリ・ルソーの絵は、このウサギの絵を含め数少ないと思います(あとは、飢えたライオンがカモシカを襲うとか、牧場風景としての牛の絵がある)。絵の題名は The Rabbit's Meal = ウサギの食事(餌)となっていて、どこかの家の庭らしき場所を背景として、丸々と太ったウサギと人参とキャベツの葉が、ポンと投げ出されたように描かれています。ウサギの描写はリアルです。しかし全体としてはちょっと不思議な感じがする絵です。画家は何を描きたかったのでしょうか。
アンリ・ルソーは単にウサギが好きで、その好物とともに描いたのか。それともウサギが人参とキャベツのどちらを食べようかと迷っている姿なのか・・・・・・。あるいは、これ以上食べると太り過ぎになるかと思案しているのか・・・・・・。じっと見ていると、シュルレアリズムの絵のようにも見えてきます。
No.72「楽園のカンヴァス」の補記で紹介したフランスのある画家の言葉をもう一度引用しておきます。この絵を評するにもピッタリだと思うのです。
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このコメントのキーワードは「コラージュ」と「前衛的」ですね。ウサギの絵はまさにコラージュという感じがします。
「前衛的」について言うと、原田マハ氏の小説『楽園のカンヴァス』のストーリーでは、当時のパリの批評家や大衆はアンリ・ルソーの絵を嘲笑したけれど、パブロ・ピカソはいち早く評価したという歴史的事実が重要な役割を担っていました。ピカソはルソーの絵のどこに惹かれたのでしょうか。おそらく「シュルレアリズムにつながる前衛性」なのでしょう。
この絵には「ウサギの食事」という題名がついていますが、もし仮に「哲学者」という題名なら、ないしは「これはウサギではない」という題名なら、ルネ・マグリットの絵だと言っても通用するのでは・・・・・・と思ったりします。それは半ば冗談ですが、しかしマグリットはアンリ・ルソーから決定的な影響を受けているはずです。
・・・というような、いろいろな思いを起こさせる「ウサギの絵」です。