No.30 - 富士山と世界遺産

No.18「ブルーの世界」で、プルシアン・ブルーを使った葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中の「凱風快晴」をとりあげました。そこからの連想なのですが、画題としての富士山、富士山を愛する日本人の心、および富士山を世界遺産へ登録する運動について書いてみたいと思います。富士山と日本文化 富士山ほど絵画にしばしば取り上げられてきたテーマはないと思います。江戸時代における富士山の版画の連作は北斎だけではありません。安藤(歌川)広重も「富士三十六景」「不二三十六景」「富士見百図」などの連作を書いています。また明治以降も数々の日本画家、洋画家が富士山を描いてきました。 これらの中から一つだけ印象的な絵を日本画の中から取り上げると、2008年に東京国立博物館で「対決 - 巨匠たちの美術」という展覧会がありました。ここで並べて展示してあったのが富岡鉄斎と横山大観の作品です。富士山が芸術家に呼び起こすイメージの多様さに驚きます。 富岡鉄斎:富士山図屏風(兵庫県 清荒神清澄寺) [site : asahi.com] 横山大観:雲中富士山図屏風(東京国立博物館) [site : asahi.com] 代表作(の一つ)が富士山の絵である画家は多いし(大観、梅原龍三郎など)、ほとんど富士だけを一生描き続けた画家もいます。富士の絵だけの展覧会も開催されています。 絵画だけでなく、写真撮影のモチーフとして最も取り上げられるのも富士山ではないでしょうか。絵画と同じように、富士山だけを撮ってい…

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No.29 - レッチェンタールの謝肉祭

No.27「ローマ人の物語 (4) 」の最後のところでヨーロッパの固有文化が残った例としてあげた「レッチェンタールの謝肉祭」の話です。 レッチェンタールの謝肉祭 以前、NHK総合で「地球に乾杯」というドキュメント番組シリーズがありました。1999年4月8日のこの番組で放映された「レッチェンタールの謝肉祭」は、非常に強い印象を残すドキュメントでした。 スイスとレッチェンタール レッチェンタールの村 - Kippel http://www.loetschental.ch/en/スイスのレッチェンタールは、イタリアにも近いアルプスの山脈に囲まれた谷です。タールは「谷」であり「レッチェン谷」という意味です。この谷を北に行くとスイス最大のアレッチ氷河にぶつかり、その奥にはユングフラウがあるという位置関係です。この谷間に沿って数個の村が連なっています。番組で紹介されたのは、このレッチェンタールの謝肉祭です。謝肉祭はキリスト教の復活祭の前の40日間である四旬節の、その前に行われる祭り(2月上旬)です。もともとキリスト教の祝祭ですが、カーニバルと呼ばれて一般名詞にもなっているように、大変世俗的な祭りとなっているケースが多いわけです。 しかしレッチェンタールの謝肉祭は独特です。それは同時に行われるチェゲッテの行事です。スイス政府観光局の日本語ホームページから引用します。 チェゲッテとは、村の男性が木で彫った恐ろしい形相の面をつけ、ヤギや羊の毛皮をかぶって扮する一種の怪物のようなもの。雪…

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No.28 - マヤ文明の抹殺

前回の No.27「ローマ人の物語 (4) 」の最後のところで、 「民族伝統の神々の破壊」はローマやコンスタンチノープルという首都だけでなく、ローマ帝国全域で行われました。さらにその後のヨーロッパの歴史をみると、ローマ帝国の領域の周辺へと「民族伝統の神々の破壊活動」が拡大していきます。 と書きました。今回はその補足です。「民族伝統の神々の破壊活動」はその後も延々と続けられ、ヨーロッパの外へと波及していきました。そして16世紀にその波は日本にまでやってきます。つまりキリシタン大名といわれる人たちの一部は、領内の寺院・神社を破壊しました。高山 右近(高槻、明石)がそうですし、大村 純忠(肥前)は寺院や神社の破壊だけでなく領内の墓所まで壊したはずです。しかし日本におけるこのような動きはごく一部であり、その後の幕府の強力なキリシタン禁制でなくなりました。逆に教会が破壊され、多数の殉教者を出すことになったわけです。 しかしアメリカ大陸へと波及した「民族伝統の神々の破壊活動」は、日本とは様相が違ったのです。 マヤ文明 チチェン・イッツァ遺跡マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神)を祀る。春分と秋分の日に太陽が沈む時、遺跡は真西から照らされ、階段の西側に蛇が身をくねらせた姿が現れる。マヤ文明は中米に興った文明です。現在の国名ではメキシコの南東部、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラスなどに相当します。この地の文明は紀元前から始まり、紀元200年ごろから大きな都市が建設されはじめまし…

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