よく言われるように、中島作品には失恋の歌が多いのですが、まずこれについてです。
報われない愛
中島さんの書く失恋の詩には一つの傾向があります。「報われない愛」とでも言うべきテーマの作品が多いことです。つまり
これだけ私(女)はあなた(男)を愛しているのに、
という言い方で語られる失恋 |
です。これに伴って「私」の「深いあきらめ」や「絶望感」が語られる。それは「自己嫌悪」にもつながる。時には男に「懇願」することもあるが、反対に「恨み言」や「恨みそのもの」にも転化する。それは男に対してだけでなく「恋敵」にも及ぶことがある・・・・・・。そういった心理がないまぜになった「報われない愛、または、報われなかった愛」です。
No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で引用した詩の朗読 「元気ですか」 が、まさに「報われない愛」の詩でした。この中に出てくる「いやな私です / あいつに嫌われるの当たり前」という言葉が、全体の構造を暗示しています。
以下に、初期の楽曲から順に「報われない愛」のテーマの代表的な作品を取り上げてみたいと思います。
 朝焼け  |
3枚目のアルバムである『あ・り・が・と・う』(1977)の第5曲である《朝焼け》は、男が去っていった(そして別の女性を選んだ)あとの情景です。
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A1977『あ・り・が・と・う』 |
ああ あの人は いま頃は
例の ひとと 二人
という言葉に「私」が男を忘れられない、その「忘れられなさ」がよく表現されています。
 化粧  |
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A1978『愛していると 云ってくれ』 |
バカだね バカだね
バカだね あたし
愛してほしいと
思ってたなんて
バカだね バカだね
バカのくせに
愛してもらえるつもりで
いたなんて
ですが、中島さんは「泣きながら声を出す」というような歌い方をしていて「バカだね」という表現が徹底的に強められています。「バカだね」は自分を卑下する表現ですが、しかしその「私」は今でも「あなた」を深く愛しているということが「化粧」というたった一言で表現されています。そのことは、
化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど |
という冒頭の2行で分かる仕掛けになっている。上手だと思います。
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A1979『おかえりなさい』 |
 髪  |
1979年に出された6枚目のアルバム『おかえりなさい』は、タイトルが暗示しているように中島さんが他の歌手に提供した曲のセルフカバー集です。この中にも「報われない愛」をテーマとした曲が何曲かあります。
《髪》
《サヨナラを伝えて》
《しあわせ芝居》
などです。この中の《髪》という作品。
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『おかえりなさい』の2年後に発表されたアルバム『臨月』に収められている《ひとり上手》も髪をキーワードに「報われぬ愛」を綴った詩です。「あなたの帰る家は / 私を忘れたい街角 / 肩を抱いているのは / 私と似ていない長い髪」・・・・・・。
 鳥になって  |
1982年に出された9枚目のオリジナル・アルバム『寒水魚』は名曲がぎっしりと詰まっていて、今でも中島さんの最高傑作だと思っています。こういう完成度の極めて高いアルバムを30歳そこそこで作ってしまうと、あとは何をやるべきか、彼女も迷ったに違いありません。その『寒水魚』の中の《鳥になって》という作品。
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A1982『寒水魚』 |
「鳥」がキーワードですね。No.64「中島みゆきの詩(1)自立する言葉」で書いたように、中島作品での「鳥」は
① | 状況を広範囲に見通せる視点をもった存在 | |
② | 最大限の自由を象徴する存在 |
のどちらか、あるいは両方を同時に表現するキーワードです。《鳥になって》は②でしょう。「鳥」はあこがれの意味を込めて使われることが多い。この曲の「鳥」は、愛することの束縛と重圧からの自由を象徴する存在です。
 横恋慕  |
1982年に出されたシングル《横恋慕》は、その22年後のアルバム『いまのきもち』(2004)でリメイクされました。
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S1982『横恋慕 / 忘れな草をもう一度』 |
「元気ですか」(1978)
《B.G.M.》(1982)
がそうです。「報われない(報われなかった)愛」を典型的に表すシチュエーションです。
 この世に二人だけ  |
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A1983『予感』 |
『寒水魚』と《横恋慕》の翌年に出されたアルバム『予感』(1983)にも「報われない愛」をテーマにした曲があります。
《この世に二人だけ》
《夏土産》
《テキーラを飲みほして》
です。この中の《この世に二人だけ》という詩。
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「死に絶えてしまえばいい」「それでもあなたは私を選ばない」といった強烈な言葉を繰り出すのも、中島さんの詩の特徴だと思います。
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A1985『御色なおし』 |
 最愛  |
1985年のアルバム『御色なおし』は、『おかえりなさい』(1979)と同じくセルフカバー・アルバムです。ここに収められた
《すずめ》
《最愛》
《煙草》
も「報われない愛」をテーマとしています。その中の《最愛》という曲。
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 それ以上言わないで  |
