人生について
No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《
永久欠番》です。
《永久欠番》
・・・・・・ 人生について
No.66「中島みゆきの詩(3)別れと出会い」において、1990年代以降の詩に「ふたり」や「愛について」のテーマが増えることを言ったのですが、同じ時期から「人生」や「生きること」について、また「人の一生」について語った作品が発表されるようになりました。その例が1991年の《永久欠番》です。
《永久欠番》
・・・・・・
どんな記念碑も 雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を
100億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙の掌の中 人は永久欠番
宇宙の掌の中 人は永久欠番
A1991『歌でしか言えない』
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|  | | | A1991『歌でしか 言えない』 | | 人間の一人一人の「かけがえのなさ」が、非常に直接的な言葉で詩の最後の部分(と題名)に表現されています。
《永久欠番》のような曲を聞くと詩だけを引用することの限界を強く感じます。上に引用したのは最後の部分ですが、全体の構成(詩の大意と時間配分)は次のようになっています。
◆ | | 人は忘れられていく存在。人の代わりはある。[4分30秒] | ◆ | | しかし、それでも人は永久欠番。[45秒] |
つまりこの曲の大部分(4分30秒)では「人はいずれ忘れられていく存在だ」ということが歌われるわけです。そして最後の45秒になって「しかし、それでも人は・・・・・・」というように「転換」が起こる。上に引用した部分で言うと、最初のパラグラフと2番目のパラグラフの間です。そこで詩の意味内容がガラッと変わる。
その転換を効果的にし、永久欠番というメッセージを決定的に印象付けているのは、ひとえに中島さんの「歌い方」とそのバックにある彼女の「歌唱力」なのですね。この曲は中島さんの歌唱力とペアでないと意味が完全には伝わらない。「歌の力」を非常に感じます。まさに「歌でしか言えない」のです。
|  | | | A1992『EAST ASIA』 | | 《永久欠番》は、それまでの作品に比べると中島さんらしくない感じもするのですが、このあたりが彼女にとっての一つの転機だったのでしょう。
翌年、1992年には《誕生》という詩も発表されています。「誰もが最初に言われたはずのWelcome。それを思いだそう」という、非常にポジティブなスタンスで人生を語る曲です。
《誕生》
・・・・・・
Remember 生まれた時 だれでも言われた筈 耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと Remember 出逢ったこと Remember 一緒に生きてたこと そして覚えていること
・・・・・・
A1992『EAST ASIA』
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以降、最近までの「人生について」語った曲を何曲か引用します。
《命の別名》
・・・・・・
たやすく涙を流せるならば たやすく痛みもわかるだろう けれども人には 笑顔のままで泣いてる時もある
石よ樹よ水よ 僕よりも 誰も傷つけぬ者たちよ
くり返すあやまちを照らす灯をかざせ 君にも僕にも すべての人にも 命に付く名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも
・・・・・・
A1998『わたしの子供になりなさい』
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|  | | | A1998『わたしの子供に なりなさい』 | |
| |  | | | A2006『ララバイSINGER』 | |
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《重き荷を負いて》
足元の石くれをよけるのが精一杯 道を運ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく 目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯 風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ 重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか 這いあがれ 這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
・・・・・・
A2006『ララバイSINGER』
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余談ですが、この《重き荷を負いて》は徳川家康の遺訓を連想させますね。
という例のやつです。それを念頭に置いた詩ではないでしょうか。違うかもしれません(違うような気がする)。しかしこういう連想が働くのも、中島作品には日本の歴史や文化に根ざした詩がいろいろあるからです。題名に現れているものだけを思いつくままにリストすると、
《見返り美人》 | | A1986『36.5℃』 | 《新曾根崎心中》 | | A1990『夜を往け』 | 《萩野原》 | | A1992『EAST ASIA』 | 《雨月の使者》 | | A1993『時代 - Time goes around -』 | 《泣かないでアマテラス》 | | A1995『10 WINGS』 | 《雪・月・花》 | | A2002『おとぎばなし - Fairy Ring -』 | 《十二天》 | | A2009『DRAMA !』 |
といった具合です。《萩野原》は平安時代の代表的な歌枕である「宮城野の萩」を連想させるので挙げました。中島さんは小野小町の歌「花の色は・・・・・・」をモチーフに「夜会」を演じたことがあるので、ありうることだと思います。《雪・月・花》は、No.65「中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉」で書いたように「日本の美の典型」です。《十二天》には毘沙門天や帝釈天が出てきます。
「人生について」語った曲の引用に戻ります。
《Nobody Is Right》
・・・・・・
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が 気分いいんじゃないのか
つらいだろうね その1日は 嫌いな人しか 出会えない 寒いだろうね その一生は 軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 正しさは Nobody Is Right, Nobody Is Right Nobody Is Right, 道具じゃない
・・・・・・
