No.120 -「不在」という伝染病(2)

(前回より続く) モイゼス・ベラスケス=マノフ 『寄生虫なき病』(原書) 21世紀の免疫学の発見 21世紀の免疫学の発見は、免疫の発動を制御し抑制する細胞群が発見されたことです。この代表が、大阪大学の坂口教授が発見した制御性T細胞です。免疫を抑制する細胞群があることは20世紀の免疫学でも仮説としてはありました。しかし実験的に立証されたのは21世紀(1990年代後半以降)です。 制御性T細胞は、生後、外界からの微生物や寄生虫に接触することで発現します。かつ、腸内細菌が制御性T細胞の発現に関わっていることも分かってきました。この制御性T細胞がアレルギーの発症を抑制しているのです。 東京大学の新あたらし幸二博士、本田賢也博士の研究成果があります。両博士は、特定の腸内細菌をターゲットとする抗生物質を使って、特定種の腸内細菌を徐々に減らすという実験をマウスで行いました。この結果、 ・抗生物質のバンコマイシンで腸内細菌のクロストリジウム属を徐々に減らすと、 ・ある時点で制御性T細胞が急減し、 ・それがクローン病(炎症性腸疾患)の発症を招く ことを発見しました。クロストリジウム属を増やすと制御性T細胞は回復し、炎症も治まります。これは特定の腸内細菌が制御性T細胞の誘導(未分化のT細胞を制御性T細胞に変化させる)に重要な役割をもっていることを実証しています。なお、クロストリジウム属の話は、No.119「不在」という伝染病(1)の冒頭近くで引用した日経サイエンス 20…

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No.119 -「不在」という伝染病(1)

マイクロバイオーム(細菌叢そう) No.69-70「自己と非自己の科学」で、ヒトの「獲得免疫」のしくみについて書きました。獲得免疫は「自然免疫」に対比されるもので、「病原体などの抗原に対して、個々の抗原ごとに特異的に反応して排除するしくみ」を言います。その No.70「自己と非自己の科学(2)」の最後の方に、ヒトの「マイクロバイオーム」が免疫に重要な役割を果たしていることを紹介しました。 マイクロバイオームとは人間の消化器官や皮膚に住みついている細菌群(=常在菌)の総体を言う用語で、日本語では「細菌叢そう」です。No.70「自己と非自己の科学(2)」で紹介した内容を要約すると次の通りです。 ◆人体に住みついている細菌は「常在菌」と言い、一時的に体内に進入して感染症を引き起こす「病原菌」とは区別される。常在菌は病原性を示さない。 ◆常在菌の住みかは、口腔、鼻腔、胃、小腸・大腸、皮膚、膣など全身に及ぶ。人体にはおおよそ 1015 個(1000兆個)の常在菌が生息し、この数はヒトの細胞数(約60兆個)の10倍以上になる。常在菌の種類は1000種前後と見積もられている。 ◆ヒトの消化器官にいる微生物の遺伝子の総数は330万個で、ヒトに存在する遺伝子2万~2万5000個の約150倍に相当する。 ◆有益な微生物の代表例は、バクテロイデス・テタイオタオミクロンだ。炭水化物を分解する能力が非常に優れていて、多くの植物性食品に含まれる大きな多糖類を、ブドウ糖などの小さくて単純で消…

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No.118 - マグダラのマリア

最近の記事、No.114とNo.115で、中野京子さんによる絵の評論を紹介し、その感想を書きました。  ジェローム『仮面舞踏会後の決闘』(No.114)  スーラ『グランド・ジャット島の日曜日の午後』(No.115) の2作品です。また以前には、No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野さんによる  ベラスケス『インノケンティウス十世の肖像』   『ラス・メニーナス』 の評論を紹介しました。今回もその継続で、別の絵を紹介します。ティツィアーノ『悔悛かいしゅんするマグダラのマリア』(1533。フィレンツェ・ピッティ宮)です。この絵は「マグダラのマリア」を描いた数ある絵の中で、最も有名なもの(の一つ)だと思いますが、中野さんはこの絵の解説でサマセット・モームの小説を持ち出していました。それが印象に残っているので取り上げます。 ティツィアーノ 『悔悛するマグダラのマリア』(1533) (フィレンツェ・ピッティ宮) - Wikipedia - まず「マグダラのマリア」がどういう女性(聖女)か、その歴史的背景を踏まえておく必要があります。中野さんも解説(「名画の謎 ── 旧約・新約聖書篇」文藝春秋。2012)の中で書いているのですが、紙数の制約もあり短いものです。ここでは、京都大学・岡田温司あつし教授の著書である『マグダラのマリア ─ エロスとアガペーの聖女』(中公新書。2005)によって振り返ってみたいと思います…

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