No.74 - 現代感覚で過去を見る落とし穴

前回のNo.73「ニュートンと錬金術」で書いたように「大坂夏の陣図屏風・左隻」と「ニュートンの錬金術研究」の教訓は、 現代人が「あたりまえ」か「常識」と思うことが、過去ではそうではない という至極当然のことであり、往々にして我々はそのことを忘れがちだということです。 ◆過去の人間の意識や文化、技術は現代とは相違する(ことが多い)。◆(暗黙に)現代人の感覚で過去を眺めて判断してはいけない という視点で考えると、いろいろのことが思い浮かびます。それを2点だけ書いてみたいと思います。一つは古代文明の巨大遺跡に関するものです。 古代文明の巨大遺跡 (site : ペルー政府観光局)ペルーに「ナスカの地上絵」と呼ばれる有名な世界遺産があります。そもそも、地上からは全体像が分からない「絵」を、いったい何のために作ったのか。 「絵」が作られた当時に空を飛ぶ何らかの装置があったとか、宇宙人へのメッセージだとかの説がありました。ほとんどオカルトに近いような空想ですが、このような説が出てくる背景を推測してみると、次のようだと思います。 ①現代人なら、自分たちでは全体像を把握できない絵を、多大な労力をかけて作ったりはしない(これは正しい)。②ペルーの「ナスカの地上絵」の時代(B.C.2世紀~A.D.6世紀)の人も、現代人と同じ考えだろうと(無意識の内に)思ってしまう。③従って、何らかの手段で地上絵の全体像を見る手段が当時にあったのだろう、と推測する。 というわけです。 間…

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No.73 - ニュートンと錬金術

「大坂夏の陣図屏風」についての誤解 No.34「大坂夏の陣図屏風」で、この屏風の左隻に描かれているシーンについて以下の主旨のことを書きました。 ◆大坂夏の陣図屏風・左隻には徳川方の武士・雑兵が、逃げまどう非戦闘員に対し暴力行為・略奪・誘拐(これらを「濫妨狼藉」という)をする姿が描かれている。 ◆しかしこの屏風について「市民が戦争に巻き込まれた悲惨な姿を描き戦争を告発した、ないしは徳川方の悪行を告発した」というような見方は当たらない。 ◆戦国時代の戦場において濫妨狼藉は日常的に行われていた(藤本久志『雑兵たちの戦場』。No.33「日本史と奴隷狩り」参照)。それはむしろ戦勝側の権利でさえあった。大坂夏の陣図屏風は徳川方の戦勝記念画であり、その左隻は「戦果」を描いたものと考えるのが自然である。 ◆大坂夏の陣図屏風・左隻を「戦国のゲル二カ」と称したNHKの番組があったが、ピカソの「ゲル二カ」とは意味が全く違う。「ゲルニカ」は無差別爆撃を行った当時のファシスト軍を告発したものだが、大坂夏の陣図屏風・左隻は徳川方を告発したものではないし、豊臣家への挽歌でもない。 ◆もし現代人が「一般市民が戦争に巻き込まれた悲惨な姿」を描いたのなら、それは「戦争を告発」したものであることは確実である。しかしそういう現代の視点で過去を見ると落とし穴にはまり、誤解してしまう。 大坂夏の陣図屏風・左隻。第3扇(部分。左)と第5扇(部分。右) 過去の文化・技術・人々の意識は、現代のそれとは違い…

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