A2007『I Love You, 答えてくれ』
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「正しさは道具じゃない」という言葉を含むこの詩は、人生を語ると同時に人間社会を語っています。No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」の「社会を語る」のところで引用してもよかったと思います。
人間社会の不幸、特に人間の集団同士の関係で起こる不幸のほとんどは「正義」に発端があります。つまり「正しさを道具として使う正義の主張」が人間社会を不幸に導く。「正しさは道具じゃない」というのは、人間社会の長い歴史に一貫している真実だと思います。
最近のアルバム『荒野より』(2011)からも、一つ引用しておきます。
《走(そう)》
風向きは変わり続けている 掌は返り続けている ひと時の追い風も ひと時の逆風も 旗色に従っている
約束は変わり続けている 審判は変わり続けている 昔からのルールも 出来たてのルールも 利害に従っている
君も変わってしまうのだろうか 君も忘れてしまうのだろうか 迎える声は風の中 ゴールは吹雪の中 どこまでもどこまでも 荒野は続いている
・・・・・・
A2011『荒野より』
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|  | | | A2007『I Love You, 答えてくれ』 | |
| |  | | | A2011『荒野より』 | |
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歌・歌い手・歌手
中島作品には「歌」を詩の重要なモチーフに使った詩があります。それはまず「歌が特定の記憶を呼び覚ます」という形の詩で、
《根雪》 | | A1979『親愛なる者へ』 | 《りばいばる》 | | S1979『りばいばる / ピエロ』 | 《B.G.M.》 | | A1982『寒水魚』 |
などです。このうち《B.G.M.》は、No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用しました。《根雪》と《りばいばる》の冒頭を以下に引用しておきます。2つとも「特定の記憶」とは過去の別れや失恋の記憶であり「封印していたものを歌が呼び起こす」という詩です。
《根雪(ねゆき)》
誰も気にしないで 泣いてなんか いるのじゃないわ 悲しそうに見えるのは 町に流れる歌のせいよ
いやね古い歌は やさしすぎて なぐさめすぎて 余計なこと思い出す 誰かあの歌を 誰かやめさせて
・・・・・・
A1979『親愛なる者へ』
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|  | | | A1979『親愛なる者へ』 | |
| |  | | | S1979『りばいばる / ピエロ』 | |
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《りばいばる》
忘れられない歌を 突然聞く 誰も知る人のない 遠い町の角で やっと恨みも嘘も うすれた頃 忘れられない歌が もう一度はやる
・・・・・・
S1979『りばいばる / ピエロ』
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1989年の『回帰熱』に収められた《未完成》では、男と女の間の(愛情の)コミュニケーションが「歌」という象徴で表現されています。
《未完成》
・・・・・・
歌い方を教えてくださらないから 最後の小節が いつまでもなぞれない 歌い方を教えてくださらないから 短い歌なのに いつまでも終わらない
・・・・・・
A1989『回帰熱』
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|  | | | A1989『回帰熱』 | | 「歌」のなかでも「子守歌」は中島作品にとって重要な意味があります。デビュー作の《アザミ嬢のララバイ》(A1976『私の声が聞こえますか』)と《ララバイSINGER》(A2006『ララバイSINGER』)では「ララバイ = 子守歌」がモチーフです。
1998年の『わたしの子供になりなさい』というアルバムのタイトルは「わたしは子守歌の歌い手です」という意味に聞こえる。それが一番シンプルな解釈でしょう。その観点では“ララバイSINGER”と同じです。『心守歌』という2001年のアルバムのタイトルも子守歌からの連想だと思います。《子守歌》という曲もあります(A1995『10 WINGS』)。
ロックに関連した詩もありますね。《ばいばいどっくおぶざべい》(A1983『予感』)、《背広の下のロックンロール》(A2007『I Love You, 答えてくれ』)はロックシンガーがテーマです。ちなみに前者は1960年代のアメリカのシンガー、オーティス・レディングの作品「The Dock of the Bay」にもとづいています。
さらに中島作品には、もっと一般的に「歌い手」ないしは「歌手」をテーマにした作品があります。覚えている限りでは次の3作品です。
《歌をあなたに》
何んにも言わないで この手を握ってよ 声にならない歌声が 伝わってゆくでしょう どんなに悲しくて 涙 流れる日も この手の中の歌声を 受け取ってほしいのよ
それが私の心 それが私の涙 なにもできない替わり 今 贈る
歌おう 謳おう 心の限り 愛をこめて あなたのために
・・・・・・
A1976『私の声が聞こえますか』
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|  | | | A1976『私の声が 聞こえますか』 | |
| |  | | | A1981『臨月』 | |
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《夜曲》
街に流れる歌を聴いたら 気づいて 私の声に気づいて 夜にさざめく灯りの中で 遙かにみつめつづける瞳に気づいて
あなたにあてて 私はいつも 歌っているのよ いつまでも 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ
街に流れる歌を聴いたら どこかで少しだけ私を思い出して
・・・・・・
A1981『臨月』
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《歌姫》
淋しいなんて 口に出したら 誰もみんな うとましく逃げ出してゆく 淋しくなんかないと笑えば 淋しい荷物 肩の上でなお重くなる
せめておまえの歌を 安酒で飲みほせば 遠ざかる船のデッキに立つ自分が見える
歌姫 スカートの裾を 歌姫 潮風になげて 夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ
・・・・・・
A1982『寒水魚』 A2004『いまのきもち』
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|  | | | A1982『寒水魚』 | | このうち《夜曲》と《歌姫》は、明らかにプロの歌い手・プロの歌手がテーマになっています。
