まず一つの記事を取り上げます。今回もNo.81に引き続いて少々昔の読売新聞の記事ですが、たまたまそうなっただけであって、読売新聞に問題記事が多いとか、そういうことを言うつもりは全くありません。No.81と違って今回は、れっきとした政党組織による「社会調査」です。
愛知では半数が痴漢の被害
2001年3月22日の読売新聞に「愛知の10-30代、半数が痴漢被害」という見出しの記事が掲載されました。その記事の全文を引用します。
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公明党がこのような調査をすることや、また記事の最後に示唆してあるように痴漢被害の防止のため女性専用車両を導入する運動をしたり、ないしは街灯を増設する働きかけをしたりというのは、全く問題がありません。それは政党組織として正しい行動だし、評価すべき活動です。
ここで問題にしたいのはこの調査で「愛知の10-30代、半数が痴漢被害」と言えるのかどうかで、それは違うと思うのです。公明党愛知県青年局がそう発表したのか、新聞社が勝手に見出しをつけたのかは定かではありませんが、前者だとして話を進めます。
公明党愛知県青年局の女性党員がどういう形で街頭調査をしたのかを想像してみると、おそらく「痴漢に関するアンケート実施中
その場を通行する人はどう思うでしょうか。これは「痴漢を無くす(少なくする)ために公明党が何らかの動きをしようとしている、そのためのアンケートだ」と、誰もがパッと思うでしょう。れっきとした日本の政党がアンケートをとるからには、そうとしか考えられない。
とすると、このアンケートに立ち止まる可能性が高い人は次のような人たちです。
◆ | 痴漢の被害者、被害を受けそうなった人 | |
◆ | 家族、知人、知り合いなどが痴漢被害にあった人 | |
◆ | 痴漢問題に関心がある人。 | |
◆ | 公明党の支持者 |
そして総じて言えることは「被害を受けたことがない人より、痴漢の被害者の方がこのアンケートに立ち止まる確率がよほど高いだろう」ということです。被害者は「もう二度とあんな目にあいたくない」という思いが強いでしょうから・・・・・・。
従って「アンケートに立ち止まった人の46%が痴漢被害を受けた」からといって「アンケートに立ち止まらなかった人の46%が痴漢被害を受けた」とは全く言えないわけです。「愛知の10-30代、半数が痴漢被害」という新聞の見出しを見ると、愛知県の男性に痴漢常習者が多いのかと一瞬思ってしまいますが、記事の内容を読むとそんなことは全くないのです。
もし公明党が「痴漢被害者の割合」を調べたいのなら、簡便な方法があります。公明党愛知県青年局の党員とその家族で10-30代の女性全員に聞き取り調査をし、回収率90%以上を目標とする痴漢被害調査を実施すればよいのです。公明党の組織力であればそれは容易だと思います。こうすると11,000人というような回答数にはとてもならないでしょうが「痴漢被害者の割合」という観点からすると、よほど信頼性の高い調査になると思います。かつ労力は少ない。
公明党青年局のアンケート調査が無駄だと言っているわけではありません。11,000人から回答得て46%が痴漢被害者だということは、約5,000人の「証言」が得られたわけです。どの地下鉄路線が被害にあいやすいとか、公園ならどの場所に被害が集中しているのか(ないしは集中していないのか)を明らかにし、女性専用車両を導入する路線の優先度を提言したり、どこに街灯を設置すべきかを提言したりするための有益な情報が得られたと考えられます。ただ言いたいことは、この調査で「愛知の10-30代、半数が痴漢被害」などとはとても言えない、ということなのです。
以上の例からも分かるように「社会調査」は調査のやり方とデータの解釈の仕方によっては信用できないものになってしまいます。そのことを各種の実例をあげて解説した本があります。次に、その本の内容から「社会調査」が陥りやすい誤りを書いてみたいと思います。
「社会調査」のウソ
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ずさんな「社会調査」や価値のないアンケートを谷岡氏は「ゴミ」と呼んでいて、それはかなり過激な表現ですが、解説していることは極めて真っ当で、非常にためになる本だと思います。この本にあげられている数々の事例から一部をピックアップし、「社会調査」の報道を読むときの注意点をまとめてみます。なお引用した部分以外は谷岡氏の意見そのままではなく、谷岡氏の見解も参考にしながら私が考えたことです。
低い回答率の調査は信用できない
まず谷岡氏が何回か強調していることですが、低い回答率の調査は信用できないのです。なぜなら、その調査に「わざわざ回答をした人」は、回答するという特別な行動をとった理由があるはずだからです。
前々回のNo.81「2人に1人が買春」で書いた「買春調査」と「ハイト・レポート」(回答率はそれぞれ12.5%と6%)がまさにそうでした。前者は「買春の経験がある人、または売買春問題に関心のある人」の回答率が高いはずであり、また後者は「性的不満をもっている人」の回答率が高いはずなのです。従って、そのような回答からの分析でもって「一般論」を語ることは全く出来ないのでした。
経験調査は、経験した人が回答しやすい
