No.3「ドイツ料理万歳」 で書いた「ウィーンの白アスパラ」のように、海外旅行の大きな楽しみは「日本ではできなかった経験や発見」をすることでしょう。それは No.3 のように食事であったり、また、遺跡などの観光、美術館・博物館、自然の景観などの体験です。しかし現代では日本に居ながらにして入手できる「海外情報」が大量にあるので「日本ではできない経験」も予想の範囲内や想定内であることが多いわけです。「思ってもみない経験をして、強く印象に残った、感動した」ということは少なくなったのではないでしょうか。
もちろん「想像以上だった」というのはあると思います。「ローマのコロッセオは想像以上に巨大な建造物だった」とか「カナディアンロッキーの雄大な眺めは想像以上にすばらしかった」とかのたぐいです。しかしこれは、ガイドブックやテレビ番組を見て想像していたのよりはレベルが上だったとか、予想以上の規模であったということであって、「全く想像だにしなかった発見、経験だった」というものではありません。スリにあったというようなネガティブな突発事態でさえ、現代では「想定範囲内のこと」となってしまった感があります。
その、比較的まれになった「想定範囲外の、意外な発見」を米国のボストンでしたことがあります。
ボストンとフリーダムトレイル

ボストン観光の基本は「フリーダム・トレイル」と呼ばれている「観光経路」をたどる「名所・史跡めぐり」です。フリーダム・トレイル(右図)は、街の中心部の公園である「ボストン・コモン」を出発点とし、歩道に赤い線がつけてあります。この赤い線をたどっていくと、独立宣言が読み上げられた旧州議事堂、ファニュエル・ホール(サミュエル・アダムスの像が建っている)、独立の英雄であるポール・リビアの家、などの「名所・史跡」を一通りたどることができるというしかけです。

メアリー・ダイアー

ボストン市民の名誉のために付け加えると、彼女はいわゆる「リンチ」で絞首刑になったのではありません。当時のマサチューセッツでは「クエーカー教禁止例」という法律が制定され(1658)、クエーカー教徒であることやその布教には厳罰が課せられていました。メアリー・ダイアーはクエーカー教を布教した罪で3度逮捕され、はじめの2度はマサチューセッツからの追放処分になり、3度目は死刑判決を受けたものの恩赦を受け、3たび追放されました。しかし彼女は再びマサチューセッツに戻って布教をしたため、今度こそ、死刑宣告をうけて絞首刑になったのです。完全な「確信犯」でした。
メアリー・ダイアーの「殉教」はさまざまな思いを想起させます。独立以前のアメリカへの移民の歴史で大きく強調されるのが「清教徒」(ピルグリム・ファーザーズ)がイングランドでの迫害から逃れメイフラワー号で「ニューイングランド」に渡ったという一件です。清教徒は英国国教会における改革派ないしは分離派であり、正統に対する異端と言えるでしょう。その英国国教会を含むプロテスタントも、カトリックに対する「異端」として始まりました。そして清教徒たちが到着したニューイングランドでは、今度はクエーカー教徒が「異端」であり、メアリー・ダイアーは絞首刑になったわけです。
アメリカ合衆国憲法では「信教の自由」が高らかにうたわれています。しかし憲法制定(1787年)の120年ほど前には「異端」の罪で人が処刑されていたのです。「信教の自由」はメアリー・ダイアーを始めとして流された多くの血によって獲得されたと考えられます。クエーカー教徒の処刑は彼女だけではないのですが、「いくらなんでも、まずい」という思いが植民地の人々に徐々に広まったのではないでしょうか。もちろん憲法の制定で問題が解決したわけではなく、現代までも続いていることは知られているとおりです。
歴史に目を向けると、キリスト教徒をはじめとする「殉教」は枚挙にいとまがありません。ヨーロッパの著名な教会にいくと殉教者の像や絵画は山ほどあります。日本でも殉教はありました。長崎に行くと殉教者の像もあります(日本二十六聖人記念碑)。メアリー・ダイアーの処刑も、そういった歴史の中のごく小さなひとコマに過ぎません。
しかし私にとって「全く意外」だったのは、民主主義の殿堂である「州議会の議事堂」というまさにその場所に、そこに集まる議員たちの先祖が目と鼻の先の公園で処刑した「殉教者」のブロンズ像が建っている、というその事実でした。
ボストン・ダック・ツアー

「なぜ?」と思って、ダック・ツアーが終わってから州議事堂にいって確認したのが、メアリー・ダイアーの像です。像の台座には次の文字が刻んであります。
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この碑文にあるavailethは古語で、avail の三人称単数現在形です。現代英語では avails で、従って not availeth は does not avail です。not avail me という言い方がいかにも英語っぽくて、日本語に直訳するのは難しいのですが、意訳すると次のようになるでしょう。
(試訳) |
The Liberty of The Truth を「真実の自由」とすると日本語としては意味が変わってしまうので「信教の自由」と意訳しました。The Truth というのはつまり「神の言葉」の意味ですね。The Liberty of The Truth は「神の言葉を自由に語ること」と解釈して「信教の自由」としました。
フリーダム・トレイルの意味
フリーダム・トレイルは以前に歩いたことがあります。その時の印象は「アメリカ史の勉強になった」というものでした。なぜフリーダム・トレイル、つまり「自由の道」なのか、それは明白で「自由のために独立戦争を戦った古き良き時代のアメリカを、建国の地ボストンでたどる道」であり、アメリカ万歳、というような暗黙の意味があると思っていました。
しかしメアリー・ダイアーの像を知って「フリーダム・トレイル」の意味は一変しました。それは「アメリカ万歳」ではなく、その名前が直接的に表現しているように、人間の歴史が獲得してきた自由の大切さ、強制の排除と寛容の精神で社会を構成することの大切さを認識するための道だと思えたのです。だって、そうですよね。信教の自由(Religious Freedom)の証人(Witness)の像が、トレイルの出発点(ボストン・コモン)を見おろす位置にあるのですから。フリーダム・トレイルの「最重要スポット」は、その言葉の意味からして明らかにメアリー・ダイアーの像です。ガイドブックには全く書いてないけれど・・・・・・。
メアリー・ダイアーの像は、ダック・ツアーのガイドさんが紹介するぐらいなのだから、ボストン市民にとってはよく知られているのでしょう。ガイドのお兄さんに感謝したいと思います。
 補記1  |
メアリー・ダイアーはクエーカー教の初期の伝道者であり、17世紀後半のアメリカではクエーカー教徒は弾圧されました。その後、宗教の自由が認められるようになり、クエーカー教徒の数も増えていきます。そしてボストン近郊におけるクエーカー教徒のコミュニティが、アメリカの捕鯨産業の中心となります。この経緯を「No.20 - 鯨と人間(1)欧州・アメリカ・白鯨」に書きました。
 補記2  |
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新渡戸稲造夫妻 [site : 十和田市立 新渡戸記念館] |
言うまでもなく、新渡戸稲造の功績は「武士道」(1899)という本を英語で書いて出版し、日本の精神文化を世界に紹介したことです。山本博文・訳「武士道」(ちくま新書)の訳者序文によると「新渡戸にとってクエーカー主義の影響は大きく、この思想に出会ったことで、キリスト教と東洋思想を調和させることができたと語っている。」そうです。
メアリー・ダイアーのボストンにおける殉教は、アメリカ東海岸のクエーカー教徒を通じて「武士道」まで、細い糸で繋がっているようです。