一般的に言って、中島さんの作品に「自分のことを表現している詩」はないと思います。失恋の詩であっても中島さんの失恋経験がもとになってるとは限らない。おそらくそうではないと思います。本を読むことにより、失恋の(疑似)体験はいくらでもできます。疑似ではあるけれど、実体験よりはよほど広範囲に可能です。
しかし《夜曲》と《歌姫》の2曲については「自分のことを表現している詩」ではないかと直感的に思うのです。それはプロのシンガー・ソングライターである中島さんが、プロの歌手に関する詩を書いているからです。自己表現、ないしは、ありたい姿の表現と考えるのが最も自然な感じがします。
ちなみに《歌姫》には「潮風」「船」「デッキ」などの言葉が出てきます。一般的に言って、中島さんの詩における「海」に関係した言葉、つまり「海」「渚」「舟(船)」「港」などは、「癒しや落ち着きを与えてくれるもの。包容力のある母性的な存在」といったイメージで使用されます(例外はある)。それは最初のアルバム『私の声が聞こえますか』の《海よ》から始まって、かなり一貫しています(ちなみに《海よ》はリメイクされて、A2002『おとぎばなし』に収録されています)。『歌でしか言えない』(A1991)に収められた《渚へ》などは「裏切った男を恨みたくない。だから渚で癒されたい」という意味内容なのですね。以前に引用した詩では《二隻の舟》(A1992『EAST ASIA』)がイメージの典型だし、《白鳥の歌が聴こえる》(A1986『36.5℃』)も海と密接にからんでいる。
その「中島みゆき・用語辞典」から「潮風」「船」「デッキ」「水夫」という言葉を取り出して構成した《歌姫》もまた、「癒される」というイメージの詩に仕上がっているのは当然でしょう。
《時代》を振り返る
いままで書いてきた「中島みゆきの詩」という文章は、そもそも《時代》(No.35「中島みゆき:時代」)が発端でした。その《時代》で表現されたコンセプトは、以降の中島作品ではどうなったのでしょうか。
《時代》の詩を特徴づけているものの一つは「時はめぐる、回る、循環する」というイメージです。それは、No.35「中島みゆき:時代」に書いたように、2004年の「夜会」で演じられた「24時着 0時発」の重要なモチーフになっていました。楽曲で言うと2005年のアルバム『転生』の《サーモン・ダンス》や《命のリレー》がその具体例です。
これ以外に「時はめぐる、循環する」というイメージの詩はあるでしょうか。1986年の『36.5℃』に収録された《HALF》では「次に生まれて来る時は」という言葉が何回か繰り返され、《時代》の「生まれ変わって めぐり逢うよ」に近いと思います。しかし「時はめぐる、循環する」という詩は多くはない。
このイメージがストレートに、そっと表現されている例は《樹高千丈 落葉帰根》でしょう。
《樹高千丈 落葉帰根》
・・・・・・
樹高は千丈 遠ざかることだけ憧れた 落ち葉は遥か 人知れず消えてゆくかしら いいえ どこでもない 枝よりもっと逢かまで 木の根はゆりかごを差し伸べて きっと抱きとめる
・・・・・・
A2001『心守歌』
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|  | | | A2001『心守歌』 | | さらに《時代》のもう一つの重要なコンセプトは、悲しみに沈む人、あるいは自分自身に対する
・悲しみは乗り越えられる ・前向きに生きる時がくる
という「励まし」です。この要素は他の曲にあるでしょうか。
《ファイト!》(A1983『予感』)は前に書いたように、この社会で懸命に生きている若者に対する「共感」と「連帯感」で綴られたメッセージです。《空と君のあいだに》(A1994『LOVE OR NOTHING』)や、《荒野より》(A2011『荒野より』)も、人と人の絆や連帯を表現したと言っていいでしょう。
《時代》の詩に含まれる「悲しみは乗り越えられる」「前向きに生きる時がいずれくる」というメッセージに最も近いと感じるのは、ちょっと意外かもしれませんが《肩に降る雨》です。
《肩に降る雨》
肩に降る雨の冷たさも 気づかぬまま歩き続けてた 肩に降る雨の冷たさに まだ生きてた自分を見つけた
あの人なしでは1秒でも 生きてはゆけないと思ってた あの人がくれた冷たさは 薬の白さよりなお寒い
遠くまたたく光は遥かに 私を忘れて流れてゆく 流れてゆく
幾日歩いた線路沿いは 行方を捨てた闇の道 なのに夜深く夢の底で耳に入る 雨を厭うのは何故
肩に降る雨の冷たさは 生きろと叫ぶ誰かの声 肩に降る雨の冷たさは 生きたいと迷う自分の声
肩に降る雨の冷たさも 気づかぬまま 歩き続けてた 肩に降る雨の冷たさに まだ生きてた自分を見つけた
A1985『miss M.』
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|  | | | A1985『miss M.』 | | 「まだ生きてた」とか「幾日歩いた線路沿い」などの言葉がちりばめられていて、生きることに絶望したというか、死を考えてさまよっている雰囲気があります。
しかし「私」はまだ生きているし、生きたいと迷っている。その「私」に誰かが声をかけているのです。
生きろと叫んでいる誰かは《時代》の歌い手だと思います。《肩に降る雨》は《時代》を立場を変えて語った詩であり、《時代》に呼応した「こだま」のような曲という感じがする。
古今東西、神話・戯曲・小説でさまざまな「死と再生の物語」が語られてきました。《肩に降る雨》はそれにつながる強い吸引力を感じます。その観点からすると《時代》もまた、その物語の一環と言えると思います。
No.35「中島みゆき:時代」の「補記1」に、歌手の一青窈さんが東日本大震災の被災地で《時代》を歌ったことを書きました。もし仮に、私が一青窈さんのコンサートをプロデュースする立場にあって、彼女から「《時代》を歌いたい」と言われたとしたら、「是非、《肩に降る雨》も歌うように」と強く勧めるでしょう。もちろん《肩に降る雨》の次に《時代》という順序です。東日本大震災で被災された方々への「再生の祈り」を中島みゆき作品に託するのなら、《肩に降る雨》と《時代》の組み合わせがベストだと思います。
「かけがえのなさ」を歌うこと
No.64 - 中島みゆきの詩(1)自立する言葉 No.65 - 中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉 No.66 - 中島みゆきの詩(3)別れと出会い No.67 - 中島みゆきの詩(4)社会と人間 No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代
と、中島さんの詩・約70編を引用してきましたが、ここで引用した詩の多くには、一言で言い表せる共通項があるように思います。それは「かけがえのなさ」を歌った詩ということです。
