レッチェンタールの謝肉祭
以前、NHK総合で「地球に乾杯」というドキュメント番組シリーズがありました。1999年4月8日のこの番組で放映された「レッチェンタールの謝肉祭」は、非常に強い印象を残すドキュメントでした。
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スイスとレッチェンタール |
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レッチェンタールの村 - Kippel http://www.loetschental.ch/en/ |
しかしレッチェンタールの謝肉祭は独特です。それは同時に行われるチェゲッテの行事です。スイス政府観光局の日本語ホームページから引用します。
チェゲッテとは、村の男性が木で彫った恐ろしい形相の面をつけ、ヤギや羊の毛皮をかぶって扮する一種の怪物のようなもの。雪の中を歩き、夜中に家々を訪ね歩いて子供たちを驚かすという様子が、日本のナマハゲに酷似していることから良く話題にされるレッチェンタール(レッチェン谷)のユニークな祭です。キリスト教が伝わる以前からの宗教や悪霊払いの風習と、カトリックのカーニバルの風習が結びついています。さまざまなお面の種類があるのも興味深いところ。かつてチェゲッテの一団は煙突から入っていたことに由来して、煙や煙突を意味する Roich(標準ドイツ語ではRauch)がついてロイチェゲッタという名前で呼ばれることもあります。 |
チェゲッテの面は村人が代々手作りをしていて、NHKの番組ではその製作の様子も紹介されていました。この番組の録画が手元にないので、レッチェンタールのホームページ、スイス政府(観光局、外務省)のホームページ、およびWikimediaへの投稿から「チェゲッテ」とその「面」を掲げます。
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(site : Wikimedia) |
スイス政府観光局のホームページにもあるのですが、チェゲッテを見た日本人は誰しも秋田県・男鹿半島の「なまはげ」を思い出して、あまりにも似ていることに驚くはずです。「なまはげ」は大晦日なので、雪国の冬の行事という点も同じです。
ホームページに「キリスト教が伝わる以前からの宗教や悪霊払いの風習」と書いてあります。この場合の「悪霊」とはいろんな意味が考えられますが、まず第一義的には、人々を雪の中に閉じこめ一切の生産活動を不可能にする「冬をもたらしている悪霊」でしょう。冬の厳しい地帯においては、このタイプの悪霊を払うという行事や宗教儀式が世界中にあります。
「なまはげ」もそうですが、チェゲッテの面は異形というか、恐ろしいというか、大変怖い顔をしています。これは要するに、人々を苦しめている怖い「悪霊」よりさらに数倍怖くして「悪霊」を驚かせて追い出そう、という考えですよね。このコンセプトの「怖い姿」は日本にもいろいろあります。獅子舞などもそうです。不動明王(お不動さん)は、燃え盛る火を背景にカッと目を見開いた恐ろしい形相をしていますが、悪魔を払い、人の煩悩を強制的に断ち切るにはこれぐらいの形相になるのでしょう。
そしてチェゲッテ以上に印象的だったのは、「地球に乾杯」で紹介された地元の老人の言葉です。番組の録画を持ってないので不正確かもしれませんが、次のような意味の発言でした。
「村人の先祖が姿を変えて戻ってくる」
「先祖が我々を守る」
「精霊が谷へとぬけるための穴が家にあけてある」
これを聞いたとき、日本の「お盆」とそっくりだと強く思ったのを覚えています。先祖の霊がお盆の期間に現世に戻ってくる、その霊と交流し、霊を供養して、期間が終われば霊は戻っていく。お盆は、今では仏教行事の一部となっていますが、本来の仏教行事ではないはずです。それは日本人が昔からもっていた信仰、つまり先祖と代々繋がっているという概念によって、今生きている人の位置を確認し、現世の人々の安定を得るという「宗教感情」だと思います。こういった先祖崇拝や祖先霊の崇拝は、日本だけでなく世界中にあるわけです。そしてレッチェンタールにもある。
謝肉祭とは言うものの、チェゲッテやその先祖崇拝的な背景はキリスト教とは何の関係もありません。それは「キリスト教が伝わる以前からの宗教や悪霊払いの風習」の記憶であり、ヨーロッパに古くからあった神々、宗教、ないしは宗教的風習のなごりを強く感じさせるものです。
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レッチェンタールの村 Ferden付近 (site : Wikipedia) |
もちろんキリスト教が伝わった時点において、現在の形のチェゲッテと全く同じものがあったとは限りません。チェゲッテの面も新しいものがどんどん作られているようだし、昔のものがどこまで残っているのかは定かではありません。しかし何らかの類似の行事があり、それが時代を経て受け継がれてきたことは確かでしょう。そして重要なことは「先祖崇拝に根ざして現世の悪霊を払うという信仰に基づく伝統行事」が、ちゃんと(一部の)ヨーロッパには今でもあるということです。仮面の精霊(ないしは悪魔)が登場する祭りは、レッチェンタールだけでなくドイツ・オーストリア・スイスには数々あります。そしてこの種の信仰が昔はヨーロッパ中にあったのではないでしょうか。それが消滅させられたか、衰退を余儀なくされた。レッチェンタールには残ったけれども・・・・・・。
レッチェンタールの謝肉祭と老人の話に感じるのは、日本から見た「親近感」です。結局のところコアな部分、つまり誰かに押しつけられたのではなく、自然発生的に醸成され長年に渡って消滅しないで継続・伝承されてきた部分だけをとれば、日本とヨーロッパでは意外に共通部分が多いのではないか・・・・・・。そういう思いにかられた番組でした。
 補記  |
「地球に乾杯」からの引用を正確にしようと思ってNHKに問い合わせてみたのですが、この番組のアーカイブを見る手段は全くないと言われてしまいました。せめてどこか特定の場所に行って、しかるべきお金を払えば閲覧できるようにならないのでしょうかね。
NHKは「公共放送」のはずだし、私は受信料を衛星放送を含めて支払っている「NHKの顧客」だし、特にドキュメントや記録番組は「国民の財産」でもあるはずなのですが、NHKは全くそうは考えていないようです。
海外旅行が好きな人は多いと思いますが、謝肉祭(カーニバル)のように「特定の短い期間」しか開催されない行事を旅行者として体験するのは非常に困難です。リオやヴェネチアのカーニバルぐらいのメジャーなイベントだとそれが目的で現地へ旅行する人もいるでしょうが、まさか2月上旬の雪深いスイスの片田舎へカーニバルを見に行く物好きな人は皆無だと思います。スイスまでスキーに行く人は別として・・・・・・。その意味でもNHKの「レッチェンタールの謝肉祭」のようなドキュメントは貴重です。動画のもつ伝達力は非常に強いのです。
NHKのアーカイブは国立国会図書館と同レベルに考えるべきものだと思います。NHKも是非、心を入れ替えてほしいものです。