渡辺淳一「私の履歴書」
2013年1月12日付の日本経済新聞の『私の履歴書』で、渡辺 淳一氏は以下のような文章を書いていました。札幌南高等学校のときに同級生の加清純子という女性と恋をした話です。その女性は絵が大変に上手で、中学生の頃から「天才少女画家」と言われていたようです。渡辺少年は純子と知り合って逢瀬を重ねます。そして高校3年生になりました。
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さすがですね。これは渡辺先生でないと書けない文章だと思います。結核に怯えながら初めての接吻をするというところがきまっています。
この純子という女性は相当な人です。「うぶな」渡辺少年に「できないの?」迫ってキスをさせる。こう言われると男は、後がどうなろうとキスするしかありません。他の選択肢は絶対にない。彼女は芸術家肌で「悪魔に引きずられていくような魅力」がある。渡辺さんが『私の履歴書』に書くだけの強烈な印象を残した女性だったようです。
そして推測できるのは、彼女が結核であり、結核にかかるのではと怯えながらの初めてのキスだったからこそ強烈な印象となったことです。この文章を読んで、同じ日本経済新聞に連載された『失楽園』(1995 - 6)を思い出してしまいました。『失楽園』の最後は心中で終わるのですが、ひょっとしたらこういった「愛 = 死」というイメージは、高校3年生の時の作家の原体験からきているのではないでしょうか。
それはともかく「結核に怯えながらのキス」が渡辺氏に強烈な思い出を残したことは確信しました。そして思ったのですが、渡辺氏にその強烈な思い出を残した「功績者」は(かつ、ひょっとしたら後の小説作品に影響を与えたかもしれない功績者は)、もとをたどると19世紀のドイツの医学者、ロベルト・コッホだということです。
ロベルト・コッホ
ロベルト・コッホ(1843-1910)は、1882年に結核菌を発見しました。そしてその病原性を証明し、結核の原因は細菌であることを明らかにしました。ヒトにおいて細菌が病原体であることが証明されたのはこれが最初です。これ以降、様々な細菌が発見され、やがてウイルスの発見へとつながり、それが感染症の予防や治療薬の開発につながりました。
我々は病気の多くのものが感染症であり、細菌やウイルスが原因で起こることを知っています。もちろん感染症でない病気もある。生活習慣病と言われる病気やリウマチなどの(遺伝的要素の強い)自己免疫疾患、脚気などのビタミン欠乏症があり、それらは感染することはない。しかし細菌やウイルスによる病気は感染する。現代では小学生でも知っている知識です。
しかし昔はそうではありません。特に結核(肺結核)のように感染から発病までの時間が長い病気は「うつる」とは認識されなかったわけです。渡辺少年は純子に「キスをして」と言われて怯えたわけですが、渡辺少年を怯えさせたのはコッホ以降の医学知識の蓄積です。それ以前は結核が「うつる」とは認識されていなかった。それを証明する話があります。渡辺少年が高校3年の時(1950年頃)から100年ほど前の話です。
椿姫
ヴェルディの『椿姫』というオペラがあります(1853年初演)。アレクサンドル・デュマ・フィス(小デュマ)の小説『椿姫』(1848)を原作とするオペラですが、主人公のヴィオレッタ(小説ではマルグリット)は娼婦です。そもそも「椿姫」という題名の由来は、彼女が生理期間中は赤い椿を身につけ、それ以外は白い椿をつけたからです。白い椿は「営業中」のサインというわけです。
この主人公のヴィオレッタ(マルグリット)は結核にかかっているのですね。コホン、コホンとやっている。そして男たちは彼女が結核であることを百も承知なのです。承知していながら彼女と寝ている(オペラではそういう「仕事」の場面はありませんが)。同棲までする男もいる。そして最後に彼女は結核で死んでしまいます。