愛に応えてくれない男、愛しているのに去っていこうとする恋人、別れたが今も愛している人、社会の中で懸命に生きている若者、この社会を生き抜いてきた老人、人生の大切なパートナー、悲しみに沈んでいる孤独な自分、雨の中で線路沿いを歩き続けている私・・・・・・。これらはすべて「かけがえのない」存在です。だからこそ人は、自分自身について、また人に対してさまざまな感情を抱く。
これは決して「中島みゆきの詩 = かけがえのなさを歌った詩」と言っているのではありません。中島さんは500以上の作品を作っています。さまざまなジャンルの詩があり、一言で言い表せるものではありません。あくまでここで引用した詩、つまり私が気に入っている詩には「かけがえのなさを歌う」という共通項がありそうで、逆に言うと「中島さんのそういう詩が好きだ」という個人的な嗜好の表明です。
「かけがえのなさを歌う」という視点で考えたとき、代表的な詩を選ぶとすると何でしょうか。一つだけあげるとすると、この冒頭に掲げた《永久欠番》かと思います。普通の中島さんの作品には珍しいようなシンプルでストレートなメッセージであり、それがかえって代表にふさわしい感じがする。それと、この詩に含まれる象徴性です。
かけがえのない存在、それを象徴する言葉を一つだけ選ぶとすると、それは「星」だと思います。
曲の最後の最後のところで「永久欠番」という言葉とともに「そら」が出てきます。なぜ突如として「そら」が出てくるのでしょうね。しかも聴いているだけでは分からないけれど「詩」としては「宇宙」となっている。なぜ宇宙(うちゅう)なのでしょうか。
それは、かけがえのない「人」という存在を「星」に重ね合わせているからです。
《永久欠番》は1991年の作品ですが、3年後の1994年には長距離トラック運転手を「流れる星」と表現した曲が作られています。No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」で引用した《流星》です。そしてこの発展形が、言うまでもなく2000年の《地上の星》(A2000『短篇集』)です。《永久欠番》と《地上の星》の2曲は「かけがえのない人という存在 = 星」という言葉で結ばれた兄弟に思えます。《永久欠番》に「星」という言葉は全く出てこないけれど・・・・・・。
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で《地上の星》について「プロジェクト・リーダを象徴したものとだけ受け取る必要はない」という意味のことを書きましたが、その本質的な理由は「星」という言葉が持つ象徴性なのです。
この文章の冒頭に《永久欠番》のような曲を「詩」として引用することの限界を書いたのですが、それと同時に、独立した「詩」として考える意義も大いにあると改めて思います。特に「中島みゆきの詩」は・・・・・・。
今までに引用した数々の詩を代表するに値する作品、それをもう一つあげるとすると《歌姫》ですね。この作品は「歌を歌う人、ないしは歌を歌う行為そのものをテーマとした歌」です。他の作品が「ソング」だとすると、この作品は「メタ・ソング」になっている。その意味で《歌姫》は「かけがえのなさを歌う」ということを越えた、中島みゆきの代表作になりうる作品だ思います。
引用楽曲リスト
No.35 中島みゆき「時代」 No.64 - No.68 中島みゆきの詩
(★:詩の引用。S:シングル。数字:曲順) 1976.04.25「私の声が聞こえますか」 ★01 あぶな坂 05 海よ 06 アザミ嬢のララバイ ★07 踊り明かそう ★08 ひとり遊び ★10 歌をあなたに ★12 時代
1976.10.25「みんな去ってしまった」 ★01 雨が空を捨てる日は 02 彼女の生き方
1977.06.25「あ・り・が・と・う」 ★03 まつりばやし ★05 朝焼け
1978.04.10「愛していると云ってくれ」 ★01 「元気ですか」 03 わかれうた ★05 化粧 ★09 世情
S 1978.08.21「おもいで河/ほうせんか」 02 ほうせんか
1979.03.21「親愛なる者へ」 ★05 根雪 09 狼になりたい
S 1979.09.21「りばいばる/ピエロ」 ★01 りばいばる
1979.11.21「おかえりなさい」 ★01 あばよ ★02 髪
S 1980.02.05「かなしみ笑い/霧に走る」 01 かなしみ笑い
1980.04.05「生きていてもいいですか」 ★01 うらみ・ます ★03 キツネ狩りの歌 07 エレーン
1981.03.05「臨月」 04 ひとり上手 ★06 バス通り ★09 夜曲
1982.03.21「寒水魚」 ★02 傾斜 ★03 鳥になって ★04 捨てるほどの愛でいいから ★05 B.G.M. ★09 歌姫
S 1982.09.21「横恋慕/忘れな草をもう一度」 ★01 横恋慕
1983.03.05「予感」 ★01 この世に二人だけ 02 夏土産 04 ばいばいどくおぶざべい 07 テキーラを飲みほして ★09 ファイト!
1984.10.24「はじめまして」 03 ひとり
1985.04.17「御色なおし」 02 すずめ ★03 最愛 07 煙草 ★09 かもめはかもめ
1985.11.07「miss M.」 ★04 それ以上言わないで 05 孤独の肖像 ★07 忘れてはいけない ★08 ショウ・タイム ★10 肩に降る雨
S 1985.12.21「つめたい別れ/ショウ・タイム」 ★01 つめたい別れ
S 1986.04.10「少年たちのように/愛される花 愛されぬ花」
(三田寛子) ★01 少年たちのように
S 1986.09.21「見返り美人/どこにいても」 ★02 どこにいても
1986.11.12「36.5℃」 07 HALF 08 見返り美人 ★09 白鳥の歌が聴こえる
1987.02.21「歌暦」 06 クリスマスソングを唄うように
1988.03.16「中島みゆき」 01 湾岸24時
1988.11.16「グッバイ ガール」 08 涙 - Made in tears - ★09 吹雪
1989.11.15「回帰熱」 ★06 くらやみ乙女 ★08 未完成 09 春なのに
1990.06.13「夜を往け」 ★02 ふたつの炎 05 新曾根崎心中 ★08 ふたりは 10 with
1991.10.23「歌でしか言えない」 ★06 永久欠番 ★10 南三条
1992.10.07「EAST ASIA」 03 浅い眠り 04 萩野原 ★05 誕生 ★08 ニ隻の舟 ★09 糸
1993.10.21「時代 - Time goes around -」 ★01 時代 08 雨月の使者 10 孤独の肖像 1st.
1994.10.21「LOVE OR NOTHING」 01 空と君のあいだに 02 もう桟橋に灯りは点らない ★04 ひまわり“SUNWARD” ★07 流星 ★10 YOU NEVER NEED ME
1995.10.20「10 WINGS」 ★01 二隻の舟 03 泣かないでアマテラス ★05 ふたりは ★07 I love him 08 子守歌
1996.10.18「パラダイス・カフェ」 04 アローン、プリーズ ★05 それは愛ではない ★09 たかが愛
1998.03.18「わたしの子供になりなさい」 ★03 命の別名 06 愛情物語 ★07 You don't know ★10 4.2.3.
