No.165 - データの見えざる手(1)

No.148「最適者の到来」で書いた内容から始めます。No.148 中で、チューリヒ大学のワグナー教授が、  コンピュータは21世紀の顕微鏡 と語っているのを紹介しました。進化生物学者のワグナー教授は、進化の過程を分子レベルでコンピュータ・シミュレーションし、なぜランダムな遺伝子変化の中から環境に合った最適なものが生まれたきたのか、一見すると確率的に起こり得ないように思える変化がなぜ起こったのかを解き明かしていました。 進化は極めて長い時間をかけて起こるものであり、かつ分子レベルの変化なので、実験室で "見る" ことはできません。その "見えない" ものをコンピュータは "見える" ようにできる、だから "21世紀の顕微鏡" だという主旨です。 「21世紀の顕微鏡」を「見えないものを見えるようにする」という意味にとると、他の分野の例として医療現場で使われている「CT装置」「MRI装置」が思い当たります。この2つの装置の原理は違いますが、いずれも電磁場を照射し、人体を透過した電磁場の変化を測定し、それをコンピュータで解析して人体内部を画像化する(輪切りの画像や3次元画像)ということでは共通しています。まさに「見えないものを見えるようにする顕微鏡」です。 クルマの開発にもコンピュータが駆使されています。クルマは、衝突したときに前方のエンジン・ルームはグチャグチャに壊れ(=衝撃を吸収し)、運転席はできるだけ無傷なように設計してあります。これもコンピュータを使って、…

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No.164 - 黄金のアデーレ

No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたことから始めます。20世紀のヨーロッパ史に関係した話です。 1933年、ドイツではナチスが政権をとり、そのナチスは5年後の1938年にオーストリアを併合しました。この一連の経緯のなかで、多くのユダヤ人や文化人、学者、社会主義者・自由主義者が海外、特にアメリカに亡命しました。そしてロサンジェルスには、ドイツ・オーストリアから亡命してきた音楽家、およびその関係者の "コミュニティー" ができました。No.9 で書いた人名で言うと、 ・コルンゴルト(1897-1957)作曲家 ・シェーンベルク(1874-1951)作曲家 ・ワルター(1876-1962)指揮者 ・クレンペラー(1885-1973)指揮者 などです。コルンゴルトが自作のヴァイオリン協奏曲を献呈したアルマ=マーラー・ヴェルフェル(かつての、グスタフ・マーラー夫人)もロサンジェルスに住んでいたわけです。この地でコルンゴルトは数々の映画音楽を作曲し、それが現代のハリウッド映画の音楽の源流になったというのが No.9 の主旨でした。 この、ロサンジェルスの "ドイツ・オーストリア音楽家コミュニティー" に関係がある映画を最近みたので、今回はその映画の話を書こうと思います。『黄金のアデーレ』(2015。イギリス・アメリカ)です。 黄金のアデーレ この映画は実話であることがポイントです。そのあらすじは以下のようです。 1998年の話です。ウィーン出…

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No.163 - ピカソは天才か(続)

今回は、No.46「ピカソは天才か」の続きというか、補足です。No.46 では、ピカソがなぜ天才と言えるのかを書いた人の文章を引用しましたが、その中で中野京子さんがピカソの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1900)を評した文章を引用しました。最近、中野さんは『名画の謎 対決篇』(文藝春秋 2015)という著書でこの絵を詳しく解説していたので、それを No.46 の補足として紹介したいと思います。 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』というと、オルセー美術館にあるルノワールの絵(1876)年が大変に有名ですが、24年後にピカソも全く同じ場所を描きました。 ルノワールがムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いて24年後の1900年、スペインから若い画家がパリへやってきた。パリでの成功イコール世界制覇を意味したので、各国からうじゃうじゃ集まってきた画家の卵のひとりである。だがスペイン生まれの小柄な19歳は、卵というには達者すぎる腕前だった。 パリ到着の二ヶ月後、彼はムーラン・ド・ラ・ギャレットへ何度か通い、あっという間に一枚の絵を描きあげる。もとより早描きだった。美術学校入学試験の制作でも、期限が一ヶ月というのにたった一日で描き終えたほどだ。自分が天才だと知っていた。小さなころからラファエロのように描けたと豪語していた。パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ…

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