自分も死ぬかもしれないという恐怖が、美しい彼女と寝ることの魅力をいっそう増進させる・・・・・・というのではありません。渡辺少年とは違います。ヴィオレッタ(マルグリット)に群がった男たちは(そして当時の人たちは)単に知らなかったのです。結核は発病者の咳に含まれる細菌で空気感染する、ということを知っていたとしたら、男たちの行動は違ったでしょう。
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ヴェルディ「椿姫」第1幕の「乾杯の歌」のシーン ヴィオレッタはアンジェラ・ゲオルギュー |
椿姫以前
「病原菌が病気を引き起こす」というのは19世紀後半以降の知識です。それ以前はそうとは分かわからない。もちろん、感染から発病までの期間が短い病気は「うつる」という認識はあったでしょうが「病原菌という微生物が原因」だとは知り得ないわけです。
近代以前の世界を想像してみたいと思います。ある地域、地方、国で人々が病気にかかり、バタバタと倒れ、多数の死者が出たとします。「病原菌という微生物が原因だとは全く分からない」という前提で、人間はどう考えるでしょうか。
◆ | これは神の罰である。人間が不遜な行いをしたために、神がその地域の人々を処罰したのである。 | |
◆ | これは悪魔が人間を攻撃しているのだ。 | |
◆ | 悪霊が人間にとりつき、それがうつることによって人が死んでいくのだ。 |
などと考えるのではないでしょうか。病原菌の存在を知らないという前提では、こういった考えがロジカルに思えます。神・悪魔・悪霊を「ロジカル」というのも変な話ですが、まっとうな人間の思考として、それなりに筋道がたっているという意味です。
神・悪魔・悪霊と書きましたが、とすると、疫病の蔓延、その原因究明、さらに疫病から逃れる方法については「宗教の領域」に属することになります。また政治と宗教が表裏一体のケースでは「祭り(まつり)ごとを行う」という意味での「政治の領域」になります。従って疫病の蔓延と多数の死者の発生は、人々の間に宗教(ないしは宗教政治)に対する「動き」を引き起こすと考えられます。これには大きく二つあり、一つは宗教に加護を求めるもので、もう一つは自分たちを守ってくれない宗教に対する反発だと思うのです。
致死性の疫病の蔓延は近代以前では世界中であり、日本でも奈良・平安時代には天然痘の大流行がありました。奈良時代ですが、藤原不比等の息子で当時の政権の中枢にあった「藤原四兄弟」が、あいついで天然痘で死亡したのは有名な話です。天然痘と言えば、No.24「ローマ人の物語(1)」に古代ローマ帝国における天然痘の流行のことを書きました。それは2世紀後半のアントニウスの疫病(165-180)で、帝国の人口の3分の1が死んだと言われています(青柳正規「ローマ帝国」岩波書店 2004 による)。No.24を引用すると次の通りです。
「パックス・ロマーナ」においてローマ帝国が防衛・保障してくれるのは外敵の進入や内乱からの安全であって、病原菌からの安全ではないのです。あたりまえですが・・・・・・。こういった数百万人規模が死亡したとされる疫病の蔓延は、当然社会不安を引き起こします。病気の原因が神の怒りだとする人々からすると、神の怒りをなだめられない皇帝は皇帝の資格がないわけで、皇帝に対する不信感にもつながるでしょう。皇帝が神格化されていればなおさらです。 |
致死性の疫病の蔓延が宗教不信や政治不信を招き、それが社会体制の崩壊につながったという事例も(ローマ帝国がそうだとは言いませんが)いろいろあったのではないでしょうか。
全く不明の原因で人がバタバタと倒れていく。それは神に対立する悪魔のしわざとしか思えない(例えば)。そういった感覚で過去の歴史の動きをみる必要があると思います。我々にとってあたりまえの「病気に対する知識」は近代医学がもたらしたものがほとんどで、それは高々100年程度の歴史しかないのです。
前回、およびその前の No.73「ニュートンと錬金術」で何回か強調したように、我々は無意識に現代人の感覚で過去の歴史を見てしまいがちです。そのことには十分注意すべきだと思います。