あることを「経験したかどうかという調査」では、経験した人は経験しなかった人より調査に積極的に回答する傾向があります。No.81「2人に1人が買春」の「買春調査」と今回書いた公明党愛知県青年局の「痴漢被害調査」は、その経験調査です。
経験調査では、経験した人はいろいろと回答する項目があるのですが、経験していない人は基本的には「経験ありません」で終わりなのですね。回答率に差が出てきて当然です。
特定の考えの調査元が行う調査では、その考えに親和的な人が、より多く回答をしようとする
社会調査をやる団体や組織はさまざまですが、そういった組織は組織なりの「考え」や「方針」を持っていることが多いわけです。とすると、回答する人はその「考え」に添った人が多くなって当然です。以下に「本書」から何点かの例をあげます。
 経済企画庁(当時)の円高差益還元調査  |
1993年、急速な円高が進む中で、当時の経済企画庁と通産省は、ほぼ同時期に実施した小売業の調査結果を発表しました。その経済企画庁の方の発表が「本書」に事例としてあげられています。以下、引用します。
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(当時の)経済企画庁は、円高差益を還元する指導を行う立場の省庁であり、全国の小売業の人たちはそれを知っているわけです。従って「円高差益を還元している小売店、還元を計画している小売店」が、より積極的にこの調査に回答したはずです。64%というのは、200社を調査し、回答した小売業・45%のうちの64%です( = 58社)。「円高差益還元、200社中、少なくとも58社」というのがより正しい解釈です。
 神戸空港建設の是非を問う模擬投票  |
1990年代末の神戸空港の建設問題について、空港を作るという市の方針に対し「神戸空港・住民投票の会」という団体が「模擬投票」を実施しました。模擬投票というのは駅などに投票箱を置いて市民の意見を求めるものです。
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そもそもこの団体の主張は神戸空港建設反対です。従って建設反対の人が、より「模擬投票」に参加するわけです。「神戸空港建設に反対を表明したものは94.7パーセント」だったとしても、それはあたりまえでしょう。
空港建設というような公共事業については、メリット・デメリットがあるわけで、どちらを重視するかで意見が分かれるはずです。賛成・反対が拮抗するとまではいかないまでも、2:1とか、ぜいぜい3:1とか(あるいはその逆)という範囲に納まるはずです。もし本当に「神戸市民全体の94.7パーセントが建設に反対」だったとしたら、神戸市は民主主義とは対極の、全体主義的な思想統制が行き渡った都市ということになります。戦前の日本とか、ナチス政権下のドイツとかでありました。今でもそういう国がありますが・・・・・・。
まさか元神戸大学長が「神戸市は思想統制が徹底した都市」だと思っているわけではないでしょうから、この団体は「模擬投票」の単純なカラクリを利用して、自分たちの意見を通そうとしたのだと考えられます。カラクリが分かっていながらあえて強弁するという確信犯的行動です。そんなことにいちいち付き合っていられないので、市長が直接面会しなかったのは正しいですね。市役所でもみ合いになったようですが・・・・・・。
 アムネスティの死刑制度についてのアンケート  |
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この調査の回答率は59%と、比較的高い率です。しかしアムネスティは死刑制度に反対している団体としてよく知られています。従って「死刑制度に反対」という意見の人や「アムネスティ、もっと頑張れ」と思っている人が、より多く回答するはずです。また谷岡氏も指摘しているように、アムネスティはしばしば「反人権」の行為や言動を厳しく糾弾します。それは悪いことではないと思うのですが、「死刑制度に賛成」と回答したらアムネスティに糾弾されるのではないかと選挙の立候補者が思ったとしても理解できます。「自分の信念を、どういう場でも堂々と述べよ。政治家なんだから」という意見は全く正しいのですが、往々にして人間はその通りには行動できないのです。
死刑制度に反対と回答したのは、調査対象者からすると38%です( = 59% × 65%)。この数値に注目しておくべきだと思います。
比較の対象を欠く調査に早急な判断は禁物
「本書」に載っている例です。1994年12月、人事院は関東の女性国家公務員の中から300人を抽出したアンケートを行い、その結果が、翌1995年5月8日付の新聞紙上に発表されました。
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調査の方法が妥当だったという前提で「関東の女性国家公務員の49%は能力評価に不満」ということは事実なのでしょう。問題は「だったとしたら、何が言えるのか」ということです。もし仮に「関東の男性国家公務員の55%は能力評価に不満」だとしたら、女性国家公務員の能力評価の満足度は男性国家公務員より高いということになってしまうのです。
比較の対象を欠く調査では、絶対値の高い低いをうんぬんできないのはあたりまえです。
(次回に続く)