No.206 - 大陸を渡ったジャガイモ
前回の No.205「ミレーの蕎麦とジャガイモ」で、ミレーの『晩鐘』に描かれた作物がジャガイモであることを書きました。小麦が穫れないような寒冷で痩せた土地でもジャガイモは収穫できるので、貧しい農民の食料や換金作物だったという話です。今回はそのジャガイモの歴史を振り返ってみたいと思います。
ジャガイモは、小麦、トウモロコシ、稲、に次いで世界4位の作付面積がある農作物です。1位~3位の「小麦・トウモロコシ・稲」は穀類で、保存が比較的容易です。一方、ジャガイモは "イモ" であり、そのままでは長期保存ができません。それにもかかわらず世界4位の作付面積というのは、寒冷な気候でも育つという特質にあります。これは、ジャガイモの原産地が南米・アンデス山脈の高地だからです。
そのアンデス高地でジャガイモはどのように作られているのでしょうか。以下、山本紀夫氏の著作「ジャガイモとインカ帝国」(東京大学出版会。2004)からたどってみたいと思います。
山本紀夫氏は国立民族学博物館(大阪府・吹田市)の教授を勤められた方です。植物学と文化人類学の両方が専門で、ペルーのマルカパタという村に住み込んで農耕文化の調査をされました。また家族帯同でペルーに3年間滞在し、ペルーの首都・リマの郊外にある国際ポテトセンター(ジャガイモの研究機関)で研究されました。ジャガイモを語るには最適の人物です。
インカ文明を支えたジャガイモ
ジャガイモ文化を育はぐくんだのは南米のインカ文明です。最盛期のイ…