No.38 - ガラパゴスの価値

No.37「富士山型の愛国心」において日本の携帯電話(スマートフォンでない従来型の携帯電話。以下、携帯と書きます)を「ガラパゴス携帯」とか「携帯のガラパゴス化」と表現するメディアがあると書きました。これは日本だけで独自に高度に発達をとげ、世界市場では影が薄い日本の携帯を、揶揄したり批判したりする言い方です。批判というまでの意識はないのかもしれませんが、少なくとも日本の携帯をネガティブにとらえた言い方であることは間違いないと思うので、以下、この揶揄ないしは批判を「ガラパゴス批判」と書きます。 この「ガラパゴス批判」は、メディアの記者が評論家になったつもりで、おもしろがって言っているのだと思います。私は携帯業界のことに詳しいわけではないし、携帯の1ユーザに過ぎません。それでも、この批判は的を射ていないと思うのです。 スマートフォンが大きく伸びている現在、あらためて携帯における「ガラパゴス」の意味を振り返ることは大いに意味があると思います。以下に「ガラパゴス批判」の問題点を何点かあげます。 携帯はキャリアの製品 まず誰でも知っていることですが、日本の携帯は、携帯電話事業者(ドコモ、KDDI、ソフトバンクなど。以下キャリアと呼びます)の製品です。携帯電話端末というハードウェアの開発・製造会社(以下メーカと呼びます)はキャリアの委託を受け、製品を開発し、キャリアに製品を納入している存在です。携帯という製品を出しているのはキャリアであり、販売代理店→キャリアショップ・量販店というルート…

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No.37 - 富士山型の愛国心

No.30「富士山と世界遺産」で、 新幹線で外国人に富士山の美しさを長々と説明した人の行為は、自国の誇りを対外的に説明しようとする「シンプルな愛国心」の発露だと思います。 「愛国心」というとちょっと大げさなようですが、国を構成する重要な側面は「自然」です。そして日本の場合、富士山を含む「山」は自然の極めて重要なファクターです。従って「日本を愛する」ことの一部として「富士山を愛する」ことがあって当然だと思います。 と書きました。今回はその続きです。ここで言葉にした「愛国心」について考えてみたいと思います。 何も大げさに「愛国心」と言わなくても、日本に生まれたから日本が好きだ、日本に住んでいるから日本が好きだ、私は日本を愛します、でよいわけです。しかし一歩踏み込んで、その「日本が好きだ、日本を愛するという感覚」を分析してみたらどうなるか、というのが論点です。 国レベルの愛郷心 「国」という概念は、あまりにも多くのものを含んでいます。そのため「愛国心」も人によってさまざまな定義や考え方があり、論点を整理しておかないと筋道が分からなくなります。 まず一般に「愛国心」と言われるものの中には「(現在の)国の体制や政治的主義に忠誠を誓うことを(暗黙に)求めるもの」があります。この「忠誠型の愛国心」いわば「忠国心」は今回の議論の範囲外です。 また「国益とセットで語られる愛国心」も議論の対象外です。何が「国益」の増進につながるのか、人によって考えが違うことが一般的です。領…

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No.36 - ベラスケスへのオマージュ

No.19「ベラスケスの怖い絵」で、中野京子さんの著書『怖い絵』の解説に従って『ラス・メニーナス』を取り上げました。今回はこの絵に関した話からです。 ベラスケス『ラス・メニーナス』(プラド美術館) No.19 にも書いたように『ラス・メニーナス』については、ありとあらゆる評論が書かれてきました。また評論だけでなく、この絵を模写した画家も多くあり、有名なところでは、ピカソがキュビズムのタッチで模写した作品がバルセロナのピカソ美術館に所蔵されています。 しかし何といっても印象深いのは『ラス・メニーナス』へのオマージュとして描かれた、サージェントの『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館蔵)です(以下「ボイト家の娘たち」と略します)。 ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)は、主にパリとロンドンで活躍したアメリカ人画家です。彼は1879年にプラド美術館を訪れ『ラス・メニーナス』を模写しました。そして『ラス・メニーナス』から得たインスピレーションをもとに後日描いたのが『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』で、彼が26歳の時の作品です。ボストン美術館に行くと、サージェントの絵だけが展示してある部屋があり、その部屋を圧するようにこの絵が飾ってあります。縦横 222.5 cm という、正方形の大きな絵です。 この絵は2010年にプラド美術館へ貸し出され、プラド美術館は「招待作品」として、この絵と『ラス・メニーナス』を並べて展示しました。天下の2…

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