1999.11.03「日 - WINGS」
1999.11.03「月 - WINGS」
2000.11.15「短篇集」 ★01 地上の星 04 後悔 ★05 MERRY-GO-ROUND
2001.09.19「心守歌」 ★03 樹高千丈 落葉帰根 ★08 ツンドラ・バード 11 LOVERS ONLY
2002.10.23「おとぎばなし - Fairy Ring -」 ★04 雪・月・花 11 海よ
2003.11.19「恋文」 ★05 寄り添う風 ★09 恋文
2004.11.17「いまのきもち」 ★01 あぶな坂 ★07 歌姫 ★08 傾斜 ★09 横恋慕 ★10 この世に二人だけ ★12 どこにいても
2005.11.16「転生」 ★08 命のリレー ★10 サーモン・ダンス
2006.11.22「ララバイSINGER」 ★11 重き荷を負いて 12 ララバイSINGER
2007.10.03「I Love You, 答えてくれ」 ★03 惜しみなく愛の言葉を ★06 Nobody Is Right 09 背広の下のロックンロール 11 I Love You, 答えてくれ
2009.11.18「DRAMA !」 ★05 愛が私に命ずること 07 十二天
2010.10.13「真夜中の動物園」 ★05 小さき負傷者たちの為に ★09 鷹の歌 11 雪傘 12 愛だけを残せ
2011.11.16「荒野より」 01 荒野より ★11 走
2012.10.24「常夜灯」
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どんな記念碑も 雨風にけずられて崩れ 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を
100億の人々が 忘れても 見捨てても 宇宙の掌の中 人は永久欠番
宇宙の掌の中 人は永久欠番
A1991『歌でしか言えない』
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| | A1991『歌でしか 言えない』 | |
人間の一人一人の「かけがえのなさ」が、非常に直接的な言葉で詩の最後の部分(と題名)に表現されています。
《
永久欠番》のような曲を聞くと
詩だけを引用することの限界を強く感じます。上に引用したのは最後の部分ですが、全体の構成(詩の大意と時間配分)は次のようになっています。
◆ | | 人は忘れられていく存在。人の代わりはある。[4分30秒] |
◆ | | しかし、それでも人は永久欠番。[45秒] |
つまりこの曲の大部分(4分30秒)では「人はいずれ忘れられていく存在だ」ということが歌われるわけです。そして最後の45秒になって「しかし、それでも人は・・・・・・」というように「転換」が起こる。上に引用した部分で言うと、最初のパラグラフと2番目のパラグラフの間です。そこで詩の意味内容がガラッと変わる。
その転換を効果的にし、永久欠番というメッセージを決定的に印象付けているのは、ひとえに中島さんの「歌い方」とそのバックにある彼女の「歌唱力」なのですね。
この曲は中島さんの歌唱力とペアでないと意味が完全には伝わらない。「歌の力」を非常に感じます。まさに「
歌でしか言えない」のです。
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| | A1992『EAST ASIA』 | |
《
永久欠番》は、それまでの作品に比べると中島さんらしくない感じもするのですが、このあたりが彼女にとっての一つの転機だったのでしょう。
翌年、1992年には《
誕生》という詩も発表されています。「誰もが最初に言われたはずのWelcome。それを思いだそう」という、非常にポジティブなスタンスで人生を語る曲です。
《誕生》
・・・・・・
Remember 生まれた時 だれでも言われた筈 耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember 生まれたこと Remember 出逢ったこと Remember 一緒に生きてたこと そして覚えていること
・・・・・・
A1992『EAST ASIA』
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以降、最近までの「人生について」語った曲を何曲か引用します。
《命の別名》
・・・・・・
たやすく涙を流せるならば たやすく痛みもわかるだろう けれども人には 笑顔のままで泣いてる時もある
石よ樹よ水よ 僕よりも 誰も傷つけぬ者たちよ
くり返すあやまちを照らす灯をかざせ 君にも僕にも すべての人にも 命に付く名前を「心」と呼ぶ 名もなき君にも 名もなき僕にも
・・・・・・
A1998『わたしの子供になりなさい』
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|  | | | A1998『わたしの子供に なりなさい』 | |
| |  | | | A2006『ララバイSINGER』 | |
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《重き荷を負いて》
足元の石くれをよけるのが精一杯 道を運ぶ余裕もなく 自分を選ぶ余裕もなく 目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯 風を聴く余裕もなく 人を聴く余裕もなく
まだ空は見えないか まだ星は見えないか ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら
重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ 重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない
まだ空は見えないか まだ星は見えないか 這いあがれ 這いあがれと 自分を呼びながら 呼びながら
・・・・・・
A2006『ララバイSINGER』
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余談ですが、この《
重き荷を負いて》は徳川家康の遺訓を連想させますね。
という例のやつです。それを念頭に置いた詩ではないでしょうか。違うかもしれません(違うような気がする)。しかしこういう連想が働くのも、中島作品には
日本の歴史や文化に根ざした詩がいろいろあるからです。題名に現れているものだけを思いつくままにリストすると、
《見返り美人》 | | A1986『36.5℃』 |
《新曾根崎心中》 | | A1990『夜を往け』 |
《萩野原》 | | A1992『EAST ASIA』 |
《雨月の使者》 | | A1993『時代 - Time goes around -』 |
《泣かないでアマテラス》 | | A1995『10 WINGS』 |
《雪・月・花》 | | A2002『おとぎばなし - Fairy Ring -』 |
《十二天》 | | A2009『DRAMA !』 |
といった具合です。《
萩野原》は平安時代の代表的な歌枕である「宮城野の萩」を連想させるので挙げました。中島さんは小野小町の歌「花の色は・・・・・・」をモチーフに「夜会」を演じたことがあるので、ありうることだと思います。《
雪・月・花》は、
No.65「中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉」で書いたように「日本の美の典型」です。《
十二天》には毘沙門天や帝釈天が出てきます。
「人生について」語った曲の引用に戻ります。
《Nobody Is Right》
・・・・・・