『御色なおし』と同じ年に発売されたアルバム『miss M.』の中の《それ以上言わないで》も、別の女性のもとへ去っていく男性に対する思いの強さが詩になっています。
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A1985『miss M.』 |
しかしそれと同時に「それ以上言わないで」という懇願するような言葉があって、その対比が見事だと思います。
 YOU NEVER NEED ME   You don't know  |
以降、1990年代のアルバムから、英語の題名がついている2曲をあげておきます。
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報われない愛と「誤解」
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A1980『生きていても いいですか』 |
私はあなたを愛したが、
という語り口の「失恋」 |
があります。
男性はそもそも女性に愛情を感じていないので恋愛とは言いがたいのですが、女性の方からすると主観的には恋愛であり、失恋です。最初の方に引用した《化粧》も、そういう雰囲気が漂う詩なのですが、より直接的な「誤解」を何曲かあげておきます。
 うらみ・ます  |
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中島さんの初期の有名な曲です。騙された女性、少なくとも主観的には騙されたと認識している女性からの「うらみます」という強烈な言葉が発せられています。
 捨てるほどの愛でいいから  |
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アルバム『寒水魚』の《鳥になって》を「報われない愛」の例として引用しましたが、もう一つが《鳥になって》の次の曲である《捨てるほどの愛でいいから》です。薄々感じながらも「報われない愛」にのめり込んで行った、その後の「懇願」が詩になっています。メロディー・ラインと歌い回しがシャンソンに影響されたのではと思える作品です。
ちなみにこの《捨てるほどの愛でいいから》は、2つ前に引用した《You don't know》(A1998『わたしの子供になりなさい』)と詩の発想が酷似していますね。2つの詩には16年の時間差があるのですが・・・・・・。
中島さんの長いキャリアの中で、詩のテーマや内容は数々の変貌を遂げてきたと見えますが、実は新たな要素が付け加わり発展してきた、というのが正確です。一貫しているところは極めて一貫している。中島さんは意外と(と言うより、アーティストとしては当然)「しつこい」のです。
 くらやみ乙女  |
1989年の『回帰熱』は提供曲のセルフカバー・アルバム第3弾ですが、その中に《くらやみ乙女》という曲があります。相手が「全く本気じゃなかった」とは信じたくない心境を綴った詩です。
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A1989『回帰熱』 |
 MERRY-GO-ROUND  |
2000年の『短篇集』というアルバムからは《MERRY-GO-ROUND》をあげておきます。
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A2000『短篇集』 |
「報われない」理由
「報われない愛」のテーマの詩を見渡してみて気づくことがあります。第一人称である私(女性)の主観的な思いはどうであれ、客観的に眺めてみると、
失恋の理由、ないしは男性が去っていった理由が、まさに「これだけ私はあなたを愛している」という女性の思いそのものであるような詩 |
なのです。二人の「思いのレベル差」が別れを生むという構図です。
2002年の『おとぎばなし』に収録された《雪・月・花》という曲があります。これは中島作品にしては珍しく失恋の歌ではありません。「あなたへ思いがつのります」という「ラブソング」です。その初めの方を引用すると次の通りです。
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A2002『おとぎばなし - Fairy Ring -』 |
《雪・月・花》は愛する2人を歌っているようで、ある種の「影」がさしている。そもそも「雪・月・花」とは「日本の美の典型」を言っていて、その美意識の最大要素は、四季の変化を含む「移ろいゆくものの美しさ」です。「移ろわないのが恋心」と言うはものの、2人の関係の「移ろい」を予感させる詩になっています。
客観的に眺めてみると、私(女)の愛があなた(男)を苦しめる・・・・・・。このことをダイレクトに表現した詩もあります。2003年のアルバム『恋文』の《寄り添う風》という作品です。
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「人恋しさは諸刃の剣」という単純明快な言葉が、この詩の主題でしょう。
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1990年のアルバム『夜を往け』の中の《ふたつの炎》という詩では、二人の思いのレベル差の構図が端的に言い表されています。
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ふたつの炎が燃える速度が問題です。「愛」も「人との関わり」も、2人ないしは2人以上の人間のコミュニケーションです。人間はコミュニケートしないと絶対に生きていけない。そこで大切なのは、その時点でどの程度深くコミュニケートしたいかという「レベル感」のマッチングなのでしょう。
「報われない愛」をテーマとする詩は結局のところ、人と人との関わりに内包された「逆説」をえぐり出しています。愛すれば愛するほど、愛が遠のいていく。深く関わろうとすればするほど、関わりが気薄になる。求めようとするから、傷ついてしまう・・・・・・。必ずそうなるわけではないけれど、しばしば起こることである・・・・・・。
しかしそれだからこそ「愛」や「コミュニケーション」の持続的な成立は貴重で大切なものなのだと思います。
「報われない愛」のテーマは、愛ないしは失恋がテーマになっている中島作品の一部なのですが、ここまでで長くなったので、続きはまたにします。