No.23 - クラバートと奴隷(2)ヴェネチア
(前回より続く)
前回の No.22「クラバートと奴隷(1) 」の最後に、ヨーロッパの商人は、中央ヨーロッパとは別の奴隷の仕入れ先を開拓、と書きました。ヴェネチアの興亡を描いた、塩野七生著「海の都の物語」には、前回の中世ヨーロッパとは別のタイプの奴隷貿易が書かれています。
第4回十字軍と黒海貿易
ドラクロア
『十字軍のコンスタンティノープル入城』(1841)
(ルーブル美術館)[Wikipedia]ドラクロアの、いわゆる「三虐殺画」の1枚。他の2枚と違って虐殺する方もされる方もキリスト教徒である。
聖地エルサレムのイスラム教徒からの回復を目的とした十字軍(第1次十字軍は11世紀末。1096年)ですが、北部ヨーロッパでは12世紀に「ヴェンド十字軍」が組織され「異教徒征伐戦争」が行われたのは、前回書いたとおりです。
一方、地中海地方では何と、キリスト教国である東ローマ帝国を攻める「第4次十字軍」が組織され、首都・コンスタンティノープルを征服しました(13世紀初頭。1202-03)。十字架を掲げる国を「十字軍」が攻撃するのだから何とも奇妙な話なのですが、要するに「宗教戦争」とは無縁の、東ローマ帝国の国力の衰えにつけこんだ領土拡張・戦利品略奪戦争だったわけです。この結果、ヴェネチアはコンスタンティノープルに居留地を確保し、地中海と黒海をつなぐボスフォロス海峡を自由に通行できるようになりました。それまでヴェネチアはコンスタンティノープルでギリシャ商人が黒海沿岸から運んでくる交易…