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く その正しさは気分がいいか 正しさの勝利が 気分いいんじゃないのか
つらいだろうね その1日は 嫌いな人しか 出会えない 寒いだろうね その一生は 軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, 正しさは Nobody Is Right, Nobody Is Right Nobody Is Right, 道具じゃない
・・・・・・
A2007『I Love You, 答えてくれ』
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「
正しさは道具じゃない」という言葉を含むこの詩は、人生を語ると同時に人間社会を語っています。
No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」の「社会を語る」のところで引用してもよかったと思います。
人間社会の不幸、特に人間の集団同士の関係で起こる不幸のほとんどは「正義」に発端があります。つまり
「正しさを道具として使う正義の主張」が人間社会を不幸に導く。「正しさは道具じゃない」というのは、人間社会の長い歴史に一貫している真実だと思います。
最近のアルバム『
荒野より』(2011)からも、一つ引用しておきます。
《走(そう)》
風向きは変わり続けている 掌は返り続けている ひと時の追い風も ひと時の逆風も 旗色に従っている
約束は変わり続けている 審判は変わり続けている 昔からのルールも 出来たてのルールも 利害に従っている
君も変わってしまうのだろうか 君も忘れてしまうのだろうか 迎える声は風の中 ゴールは吹雪の中 どこまでもどこまでも 荒野は続いている
・・・・・・
A2011『荒野より』
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|  | | | A2007『I Love You, 答えてくれ』 | |
| |  | | | A2011『荒野より』 | |
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歌・歌い手・歌手
中島作品には「歌」を詩の重要なモチーフに使った詩があります。それはまず「歌が特定の記憶を呼び覚ます」という形の詩で、
《根雪》 | | A1979『親愛なる者へ』 |
《りばいばる》 | | S1979『りばいばる / ピエロ』 |
《B.G.M.》 | | A1982『寒水魚』 |
などです。このうち《
B.G.M.》は、
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用しました。《
根雪》と《
りばいばる》の冒頭を以下に引用しておきます。2つとも「特定の記憶」とは過去の別れや失恋の記憶であり「封印していたものを歌が呼び起こす」という詩です。
《根雪(ねゆき)》
誰も気にしないで 泣いてなんか いるのじゃないわ 悲しそうに見えるのは 町に流れる歌のせいよ
いやね古い歌は やさしすぎて なぐさめすぎて 余計なこと思い出す 誰かあの歌を 誰かやめさせて
・・・・・・
A1979『親愛なる者へ』
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|  | | | A1979『親愛なる者へ』 | |
| |  | | | S1979『りばいばる / ピエロ』 | |
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《りばいばる》
忘れられない歌を 突然聞く 誰も知る人のない 遠い町の角で やっと恨みも嘘も うすれた頃 忘れられない歌が もう一度はやる
・・・・・・
S1979『りばいばる / ピエロ』
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1989年の『
回帰熱』に収められた《
未完成》では、男と女の間の(愛情の)コミュニケーションが「歌」という象徴で表現されています。
《未完成》
・・・・・・
歌い方を教えてくださらないから 最後の小節が いつまでもなぞれない 歌い方を教えてくださらないから 短い歌なのに いつまでも終わらない
・・・・・・
A1989『回帰熱』
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| | A1989『回帰熱』 | |
「歌」のなかでも「子守歌」は中島作品にとって重要な意味があります。デビュー作の《
アザミ嬢のララバイ》(A1976『
私の声が聞こえますか』)と《
ララバイSINGER》(A2006『
ララバイSINGER』)では「ララバイ = 子守歌」がモチーフです。
1998年の『
わたしの子供になりなさい』というアルバムのタイトルは
「わたしは子守歌の歌い手です」という意味に聞こえる。それが一番シンプルな解釈でしょう。その観点では“ララバイSINGER”と同じです。『
心守歌』という2001年のアルバムのタイトルも子守歌からの連想だと思います。《
子守歌》という曲もあります(A1995『
10 WINGS』)。
ロックに関連した詩もありますね。《
ばいばいどっくおぶざべい》(A1983『
予感』)、《
背広の下のロックンロール》(A2007『
I Love You, 答えてくれ』)はロックシンガーがテーマです。ちなみに前者は1960年代のアメリカのシンガー、オーティス・レディングの作品「The Dock of the Bay」にもとづいています。
さらに中島作品には、もっと一般的に「歌い手」ないしは「歌手」をテーマにした作品があります。覚えている限りでは次の3作品です。
《歌をあなたに》
何んにも言わないで この手を握ってよ 声にならない歌声が 伝わってゆくでしょう どんなに悲しくて 涙 流れる日も この手の中の歌声を 受け取ってほしいのよ
それが私の心 それが私の涙 なにもできない替わり 今 贈る
歌おう 謳おう 心の限り 愛をこめて あなたのために
・・・・・・
A1976『私の声が聞こえますか』
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|  | | | A1976『私の声が 聞こえますか』 | |
| |  | | | A1981『臨月』 | |
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《夜曲》
街に流れる歌を聴いたら 気づいて 私の声に気づいて 夜にさざめく灯りの中で 遙かにみつめつづける瞳に気づいて
あなたにあてて 私はいつも 歌っているのよ いつまでも 悲しい歌も 愛しい歌も みんなあなたのことを歌っているのよ
街に流れる歌を聴いたら どこかで少しだけ私を思い出して
・・・・・・
A1981『臨月』
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《歌姫》
淋しいなんて 口に出したら 誰もみんな うとましく逃げ出してゆく 淋しくなんかないと笑えば 淋しい荷物 肩の上でなお重くなる
せめておまえの歌を 安酒で飲みほせば 遠ざかる船のデッキに立つ自分が見える
歌姫 スカートの裾を 歌姫 潮風になげて 夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ
・・・・・・
A1982『寒水魚』 A2004『いまのきもち』
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| | A1982『寒水魚』 | |
このうち《
夜曲》
と《
歌姫》
は、明らかにプロの歌い手・プロの歌手がテーマになっています。
一般的に言って、中島さんの作品に
