No.47 - 最後の授業・最初の授業

パリ・コミューンと普仏戦争 No.13「バベットの晩餐会(2)」で、この映画の間接的な背景となっているのが、1871年のパリ・コミューンであることを書きました。このパリ・コミューンは普仏戦争におけるフランスの敗戦で引き起こされたものです。この普仏戦争に関連して思い出した小説があるので、今回はその話です。 普仏戦争の結果、講和条約が結ばれ、アルザス・ロレーヌ地区はドイツ(プロイセン)領になります。パリ籠城までして戦ったパリ市民はドイツとの講和に反対して蜂起しましたが(パリ・コミューン)、これは当然(ドイツの支援を受けた)フランス政府軍によって弾圧されたわけです(No.13参照)。支配層が、つい昨日まで敵だった国と裏で手を握り、かつての敵国にいつまでも反対し続ける国民(の一部)を弾圧するというパターンは歴史の常道です。 この普仏戦争の結果、アルザスがドイツ領になったという事実を背景にして書かれた小説があります。アルフォンス・ドーデ(1840-1897)の『最後の授業』(短編集『月曜物語』に収録。1873)です。要約すると以下のような短編です。 『最後の授業 - アルザスの一少年の物語』 ある晴れて暖かな朝、アルザスの少年、フランツは学校に急いでいます。今日はアメル先生がフランス語の分詞法の質問をするので、ずる休みをしようとも思ったのですが、気をとり直したのです。学校へは遅刻してしまいした。 叱られると思ったフランツですが、アメル先生は意外にもやさしいのです。そして普…

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No.46 - ピカソは天才か

前回の No.45「ベラスケスの十字の謎」の最後で「ラス・メニーナス」に登場するニコラス・ペルトゥサト少年を下敷きにしてピカソが描いた『ピアノ』という作品を紹介しました。ピカソの作品は以前にも No.34「大坂夏の陣図屏風」で『ゲルニカ』に触れています。今回はピカソをとりあげ、『ピアノ』と『ゲルニカ』の感想までを書いてみたいと思います。 開高健のエッセイ ピカソについて思い出す文章があります。作家・開高健が書いた「ピカソはほんまに天才か」というエッセイです。雑誌『藝術新潮』に掲載されたものですが、大事なところだけを抜き出してみます。この文章を「とっかかり」にしたいというのが主旨です(原文に段落はありません)。 西欧の画を画集でしか知らなかったときと現物を見てからとで評価が一変または激変したケースはおびただしいが、評価が全く変わらなくてしかも放射能を何ひとつとして感じさせてもらえないという例もたくさんある。その一人がピカソである。この人については「青の時代」をのぞくと、あとは全く何も感染させてもらえなかった。この人は異星人並みの天才とされてその名声は不動と思われるけれど、残念ながら小生はついに一度も体温を変えてもらうことができなかった。 批評文を読むとことごとく天文学単位のボキャブラリーを動員しての絶賛また絶賛である。それらを読むうちに何やら妙な心細さをおぼえ、誰かおなじ意見を述べるのはいないかと、ひそかにさがすうちに、とうとうハーバート・リードが、「ピカソでいいのはせい…

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No.45 - ベラスケスの十字の謎

エリアセル・カンシーノ 「ベラスケスの十字の謎」 (徳間書店 2006) 前回までに児童小説を2つ取り上げました。No.1/2 の「クラバート」と、No.40 の「小公女」です。今回は3冊目の児童小説です。 No.19「ベラスケスの怖い絵」でベラスケス(1599-1660)の傑作『ラス・メニーナス』について書きました。また、No.36「ベラスケスへのオマージュ」でもこの絵について触れています。今回は「ラス・メニーナス」に関する児童小説で、スペインの作家、エリアセル・カンシーノの『ベラスケスの十字の謎』(宇野 和美 訳。徳間書店 2006)です。 『ラス・メニーナス』は謎の多い絵ですが、大きな謎の一つは絵の中の画家本人の胸に描かれた赤い十字で、これはサンチャゴ騎士団の紋章です。サンチャゴ騎士団に入ることは当時のスペインにおいて最大の栄誉であり、ベラスケスは60歳のときに(1659)騎士団への入団をやっと許されました。ところがその3年前に『ラス・メニーナス』は完成していて(1656)、王宮に飾られていたのです。つまり『ラス・メニーナス』の完成時には、ベラスケスはサンチャゴ騎士団員ではありません。従ってその時点で赤い十字は絵になく、後で誰かが十字を描き加えたと考えられているのです。これが『ベラスケスの十字の謎』のテーマとなっています。 ベラスケス「ラス・メニーナス」 (プラド美術館) 小説の主人公は『ラス・メニーナス』に登場するニコラス・ペルトゥサトです。画面の右下で犬に…

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