「自分のことを表現している詩」はないと思います。失恋の詩であっても中島さんの失恋経験がもとになってるとは限らない。おそらくそうではないと思います。本を読むことにより、失恋の(疑似)体験はいくらでもできます。疑似ではあるけれど、実体験よりはよほど広範囲に可能です。
しかし《
夜曲》と《
歌姫》の2曲については「自分のことを表現している詩」ではないかと直感的に思うのです。それは
プロのシンガー・ソングライターである中島さんが、プロの歌手に関する詩を書いているからです。自己表現、ないしは、ありたい姿の表現と考えるのが最も自然な感じがします。
ちなみに《
歌姫》には「潮風」「船」「デッキ」などの言葉が出てきます。一般的に言って、中島さんの詩における「海」に関係した言葉、つまり「海」「渚」「舟(船)」「港」などは、「癒しや落ち着きを与えてくれるもの。包容力のある母性的な存在」といったイメージで使用されます(例外はある)。それは最初のアルバム『
私の声が聞こえますか』の《
海よ》から始まって、かなり一貫しています(ちなみに《
海よ》はリメイクされて、A2002『
おとぎばなし』に収録されています)。『
歌でしか言えない』(A1991)に収められた《
渚へ》などは「裏切った男を恨みたくない。だから渚で癒されたい」という意味内容なのですね。以前に引用した詩では《
二隻の舟》(A1992『
EAST ASIA』)がイメージの典型だし、《
白鳥の歌が聴こえる》(A1986『
36.5℃』)も海と密接にからんでいる。
その「中島みゆき・用語辞典」から「潮風」「船」「デッキ」「水夫」という言葉を取り出して構成した《
歌姫》もまた、「癒される」というイメージの詩に仕上がっているのは当然でしょう。
《時代》を振り返る
いままで書いてきた「中島みゆきの詩」という文章は、そもそも《
時代》(
No.35「中島みゆき:時代」)が発端でした。その《
時代》で表現されたコンセプトは、以降の中島作品ではどうなったのでしょうか。
《
時代》の詩を特徴づけているものの一つは「時はめぐる、回る、循環する」というイメージです。それは、
No.35「中島みゆき:時代」に書いたように、2004年の「夜会」で演じられた「24時着 0時発」の重要なモチーフになっていました。楽曲で言うと2005年のアルバム『
転生』の《
サーモン・ダンス》や《
命のリレー》がその具体例です。
これ以外に「時はめぐる、循環する」というイメージの詩はあるでしょうか。1986年の『
36.5℃』に収録された《
HALF》では「次に生まれて来る時は」という言葉が何回か繰り返され、《
時代》の「生まれ変わって めぐり逢うよ」に近いと思います。しかし「時はめぐる、循環する」という詩は多くはない。
このイメージがストレートに、そっと表現されている例は《
樹高千丈 落葉帰根》でしょう。
《樹高千丈 落葉帰根》
・・・・・・
樹高は千丈 遠ざかることだけ憧れた 落ち葉は遥か 人知れず消えてゆくかしら いいえ どこでもない 枝よりもっと逢かまで 木の根はゆりかごを差し伸べて きっと抱きとめる
・・・・・・
A2001『心守歌』
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| | A2001『心守歌』 | |
さらに《
時代》のもう一つの重要なコンセプトは、悲しみに沈む人、あるいは自分自身に対する
・悲しみは乗り越えられる
・前向きに生きる時がくる
という「励まし」です。この要素は他の曲にあるでしょうか。
《
ファイト!》(A1983『
予感』)は前に書いたように、この社会で懸命に生きている若者に対する「共感」と「連帯感」で綴られたメッセージです。《
空と君のあいだに》(A1994『
LOVE OR NOTHING』)や、《
荒野より》(A2011『
荒野より』)も、人と人の絆や連帯を表現したと言っていいでしょう。
《
時代》の詩に含まれる「悲しみは乗り越えられる」「前向きに生きる時がいずれくる」というメッセージに最も近いと感じるのは、ちょっと意外かもしれませんが《
肩に降る雨》です。
《肩に降る雨》
肩に降る雨の冷たさも 気づかぬまま歩き続けてた 肩に降る雨の冷たさに まだ生きてた自分を見つけた
あの人なしでは1秒でも 生きてはゆけないと思ってた あの人がくれた冷たさは 薬の白さよりなお寒い
遠くまたたく光は遥かに 私を忘れて流れてゆく 流れてゆく
幾日歩いた線路沿いは 行方を捨てた闇の道 なのに夜深く夢の底で耳に入る 雨を厭うのは何故
肩に降る雨の冷たさは 生きろと叫ぶ誰かの声 肩に降る雨の冷たさは 生きたいと迷う自分の声
肩に降る雨の冷たさも 気づかぬまま 歩き続けてた 肩に降る雨の冷たさに まだ生きてた自分を見つけた
A1985『miss M.』
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| | A1985『miss M.』 | |
「まだ生きてた」とか「幾日歩いた線路沿い」などの言葉がちりばめられていて、生きることに絶望したというか、
死を考えてさまよっている雰囲気があります。
しかし「私」はまだ生きているし、生きたいと迷っている。
その「私」に誰かが声をかけているのです。
生きろと叫んでいる誰かは《
時代》
の歌い手だと思います。《
肩に降る雨》は《
時代》を立場を変えて語った詩であり、《
時代》に呼応した「こだま」のような曲という感じがする。
古今東西、神話・戯曲・小説でさまざまな「死と再生の物語」が語られてきました。《
肩に降る雨》はそれにつながる強い吸引力を感じます。その観点からすると《
時代》もまた、その物語の一環と言えると思います。
No.35「中島みゆき:時代」の「補記1」に、歌手の
一青窈さんが東日本大震災の被災地で《
時代》を歌ったことを書きました。もし仮に、私が一青窈さんのコンサートをプロデュースする立場にあって、彼女から「《
時代》を歌いたい」と言われたとしたら、「是非、《
肩に降る雨》も歌うように」と強く勧めるでしょう。もちろん《
肩に降る雨》の次に《
時代》という順序です。
東日本大震災で被災された方々への「再生の祈り」を中島みゆき作品に託するのなら、《肩に降る雨》と《時代》の組み合わせがベストだと思います。
「かけがえのなさ」を歌うこと
No.64 - 中島みゆきの詩(1)自立する言葉No.65 - 中島みゆきの詩(2)愛を語る言葉No.66 - 中島みゆきの詩(3)別れと出会いNo.67 - 中島みゆきの詩(4)社会と人間No.68 - 中島みゆきの詩(5)人生・歌手・時代と、中島さんの詩・約70編を引用してきましたが、ここで引用した詩の多くには、一言で言い表せる共通項があるように思います。それは
「かけがえのなさ」を歌った詩ということです。
愛に応えてくれない男、愛しているのに去っていこうとする恋人、別れたが今も愛している人、社会の中で懸命に生きている若者、この社会を生き抜いてきた老人、人生の大切なパートナー、悲しみに沈んでいる孤独な自分、雨の中で線路沿いを歩き続けている私・・・・・・。これらはすべて「かけがえのない」存在です。だからこそ人は、自分自身について、また人に対してさまざまな感情を抱く。
これは決して「中島みゆきの詩 = かけがえのなさを歌った詩」と言っているのではありません。中島さんは500以上の作品を作っています。さまざまなジャンルの詩があり、一言で言い表せるものではありません。あくまでここで引用した詩、つまり
私が気に入っている詩には「かけがえのなさを歌う」という共通項がありそうで、逆に言うと「中島さんのそういう詩が好きだ」という個人的な嗜好の表明です。
「かけがえのなさを歌う」という視点で考えたとき、代表的な詩を選ぶとすると何でしょうか。一つだけあげるとすると、この冒頭に掲げた《
永久欠番》かと思います。普通の中島さんの作品には珍しいようなシンプルでストレートなメッセージであり、それがかえって代表にふさわしい感じがする。それと、
この詩に含まれる象徴性です。
かけがえのない存在、それを象徴する言葉を一つだけ選ぶとすると、それは「星」だと思います。
曲の最後の最後のところで「永久欠番」という言葉とともに「そら」が出てきます。なぜ突如として「そら」が出てくるのでしょうね。しかも
聴いているだけでは分からないけれど「詩」としては「宇宙」となっている。なぜ宇宙(うちゅう)なのでしょうか。
それは、かけがえのない「人」という存在を「星」に重ね合わせているからです。
《
永久欠番》は1991年の作品ですが、3年後の1994年には長距離トラック運転手を「流れる星」と表現した曲が作られています。
No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」で引用した《
流星》です。そしてこの発展形が、言うまでもなく2000年の《
地上の星》(A2000『短篇集』)です。《
永久欠番》
と《
地上の星》
の2曲は「かけがえのない人という存在 = 星」という言葉で結ばれた兄弟に思えます。《
永久欠番》
に「星」という言葉は全く出てこないけれど・・・・・・。
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で《
地上の星》について「プロジェクト・リーダを象徴したものとだけ受け取る必要はない」という意味のことを書きましたが、その本質的な理由は「星」という言葉が持つ象徴性なのです。
この文章の冒頭に《
永久欠番》
のような曲を「詩」として引用することの限界を書いたのですが、
それと同時に、独立した「詩」として考える意義も大いにあると改めて思います。特に「中島みゆきの詩」は・・・・・・。
今までに引用した数々の詩を代表するに値する作品、それをもう一つあげるとすると《
歌姫》ですね。この作品は「歌を歌う人、ないしは歌を歌う行為そのものをテーマとした歌」です。他の作品が「ソング」だとすると、この作品は「メタ・ソング」になっている。その意味で《
歌姫》は「かけがえのなさを歌う」ということを越えた、中島みゆきの代表作になりうる作品だ思います。
引用楽曲リスト
No.35 中島みゆき「時代」 No.64 - No.68 中島みゆきの詩
(★:詩の引用。S:シングル。数字:曲順) 1976.04.25「私の声が聞こえますか」 ★01 あぶな坂 05 海よ 06 アザミ嬢のララバイ ★07 踊り明かそう ★08 ひとり遊び ★10 歌をあなたに ★12 時代
1976.10.25「みんな去ってしまった」 ★01 雨が空を捨てる日は 02 彼女の生き方
1977.06.25「あ・り・が・と・う」 ★03 まつりばやし ★05 朝焼け
1978.04.10「愛していると云ってくれ」 ★01 「元気ですか」 03 わかれうた ★05 化粧 ★09 世情
S 1978.08.21「おもいで河/ほうせんか」 02 ほうせんか
1979.03.21「親愛なる者へ」 ★05 根雪 09 狼になりたい
S 1979.09.21「りばいばる/ピエロ」 ★01 りばいばる
1979.11.21「おかえりなさい」 ★01 あばよ ★02 髪
S 1980.02.05「かなしみ笑い/霧に走る」 01 かなしみ笑い
1980.04.05「生きていてもいいですか」 ★01 うらみ・ます ★03 キツネ狩りの歌 07 エレーン
1981.03.05「臨月」 04 ひとり上手 ★06 バス通り ★09 夜曲
1982.03.21「寒水魚」 ★02 傾斜 ★03 鳥になって ★04 捨てるほどの愛でいいから ★05 B.G.M. ★09 歌姫
S 1982.09.21「横恋慕/忘れな草をもう一度」 ★01 横恋慕
1983.03.05「予感」 ★01 この世に二人だけ 02 夏土産 04 ばいばいどくおぶざべい 07 テキーラを飲みほして ★09 ファイト!
1984.10.24「はじめまして」 03 ひとり
1985.04.17「御色なおし」 02 すずめ ★03 最愛 07 煙草 ★09 かもめはかもめ
1985.11.07「miss M.」 ★04 それ以上言わないで 05 孤独の肖像 ★07 忘れてはいけない ★08 ショウ・タイム ★10 肩に降る雨
S 1985.12.21「つめたい別れ/ショウ・タイム」 ★01 つめたい別れ
S 1986.04.10「少年たちのように/愛される花 愛されぬ花」
(三田寛子) ★01 少年たちのように
S 1986.09.21「見返り美人/どこにいても」 ★02 どこにいても
1986.11.12「36.5℃」 07 HALF 08 見返り美人 ★09 白鳥の歌が聴こえる
1987.02.21「歌暦」 06 クリスマスソングを唄うように
1988.03.16「中島みゆき」 01 湾岸24時
1988.11.16「グッバイ ガール」 08 涙 - Made in tears - ★09 吹雪
1989.11.15「回帰熱」 ★06 くらやみ乙女 ★08 未完成 09 春なのに
1990.06.13「夜を往け」 ★02 ふたつの炎 05 新曾根崎心中 ★08 ふたりは 10 with
1991.10.23「歌でしか言えない」 ★06 永久欠番 ★10 南三条
1992.10.07「EAST ASIA」 03 浅い眠り 04 萩野原 ★05 誕生 ★08 ニ隻の舟 ★09 糸
1993.10.21「時代 - Time goes around -」 ★01 時代 08 雨月の使者 10 孤独の肖像 1st.
1994.10.21「LOVE OR NOTHING」 01 空と君のあいだに 02 もう桟橋に灯りは点らない ★04 ひまわり“SUNWARD” ★07 流星 ★10 YOU NEVER NEED ME
1995.10.20「10 WINGS」 ★01 二隻の舟 03 泣かないでアマテラス ★05 ふたりは ★07 I love him 08 子守歌
1996.10.18「パラダイス・カフェ」 04 アローン、プリーズ ★05 それは愛ではない ★09 たかが愛
1998.03.18「わたしの子供になりなさい」 ★03 命の別名 06 愛情物語 ★07 You don't know ★10 4.2.3.
1999.11.03「日 - WINGS」
1999.11.03「月 - WINGS」
2000.11.15「短篇集」 ★01 地上の星 04 後悔 ★05 MERRY-GO-ROUND
2001.09.19「心守歌」 ★03 樹高千丈 落葉帰根 ★08 ツンドラ・バード 11 LOVERS ONLY
2002.10.23「おとぎばなし - Fairy Ring -」 ★04 雪・月・花 11 海よ
2003.11.19「恋文」 ★05 寄り添う風 ★09 恋文
2004.11.17「いまのきもち」 ★01 あぶな坂 ★07 歌姫 ★08 傾斜 ★09 横恋慕 ★10 この世に二人だけ ★12 どこにいても
2005.11.16「転生」 ★08 命のリレー ★10 サーモン・ダンス
2006.11.22「ララバイSINGER」 ★11 重き荷を負いて 12 ララバイSINGER
2007.10.03「I Love You, 答えてくれ」 ★03 惜しみなく愛の言葉を ★06 Nobody Is Right 09 背広の下のロックンロール 11 I Love You, 答えてくれ
2009.11.18「DRAMA !」 ★05 愛が私に命ずること 07 十二天
2010.10.13「真夜中の動物園」 ★05 小さき負傷者たちの為に ★09 鷹の歌 11 雪傘 12 愛だけを残せ
2011.11.16「荒野より」 01 荒野より ★11 走
2012.10.24「常夜灯」
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